2.
いつのまにか到着していた。場所はインターを降りるまでわからなかった。今回は真言がひとりで決めてしまったから。
ただ、羅針盤は二人で動かした。
『僕らの行くべき場所を示せ』
くるんと動いた針は、インターを降りてから車が動くたびに向きを変える。しっかりと役目を果たしている。
高速で一度あったため、予定より時間は遅れている。約半日と聞いていて、出発時刻から考えると夕刻には着くと思っていたが、着いたのはとっぷりと陽が暮れてからだった。
「今回はどこだろう」
詠の独り言を、真言はあえて流した。ひとりで決めたため、はっきりとした場所は特定できていない。どんなところだろう、という意味だったが、実はほんのり罪悪感がある真言としては、場所を絞れていないこともあり、答えられない質問だった。
とりあえず、さすほうに向かう。できるのはそれだけだ。
しばらく車を動かしても、針のさす方向は変わらない。とにかく向かって進む。だんだんと山に向かっていった。
「あ」
針がゆらゆら動き出したのは、ヘアピンカーブが増えた山道に入ったところだった。さすがにこんな時間にカーブの多い場所で車を停められない。詠が地図を見て確認する。それらしき場所。事故。
山だからか、神社や寺も多い。湖も川もある。そして、遊歩道など季節ごとに楽しめる観光スポットも。
多すぎて絞れない。
「とりあえず、向かっていくしかないね」
真言がずっとハンドルを握っている。帰りは詠が、と約束した。
「なんか、針の方向、吊り橋とかダムがあるみたいだよ」
「橋にダムかぁ。なんかありそうだね」
「うん」
だがそういう場所というのは、通れる時間が限られている。危ないため、道は遮られているものだ。
が。
「ねぇ、この道さ、午後四時までって書いてあるのに、紐張ってないよ」
よくある黄色と黒の紐が鉄の柱にぶら下がっているのに、時間を過ぎた今もそのまま。門のようなものもあるのに、閉まっていない。
まるで、そこへ手招きされているかのよう。
「どうする?」
「行くしかないでしょ」
しっかりと針はそこを示している。持ったまま三百六十度くるりと一回転しても、針の指す方向は変わらない。
ダムか。それとも吊り橋か。
長い階段を上り下りして、やっと吊り橋につくらしい。吊り橋は行き止まりで戻ってくる形だ。明かりがないためよく見えないが、岩にぶつかるようだ。
岩の形の未練は一度で会っている。今まで同じものになったことはなかったが、そうでないとも限らない。
そしてここは、落ちたら水。真っ暗でそこの見えないダムの一部。吊り橋も、乗り越えようと思えば行けてしまうほどの場所。
柵も橋も、なにかに境界線を作っているようで、場所としてはぴったりに思える。
「ここが開いているんだから、歩いてみようか」
「詠さん、なんかずいぶん強引というか、大胆になったね……」
「捕まるかもって思ってる?」
「まぁ、思うでしょ普通。この時間に通行禁止って書いてあるんだから」
「守衛さん? が閉め忘れたのが悪い! ってことで」
「人のせいにしてる~」
そんな会話をしながら、階段を下りる。金属製で足元は網状になっている階段は、かん、こん、と音を立てた。二人分聞こえることに、安心する。
まずはダムのほうへ。
アーチ状になったところを歩く。放水される場所を上から覗くと、真っ暗でなにも見えない。昼間なら、きっと樹々が美しく湖面に映っていることだろう。だが夜の今は、怖いくらいに真っ暗だ。なんとなく明るく感じるものがあるのは、浮きだ。
「星がきれいに映ってるならいいのに」
「そんなところ、未練が形にするもんかな」
「見つけてほしい、とかあるかもよ」
「ああ、たしかに。光りたいとかもありそう」
アーチ状のダムの道を歩いても、暗い水しか見えない。そして、それらしき気配もない。仕方ない、と次へと歩き出す。
「懐中電灯持ってくればよかった」
「買ってあったのにぃ」
