1.
土曜、寝てしまったため入院扱い。財布の痛手は大きい。だが起きてもそこに真言はいなかった。これで答えは決定だ。
約束はたしかに、果たすためにある。そのためにするものだ。
だがそもそも、昨日、詠と真言は約束を交わしていない。ただ単に、二人の間の合意があっただけだった。
何度かこの病院にお世話になることも決定してしまった。痛みはおさまったが、ギプスがあると動きにくい。足のほうがよかった、と思った。腕にあるこれは、パソコンを使う事務作業に邪魔だ。
車の運転をしている以上、足にあっても邪魔ではあった。どちらでもいい、とにかく仕事ができないわけではない。
「どうしたの?!」
出社すると、思ったより驚かれる反応をされた。もっと冷静かと思っていた詠とすると、不思議な感覚だ。
「ちょっと高いところから落ちまして」
詠のアパートは二階。そこから、とでも思ってもらえればそれで事足りる。実際に詳しく聞かれることはなかった。仕事に支障がなさそうかを尋ねられるだけだった。
三日以上の入院だと、会社の保険から気持ち程度の補助が出るが、今回は一日。なにもなかった。休日の夜、ということで医療費がかさんだのはやはり辛い。
だが、今後、何度か病院に通う。半日でも一日でも、休むことになるだろう。その間にできることがある。前向きに捉え、詠はすべきことを進めていった。
平日の昼は生活のために仕事。
夜は場所探しのネット検索。
休日は当たりをつけた場所に行く、見つけたら即実行。
夜、検索していて思った。なぜ、真言はあそこにいたのだろうか。
気づくのが遅すぎた。もう真言と詠は連絡していない。気になって、GPSのアプリが勝手に入れられていないか、再度確認したがそういったものは見つけられなかった。
となると、なぜか。
やはり羅針盤だろうか。あの日はたまたま、羅針盤が示した先と日時が一致してしまったのだ。
気をつけねば、詠はまた真言と鉢合わせてしまう。ストーカーしていたこともあったと言っていたような気がする。真言に頼りたいと思う一方、もう結果が出てしまったのだから頼るのはだめだ、と心が葛藤している。
今後は病院も範囲に入れて行動だ。そんなことを始めてみると、なににでも未練はある。それだけ場所は多くなり、見つけやすくなると思いたいが、実際にそうではないのだ。
とすると、範囲が広ければ広いほど、見つけられない。はずれが多くなり、時間とお金と命を消費する。
これからどうすべきか、詠は迷い始めていた。
「お風呂入れないって……」
疲れを癒すには一番いい方法であり、ユニットバスにせずにここだけは譲らず、家賃が高くなるのもわかったうえで借りたアパートなのだが、ギプスが外れるまでまともに湯舟に浸かれないうえ、うまく身体を清潔にできないのは、詠にとってこれまた辛いことだった。
最近はネットで対策用グッズも販売している。すぐに購入ボタンを押したが、金銭面が最近厳しくなっている。今のところマイナスではないが、いつかはそうなりそうだ。貯金はしておこうと、別口座を作ることも検討中である。
ぴんぽん、
お風呂上りでよかったと、詠は玄関に向かう。医療用品やら車中泊グッズやら食料やらで、最近はネット通販を使うことが増えた。そのため、夜帰った後にものが届くように依頼している。こんな時間に、と思うこともなくなった。
「はい」
上着を羽織って玄関に向かい、すぐに鍵を開けた。サインはいらない、と何度も言われたため、印鑑を置く場所も変えてある。
がちゃ、「お待たせし」
「まこ、くん?」
「……」
ばっちり目が合った。ドアの向こうにいたのは真言だった。今日は水曜日。真言の講義はフルで休みで、そして夜。
「なにしに」
「なんか着て」
「?」
顔を背けるのではなく、背中を向けてしまった真言。着ろと言われても一瞬のやりとりで終わるはずだった。薄着ではあるが上着は羽織っている。そもそも服を着ている。なにか着てほしいと言われても、きちんとルームウェアだ。何度か来てもらったときは私服だったが、誰か来るとは想定していない。おかしいことはなにもない。
