2.
目が覚めた。
いつものことだからか、とつぜん慣れない時間や場所に目を覚ましても驚かなくなってきている。
慣れとは恐ろしい。
朧気に霞がかった視界のなかには、ずいぶんとカラフルで安っぽい柄が入ってくる。ここはどこだろう、と詠は記憶を呼び戻す。自宅ではないのはわかりきったことだった。
身体を動かす。このベッドはずいぶんと軋んだ音を出してくる。多くの人間が使ってきたのだろう、古い宿にでも泊まったのかもしれない。そもそも今何時だろうか、と詠はいつもつけている腕時計を見ようと手を動かした。
そこで気づく。詠は自分が、なにかを握っていることを。大きくいかついのに細長い。歪んでいた視界がきっちりと動き出した。
「へっ」
握っていたのは、真言の手。両手で、しっかり。
横になる、という言葉はあるが、向きそのものが横に、つまりは顔が横向きで寝ていたのだ。
そしてその目の前には、上を向いて目を閉じている真言がいる。
同じベッドに。
「あ、え、え、へぇ?!」
現状の理解が追い付かない。
大人二人が寝られるくらいの大きなベッド。そして壁も天井も備品もカラフルといえば聞こえはいいが、そういうものであり、備品には避妊用具も含まれている。
と、いうことは。
「あ! 詠さん! 起きました?」
「あ、あ、えっと」
「あっ!!」
真言の驚いた顔は、詠の考えを読んでのことだ。
「いえ、まったく、そういうことではなく!」
「わ、わかってる、わかってるけどなんで」
「お、おちついて! き、き、聞いていただきたく!」
「まこくんのほうが落ち着いてほしい」
「ひゃ、ひゃい……」
相手が慌てふためいているせいで、詠のほうが冷静になってきた。真言がなにか、ということはまったく考えていない。
「昨日、うまくいったって言ってから、詠さん、倒れてしまって」
動揺現在進行形の真言は微妙に敬語が含まれている。
そのまま車中泊で良いのだが、雪が多く寒いうえ、積もって心中のようになってしまうことを恐れた真言は、周囲に泊まれる場所を探した。
そして見つけた、というか思い出したのが、道中に見たこのホテルだった。
眠っている人間を連れ込んだらアウトだと思った真言は、詠を叩き起こした。詠は目を覚まさないが、眠い、とずっと言ったらしく、飲みすぎて泊まる場所を見つけられなかった観光客、という設定をでっちあげて泊めてもらった。
こういうところでは理由など、そんなに関係ないのだろうが。
真言にとってはもしものときに証明してくれる人間がいるほうが安心だったため、なにかしら声をかけ続けたらしい。
視覚と聴覚を失い、そのまま倒れたが、真言の声でどうにか起きたらしい。覚えていないが、ここに泊まれたということは、そういうことなのだろう。
とにかく一緒の布団にいたら起きたときに詠が悲鳴をあげることは容易に考えられたため、真言は床で眠ることにした。もちろん服装はそのままだ。いらぬ心配はさせたくない。
「でも詠さん、手を離してくれなくて」
それで現状に至る。
真言は上を向いていたが、詠は真横を、真言のほうを向いて眠っていた。真言はきちんと眠れただろうか、そこが心配である。
詠は、なぜ手を離さなかったのかがなんとなく想像していた。絵を求めて伸ばした手に、あるはずの絵を求めた、その手を、握った手を、放したくはなかったのだと思う。
「だから指一本、触れてませんので、ご安心を!!」
手をつないでいる時点で指は触れているのだが、真言を動揺させないためにつっこみはしなかった。
なにもしていないなど、この動揺ぶりでよくわかる。
宿泊などせずにそのまま帰ってもよかっただろうが、夜の雪道を走るのは怖いのと、詠を早く落ち着いたところで寝かせたかったのだろう、真言の心配りだ。
「わかったから、へんな心配してないよ、だから落ち着いて」
「は、ひゃい」
「お手洗いとかお風呂とか、借りて帰ろう」
「そうですね、明日詠さん、仕事だもんね」
「うん」
ところで今何時だろうと見る。
「うそ、日曜の昼?!」
「あ、はい」
「もっと早く起こしてほしかった……」
「ごめん、起こしたくなくて」
理由はわかる。睡眠が回復なのだから。
