4.
「勝手に決めないでよ!!」
勝手じゃねぇ、親には言った。ここで俺のやりたいことはできないんだ。こんなド田舎じゃ。
「あたしを一人にするの?」
「ひとり? 家族もいるし、たっくさんいるだろ、友達だって」
「そうじゃない!」
「じゃぁなんだよ」
こいつが言いたいことはわかってるさ。でもわかってることが伝わっちまったら、止められちまう。
「いつも、見てるのは紙ばっかり」
「紙じゃねぇ、キャンバスだ」
「同じじゃん」
俺と彩月は同い年、それで、こいつは彼女。交際相手。
「あたし、彼女じゃなかったの?」
「そうだけど?」
「相談くらい、してくれても」
「したら止めただろ」
わかってるから、言わなかったんだよ。おまえもわかっててそんなこと言うなよ。
「だって、会えなくなるじゃん」
「帰省くらいする」
「紙ばっか見てて、どうせ時間も忘れるくせに」
「ちゃんと帰ってくるって」
「言ったな?」
「約束」
俺は美術の専門学校に進みたかった。絵が好きで、いつも向かい合うのは人じゃなくて紙だった。
ぼっち、とあざけられても、気にならない。絵さえあれば、俺は生きていける。
そういう俺を庇ってくれたのが、彩月。庇う必要なんてないのに。そいつらにかわいそうな目で言ったんだ。
「あんたらクソダッサ」
って。
ぼっちじゃないけど真面目で優等生な彩月。まわりにはぽちぽち人がいるけど、寄ってこないで、みたいなオーラを発していた。だからぼっちになることはないけど、教室とか図書室で、ひとりで勉強することが多かった。
で、俺はたまたま見つかったらしい。
先生に気に入られた優等生が「クソダッサ」っていう言葉づかいをするのがまず驚きポイントで、いつもほぼ無表情なのにかわいそうな目をしていたのがそいつらに刺さったっぽい。逃げてったところすら「だっさ」と見送りだ。
俺にはいつも白黒に見えていたこいつが、カラフルに見えた。
勝手に肖像画を描き始めて、できあがったのはぎりぎり、帰れと言われる頃。
「それ、あたし?」
終わったときに後ろから声をかけられて、やっとそこに彩月がいることに気づいた。勝手にごめん、とやっとのことで絞った台詞。
彩月は笑って、「じょうず」、と言ってくれた。笑った顔は、コスモスの色だった。
俺が筆を動かす時間以外は静かで、机もある美術室は勉強に向いてたっぽい。彩月はそれから、俺の隣で勉強するようになった。
で、どういうことか交際にまで至る。
なんでそうなったんだっけ。
で、今は。
ド田舎のここにはまともに美術を勉強できる学校なんてない。だから俺は都会に出ることにした。この意思は揺るがない。
彩月は優等生、誰もが考えていたとおり、実家から行ける有名大学に進学を決定、しかも推薦で通ってしまったからすごい。
「はい、これ」
「なに、これ」
紙を渡す。
力強く押し付けたから、ちょっと皺が寄った紙には電車が書いてある。
「え、電車?」
「うん」
水墨画。雪と、電車を描いた。最近学校で会えない、美術室にいないって何度も言われたけど、それは電車を見るためだったんだぞ。
「ちゃんと帰るから。連絡もするから」
「向こうで彼女とか作ったら殴るからね」
「優等生の台詞じゃねぇな」
「こういうときってさ、自画像を渡すもんじゃないの?」
「ああ、その手があったか」
「馬鹿なのは知ってたけど……」
これほどとは、と二人で笑った。実は最初に書いたおまえの絵は、俺の手元にいつでも挟んであるんだぞ。
出発の日、あいつは見送りに来なかった。見放されたかと思ったけど、帰ってくるって約束したし、ということだそうで。電車でびゅんだからって。弟が教えてくれた。
で、最初の夏休み。
俺は、帰らなかった。都会の時間というのは、これほどに早く過ぎるのか。
毎日毎日、絵を描いた。
