2.
日本地図はヒントになりそうだ。もし、真言の考えたとおり、行こうとしている場所ともう行った場所を書いてあるなら、詠たちが行く場所も同じはずだ。
「ヒント、見つかったね!」
「うん、ノートのほうはないけどね……」
「ごめんなさいねぇ、幼い私がいたずらしてしまいましてぇ~」
正直なところ、このようないたずらをした覚えは詠にはなかったのだが、幼いころの記憶はあいまいだ。あえて口にはしない。
「とりあえず、この紙切れと地図ともとの地図と、あと時計持って帰ろっか」
「他にはないっぽいしね」
夕方になるまで続くかと思ったが、そこまでの時間は費やさなかった。今日中に帰り、明日にゆっくり疲れをとる時間があるのは嬉しいことだ。
「じゃ、外食しながらちょっとまわって帰ろっか。今日中に帰れるよ」
「そうだね。でも、ちょっとまわってって」
「うん、やっぱり遠くに来たから。なにもないならさ、それでいいから、だから」
「わかった、行こ」
なんだか詠が嘘をつかないというか、隠さなくなったというか、素直になったというか、変わったと真言は思った。
そんな自分は、自分からだけでは動けないことを悔しく思う。
きれいにした家。線香の火がきちんと消えていることを確認し、戸締りも指さし確認までしてOK、祖母の遺影に手を振って、預かるものを持って車に乗り込む。
「やっぱりさ、なにかあると思うんだ」
「朝のおばさんの話?」
「そう。数十年過ぎたとはいえ、ほら、ここ、ザ・田舎でしょ? そんなにたくさん事件事故が起きるのが不思議で」
「事件も事故も、どこでも起きるものだよ」
「あんまり、前向きじゃないねまこくん」
「……ごめん。僕もやるって決めたけど、おばあさんの顔見たら、苦しくなった」
「こちらこそごめん。約束破りにさせて」
「いや! そういう意味じゃなくてね!」
それから二人に会話はない。土地勘のない真言はただ助手席に乗っているだけだ。羅針盤はいつもの力を込める作業をしていないが、真言が持っていて詠にもどこへ行っていいのかわからなかった。
だからただ、近くの知っている場所へと車を走らせるだけが続く。小学校、スーパー、散歩に行った道、友達の家、公園に公民館。
ぼーん、
時計が鳴った。詠は車を急停車させる。後ろの車がクラクションを鳴らしてきて、危ないことをしたと悟った詠はランプをつける。
鐘の音に驚いたのではない。また、教えてくれたと期待してしまったのだ。だが車の時計は、三十分。
「なんだ、三十分ごとのあれか」
「危ないよ、詠さん」
帰ろうよ、と真言の顔に書いてある。
「ごめん、もう少し、付き合って。もしもここになにかあったら…… ここ、私の、一応、故郷のひとつ、だから」
「そう、だけど……」
そうだよね、と小さくこぼした真言は、羅針盤に手を当てた。はい、と詠のほうに持ち上げる。詠も、その手に触れる。
『僕らの行くべき場所を示せ』
淡い光を放った羅針盤。いつもなら、どこか一か所をきっちりと指し示す。地図を使わないのは、範囲はここだけにしたかった真言の策だった。なにもなければ、針はくるくるとまわるだけ。どこもささない。そうなれば詠も諦めてくれるだろうと、思っていた。
だが針は、あっちとこっちと、まるで振り子のように動く。
「一点を指さないってこと、あるの?」
「いや、初めて」
「回ってないから、このあたりになにかあるってこと、だよね?」
「……うん」
「でもなに、この動き」
持ってきた振り子時計。それを想像させる動き。
「二か所にあるってこと?」
「あとは未練が行ったりきたりしてる、とか」
「え、未練って移動するの?」
「わかんないよ」
「とにかく、」
探す。
詠は車の位置を羅針盤の中心として、いったりきたりする範囲内、四時から八時くらいの間で思い当たる場所を走り始める。
ド田舎のここで、建物以外はほとんど平地。見つかるならすぐに見つけられる気がした。あの薄暗い影が出てきてくれさえすれば。
薄暮時。一番事故が起きやすいとかなんとかを、教習所の学科で聞いた気がする。そういう時間になってしまった。真言は黙って車に乗っていてくれた。
ずっと羅針盤を手の平に乗せている。動きに変化はなさそうだ。
やはり見つからない、どうしようか、本来は真言のことを考えて帰るべきだ。しかしやると決めたことをやらないのは意に反する。そしてなにより、この周辺に未練がある。
電車の高架下を通った。一気に暗くなるのは、夕日で赤かった景色が遮られたからだ。
ぼーん、
また、鳴った。
「「?!」」
真言が振り返る。詠は運転中で、最初の二の舞はごめんと止めることさえしなかったが、意識は後ろに向いていた。今は、三十分ではない。そして、途中であったはずの時報のとき、鐘は鳴らなかったのだ。
「ひゃっ」
悲鳴は詠だ。
