2.
土曜日。真言はアルバイトがあるということで、夜にやってきた。夕飯を用意しておくと伝える。
作ったのは煮込みうどん。肉はもちろん、野菜もたっぷり使って大きな鍋で太いうどんを煮込む。大学生の食べっぷりをまだまだつかめないため、好きに食べられるよう考えた結果だった。
前もカツカレーをぺろりと平らげ、おかわりしたくらい。足りなければ、冷やご飯をつゆに入れて、卵を落としておじやにすればいい。
呼び鈴が鳴って、人を確認。チェーンを外し、鍵も開けて、入ってもらう。前にできていないと叱られてから、きっちりとやるようになった。お母さんかと言われたことがあるが、お父さんなのは真言のほうだと思っている。ちなみに詠としては、真言に対する気持ちは姉である。
「いらっしゃい。アルバイトお疲れさま」
「ありがと」
もうなにも言わずとも、洗面台に向かう真言。その間に卵を鍋に落として煮込む。
「「いただきます」」
「今日は鍋なんだ」
「うーん、男子学生の食べる量がわからなくてさ」
「お気遣いどうも」
「けっこう食べる?」
「そりゃ、女性に比べれば食べると思うけど」
「けど?」
「うちだと、ほとんど作らないし」
「そうなんだ」
「うん。だからあったかい手作りのごはん、おいしくてつい食べちゃう」
「おいしいなら嬉しい。どんどんどうぞ。なら次から多めに用意しないとね」
「ありがと」
次もある、と確信している二人は、そのあたりに突っ込みはいれない。お金の件で話し合ったとき、食事代は真言持ちということになったが、これからは相談会の際こちらに来てもらい、ごはんを用意しようと決めた。
「あれ、話しないの?」
「うん、食べ終わってから」
「……」
「そんな怪しいかんじで見ないでよ」
「なんか、大切な話、なんだよね?」
「うん。だから、ちゃんと話したい」
「僕も聞きたいことあるから、ちょうどいいや」
「ごはんはおいしく食べないとね」
まだまだ鍋は活躍しそうだ。次はすきやきかしゃぶしゃぶにでもするか、と頭のなかで考えていた。
「片付けるから待ってて」
前回は食べながらの話し合いだった。だが今回は片付けまでしようとしている詠を、真言はやはりなにかある、と察している。
「手伝う」
「いいよ、お客さんでしょ」
「お客さんなんだ」
でなければなんなのだろう、と詠は突っ込めなかった。むすりとしているからだ。真言が手伝いを断れられることにそんなに不快感を出すとは思わなかった。
すっかり空になった鍋だが、出汁はある。おつゆはそのまま小さな鍋に移し、皿洗いは真言が帰った後だ。するほどの気合が残っていれば、の話だが。
先に沸かしておいた湯で緑茶を入れる。ローテーブルに乗せても、真言は飲んでくれない。
「あれ、いらなかった?」
「いや、そうじゃないけど」
「詠さん、飲まないでしょ」
読まれていた。飲むと言葉まで飲み込んでしまいそうで、話そうと思っていたことを話せないで終わってしまいそうで。
話し終えて喉が渇いているときに、冷めたお茶をぐいっと飲もうと思っていた。
真言には、のんびり飲みながら聞いてほしかったのだが、真面目だったことを思い出す。
「あの雪っていう僧侶の話のことでしょ?」
先に話を始められてしまった。
「うん」
生きていない、と遠回しに言われた。そして、詠にはその、自覚というか記憶というか、そんなかんじ、というのがあるのだ。
「ねえまこくん」
「ん?」
「私、生きてないのかな」
「え? 生きてなかったらもう骨になってるかどっかで死体でしょ」
「そういうことじゃない! あの僧侶、言ってたじゃん。私がもう、未練が宿った身体だって」
だから、未練を見られて、未練に触れられて、記憶を受け取れて、感じ取れて、昇天させることができる、と。
生きている人間ならば、そんなことはできない、と。
生きている人間でないから、未練に触れても異常が起きないのだと。
未練を断つことができなかった未練が身体に宿っているならば。
