3.
現世、幽世、とは聞いたことのある単語だ。最近増えている小説にも出てくる。だが、常世というのは初めて聞いた。
「調べたらさ、幽世とか黄泉の世界と同じみたいで」
「うん。故人が行く世界だと僕は思ってる。でもそれだけじゃなくて、永久に、なにも変わらない世界なんだって」
「なにも変わらない?」
つまりは、苦楽すべてが、ずっとそこにあり続けるのだ。気持ちよくそこにあればずっとそのまま。辛い想いがあるならば、それを持ち続ける。彷徨い続ける。
「だから、怖いとこだと僕は思ってる」
「でもさ、この世とあの世の境目って、前に言ってなかった?」
「うん、だってあの世も変わるじゃん?」
あの世に行けば、輪廻転生したり、閻魔様に裁判を受けて判断を下されたり。とにかく、なにも変わらないことはありえない。盆や彼岸に帰ってくるという文化があるくらいだ、なにかは必ず変わるのだ。
「だから、中間でなにかが変わるのをずっと待ってるというか」
そういう解釈をしているという真言。
「なにも変わらないってことはさ、そこにいれば、時間もストップして、でも気持ちはあって? ううん、難しいな」
「未練は、そこに溜まってしまってるんだと思う」
「なにも変わらない世界だから? 気持ちが変えられないからってこと?」
「うん。そこにあり続けるけど、苦しいから、出てくるためのなにかを探して、それが出口なのか入り口なのか、ああいうところとつながって」
「それで、強い気持ちがどこかに現れてるってこと?」
「推測だし、勝手な解釈、だけどね」
今までの未練。どこであっても、すべて、たくさんあるなかで強いものが、そこで詠たちの前にかたちとして現れた。
「出口があるってことは、入っていけるの?」
「みんな出してあげたいっていう意味で聞いてる?」
「そうじゃない。私、常世に行きたい」
「え?!」
「そこに、お父さんとお母さんがいる」
確信ではないが、それに近い。
「いるって、どうして、どういう」
真言はとても動揺している。行きたいということか、それとも両親がそこにいるということか。どちらでもよくなった。
「多分お父さんたちは、私と同じことをしてたんだと思う」
「同じことって、つまり」
「うん、未練の浄化」
いないことが多かった両親。そしていないときもいるときも、二人とも一緒だった。別の仕事をしていると言っていたが、どこかで待ち合わせでも、二人で別々に探してやることもできる。祖母はその間の詠の世話。
「突然帰らなくなった。こないだみたいに、あそこに閉じ込められたら、まだ」
「常世にいる……?」
常世はずっと変わらない世界。いなくなったときの状態、そのままでいるはずだ。雪の話を参考にすれば、出られないほどのなにかが起こり、失敗した二人はそこにいる。
「見つけたいの」
「だから、生きたい? ……って、こと?」
「見つけるには、生きてないといけない。そのためには、常世に行くための未練が必要」
詠にとって、未練の浄化は両親を探すための手段であり、日本を守るなどいう大きなことではないのだ。
「引いた? それとも」
——落胆した?
