2.
「なぁにやってんの」
ほらもっかい、と手を出してくるのは、綾。反対の手には、テニスのラケットを持っている。
「まだ始めたばっかでしょ、合わなくて当然」
テニスのダブルスを組むことになった。そもそも試合になんて出させてもらえる実力じゃないあたしが、一番うまい綾と組むのがおかしい。ううん、おかしかった。
綾はちょっと前に腕を怪我して、しばらく休んでリハビリしてた。もう高校三年のあたしたちに、来年はない。綾は今後もテニスを続けるみたいで、なんらかの理由をつけて試合に出ることになった。
それが、なぜかダブルスで。
しかも、ペアはあたし。
あたしは実力がない。かっこよく見えたから高校から始めてみたテニス。だいたいの人が中学でもやってきた人で、なかなか追いつかない。一度初めてしまったら、もう辞めるってこともできなくなった。もし辞めても、他の部活になじめる自信がなかったから。
基礎から始めると遅すぎて、だんだんあたしはハブられるとまではいかなくても、部活の練習で一緒にやろうって言ってくれる人がいなくなった。
三年生になった今も、まともに試合に出させてもらえないまま。
そんなとき、綾と一緒に組むよう、先生から指示された。
試合に出れる!
すごく嬉しかった。三年間、下手なりに休むことなくやってきた。だから一度は、試合に出てみたかった。
でも、それが綾と? どういうこと?
綾には、よろしくね、とだけ言われた。
「腕、いいの?」
「うん、よくなってきたよ」
なぜあたしが選ばれたかなんて、わかってた。
「古谷ならちょうどいいでしょう」
顧問の先生がそう言っているのを聞いてしまって、やっぱり、と思った。そりゃ。
自分でも思ってた。綾のリハビリのために使われるって。
病院の先生から、軽くならやってもいいって言われたみたい。それで今後のためにもやっておきたい試合。それならダブルスで軽ぅく誰かと、腕慣らし兼リハビリのために、組んでもらおうってこと。
「古谷はまだ試合に出てないですし、いい思い出になるさ」
本人が聞いているなんてつゆ知らず、先生は失礼で泣ける言葉を放っていた。思い出になるっていう聞こえだけはいい言葉を使って、あたしは綾のために使われる。
綾は部長。部員からの人望も厚い。だから綾と組むことになったあたしは、羨望といろんな目で見られた。あんなへたくそなのに、綾と組めるなんて羨ましい。あんなへたくそなのに、綾はかわいそう。全部が全部、あたしじゃなくて綾の立場に立った感情。
下手だと自覚があるし、だからこそ、あたしは断れないし笑って流すしかできない。
練習を始めて、試合まではもう、一か月もなくなった。
なかなかうまくいかない。とにかくダブルスの強化用メニューを続けてきた。でも、だんだん辛くなってきた。練習相手になる別のペアが、実力差でいい目をしてこない。それでもやってくれるのは、綾がいるからだ。
とある日、あたしは初めて練習をさぼった。部活には行った。でも、部室であたしたちのことを囁く声を聞いちゃって、踵を返した。
だめだ、もう、できない。
やりたくない。
着替えないまま家に帰ろうとしたけど、帰りが早いと親が驚く。あたしが試合に出るって聞いて、ものすごく喜んでくれたお父さんとお母さん。
だめだ、いつもの時間に帰らないと。
ランニングでよく使われている高架下で、素振りする。ここはあたしの内緒の訓練場。家だと狭くて危ないから振れない。学校でやっても、へたくそって目で見られるのが嫌で、いつも人のいないところでやっていた。
見えるところに古いお社みたいのがあって、神社か寺かわからないけど、どうか……ってお願いしながらやっていた結果が今なのかもしれない。
せっかく試合の機会をもらったけどごめんなさい、うまくいきません。
影が伸びてきた頃にかかった、「なぁにやってんの」という伸びた声。否定とかなくて、まったくもう、と子供をあやすかんじ。
つい振り返ったら、綾がいた。合わなくて当然? そんなはずない。
「当然って、当然じゃない」
「なんで」
「ほかの人なら絶対、もっとうまくやれた」
「なんで」
「うまいもん」
「なんで」
「いっぱい練習してるもん」
「あんたもいっぱい練習してるじゃん」
こうやって、とついさっきまで練習していたのを見て、にかっと笑った。
「あんたが練習休んだの、今日が初めてじゃん」
「えっ」
「なんで知ってるのって顔で合ってる? うちも練習休んだことないからだよ~」
あ、怪我のあとはちょっと休んでたわ、ってまた笑う。
「練習するなら」
ぱし、と手を握られた。あったかい。がさがさの手。ラケットを握ってる手。
「うちと一緒にしなきゃ、意味ないっしょ!」
ものすごく、明るくてまぶしかった。
「あんたって……」
さっきからずっと、あんたって呼ばれてる。今までも、ねえ、とか、ほら、とか、名前で呼ばれること、なかった。
「相棒って呼んだほうがよかった?」
いたずらっぽくっていう表現が、がぴったりの笑い方。
「うん!」
「うんなんだぁ!!」
二人でお腹を抱えるほど笑ったら、今までに聞いた言葉なんて吹き飛んだ。
それから相棒と、練習をがんばって、なんとか形になった。
「一回くらいは、勝ちたいな」
そんなあたしに、
「いや、やるからには優勝しなきゃ」
「それ、強者の言葉でしょ」
「強者でしょ!」
「たくさん練習したんだから!」
明日、がんばろうねって、別れた試合前日。
初めての試合。初めて、楽しみになった。
試合当日、あたしたちは、戦うことなく負けた。
綾は、一人で試合に出ていた。
なんで、なんで、
なんでなんでなんでなんで
なんで!!