もう詠の身体は詠のものではない。ただの器。
記憶まで未練と一体化した、未練の傀儡。
「まこくん、どう思う?」
「僕にはわからない」
「否定してくれないんだね」
真言は黙っている。
否定してほしかった。違うよ、生きているから目の前にいるよ、とか、そんなことを言ってほしかった。わからない、というあいまいな返事なんて、ほしくなかった。
この間は、なんて言ってくれたのか、忘れてしまった。
——たしか、生きているって……
「わからないから。僕が最初に会ったのは、あの小さな神社のときだから。他の詠さんは知らないから」
「そうだよね」
でも、やっぱり、否定してほしかった。
「詠さん、なんであんなに、動揺したのか教えてくれる?」
その話をしようとしていたのだ。まずは生きているかそうではないか、詠が詠なのか未練なのか、前提がどれだかで話は変わってくる。
だから一番に尋ねたのだが。
——そうか、私は生きている本物の詠であると、誰かに認めてほしかったんだ
「うん、話すね」
「うん」
「私の両親ね、どっか行っちゃったの」
「?」
突然の話題に真言は驚いている。ただ、なにか意味があるのだろうと聞く準備だけはしているようだ。どういうこと? とだけ顔に書いてある。
「もとから、けっこう出張? が多くて、家にいない日も多かった。代わりにおばあちゃんが私の世話をしてくれてね」
詠の両親は二人とも、働いていた。泊りがけの出張が多く、単身赴任とも言えただろう。一人でいることが幼いころから多かった詠は、いつしか両親がいなくて、祖母が支えてくれることのほうが普通になった。
幼い詠は、仏壇に亡くなった祖父にお経をあげる祖母をまねしたが、難しくてできなかった。代わりに、歌を歌っていた。祖母はたいへん喜んだ。おじいちゃんが笑ってるよ、と。
両親がいるのもいないのも、だいたいが二人とも同じ日だった。家族全員が揃うのはとても嬉しいことだ、と詠は思っていた。
両親がいる日に、お経をあげる祖母の後ろで歌を歌っていた。両親に、おじいちゃんに、と元気に伝えた詠。祖母のように喜んでくれると思ったが、両親は顔を引きつらせていた。
両親は言った。ここ以外で、誰かのために歌ってはならない、と。
歌うこと自体は禁じられなかった。が、誰かのために、というのは幼い詠にはよく理解できなかった。頭をかしげている詠に、やっぱり歌はだめ、と言い直した。誰かのためにではなく、最終的に、歌を歌うことを禁じた。
誰かのために、の意味が理解できる頃。
詠の両親は帰らなかった。祖母は失踪届を出した。
「今も見つかってない」
祖母が亡くなったのは、最初に真言と会ったあれよりも、もっと前のことだ。両親がいなくなって、何年経ったかもわからない。とにかく、ひとりぼっちにされた、とだけ理解したのを覚えている。
「歌った。そのとき、おばあちゃんが好きだった曲」
おばあちゃんが、冷えた布団の上に横たわっているところ、詠は歌った。祖母がどこか、暗いなにかを放っているように見えたからだ。笑っているときの祖母は、とても明るかった。
誰かのために歌ってはいけない。だがここではいいはずだ。詠は泣きながら歌った。
そして、暗いものは消えていった。
「消えたんだ」
まるであの薄暗い影のように、どこかへ消えてしまったのだ。今わかるのは、あれは祖母の未練だった、ということ。
「私を一人にしたことに対する未練…… と、思いたいな」
だから、あそこで詠を呼んだ。偽物の祖母でも、詠が見たい形を見せたのだ。一緒にいれば、ひとりではないから。
「つまり詠さん、初めてじゃなかったってこと?」
「そうなんだろうなと思う。おばあちゃんが止めたのも、悪いなにかに引き寄せられないためかもしれないって、まこくんの話聞いて思った」
「そう、なんだ」
詠の祖母が心配したことを、真言は巻き込んでいる。やらせている。祖母に申し訳ないと、苦しくなる。
「それで、教えてほしいんだけど」
「なにを?」
「常世のこと」




