1.
運転手交換は、意外にも早かった。もっと寝ていればいいのだが、酔いが醒めたらぱっちりしてしまったという。そこで選手交代。
運転中にて。
詠も実は寝たいという気持ちがあったが、今でないとはっきりさせておけないと思った。
ここは大人の自分から、と詠は話し出す。当然だが、真言はまっすぐ、高速の道路を見つめたままだ。原則車線にいる。
「まこくんがさ、」
詠は子供の反抗期が戻って来たみたいな気分だった。そしてそれをぶつける相手は、当時の詠にはいなかった。
「なんか、まこくんが罪を背負ってるっていうか、全部自分のせいだって思ってるみたいで」
——嫌だったの
最初のときはなぜかやっていた。
二回目からはやらされた。
喧嘩後は自分から。
命のああだこうだを聞いてからは、自分で続けることを決めて、今の目的は真言とは違う。
「なのに、自分より私の目的に時間も労力も使ってるみたいで、なんか、もやもやしてたの」
祖母の家に行って、なにかあったらと考えた。ありそうだと踏んだのは真言もそうだったのに、協力的ではなかった。
「まこくんが、私を止めてくるみたいで、なんかものすごく申し訳ないなってかんじの目で見てくるし、お父さんとかお母さんみたいなことも言ってくるし」
部屋の鍵のこと。料理のこと。仕事のこと。身体のこと。
もうそんなことを言ってくる人間など、詠には思い浮かばない。なのに。
「なんとか返りっていうんだっけ」
年下のくせに! みたいな感情が、爆発しそうになった。いや、していた。さすがにそれこそ年下相手で、声を少し荒らげるくらいだったが。
「なんか甘やかしてもらってる、ってよりは、そうしないとだめな人間って思われてるみたいなかんじもして」
自分の情けなさを、大きく感じる。器の小ささに、苦しくなる。やさしさに、逆に、悲しくなる。
「なんかあのとき…… 怒ってた、よね? その理由も、わかんなかったし」
行先を前もってひとりで探していたのは、話したとおりに時間短縮のだめだ。今、真言についてきてもらっている詠は、真言の大切な自由な時間を奪いたくない気持ちでいっぱいだった。
自分になかった時間を、真言にはたくさん楽しんでほしい。
そして、肩に乗せているものから、解放されてもいいと思っている。
そのためには、がんばるのは自分のための行動が第一であっても、それこそ真言につながる。
だから。
「私のやりたいこと、やらせてよ! ってかんじになっちゃったんだ。黙ってて! って」
自分第一だから。どんなにきれいな理由をくっつけようと、詠の行動はすべて自分のためだ。それを止めたり、協力しなかったり、未練の件以外でも家庭まで入りこんでくる真言に、苛立った。
「私、いい大人のはずなんだけど。家もあんなかんじだったから、いい子ちゃん演じて生きてきて、今も続けてるんだけど」
でも、それも苦しくなるときがある。はけ口がなく、溜まるばかり。
そこに最近入って来たのは、真言の存在だった。そして、未練を断つという目的だった。
そこで思い切り歌い、心をこめて、出し切る。カラオケでストレス発散、と同じだろうか。さらにはそれ以上に、自分のやったことで誰かが救われた、救われる、という美しい理想。
本当かはわからないのに。それでも、はけ口になっていた。
「ごめんね、こんな、だめな大人で」
ほろほろとなにかが流れていく。
おかげで、この気持ちが逆に、更紗を呼んでしまった。
「僕がはけ口になってたの」
「押さえてたなにかの八つ当たり先にしてた」
「それだけ、近しい場所にいられてたんだ」
「?」
隣を見れば、なぜかほんのり持ち上がった真言の口角。嬉しいことではない。怒ってもいい相手として認識されているわけなのに。感情をそのままぶちまけていい相手として思われているわけなのに。でもなぜか、表情が緩んでいる。
「もしかして、喜んでたりする?」
だとしたらおかしい、と詠は思っている。
「うん、嬉しい」
まっすぐに返って来た言葉に、なにも言い返せなかった。
そしてしばらく、沈黙が続く。車は穏やかに進んでいくだけ。風を切る高速の独特の音が、ただ聞こえてくるだけだった。
「僕はさ、いっつも詠さんが僕のこと気にしてくるから、嫌だった」
「他人に気を遣うのって、普通じゃない?」
「普通じゃない。僕は自分が一番」
「うそ、意外すぎる」
「ってかさっき、自分イチって自分が言ってたじゃん」
真言こそ相手を一番に気遣って、自分は二番目以降にまわしそうだ。
「自分が元気でなきゃ、誰かを心配させる。誰かに罪悪感を与える。誰かに気を遣わせる」
自分を一番と言いきった真言が話し出す。
「それってやっぱり、他人のためじゃないの?」
「違う。うーん、言い訳みたいなかんじかな。自分を一番にするための」
「よくわかんない」
「それが嫌なの。そうやって、自分のことを考えてないとことかも」
「よくわかんない」
「それも嫌。自分のことを考えること、諦めてる」
「諦めてないから、今も生きてるのに?」
「命削っていいって言ったの忘れたの? 諦めてるじゃん」
「諦めてないよ」
「諦めてないのは目的で、自分は捨ててる」
「そういうことになる、の?」
「そうだよ!」
真言が声を大きくした。
目的ばかり考えて、自分というものを考えない詠。真言には自分のことを大切に、のように説教するくせに、詠自身にはそれをしない。