先生から、けっこう動けるようになったから、一人で出させることにしたって聞いた。もともととっておいた枠だったとか、ものすごく言い訳っぽい。
それならあたしとのダブルスも、両方出ればいいじゃん。
先生は、両方はリハビリには重すぎるって。
なにそれ。
なんで綾は、先生の誘いを拒まなかったの?
相棒じゃないの?
今まで練習、たくさんやったのに??
裏切られた。
あたしはただの、練習台だった。
リハビリでって名目だったけど、動けるようになったら、一人で出ることになってたんだ。あたしとのペアは解消することになってたんだ。
それからあたしは学校を休んだ。部活も行かない。
退部はしない。あたしがいることで、綾が苦しくなればいい。
楽しいと思うことができた練習。
どんな理由でさえ、機会を得た晴れ舞台。
練習してきたことを認めてくれた存在。
あれらはすべて。
嘘だった。
うらやましかった。
すべてが、うらやましかった。
テニスの才能に恵まれ、人柄もよく、誰からも好かれ、容姿もよい部長。怪我はしたけど、先生からはこっそり回復後の枠までもらえていて。
あたしにはないものを、全部持ってる。
なぁにやってんの
その言葉に、できないやつががんばっても無理、と続いて聞こえた。
恨めしい、に変わった。
近くでうるさく工事をしている。ががが、ごごご、こーんこーん、と重機の音がずっと聞こえてきて、とにかく耳障りだ。
もうなにもかも、この重機に壊されてしまえ。
世界を呪ってやる。
あたしに期待させて、すべてを落っことした、世界を。
その原因を作った、綾を。
そうだ。
思い浮かんだのは、呪いの儀式。小学生の怖い話とかでよく出てくる、丑の刻参り。やって、呪ってやろう。そう思った。すぐに検索する。
方法を見つけた。
こんなの、本物じゃないでしょ。信じてないけど、憂さ晴らしにはなる。
もしも綾になにかあったとして、ざまぁみろって笑ってやればいい。
一人の練習場から見えてたあそこに行こう。どれだけあたしががんばってたか、あそこなら見ててくれたから、受け入れてくれるはず。
ものを用意する。そういえば綾のものなんて持ってたかな。
あ。
貸してくれたリストバンドがある。これで代用できるかな?
藁なんてないし、これをそのまま人形の代わりにしちゃえ。
あたしは用意が終わったあと、こっそりとその神社へ行って。
行った。
裏切者め。
痛い目みればいい!
コン、と大きくもない音が、樹々のなかに消えていった。
あたしが学校へ復帰したとき、綾はいなかった。引っ越したって。
「家族に不幸があって?」
先生は、うん、とだけ答えた。会えないのが嬉しいのか悲しいのかはわからない。それよりも、その不幸は、あたしが原因だと思った。
やった、と、どうしよう、が押し寄せる。
どうして、人の不幸をやったーなんて喜べるの?
苦しい。
どうして、痛い目見ろって思ってたはずなのに、どうしようって悩んでるの?
辛い。
痛い、痛い、痛い
苦しい、
辛い、
裏切られたあの日よりもずっと、胸が苦しい。
そのあとのことは覚えていない。
あたしは多分、死んだんだろうな。
人を呪わば穴二つ、か。
覚えているのは、どこか、高いところから飛び降りる、そのときの瞬間だ。
これで楽になろう。なれる。
苦しさと、恨めしさと、辛さと、胸に押し寄せるこの感情から、逃れられる。




