1.
翌朝、真言からの連絡は届いていた。だるさも眠さもそこまでではないらしい。だとすると、最初だからだろうか。とりあえず、詠は安心していた。
土曜、予定通りに来られるという真言のために、ごはんを用意する。カツカレーと鍋やきうどんの次はなににしようと悩んだが、子供が好きなメニューを思い浮かべて用意したのは寿司だった。ちらしずし。そろそろ季節になる。
ゆで海老と鮭と蓮根、菜の葉を入れて、卵の薄焼きを千切りにして乗せておく。あとはお好みで海苔。足りないと困るため、煮魚も作っておいた。まだいまいちつかめない、男子学生の胃袋の大きさ。
ぴんぽん、と音がして、どうぞと上がってもらう。台所でばたばたしていたため鍵を開けっぱなしにし、声だけで確認したらまた怒られた。やはり真言こそお父さんだ。信用していて、本人だとわかったからこそどうぞと言ったのに。
「はいごはん」
「ありがと」
ちゃんと食べてる? 詠さんこそ、 具合悪くない? そんなことより、いつもごはんもらっていいの? 学校とかバイトとか大丈夫? そっちも仕事があるでしょ、
どこか同じような言葉が行きかう。
詠としては、“そんなこと”ではない。具合が悪かったのだ。いつも。それを心配して悪いことはないはず。なぜか真言は今日、ご機嫌斜めらしい。
他人に当たってくるあたり、たとえ一つ下でももっと子供だな、と思ってしまう。だがそれを笑っていられなかった。
頼ってよ、と真言がぼそり呟いたのだ。
詠は思い切り頼っている。すでに真言に任せていることは多いし、今後も助けてもらう気まんまんだ。だからこそ支えてほしいと思ったのに。なぜそんなことを思っているのか、理解できない。甘えているし、頼っているのに、これ以上どうしろというのか。
逆にこれ以上、負担を増やしたくない。そういう想いのほうが大きくなっている。
「もう頼ってるよ。ごはんはそのお返しだし」
ここまで来てもらっているのも、真言には手間になる。今は詠の目的に真言を巻き込んでいるのだから、気にするのは当然なのだ。
自分も一度、命を削る行為をやめろ、と言われた身。
むすっとしたままでもちらし寿司は減っていく。それには安心した。煮魚もあさりの味噌汁もきれいになくなった。ここに桜餅があれば、詠の家のひな祭りのメニューになっていた。
食べ終えて、無言で皿洗いをする。よくわからない。相手がちくちくしていると、こちらも不快になる。悪いことをした覚えはないのに。
「じゃ、まずは地図から」
言い争っても聞いても意味がない。詠はメモ帳の地図と日本地図のポスターを広げて重ねる。黒い丸のある場所を調べてあった。
「ここは〇市、ここは×町で、」
「先に調べちゃったの」
「そりゃ、手元にあったし先にやっておけば今日の時間も短縮でしょ」
「そうだけどさ」
ふん、と語尾につきそうな顔と言い方。詠はむっとしそうなのを抑えて、話を続ける。
「ってかんじだけど、そのあたりに行ってみるのはどう?」
黒い点のマークはきっと印。どんな方法を使ったかはわからないが、ここに行く、というものだと詠は考えているし、根拠はないがなかば確信に近い。
「ほんとにそこなの?」
やはり聞かれた。理論的に考えるのが男性、感情論の女性が再発。
「理由はない。けどここに行きたい」
「僕は、行きたくない」
「なんで?!」
「僕たちが行くべき場所は、僕たちが選んで探すべきだ」
印は詠の両親に選ばれた場所。今まで詠と真言は自分たちで探してきた。行ってきた。もしその印に行ったとしても、なにも起こらない可能性もある、というのが真言の考えだ。共感できる心は、人によって違う。
「でも、私のお母さんとお父さんが選んだんだから!」
もしかしたら、そのなかに二人がいなくなった場所があるかもしれない。その可能性は高い。まだ×印が書かれていない場所だから。
さらに娘である詠なのだから、選ばれたその場所の未練と合うことは容易に考えられる。
「なんでそんなに反対するの?」
「詠さんを心配してるの!」
「今度はまこくんが私を支えてくれるんじゃなかったの? 私が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫なの! 家族でもないんだから! 心配無用です!」
「詠さんこそ、この間僕を弟みたいに扱ったくせに!」
「そりゃ一回目は私もよくわかんなくて大変だったからね! それにまこくんから命を削るって聞かされて、もしかしたらまこくんもそうかもって思ったら怖いじゃん!」
「なに? 罪悪感? 僕に支えさせてるのに僕の命を奪ってるみたいな?」
「もしそうだったどうしようって、普通思うでしょ! まこくんがそう言って一度見捨てたんじゃん!」
「見捨てた? なにその言い方!」
「それと同じ想いを私は抱いてる! そのくらいわかるでしょ? 実際まこくんだって思ったことなんだから!」
真言はたしかに、詠のことを想って止めた。わかっている。自分だってそうする。今ならわかる。
真言は詠とは目的が違う。
「一人でやろうとしないでよ!」
「ひとり? 一緒にやるから今日も来てもらったんじゃん」
「やってるじゃん!」
——地図のこと?
