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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
難しくて

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3.

「そう簡単にいくかよ」


 同期の桂が馬鹿にした。俺が夢を伝えたとき。

 前から思ってた。リモートワークが一般的になってきた今、エンジニアの俺はそろそろいいんじゃねぇかって。


「出社がまず面倒なんだぜ。その時間にゃ給料出ねぇんだぞ? 俺たちの職種はリモートでいいんだよ」


 だとすれば、田舎でのんびり暮らすのがいいじゃん。車は必要って聞くけどさ。


「俺、出勤時間嫌いだし、無駄な時間を過ごしたくねぇんだよ」

「気持ちはわかるがなぁ」


 なぜ桂が俺の考えを否定するのかがわからん。だが俺は、そのときにはすでに、この会社から通いにくい場所の民家を買っていた。通いにくい場所にしたのは、それを理由に、やっぱ会社来い、ってことにならないようにっていう策略。

 内見してないけど、写真は古民家っぽくてよかったし、広いし。賃貸はしない。毎月よりも一度にぽーんと金を出す。


「うまくやれよ、坂田。おまえの思い描く田舎と本物の田舎はかけ離れてると思う」

「なんでそんなに? あ、俺に隣にいてほしいか!」

「ちげぇよ。ほんものの田舎モンからのアドバイス」


 もっと早く言ってくれれば全力で止めたのに、と桂は言う。悪いな、止められても行くぞ俺は。


 実際、リモートワークは許可がおりて俺は引っ越し、まだ独身だからそっちで素敵な出会いがある! と夢があった。


 さぁ俺の夢の生活、開始!


 前から考えていた。自分の家で、パソコンに向かって仕事をする。会議もする。猫を飼う。都会から離れてたって、仕事ができて給料は都会の料金で入ってくる。田舎で暮らすスローライフ。最高じゃん!


 が、そうではなかったと気づくのは、早かった。


 周辺にはあまり建物がない。引っ越しの挨拶に行ったからか、若者が減っているらしいこの地域では、仕事中にもかかわらず周辺のジジババがたくさんやってきた。呼び鈴に出ないと庭に勝手に入ってくるくらいだ。


 田舎のつながりかなんだか知らんが、なんとか会ってのが定期的に行われて、若いからっていう理由で招集がかかりなぜか指揮をとらされる。孤立するのは全然気にしないからいいと思っていたんに、まったく逆になった。


 癒しのために猫を飼ったが、だんだんイライラで躾も適当になり、そこらじゅうに糞尿するし、臭い。逆に悪いほうへ。


 生活のための用品は、車で行かないといけないのはわかっていたが、交通の便が悪すぎる。わかっていたことなのに、やっぱだめだった。数分歩けばコンビニがある前の賃貸とは違って、まず歩いていける場所に店がない。


 そして、店がないからこそなのか、あのときどこどこにいましたね、と把握されている。近所が怖くなったほどだ。


 仕事があるからと地域のコミュニティ活動を休み始めたら、陰口を言われるし。

 買った家には庭があって、休日にはゆっくり眺めるとか野菜育てるとか、ゴルフの素振りでもしてみようかと思っていたんに、雑草がばんばん生えてくるし。


 大変なことばかりしか、目に入らない。


「都会から来た坂田さんって……」


 なぜこんなにも広くて人の少ない場所で、自分の悪口が聞こえるのかわからん。

 孤立なんて気にしないと思っていたはずなのに、それを気にさせたのはここの人間だ。


「桂ぁ」

『お、どうだ、そっちの生活。うまくいってるか?』

「仕事は順調、けど生活いまいち」

『やっぱ?』


 最初からこういう生活の人間なら当たり前だが、都会育ちには憧れていてもおすすめできない生活なんだとさ。


「娯楽も少ねぇし。猫も躾できねぇ。デリバリーもない。飲み屋に行けない」

『ははは、だろうな』

「笑うなよ、で、ギター始めたらうるせぇって注意されるし。隣の家までどんだけ離れてると思う?」

『あ、あんまよく思われてないかんじね』

「最初はよかったんだけどなぁ」

『戻ってくれば?』

「いや、夢、叶える」

『辛くなったら言えよ』

「さんきゅ」


 今が辛い。

 夢は叶えたはずなのに。

 田舎でリモートワークで仕事、スローライフ。思い描いていた絵と違いがありすぎる。


 同世代の女性とも出会えずに、時間は過ぎていく。

 もっとゆっくり進むのかと思ったのに、仕事内容は変わらないから進み方の実感も変わらず。


 気づけば、数年過ぎていた。

 そんなとき。


「リモートワークを止めろと?」


 こっちで仕事をしろ、と電話が来た。


『いや、やめなくていいんだけどね、そろそろ君もこっちの仕事に出てほしいんだ』

「こっちというと、そちらの、ですか」

『ああ、とはいえ、覚えてほしいことがあるんだ。新人を育てるにも君の能力は必要だからね』

「こちらからは行きにくいのですが」

『もちろん出張費は出すから』


 とにかく来い、と言われている。なぜ交通の便が悪い場所にしたのか、意味がなくなっちまった。


 それから、行ったり来たりの生活になった。どっちに住んでいるのかわからん。俺の家はあっちにある。が、俺がいるのは、今は都会。


 俺は、どこにいる?


