3.
ありがとう、まこくんのおかげで、帰ってこられた。
その言葉を思い出す。
そうだ、一度帰ればいい。
その方法は。
竜笛だ。
支えるしかできない。でも、支えることができるのだ。詠を。
持ってきた竜笛は、ここにはふさわしいと言える。
すぐに唄口に口を付ける。
『守れ』
心の中で、羅針盤を使うときと同じように祈る。
よく寺で演奏されている、雅楽の曲。実は和楽器として始めやすいというのをネットで見つけて選んだ楽器で、一番に見つけたそれらしき曲を覚えてきた。
吹き始めると、音楽の旋律が、子供がいるらしき場所へと流れていく。和楽器の楽譜は学校で習う楽器の五線譜とは異なり、縦書きの日本語だ。そのまま、吹いた楽譜が詠を囲う檻のように、檻ではなく建物をガードしていく。
あそこだ。あそこには本当に子供がいるのだ。
守る相手は、子供だ。詠ならば絶対にそれを一番にする。
だから、真言もそうした。
そして、祈ったことは形になった。
「な、なぜ!」
男が動揺しているのがよく伝わる。空間が歪んだのだ。
「やめろぉぉぉおおおお!!」
大きな声で、またも空間が歪む。
『返せ、帰れ、守れ』
祈りながら吹く。歪んだ空間にも負けじと、力強く。
男はとびかかって来た。それでも真言は止めない。
真言の直前で、かくん、と男の膝が折れる。
建物が、こども園の建物が消えた。やはりここは、この世ではなかったのだ。
「くそぉ、やってくれたな」
睨み上げる目は燃えている。
「おまえも閉じ込めるべきだった」
「もう遅い」
「まあよい、このおなごさえ出さなければ、安心じゃ」
「帰してもらう!」
「まえにもいたのだ、おぬしたちのような男女がの」
——男女?
「ここはおぬしが考える場所ではないぞ。常世でもあの世でもない、われが作った世界。簡単に帰れるとは思うなよ!!」
「帰るよ」
「ふん」
——詠さんは、生きたいと言っている
心に魂になにがからんでいようとも、詠が生きる世界はこの世だ。ここ、ではなく、今まで生きてきた、此岸なのだ。
惑わされてしまった。なにか記憶や心に入り込んでしまったあいつの言葉。今の詠に力はないのだろうか。
生きたいと、あれだけ言っていたのに。
「生きたいのに、寿命を削るまねをしていること自体、矛盾していると思わぬか」
真言も思っていたことだ。
「その答えは、本人から聞く!!」
生きたい、と何度も言って、叫んで、懇願している詠。なのに、命を削ってしまうと止めた真言の言葉に耳を向けない詠。
最初は、その寿命が尽きるまで生きる、そういう意味だと思った。削られても、寿命まで生きてみせるという強い意志かと思った。
だが最近は、なにかが違うと思い始めている。
ただの決心や意思ではない、と思い始めている。
別のなにかが、詠のなかにある。
「おまえだけなら、返してやってもいいぞ」
にやにやと笑う男は、もう男の姿ではなくなっている。詠を囲う檻そのものに同居し始めている。もとは寺を囲う塀だった。が、それは詠を閉じ込める檻へと形を変えたのだ。
「僕には詠さんみたいな力がない」
「知っとるわ。もう帰らせてやろうか? それともこのおなごと一緒にいるか? 選ばせてやるぞ」
「僕に、見せて」
「なにをだ」
「あんたの、記憶」
「わしの未練を見たとしても、おぬしはわしをどうにもできぬぞ」
「でも見たい。詠さんの気持ちを、共有したいんだ」
「できると思ってるんだな」
「できるならやりたい」
「よかろう、見せてやる」
いつも詠は数秒の間に、長い長い記憶を受け取って来た。そして、思った曲を歌ってきた。
話を聞いていると、ずいぶんでたらめだったりずいぶんこじつけだったり、前回は間違った受け取りかたしていたが、人の辛い記憶を受け取るということを、知りたかった。
きっと、共感しやすい心を持つ詠にとって、記憶の持ち主以上に辛かったに違いない。
「いいの?」
「男に二言はない」
「あんた、男だったんか」
「ふん、おまえの歌はきっとからっぽだ。そもそも言葉のない歌など、われらをここから引きはがすことなどできぬぞ」
「そうかもしれない。でも、やってみないとわからない」
「やはりやる気まんまんではないか」
「だってあんたさ」
続けようとした言葉を、そこで止めた。
言ってはいけない気がした。
「どうする? 誰のにするか?」
ここには、たくさんの未練が集まってきている。そしてそのなかで一番重く強いものが、ここに形として現れた、男の未練だ。
「失敗したら、このおなごはわしの未練から出られぬぞ」
「なんで?」
「もう、このおなご自身が未練になりかけているからな」
詠は生きたいと言う心と、やり残した任務がある。そして、子供を無事に助けたことは知らぬままだ。
「もし未練になったらさ、詠さん、あんたたちみたいな未練を断つための行動するから、心配ないと思うけどなぁ」
「それには人のからだが必要だと忘れたか?」
「僕がいるから大丈夫」
「おなごがそんなこと望むわけがなかろう」
「詠さんのこと、わかったような口きかないでくれる?」
思った以上に冷えた声が出た。あの男の怒声は空間を震わせたが、真言の声は空間を凍らせた。
ここは、強いほうが、この世界を支配する。
「じゃ、よろしく頼むよ。見せて」
「失敗したら、自分自身も檻から出られぬことを忘れておるのか?」
「忘れてないよ」
でも、確信には至らないが、希望は、あるから。
「さ、初めてよ」
「約束だからな。おぬしでは、少々頭が痛むぞ」
「わかった」
檻になっていた影は、またも男の姿になる。影だけの人間の形が、だんだんと本物の人間になる。
そして近づいてきた。なにをされるかはわからない。ただ、信じるだけ。記憶を見せてくれると。
近づいてきた男は、真言の頬に触れるように、手を伸ばした。
ごんっ
額に大きなものが、勢いよくぶつかった。頭突きされたと気づいた。
「ほんとに痛いんだなぁ」
いつも詠は、影にされたなにかは現実だと言っていた。実際に怪我はしている。信じていなかったわけではない。が、これほどとは思っていなかった。
「さすがに頭突きはないんじゃない? 坊さんの頭、広いし」
ぎゅん、と勢いよく流れ込む映像があった。音楽の勉強のため音楽アプリを使っていろいろと聞いてきたが、それを二倍どころか長い曲を一瞬にまとめたようだ。
にや、と笑った男の顔がとても憎たらしい。
——さぁ、僕だって、共感くらいはできるだろ
——帰ろうね、詠さん
——一緒に




