3.
「反対に決まってるだろう!」
大きな声が公民館に響いた。そうだそうだ、と背を押す声と、違う、と反対の声。
「なぜだ? 水の怖さは誰もが知っていることだろう。せっかくお国が提案をくれたのに、なぜ反対するのかがわからん!」
この村に、ダムの建設が提案された。いや、もう提案なんてものではない。決定されたようなもんだ。それについて、村の住人のなか、反対運動をしようと言い出したのはおれだった。だが、全員が反対ではなかった。
ダムというのは、水の量の調節をしたり、生活のための水を備えたりするという利点があることは説明された。だが、逆もある。費用なんて国が出すんだからどうでもいい。が、環境に悪影響が大きい。山の木々も倒されてしまうし、動物の住処を奪う。
一番問題なのは、この村がなくなってしまうことだ。
「この村をつぶせと言っているのだぞ?!」
なのになぜ、この大切な、住み慣れた土地を、水に埋めろというのだろう。
「未来の子供たちのためだと考えろ」
「こんなところ、もう若者が来るわけがない」
「こんなところというくらいだ、ダムとして使ってもらったほうがよほど有用だ」
「そうだが、そうではない!」
なぜおれは、大切な親友と喧嘩しているのだ。
相手はおれの、古くからの友人。仲良くやってきて、ダムの問題にも一緒に取り組もうと思っていたのに。
あいつはそうではなかった。
おれと、考えが真逆だった。
そう、賛成派だった。
なぜ?
一緒に住んできたこの場所を、埋められてしまうというのに。
思い出も景色も環境も、すべてが水に埋められてしまうというのに。
必要と言われる理由がある、と賛成派は言う。それはわかっている。でなければダムの建設などされない。
が、問題は違うところにある。
「故郷が、なくなってもいいのか……」
拳を握り、震える腕。今夜は終わりにしよう、とそこで解散になった。
なぜ賛成するんだ、と反対派はぶつぶつ言いながら帰る。賛成派は、なぜ反対するんだ、とぶつぶつ言いながら帰る。
すでに決まったことなのに、村が分断されてしまった。
すべては、おれのせいだ。
「たけちゃん」
「ほうっといてくれ」
おれは、のりが伸ばしてきた手をふり払った。
ダムの建設までには時間がかかるらしい。きっとそれまでに、完成するまでにおれたちは死ぬだろう。いい歳になった。身体があちこち老いぼれていくのがわかる。
だから、せめてそれまで、この景色を見ていたい。コンクリートで固められて作られた池なんて、見たくない。今から引っ越しなんて、たまったもんじゃない。金もない。時間もない。住めば都だなんて、言ってられないんだ。
それに、ここには思い出がいっぱいあるんだ。
なくしてたまるか。
たまるもんか。
何度も行われていた公民館での話し合い。それもだんだん人が減り、回数が減っていく。なにも気にしなくなったのか。そう思うが、違う。話し合っても無駄だと、賛成も反対も思ったのだ。
理屈と感情。
水と油。
混ざり合うことのないふたつ。
村は普段通りに動いているが、分断されたことはよくわかる。人の動きは同じでも、どことなくぎこちなさがある。
それはいやだ。
ただ、ダムの建設を反対したかっただけだった。
一緒に住んで、成長してきた場所を奪われたくなかった。
もう短い未来。その間も同じ景色を見ていたい。
今、これでは、反対意見を出した意味がないではないか。
結局、どっちにもつかずに終わってしまった。
おれの人生だ。
病院に行きたくなくて、おれは自宅で寝ていた。死が近いのは、もうわかっていた。女房はおれがどう思っているかをわかってくれて、無理に治療しようとは言ってこなかった。
ただ、いらんことをしてくれた。あいつを、のりを呼んだのだ。
「たけちゃん」
「うるせぇ」
一度喧嘩しても、昔なら次の日にはけろっと仲直りしていたのに、今はそうもいかない。これがプライドというやつか。ずっと同じと思っていたのに。同じでなくなったことが苦しい。
「おれは近いうちに死ぬ。おまえは好きにダムの建設でもなんでもやってくれ」
生きているうちにこのままなら、それでいいのだ。
のりの反対側にふいと首をまわす。それだけでも体力を使うのか、痛いし時間がかかる。視線すら合わせることなく、のりはおれを呼ぶ以外にはなにも言わず、帰っていった。
あとで女房に怒られた。せっかく来てくれたのに。後悔するわよ、と。
そしておれは、死んだ。
残ったのは、なんだろう。それすらわからない。
が、なにかを残したことだけはわかっている。
だから、どこだかわからないところに、おれは、存在し続けることになった。
想いだけ。
死んだ体は戻らない。もう焼かれてしまった。骨になって、墓に納骨でもされているだろう。
おれは。
ただ、おまえと一緒に生きてきた場所を、なくしたくなかったんだ。
思い出を水に沈めてしまうようなことを、したくなかったんだ。
だから。だから。
子供だと思ってくれてかまわない。大切な故郷を、なくしたくなかった。
新たな場所に移動することも、怖かったんだ。
ただ、それだけなんだ。
環境やらなにやら言ってきたが、ほんとうは。
違うんだ。
怖いんだ。
過去を見たくても見えなくなってしまうことが。
だって、あのときの景色があれば、あの日のことなんてすぐに思い出すだろう?
