2.
「勝手にすれば」
その言葉を聞いた真言は、そうする、とだけ残して帰った。前のように次はどうする、などの相談もなく。
「なんで」
なぜ、ついてきてもいい、と受け取ることのできる言葉を返してしまったのだろうか。詠は自分でわかっている。なぜ、の答えをわかっている。でも、わかりたくなかった。
守られてばかりは、嫌だ。
真言に背負わせるのは、嫌だ。
その週の土曜日、真言がまたやってきた。呼び鈴が鳴った時点で誰なのかは想定できた。まだ怪我が完治していないため、場所を探すことに力を入れていた。いくつか候補が出てきた。
神社も寺も、墓も、廃屋も。とにかくなんでも。
すぐにドアを開けたのは、勝手にしろと言ってしまったからだ。勝手にされたとして、文句は言えない。真言が一番に言ったのは、お邪魔します、ではなかった。
「無防備」
それだけ。
「なにが」
「全部」
まったく意味がわからない。無視してやろうと決めて、向かっていたパソコンにもう一度視線を向けた。テーブルには地図も用意してある。
真言は座らない。どうぞ、と言っていないからか。
どんな扱いをしていいかわからず、いつでも飲み物くらいは出せる準備はしてあるが、これだとなにをしていいかもわからなかった。だからとにかく、手を動かせる。
「鍵かけて、チェーンくらいつけてよ。女性なんだし」
「鍵はかけてあった」
「簡単に開けちゃだめでしょ。夜もチェーンしてなかった」
「よく荷物届くから、めんどくさい」
「もっと慎重になって。僕が危ない人間だったらどうすんの」
「お引き取り願いますね」
「じゃ、やってみてよ」
あ、と思ったときには、後ろから拘束されていた。刑事ドラマでよく見るような、人質をとる体勢。詠はローテーブルに座っている恰好だから、真言はしゃがむように後ろから手をかけてきている。手にはなにも持っていないが、人差し指を首に当てられているのが詠の感覚。ナイフや拳銃のつもりだろうか。
「やってみてよ」
怒気のこもった声。なのに冷たい。感情にまかせて爆発したのではない。静かに怒る人とは、このような怖さなのだと詠は実感した。
危ないものはなにも持っていない。真言は手荒なまねをする人間でもない。それはわかっている。なのに、身体が動かなくなった。言い訳するなら、突然だったから、だろうか。なにもないだろう相手から裏切られたら、こうなるのだろうか。詠はしばらく声も出せなかった。
「お引き取り、願えないじゃん」
「……」
「戸締りくらいしっかりしてよね、大人なんだから」
真言は前に子供と言われたことを根に持っているのか、大人を強調した。拘束は解かれたが、それでもすぐには動けなかった。パソコンのキーボードに乗せたままの手も動かない。視線は画面に向いているが、焦点が合わない。なにも見えていない。
真言は少し離れて、詠を観察するように見ていた。やっと詠が手を意識して動かし始めたそのとき、
「地図、出して」
それだけの声に、詠の身体が縮こまる。命を削ってまで第二の仕事をしているのに、なぜ、さっきのあれだけにこんなにも怯えているのか、詠自身にもわからなかった。
言われたとおり、地図を出す。
「手」
言われた意味はわかる。真言の力が弱くなっているのは聞いた話だ。
手を貸して、の意味は二つ。助けを貸してほしいの意と、物質として手を貸してほしいの意。事実両方するのだ。詠も羅針盤のダウジングになにかを込めなければならないためだ。
だが、後者としては一緒に羅針盤に触れるか、真言の手に触れるかしなければならない。他にも方法はあるかもしれないが、固まった脳が出したのはその二択だった。
だが手が出ない。キーボードに乗ったままだ。
「……ごめん」
真言の声はいつもより低く、気持ち震えている。
「そんなに怖がらせるつもり、なかったんだけど。ただ、もっと警戒してほしかったっていうか、その、一人暮らしだし、女性だし」
「気にしてないから。やるよ」
素直にありがとうと言えなかった。真言の声音はすでにいつもどおりを通り越しておどおどしているのに。