「時間短縮のためでしょ。効率的にやっていかないと」
寿命やら命やら、そのあたりは詠にはまったくわからない。あれが終わった後、疲れや睡魔が襲ってくる。だがたしかに命のことがあるのなら、早くやらないといけない。
焦らせる。焦っている。
「まこくんだって罪悪感あるんでしょ、最初に巻き込んだ張本人だしさ。前にも言ったけど、やるって決めたのは私自身なんだから、心配もいらない! よくわかんないけどなんでそんなに不機嫌なの? 私は今も普通に仕事行ってるし、健康診断に異常もないんだから!」
真言は返答しなかった。ただ、ぎゅっと唇を締めて、詠を睨んでいる。
「まこくんには、一般の、普通の、学生の、社会人になる前の、自由な時間を、今のうちに…… 今! 満喫してほしいの!」
もっとやさしく、頼むように言うべき言葉だった。なのに棘が出てしまう。社会人になったら縛りが多くなる。今のうちに。今のうちに。
「お母さん気取り?」
それともお姉さんだっけ? どっちでもいいや、と真言が吐き捨てた。
「ならそっちは弟気取りってやつだね?」
つい挑発に乗ってしまった。挑発ではないはずなのに。
「もういい、とにかく次の場所は僕が決める」
「え、なんでよ、」
『僕の行くべき場所を示せ』
一人ではもう動かない、動きにくいという羅針盤。垂らした鎖が、地図の上で動く。詠の手は触れていないのに。なぜ。
——力、戻ったの?
動いた先は、遠かった。とてもではないが、半日かけてやっと行けるかどうか、という場所。そして、見るとそこは、詠の両親が記した場所と重なっていない。
悔しさがこみあげる。まるで、真言の言い分があっている、と証明された気分で。
「悪いけど、そこだと休日しか行けない。金曜か月曜で有給とるしかできない」
「社会人になると縛られるってのはほんとなんだね」
意地の悪い言葉が、ぐさりと胸に刺さる。今度は詠が唇をきゅっと噛む番だった。
「私だって、できるなら好きにやりたいよ」
だが、生きるためには金が必要で、稼ぐためには仕事をしなければならない。か細く呟いた声は、真言に届いたか届いていないか、わからない。
「じゃ、学生の予定に合わせてね、大人の詠さん。次の金曜。早朝に迎えに来るから」
真言はそれだけ言うと、帰った。詠はただただ、胸にたまった感情を、抑えるしかできない。
言葉にしてはならない。
もう、考えなかった。なぜ真言があんなに嫌がるのか、反対するのか。それがどんな考えであっても、今の詠は受け入れることができない。受け入れる余裕がない。
あの紙はまだ、解読できていない。なんなのかわからない。鉛筆でさらさらとなにか書いてあっただろうことはわかったが、祖母が仏壇に大切に保存していた理由もわからない。どう見てもただの紙なのに、ただの紙には思えなくなってしまった。
これを見せれば、真言にはなにかわかることがあるかもしれない。だが言えない。言わない。
きっと、もっと心配させるから。
そう、今日のように。
心配なんてしなくていい。そのまま言葉にしたことはなかったかもしれない。だが、現在活動を続けているのだから、そんな必要はないことを察してほしい。
逆にこちらが心配する理由だってわかってほしい。
なぜ、真言があんなにむきになったのか、詠にはわからなかった。
心配して何が悪い、こっちは大人。あっちはまだ学生。扶養される身。ご家族もいる。なにかあったら困るのだ。
詠は真言の心配を窮屈に感じた。もういいときっぱり決めているのに。生きたいと思っているが、それは目的が果たせるまでの話。矛盾の話はしたが、とにかく、どこか重たい。
大人なのに子供と言い争ったことが恥ずかしくはなった。が、真言に悪いとは思わなかった。
次のときは、ずいぶんと重たい空気になりそうだ。