「気が付いたのは、何回か後だった。歌をだめって言われたことを思い出して。それでおばあちゃんのときのことも思い出して。私にその力があるってことは、おばあちゃんはわかってたはず。だからお父さんかお母さんも、その力を持ってるはず」
すべて憶測にすぎないが、やってみたい。祖母の形があの神社で呼んだのは、祖母のことを、記憶を思い起こさせるためだったのかもしれない。あのときは、未練だったとはいえ、愛があったから。
「そんなの、聞いたことない」
「会わなかっただけかもしれないし。うちは寺とか神社でもないから」
情報がそこまでいっていないかもしれない。
「それで、生きたいのに、命を削る行動を続けてるってこと、だったんだ」
「うん」
「言わなくて、ごめん」
真言に巻き込まれたと思っていたが、途中から利用するようになった。それもあまり気持ちがよくないと思ってきた頃に、喧嘩をし、ひとりで動くようになる。そのまま続けばよかったのだが、そうもいかなくなった。
「未練に触れて入ってくる記憶。あれのときはきっと、常世に近い場所にいるんだと思う。私の心なのか魂なのかはわからないけど。あとは雪さんのときみたいな、なんか重たいかんじの未練のときとか」
「他人に見えていないときの、数秒のあれってこと?」
「うん」
「前回みたいな、重たいやつにどんどんぶつかりたい。あれみたいに、ヒントをくれるかもしれない。そこで見つけたいの。お父さんとお母さん」
「危ないよ! それこそ死ぬよ? この間だって、取り乱して檻に入れられて」
「危ないのはわかってるよ!」
——わかってる。でも、やる。やりたい
「危ないのは、まこくんも同じなんだから。もしかしたら、一緒にあの世でも常世でもどこでもいっちゃうかもしれないんだし、それこそ器にさせられるかもしれない」
「そうだけど」
「私ね、だんだん思い出してきたの」
なにを、という目で真言が見つめてくる。
「どこかにお父さんとお母さんを置いてきたのは、私のせいだって」
どういうこと? と真言が訊いてくる。ひといき置いてから、詠は話した。
詠は両親がどこかへ出かけるのを先に知ったときがあった。夜にでも話しているのを聞いたのかもしれない。一緒にでかけるのなら、なぜ詠は仲間外れにされているのか。そこで詠は、車のトランクに入り込んだ。たくさん荷物があったため、こっそりとはしに隠れていても見つからなかった。
朝、出発の準備をしている両親の目をかいくぐり、ひとりこっそりと。熱い夏でも寒い冬でもなかったため、きっと今があるのだろう。
眠っていた詠は、停まって動き出した両親を驚かせたかった。
だが、それは叶わなかった。
霞のような黒いものが、周囲を覆っていたのだ。そこでは両親がお経のようななにかを唱えていた。終わっても、見えないなにかと話していた。両親同士ではない。そこにいないのに、そこにいるなにかと、話していた。
そして、消えた。
なぜ今まで忘れていたのだろう。
「記憶を、あそこに置いてきたんだね」
なにも変わらない世界。靄に覆われていたあそこは、すでに常世。だが未練が連れて行ったのは、両親だけ。
霞は詠を覆っていたが、車体という囲いが、内と外をわけていて、詠は外に残ったのだ。
あのときの日の記憶は、常世にある。雪が器になっていると言ったが、すでに自分の一部が、記憶が常世にあるからなのだ。
と、考えている。
突然消えて、帰ってこなかったと思っていたが、突然消えたのは両親だけでなく、詠も同じ。どんな方法かはわからないが、帰って来たのは詠だけで、祖母はとても心配しただろう。そして、なにがあったのかもわかったのだろう。
だが詠は覚えていない。
歌うことが両親のお経と同じなら、きっと娘の詠にもその力がある。なくなった記憶はいつかあっちに引き寄せられる。
とくに、親という濃い絆により、大きな未練により、詠はきっと。
恐れた祖母も、歌を止めたのだ。
「でもまこくんと会って、歌うようになって、未練を断って、これって」
——運命だよね
「まだ全部思い出せないの。場所もわからないし。だけど、そこの未練はまだ浄化されていないから、できる限りの場所に行く。両親を、探しに」
これが詠の覚悟。
「まこくんを死なせられない。だから、やっぱり私一人で」
「だめだ」
——詠さんを一人で行かせない
これが真言の覚悟になる。
「今度は私がまこくんを巻き込むほうだね」
——ありがとう
最初の質問に、答えなかった真言。だが答えはある。
——僕の知ってる詠さんは、ここにいる詠さんだから
——生きているとか死んでいるとか、器とかそうじゃないとか、そんなことは関係ない
ここにいる、詠。これが、真言の知る、詠なのだ。
「これからも、ついていかせてください」
「なんか、最初と立場が逆。やっぱり」
くすくす、と重たい話題のはずなのに、二人は最後に笑うことができた。
「危ない時は、ちゃんと逃げてね」
「それは詠さんもでしょ」
「じゃぁ、助けてね」
「もちろん。そもそも巻き込んだの僕だし」
「次の場所、決めよっか」
「僕が探すからさ、詠さんは記憶のある場所、思い出して」
「そんなすぐには…… あ」
「あ?」
「おばあちゃんの、家」
なにかあるかもしれない。