詠は自分のことなどもう、どこかに置いてきた。目的はただひとつ。そのために生きねばならないが、生きていなければならないだけで、命さえあれば自分は二の次でいいという考えだ。自分は一番だが、そのさきの目的があるから。
真言はそれに苛立ちを覚えていた。
「ご両親もおばあちゃんも今はいないってわかったけどさぁ! 心配してるの! 僕が! それ気づいてる? 気づいてないでしょ?!」
心配をかけていることを気づいていないことも、真言にさらなる苛立ちを与えていた。
「迷惑をかけてるとは思ってるけど」
「迷惑じゃありません! 心配! し・ん・ぱ・い!!」
真言を気にするのに、真言からの心配は受け取らなかった詠。どんなに伝えようとも詠には拒否されているように思っていた。
「僕のこと子供扱いするし!」
「実際学生じゃん」
「学生と子供は違うでしょ! それに僕、もう成人だから!」
「年上で社会人の私としては、まこくんになにかあったら、ご両親に顔向けできないんだよ。それくらいわか」
「わかりません!!」
それ以上言うな、というように遮られた詠の言葉。
「学生とか社会人は置いといて、お金も時間も健康も、それくらい僕自分で管理してるんだけど? なのになに? 自由にしてほしいとか。お母さんじゃないんだからさあ!」
母親または姉のように振る舞われていると感じることが、しばしばあった。
「僕、そんなに頼りにならない?」
「え? 頼りにしてるよ。だから」
「ならどうして、ひとりでやっちゃうの」
「え、だって」
「力が弱くなったって話、したから?」
「違うって、だからなるべく効率的にって話をし」
「一緒にやったほうが、話し合いもできるしすり合わせもできるよ」
「そうだけど、時間は有限だし、」
「それは詠さんも同じでしょ」
「なるべくまこくんの負担を減らしたいんだってば」
「負担じゃない」
「付き合わせてるのは私だって自覚があるの! さっき話したとおりで、まこくんのことを」
「余計なお世話だから!」
余計なお世話。どこかで言われたことのある言葉。誰にだろうと考えたが、出てこなかった。
「詠さんの決意と同じで、僕も決めた。詠さんの力になるって!」
運転中だから前を見ているが、真言の眉間には皺が寄っている。怒りが目の中で燃えている。
口を閉じろ。
それはきっと、真言の意見も、真言の言葉も、真言の意思も、“聞いてほしい”、その意味だったのだ。
詠は、ただ黙って従え、とわがままを言っているかんじだったが、真言は違う意味で、静かに聞いてほしかったのだ。
「ごめん、なさい」
誰かが隣にいる安心感。
一時ひとりで行動しているとき、その大切さを実感した。
真言が聞いてほしいことは、まさに詠がほしいものだった。なのに聞く耳を持たなかったのは詠のほう。
だが詠も、真言のことを考えていた。そのうえの言動だった。最終的には自分のわがままにつながるが、巻き込んでいるという詠の認識からすれば、真言は守る対象であり、自由を満喫してほしいのだった。
静かにして、
黙って、
うるさい、
口を閉じろ、
そんなことは言わずに、
静かに聞いて、黙って聞いて、相手にとってうるさくせずに、口は閉じて、まずは訊くことが必要だった。
ごめんなさい。
詠からこぼれたのは、自分の近い過去と真言の想いが重なったから。誰かのための力になると、決めたこと。そのために動くこと。
詠の場合、最終的に両親を探すことにいきつくが、未練をここへ残した故人のための力にはつながっている。それを貫くと決めた。そのために動くと、決めた。
真言は、未練ではなく、詠のためと言った。そして現在進行形で、動いてくれている。
なのに。
なんて愚かなのだろう。すべて自分のために動き、他人に負担をかけ、自分のためを想ってくれている人間の心に耳を傾けることをしていない自分。
「ごめ、な、さ、」
年上で、社会人であるはずなのに。
年下で、学生のための行動をするべきなのに。
——支えられているのは、私のほうだ
わかっていたのに、わかっていなかった。詠から支えてほしいと願ったのに。
不快な想いをさせている。部分的に子供っぽい言い分もあった。だが詠は、ただ謝ることが今一番の薬だった。
「相棒なんでしょ。今後は二人じゃないとできないことが増えてくるはず」
なぜかだんだんと、重くなってきている。なにが、も、どうして、もわからないが、なにか、変わってきている。
「二人で、一緒に、やりたいんだ。どっちかだけががんばってるのは、嫌なんだ」
これが真言の一番の心のうち。
「うん。うん」
すんすんと鼻を鳴らしながら返事をする詠。真言は横眼でも、詠を見ることはなかった。女性の泣き顔を見てはいけないと思った。きっと詠は、泣いている自覚がないと思った。が、詠のほうがよっぽど、こどもっぽいと思ってもいた。
追い抜き車線の車が、どんどん真言の車を抜いていく。風を切る音だけに耳を傾けた。
更紗は全てをうちまけろ、と言ったわけではない。だが、言わないことできっと胸のなかにもやもやが貯まるのを、軽くしてほしかったのかもしれない。それが彼女を呼んだのだから。
「まこくん、」
「ん」
「わたし、まだ、話してないこと、ある」
今でないと、後悔する。詠は、この間のあれを打ち明ける決意をする。真言が詠にあれを言えなかったこととは意味が違うが、言わないでいることも、辛い。更紗は、もしかしたら詠に言ったのかもしれない。