気が付けば、もう講義は始まっていた。カレンダーをめくるのを忘れるほど。毎日、スマホは見ていた。いつ帰ってくるの、という連絡がいっぱい。まだ、とか、機会作って、とかあいまいな返事をしていた。返事をしていただけ偉いのかもしれない。
が、途中であいつからの連絡はなくなった。
やっと帰ったのは、年末年始も飛ばして春休みだった。
久々に会ったあいつに「嘘つき!」と突き飛ばされた。
「どうせあっちで女できたんでしょ?」
「ちが、」
「別れよ」
俺は、一方的にフられてしまったのだ。
カラフルだったあの色は、水墨画よりもっとぼやけてしまった。
景色はまだ水墨画の色。このド田舎では、桜の花が咲いて満開になるのは五月になってからだったか。それともこの温暖化でもう少し早くなったか。とにかく、春風に飛ばされ桜の花びらなんてやってこない。
帰るか。
手帳を開く。家にいる時間も長くなくていいや。早く帰りたい。
帰る場所は、あっちだ。ここじゃない。
と、風で紙が飛んだ。
あいつの、肖像画だ。
さっきは白黒だったが、これは淡くカラフルな、あいつの笑顔の顔だ。
なくしてたまるか!
未練がましいが、フられても好きなものは好きだ。
向こうに飛んでいく紙を必死に追いかける。強い風で雪の上に落ちないだけいい。落ちたら滲んでしまうから。あのときの思い出も一緒に、溶けてなくなってしまいそうで。
パ————ッ
大きな音がした。
その一瞬で理解した。
別れてよかった。嫌われてよかった。
俺は、そのまま、紙をつかめないで、終わった。
ぷつ、と切れたのは記憶だ。彼の名前はわからない。
でも、早く戻りたい、という気持ちが、大きく伝わって来た。
ここが雪で、電車なのは、きっとあの、絵に関係しているのかもしれない。別の場所で起きたことかもしれない。でも、雪と電車が、ここに寄って来たんだ。
都会と聞くと、実家が田舎にあるならもっと栄えた場所だ。アパートでも借りて、毎日絵を描いて過ごしていたのだろう。時間を忘れるほど。ひとりきりの部屋でも、絵に描いた彼女がいる部屋で。
思い当たった曲。二番の最初の章だった。
——そっか、この人にとって、電車の瞬間は最期の日だったんだ
——彼女を描いた絵をおいかけて、帰省すると約束して乗って来た電車
——吸い込まれたのは手をのばした絵じゃなくて、電車だったんだ
——終わってしまったね
——約束、果たせなかったあんたが悪い
——私は女だから、彩月さんに賛成
——でもよかった、別れたあとだもん、あんたには彼女いなくなったし、手に絵もないし、もう未練なんてなくして、逝っていいんじゃない?
——あんたが描いた、彩月さんが持ってる雪と電車の絵
——あれがちゃんと、連れてってくれるよ。あっちの世界へ
——行っておいで
——誰だって夢見るよ。新しい世界に。やったことのないことに
——ひとりで自由の場所に
——才能あるたくさんの人に出会って、あんた、きっと潰れるんじゃなくて、もっと努力しないとってがんばったんじゃないの?
——あの絵が、あの雪の電車が、待ってるよ
——もうあんた、終わってるってわかってんでしょ?
——帰る場所はあっちの都会って思ってたじゃん。
——思うほうへ、行きなよ
——あんたが待つ番だよ
——電車、乗って行って
——その電車は自分が乗るものだったんでしょ? あれ、他には誰もいない。あんただけの、貸し切り
——あんたの夢は、そっちの世界で上から見れば、きっとカラフルで美しいと思うよ
レールの向こう側へと進んでいった、詠の作った電車が、ぱっぱー、と音を立てて、やってきた。
日本は思った以上に広かった。俺はうまいと思っていたけど、そうでなかったと思い知った。まわりには俺よりうまくて惹かれる絵を描くやつらがたくさんいて、俺は。