帰ればすぐに食事、風呂、寝たらすぐに仕事が待っていると思うと、それだけで疲れてしまう。そんな頭で詠はいっぱいだった。だから気づかなかった。
それだけの時間眠っていた。さすがに風呂は入っていないが、お手洗いくらいは行くはずだ、ということを。
実際、真言は二回、お手洗いに離れている。ゆっくりと詠の手を緩め、戻ってきてまた握らせていた。
これがいい、と思ったのだ。
「じゃ、さっさと準備して帰ろう」
「そうだね」
やけにカラフルだがあたたかな色を使っている場所もある。水墨画ではなく水彩画をもとにしているような、そんなかんじだと思った。
飾られている絵の種類は多くない。だがすべてに、同じサインがあった。多分日本語だ。よくあるローマ字ではなく、澄、と書いてある。
——そっか、澄、だったんだね
帰りの運転は詠となった。多分いろいろと考えることがあって、真言は寝ていないと思う。行きのときの話はなかったことにする。詠はだいぶ回復して、とりあえず運転はできた。
雪道を走るのは正直怖いが、このほうが起きていられる。高速の雪はきれいにされていたから、心配ないだろう。
「詠さん、まちがえたって言ってたけど」
「私も聞きたいことあるけどさぁ」
「うん、だろうね」
「まこくんは寝て」
いつも詠のことを心配してくるが、真言の目の下にも濃い隈ができている。いつも自分がどう見えているか、これでよくわかった。心配される理由も。
「二時間たったら、適当なサービスエリアで交代ね」
「でも」
「運転辛くなったら起こすから」
「でも」
「くどい」
「……はい」
真言は高速道路に入るまではなんとなく起きていた。だが、高速に入ってするすると走るようになると、ゆっくりと眠っていった。
真言が聞きたいことは、間違えたときのことだ。なにに触れてあそこに行ったのか、なにがきっかけで別れてしまったのか、などだろう。どうに帰ってきたのか、もある。
詠としては、真言の和楽器のことだ。
あとはなぜ、いつも詠が呼ばれるのか。
今度はしっかり、話さなければならない。
「まこくーん、そろそろ代われる?」
声をかけてみたのは、二時間以上走った後だった。トイレに行きたくなったのもあるが、だんだん瞼が重くなってきたのだ。真言を事故に巻き込むわけにはいかない。真言もだめならここで車中泊をする。
「うん、起きてる」
真言は少し前から起きていた。わかっていたが、あえて代わると言わなかった。
「じゃ、ちょっと身体動かして、交代してもらってもいい?」
「うん」
「うちまで頼んでいい? もう、駐車場じゃなくて着いたらたたき起こしていいから」
ということは、眠る気まんまんと言っていることになる。心配させるとわかっているが、事故を起こすよりいいだろう、休憩と水分補給をした後、運転席と助手席を代わってから、詠はことりと眠ってしまった。
そっとシートベルトをした真言は、自分のコートを詠にかけるとアクセルを踏んだ。
実際にたたき起こされた。仕事の時間です! と脅されて目が覚めた。これは起きるために使えるワード。アラームに設定しておこうと考えるくらい。
「まこくん、泊まっていって」
「へっ」
動揺する真言を呆れた目を送る。
「へんな意味はない。まこくんも疲れてるから、寝てって」
ぐいぐいと引っ張る。詠も疲れがたまっていて、まだ睡眠を欲する身体だ。それでも真言を引っ張れるのだから、真言も運転で疲れているのか、その他に理由があるのだろうか。
とにかく、家に上がらせる。
「お風呂は朝にして。起きたらそのまま学校ね」
「うん」
ちょうど買ってあったカップうどんとそばを食べて、布団に寝かせる。はいおやすみ、と声をかけるととろとろと眠りについた。兄弟のいない詠にとって、不思議な感覚だ。
自分の布団を真言にあげてしまったため、床のクッションで睡眠。飛び起きて、仕事に行くことになるだろう。いくつもの目覚まし時計をセットしてすぐに眠った。
寒い時期なのに、いつもより温かく感じるのは人間が多いからだろうか。三十六度の人間が何人かいるだけで、こんなにもあたたかくなるとは知らなかった。