夜の行動が多いため、あって不足はないとひとつ持っている。
「懐中電灯もそうだけどさ、ここ、上ったり下がったりでけっこう足にくるのがな」
「転ばないでよ」
「明日筋肉痛だよ」
「まだ歩き始めてもいないのに」
あと〇段、と親切に書いてあるが、どこからどこまでのことを言っているのかわからない。
「わっ」
詠が足を滑らせた。夜露で葉が滑ったのだろうか。
「大丈夫?! 怪我しないでよ?!」
「うん、大丈夫、びっくりしただけ」
三十分ほど経っただろうか。吊り橋の入り口に到着。やはり行き止まりの橋。途中、熊よけの鐘を鳴らしてきたが、生き物の気配も感じられない。
「もうここが、なんてこと、ある?」
「いや、ないと思う」
今までは、それらしきものに出会った後に連れてこられる形だった。入口がなければ、入っていけない常世。
ただ、熊よけを鳴らしたのに誰も気づかないのは、不思議に思わないでもない。
「あの門がすでに入り口だったとかは」
「……あるかも」
でも、と続く。
「だとしたら、もう未練が襲ってきてるか救いを求めるか、なにかしらあるはずでしょ」
なにもないから怖い。なにもなくていいはずなのに、ないのが怖い。
「橋ってさ、なんか、この環境だと怖いよね」
「もしかして、三途の川とかそういう橋を言ってる?」
「うん」
橋。流れる川で地が分かれている場所を繋ぐもの。こっち側とあっち側を行き来するためにある。
現世と常世を行き来出来たら。
「橋、渡ってくる」
「そんな会話した後にそれ聞くと、行ってほしくないんだけど」
「遺言のつもりないから」
一歩踏み出す。吊り橋なのに、ぎしりという音ひとつしない。揺れない。しっかりできているらしい。高いところが苦手な人は、きっと顔を出すことはできないだろう。こんな真っ暗のなかなら、下も見えずに気にすることもないだろうが。
ぶわっ
風が吹いた。
いや、風ではない。たくさんの塊が、下から持ち上がって、降ってくる。まるで流星群のように。
「うそ、これ、そう?!」
「それ以外ある?!」
「ないね!」
下からうようよと飛び出し、びしゃ、と音を立てて落ちるそれら。暗くて見えないが、もしかしたらこのダムが、
「ダムが、未練を貯めてる場所なんじゃないの?!」
放流できずに、溜まってしまった未練。そして生きた人間を、招いた。求めて、もりあがってくる。闇にまぎれて見えない物質が、いくつもいくつも飛んでいる。
「これ、当たったらまずい?!」
「まずいね!」
「でも、どうやってよける?」
今は橋の上にいるため、下からの攻撃はダムに戻る。避けられている。だが橋より上に飛んできたものは、詠たちに向かって落ちてくる。
——やっぱり懐中電灯があればよかった。今更遅いけど
「当たってみるのもありじゃない? ほら、記憶」
「どう考えても、これは僕たちを招いてきた。当たったら危ないよ」
「狙われてるってかんじ?」
「そう」
力とやらがある詠と真言を狙い、未練を未練でなくすために生きた身体を求めてきている。
『そう、待っていたよ』
どこからか声がした。男かも女かも、年齢さえもわからない、幾重にも響く声。詠は真言の手をぎゅっと握った。
「誰?」
『おや、さすが、聞こえるか』
会話もできる。姿形が見えないだけだ。
『われらは、みれんのかたまり。それぞれがひとつになっている』
だから幾重にも重なった声が聞こえるのだろうか。耳が痛い。脳に響く。
『このダムはおぬしらのような者がくると、夜にはたまった未練が動きだす。幾度か人を捕まえたぞ』
その身体を狙ってな。
このあたりで事故や事件はなかったはずだ。人がひとりいなくなれば、ニュースになるはず。よく考えれば、失踪という詠の両親のように、ニュースにならなくともいない人間など多く存在した。
「今、その人たちはどこにいるの」
『さあな』
なんとも無責任な答え。もとより責任などないものだが。