「どうしたの?!」
「か、鏡に、後ろ、に、たくさん、タイヤ」
「え? なんもないよ、普通の道路だけど」
「だって、ほら!」
詠がさしたのは車のミラーだ。それを覗いた真言は息をのむ。後ろを見てもなにもない、ただ高架の影があるだけの場所に、うじゃうじゃとタイヤが蠢いている。
「なんでタイヤ?!」
「いやつっこみそこじゃないでしょ!」
「そうだった、すぐ行ってくる。準備して」
詠は手ぶら、真言は羅針盤と竜笛を持つ。
「よかった、見つかって……」
安堵の息を漏らす詠を、真言は複雑に見ていた。高架の向こうでは真っ黒のタイヤが蠢き、こちら側からは夕焼けが赤く詠の顔を染める。真言は、夕焼けの色のほうが、よっぽど怖いと思ってしまった。
車を降りる。まだなにもないとわかるのは、何台かの車が横を通り過ぎていくからだ。詠が未練を断っているうちにそれこそ事故を起こさないよう、真言は道路でない場所に行くよう伝えている。
「また、常世に連れていかれたらどうする気」
「どうするって、お母さんたちを探す」
「連れて行かれることを望まないで!」
車から下りる前に、真言が詠に問うたのだ。詠の答えからは、もうあちら側に行くこと前提で進んでいる。真言が大きな声、というよりも怒る声を出して、詠はびくりと肩を震わせた。
「詠さんがそこの住人になったら、ご両親を取り戻す人がもういなくなるってこと、わかってる?!」
本当は、死なせられない、と言いたかった。が、この言い方のほうが詠には効くと判断した真言は言い換えた。
「最初みたいに、常世を知る前みたいに、やって。未練になったものならきっと知ってる。うまくいったら、きっと聞き出せるから。だから」
「わかった」
真言の本意はきっと伝わっていないだろう。が、詠はうまくいけば聞き出せるからと受け取った。
「わかってないよ……」
だんだんと夕日色が消えていく。前を歩く詠の顔も、真っ暗になっていく。このまま、未練そのものか常世かに飲み込まれてしまいそうだ。
前は、自分から触れていくか共感するか、その方法で未練の記憶が詠に流れてきていた。が、今はそうではない。もうすでに、ここは未練のなかになってきている。現実から離れている。
ふぅーっ
詠は大きく息を吐いた。
「詠さん、タイヤも、こんなけたくさんあると、埋まったら死ぬからね」
「校庭にタイヤ埋まって遊具になってたけどさ、そういうのできないのかな」
「やらないでね」
「やらなきゃいけないときがこなければ」
きませんように、と祈ることしかできない。
詠はまず、タイヤに触れてみた。真言にも触れることは可能だった。一般的なタイヤ。あの固いゴムでできた、黒い、車のタイヤ。これはなにを形にしたのだろうか。
自動車は動くには便利だ。実際何度も出かけるために使っている。公共交通機関が発達した都会では必要ないものだが、どこかへ行くには必要なもの。そして運転に必要な免許は、身分証明書ともなり、普段から乗らない人間もペーパードライバーでこれを所持している。
「これじゃ渋滞で帰れな」
そこまで詠みが言っただけだった。それだけ。
帰れない、と最後まで言う前に、蠢いていたタイヤは詠たちのほうに狙いを定めるかのように、ぐるりと向きを変えた。
ここは田舎。都会から少々離れている。ダウンタウンよりも格下の格下で、物好きでしか来ないだろう。出ていく人間のほうが多い。
こんなところにタイヤが向かってくるならば、都会からこちらを通ってどこかへ出かけるためで、タイヤの数からすると帰宅の際、つまり上りも帰るには大変だな、と思って出た言葉だった。
なぜ信号のない高速で渋滞なんて起きるんだろう、と考えたこともあった。
とにかく、ただそれだけ。
それだけで、この変わりよう。
タイヤの方向転換が、真言にも見えていた。詠の後ろで竜笛を構えていたが、詠の前に庇うように出る。
と、ただ方向を変えただけのタイヤだったが、一気に真言に向かって発進した。
「詠さん!」
「跳ぶよ!」
「へっ?!」
くん、と腕が引っ張られた。詠が真言よりも早くジャンプする。とにかく追いかける形で真言もジャンプ。轢かれずに、済んだ。
始まるのは、これからだ。
「私、長距離走、苦手なんだけど!」
「でもどうにかしないと、これ!」
「触ったら手がちぎれそう!」
「もう触れてるも同義でしょ! 上、走ってるし足触ってる!」
「地に足がなんとやらー!!」
きゅい、
「え?」
タイヤの回転が一時止まる。そして、なぜかこの瞬間で、詠の頭には記憶が流れ込んできた。その間、詠にこの瞬間は見えていない。
ただ真言は、二人に向かって三百六十度から跳びかかってくるタイヤが見えていた。それからどう詠を守るか、二人で生きるか、判断せねばならなかった。
タイヤが、前回の檻のように見えた。