真言が持ち上げていた手に、自分の手の平を乗せた。
『僕らの行くべき場所を示せ』
久々に聞いた。胸に響く波紋はなんだか詠にも理解できない。これがあれば、もっと早く、もっと数多くの仕事をこなせていたのに。ひとつわかったとしたら、この羅針盤の大きな必要性だ。
日本地図のなか、動いたのはここから車なら四時間もかからずに行ける場所だった。とすると、二人での再開は、土日からだろう。
「はい、大きい地図」
『僕らの行くべき場所を示せ』
だいたいわかった位置。それからは無言で調べ始める。詠はパソコン、真言はスマートフォン。それぞれ持ち合わせる知識と経験で、それらしき場所を候補として挙げ、さらに地図に書き込んだ。
「じゃ、朝早くになるけど」
待ち合わせはいつもどおり、運転も真言。日時を決定し、そこで解散。
「鍵とチェーンね」
「わかってます」
真言は音で確認したいのか、詠が戸締りをしっかり終えるまで、ドアの向こうから人の気配が消えることはなかった。
調べている途中、マグカップにお茶を出したが、結局それはひとくちも減ることはなかった。
「おはよう」
「おはよ」
簡単な挨拶をかわし、詠は体調を万全にするためすぐに眠りについた。もしかしたら真言が怖くなったのかとあの日真言が帰ってから少し考えたが、車内で座椅子を倒してすぐに眠気が襲ってくるくらいだ、特に真言に問題があったわけではないと確信した。
一度目が覚めて、二人でコンビニの軽食をとってお手洗いを済ませた後。
「まこくん、運転交代」
「え、なんで」
「二時間に二十分は休憩を取れって教習所で教わらなかった?」
「ん~、あったかもだけど、時間は有限だから」
「ここで事故にあったら私、未練どころか恨むよ」
「詠さんには体力残しておいてもらいたい」
「それはまこくんに対しても同じ意見」
「僕にできることは少ないから、問題ないから」
「交代しないなら私、乗らない」
引き下がらない。もう真言は詠がどれだけ頑固か知っている。顔をしかめて、とても嫌そうだが真言は運転席を譲った。
「一時間」
「だめ。着くまで変わらない」
「今まではずっと任せっきりだったくせに」
「帰りは、多分変われないから。せめて行きくらいさせてよ」
もっと強気のはずだった。気持ちは喧嘩腰だった。なのになぜか、ずいぶんと弱弱しくなっている。そのおかげか、真言は「わかった」と顔を窓に向けて、目を閉じた。
「そろそろなんだけど」
「うわ雪!」
「そういうとこじゃん」
「厚着してきた?」
「あんたね、前も思ったけどお父さんなの? それくらい準備してますぅ」
「僕は、詠さんを支える役だから」
「……」
ちらと横目で見ると、不甲斐ない、と顔にも声にも書いてある。自分で決めたこと。気にするな。なんて言ったとしても真言の心情は変わらない。
「ありがと」
「あ」
「さっさとほら、羅針盤」
「あ」
『僕らの行くべき場所を示せ』
ミラーにつるしてあった羅針盤は、ぴたりと針を止めた。今回は、気兼ねなく触れることができた。
動いたのは、出口と反対側。
「次で降りるよ」
「その前に代わって」
「なんで」
「雪道の運転慣れてんの?」
「代わる」
悔しいが雪道は慣れていない。仕方なく交代した。真言は慣れているか、したことがあるのかはわからない。が、代わると申し出るくらいだ、運転をしたことはあるのだろう。
「なんか感じる? 見える?」
「まだ。まこくん影は見えるんでしょ」
「よそ見していいなら」
「しないで」
さすがに雪道でよそ見されたくはない。見えにくいを通り越し、中央線も用水路も見えない。もとから知らない場所を通っている。針が指し示す場所はそういう場なのかもしれない。
「ちょっとそこ止まれ!」
「うそ」
車はなんとか止まったが、轍を見ると少し滑っている。
「さすがに事故で死にたくはないかな……」
「ごめん」
「気にしてることあるなら、聞くけど」
「今はいい」
「そ」
真言にはまだ、詠に話していないことがありそうだ。