『ただ、使われた人間は生きる力を奪われるも同然。未練がなくなれば器だけが未練の代わりに常世に残るのだろう』
「なぜ、未練は断たれて常世からいなくなっても、生きた身体が常世に残るの」
『わからぬか。常世は変化のない場所ぞ。入れ替わりになるのだ。未練は果たされれば消滅する。その穴を、なにかが埋めるのだ』
それは十分変化といえる。
変わらない場所ではない。
常世は、変わり続ける。
ただ、そこにいるものが、変わらないと思っているだけ。
そもそも、増えているものがあるのだから、変わらないなんてことはありえなかった。
ただ、この声の主の言うことが正しいのであれば。
「お父さんとお母さんは、もしかして」
「言っちゃだめだって!」
『ほう、それらは穴埋めに使われているかもしれぬな』
「そういう人間がいるんでしょ?」
『いる』
「見せて」
『なにを言う、ここがもう常世なのだ。見えないはずがないだろう。探せ、自らな』
「あなたは誰ですか?!」
『わからぬ。未練の集合体とでもいうか。そっちの死は多すぎる未練が残る。なにかが固めねばならぬのだ。ひとつにしているのだ』
ひとつにすることで場所を作るとでも言いたそうだが、そうなるはずはない。大きさは同じ。入ってくるものがあるならば、場所はいくらでも必要だ。
「常世は、限られているのか」
「それとも、生きた人間がいないと、保てないのか」
現世と幽世との境。どちらでもない場所。なにかを媒体にしたなにかがなければならない。それが橋とすれば。生きた人間を取り込んで、橋を太くして、頑丈にしないと。どちらにもいられなくなったら、未練はどうなるのか。
未練は消えることがないと思った。
違う。
故人が天へ昇れば、昇華される。輪廻転生があるならば、もしかしたら同じ過ちを犯さないようになるかもしれない。
『もう、見えない。われらは存在するために、生きた人間を必要とする』
見えないのは、未練にとっての橋だとすると。見えないくらいに場所がない。
未練は存在したいと、存在するために、ここにある。
なんなのか、わからなくなってきた。
知らないものを、知りたい。
今見えないものを、見たい。
あるかもしれないものを、見せてほしい。
過去に残してきた未練。これらは未来になにを求めている?
未来があると信じてここにあるというのか。
ひとつに固まってしまったのは、きっとここにありたい理由があるのだ。溶かすためには、なにが必要なのか。
そうすれば、両親を、見つけられるかもしれない。
死ねない。
もしも詠に死が訪れたとき、残る未練があるとしたら、それだ。
そのためにも、未練を残さないためにも、生きる。
両親を、見つけるために。
未練のない未来を生きて、必ず訪れる死を迎えるために。
こぼれ出る曲があった。記憶など見ていないのに。
テンポある前向きな曲のはずなのに、どこか切ないと感じてしまう歌詞。
過去、未来、今を歌っている。
恋愛の曲と思っていたが、今の詠には、どこか後悔を持っているひとりの人間と、いてほしかったもう一人の誰かを思い浮かべてしまうのだ。
リズムはとてもおだやかに流れている。掠れるような歌声になってしまう。もし悲恋の曲であったなら、これで合っているのかもしれない。そう思うような、下向きな流れだった。
なにが正解か。
前にもあった、この想い。わからないから、探している。
わからないことが多すぎる。
すべて想像、憶測、妄想、なんでもいい。私は呼んでもらいたい。なにも見えない場所でも、音のしない場所でも、呼んでくれる誰かがいてほしい。
どんなものになるか、わからなくても。
反対する心があっても、どこかにあってほしい。明るく幸せな未来。
ひゅう、と聴こえる竜笛の音。これが聞こえるということは、今、詠は一人ではない。生きている今、ヒントという光を求めて、誰かと伴にいる。
もし一緒でなくても、ついてきてくれなくても、意見がわかれても、二人で。