怖いんだ。
未来がわからなくて、想像すらできないことが。
先になにがあるかなんて、神のみぞ知る、だろう?
怖いんだ。
今、おれの一言で村が、おれの大切な場所が、分断されてしまっていることが。
一緒に同じものを求めていけないことが。
助けてくれ。
怖くないよ、たけちゃん。ぼくがいるじゃないか。
変わるのは怖い。だから、たけちゃんはそこにいるんじゃないか。
過去はさ、そこに景色がなくとも、思い出として記憶に残っているよ。ぼくのなかには、しっかりと焼き付けられているよ。たけちゃんとの、幼いころからの思い出。
いじめられて助けてくれて、喧嘩して仲直りして、勉強をいやがるのを教えてあげて、お祭りにでかけて、
たくさんあるよ。
昔のことは、全部覚えてる。思い出せる。だって、心に残ってるからさ。
未来のことなんて、ぼくもわかんないよ。
でも、心配なんだ、水害。
この先には、ぼくの子供たちが住んでいる。ダムがあったら、洪水とかの被害を受けない可能性が高まるだろう。ぼくらはもう先が短いけれどね、まだ先が長い子供がいるんだよ。
環境とかなんて、そのときに生きている人間に考えてもらえばいい。無責任と言われたって、そもそもやり始めたのはだれだ? って言ってやるさ。たけちゃんみたいに、反対する人がいたのに、意見を聞かなかっただろって。
もしものことを考えるとね、ぼくは、未来の子供を守りたかった。
環境は変わるからさ、今はだいじょうぶでも、いつなにがあるかなんて、それこそわかんないから。
今は、どうだろうね。
もう、あのときの今じゃないね。
なにか、たけちゃんを納得させられる言葉とか理由とかを探したんだけど、見つけられなかったよ。
最期に会ったとき、もっと話せばよかった。たとえ君が聞いてくれなくても。
後悔してる。
それでね、結局ダムはできてね、台風のときの洪水がどうにか抑えられたらしいよ。おかげでぼくも、一安心だ。
放水のときを見に、観光客も増えたって。紅葉のきれいな場所って有名だってさ。
ぼくたちの気持ちはねじれている。絶対に混ざらないけど、もっと吐き出せばよかったと思ってる。これが、きっと、ぼくの未練だね。ぼくは、途中で諦めたから。
ぼくたちの未練は、きっとこのダムの下で、沈殿してるんだ。
仲直り、しようよ。
前みたいに。
今なら、もう、二人で、話し合える。
ぼくらはもう後悔という想いだけしか残っていないけど、ふたりで、仲直りの方法、探していきたい。
ねぇ、どう?
ぼくは諦めた。たけちゃんとの仲直りの方法を探すことも。
おれも、諦めたよ。おまえの言い分なんて、わかりたかねぇって。ぜったい聞かねぇって。
だから。
でも。
ダムの件が解決するまで、おめぇと仲直りするまで、死なねぇって思うことはしなかった。
おれの残した想いは、それだ。生きる理由を作ることを、しなくなったことだ。
怖いんだ。
今はあのときの未来。
過去はあのときよりずっと前。
未来は今でもある。
もう、生きていない彼らは、未練という想いだけでここにある。
生きる理由を作りたい。
生きたいから、生きるものを求める。
もう、ない身体を求める。
そうか、死なない、死にたくない、生きたいって気持ちも、未練なのか。
それが積み重なれば、きっと。
前向きに考えれば、生きる理由ができることになる。
後ろ向きだと、死にたくないこと自体が、未練となる。
さぁ、どっちになるのだろう。
少し考えると、詠は思う。
常世にある未練は、ここにあるのは、生きたかった、という未練なのかもしれない、と。
生きる身体を求めるのだ、生きて、忘れられず、存在したいたいんだ。