 考えるとなにがなんだかわかんなくなるから、仕事にのめりこんで忘れることにした。酒も飲んだ。あっちでは一人、こっちではできれば誰かと。

 あれ、今は、“こっち”が家のあるほうか? どっちだ?


「せっかく若い人が来たと思ったのに、いないことが多すぎて」

「回覧板もまわってこないし」

「だから期待するなと言ったのに」


 行ったり来たりになってから、俺の周辺はせわしくなった。嫌いだった通勤時間がまたできた。仕事もある。本社に行く時間もかかる。新幹線で酒を飲んで、ふわふわと嫌なことを振り払う。


 まぁ、がんばったおかげで俺は出世した。だが、これでいいのか、という自分への質問はずっと心にある。だからすっきりしない。


 自分で決めて、購入してしまったこの家が俺をとどめている。


 この椅子に座ってパソコンに向かって、コーヒーを好きなタイミングで飲んで猫が足元をうろついているはずだったのに。

 今はなんだろう。


 やはり、戻るか?

 仕事はなくならないし、俺は。


 逃げるは恥。


 そんな言葉が頭にぽんと出て、ここを動くことができない。


 田舎の家にいるときよりも、都会のホテルにいるときのほうが、よっぽど興奮していて、帰ると虚しくなるのはなぜだ。


 大丈夫だ、俺は、うまくいく。

 そう、うまくいく。

 ここで。


「桂、今度そっちいったら飲もうぜ」


 久々の電話。最近はあっちに行っても、あいつには会えなかった。寂しい、と思うということは会いたいということだろう。


『久しぶり。悪いな、僕、実はさ』


 それからは右から左に流れていった。きちんと記憶はされている。相槌も打った。


 桂は結婚したという。けっこう前だった。子供ができて、育休ももらい、今は電車で通いやすい場所に戸建ての家を持ち、家族で暮らしているという。リモートワークもしている、と。

 通いやすいよう駅の近くに家を持ったらしく、移動も簡単、そしてもちろんインフラが整っている場所だった。


『今度飲もうな』


 俺は愕然とした。この違い、ありすぎる。


 俺はもっと早く行動に移したのに。独り身で、行ったり来たりで、まわりにはろくでもないジジィとババァばかりで。店もないしプライバシーなんてものが感じられない。好きなこともできない。

 とにかく、想像してたもんと違いすぎる。


 俺は、失敗したのだ。


 地域のなにかについて文句を言われてもどうにか躱してきた。ギターも話をつけた。猫も躾けた。リモートワークはうまくいってるが、外に出ることが増えている。現在話し合いをしている。こっちで、家でやらせてほしい、と。

 そしてこっちでは、結婚相手を探すためにアプリを使って。

 なにかをどうにかすると、また嫌ななにかが押し寄せる。


 呼ばれて都会に行くとへんに安心するが、苦痛もある。

 戻ってくると馬鹿に疲れるが、ここにいないと、というへんな義務感が襲ってくる。


 どこにいても、辛い。

 どっちつかずで、

 なにもかもが、悪いほうで、俺に押し寄せる。

 もうすぐゴールデンウィークだ。楽しい休暇は、雑草もからねばならない。


 俺の居場所は、こっちか、あっちか。

 そもそも、どっちがこっちでどっちがあっちか。


 最後のパンチになったのは、隣人のババァの言葉だ。


「あの人、どこに住んでるの」


 俺の家は知ってるはずなのに。なぜそんなことを話してる。

 自分で思っていたことが、人にも肯定されている。


 襲ってきたのは、後悔だった。


 なぜここにしたのか、なぜあんな浅はかな決定をしたのか。

 俺はここが嫌いだ。

 なんてみっともない生活をしている。

 夢と希望を持って移住してきたのに、なぜ、こんなにみじめなんだ。


 帰りたいのに、帰れないのは、なぜなんだ。

 俺の帰る場所は、どこなんだ。


 もうどうでもいいや、と近くない場所の飲み屋に行った。個人経営のちっせぇやつ。だから顔をおぼえられちゃうやつ。


 たっぷり飲んで、忘れたいことを忘れて、落ち込むとか怒るとか、そういうんじゃなくて逆に、楽しく馬鹿っぽく声を出して笑って帰る。家のあるところへ。


 飲酒運転は犯罪だ。知ってるさ。でも、すぐそこだと思って運転した。代行頼んで帰ろうかと思ったが、なんか人と関わるのが嫌になってきた。これじゃせっかくのハイテンションもなくなっちまう。


 それこそ都会ではできないくらいの荒い運転をした。きゅきゅきゅ、とタイヤがすれる音がする。映画で見るような動きをするテクは持ってないけど、けっこう楽しい。照明の少ないこの場所では、月明りの下、車を好きに動かした。


 楽しい。


 すでにひとつ、罪を犯した。ならもうひとつくらい。

 こんな時間にこんな場所、人がいるわけないだろう。


 俺は、信号が青になる前に、突っ込んだ。

 たしかに人はいなくて、なんだかスカッとした気分。それにおぼれていた。俺はそのまま、車の運転を失敗し、柱かなんかに思い切りぶつかって。


 それで終わった人生だ。




 自分を騙して生きてきた、後悔。もっと素直に従っていればよかった。


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