ただ真言にとっては大ごとだった。詠は風呂上りで、ギプスをつけたままでも身に着けやすいワンピースの夜用ブラトップを着ていたのだ。ルームウェアで間違いないが、真言には薄手のそれの目のやりどころに困るというよりも、どうにもできず、どうすればいいかわからなかったのだ。
「なにしに来たの」
応じるつもりはない。まず真言の意図がわからない詠は、問答を続けるつもりはなかった。
真言は無言で背中を向けたまま。
ゆっくり考えて、とは言ったが、言えないなら帰ってもらうのみ。
「じゃ、」
閉めようとするのを察知した真言はがしっとドアを押さえる。
「はなし、しに、きた」
「なんの」
「今後の、その、未練の、その」
「そんなんで話せると思ってるの」
言葉がうまく出てこない様子の真言を話し相手にするつもりはなかった。詠は帰宅してもらうちょうどいい理由だと、真言を帰すつもりでいる。作った声ではなく、腹の底か否定を感じさせる冷たさを含んでいる。
「それは詠さんのせいだから」
「なに?」
ぼそっとつぶやいた真言の言葉は詠に届かない。代わりに届いたのは、真言が着ていたコートだった。真ん前から被されて、首の後ろで縛られてしまうと、ギプスのはまっている詠は動かすことも難しい。
そしてそのまま、真言はどうぞの一言も言っていないのにずけずけ上がって来た。詠の前から肩を押して。
「これ、事案になる図だよ」
「詠さんそんなことしないでしょ」
平静を取り戻しつつある真言は、そのまま詠を後ろ歩きにさせてドアを閉め、鍵を閉め、いつも詠が座っていた場所に座らせた。
「暑いんだけど」
「我慢して」
いくらなんでも、コートを着せられると暖房の入った部屋では暑い。が、なぜか真言は強気になっている。さっきと攻守逆転か。
しかたない、と詠は聞くための心の準備を整える。準備するのは心だけ。飲み物を用意したりなどはしない。連絡もなく勝手に訪れて勝手に上がってくるような人間に差し出すものなどひとつもない。
「じゃ、さっさと話して帰ってくれる?」
「仕方ないから、やっぱ詠さんとやる」
「仕方ないからぁ?!」
まるで詠を責めているような言い方、声色だ。
仕方ないとはなんだ、もとよりやるなと言ってきたのは真言であり、理由を聞いてそれでもやると決めたのは詠あり、今後どうするとしてもお互いの好きなのだ。
「なにぃ? ほかに代わりが見つからなかったわけぇ?」
怒りが沸き上がる。いつも何度も自分の好きに動く真言。日本のためだとか言って巻き込んでおきながら手の平を返し、それでもとまだ続ける詠を責め、頼んだのは詠ではあるがその場で返答しなかったのに、また一緒にやると言ってくる。自分勝手も甚だしい。喧嘩腰になるのも当然のことだ。
まぁ、もう一度、心細いから、と頼んだのは詠のほうではあるが。
「たしかに代わりは見つかってない」
「だから泣きつきにきたわけ?」
「ちがう」
「なにが違うの? 代わりが見つかるまでの間、私が心配とかいう理由くっつけて自分のために自分の任務遂行に動くんでしょ? 違う?」
「ちがう」
「で、代わりが見つかったらポイ捨てでしょぉ?」
「ちがう」
「ああ、もしもの保険にとっておけばいっかぁ、私が続ける気あるの、知ってるもんねぇ?」
「ちがう!!」
さすがの詠も、肩が震える勢いだった。固まってしまった詠を見て、逆に真言が冷静を取り戻したらしい。
「ごめん」
なにに対してのごめんなのかわからない詠は、返事もできない。大きな声を出したことに対してか、それとも。
「ねぇ、なんで病院に行ったとき、あそこにいたわけ?」
「……」
「答える気ないなら、帰って。警察呼ぶよ」
「……詠さん、動くには土日だから、張ってた」
「張ってた?」
真言はぽろぽろと話し始めた。
床紅葉の寺での動画を見て、詠がまだ続けていることを知った。詠が行きそうなところに行って自分でも確認していた。トンネルで遭遇したのは本物の偶然だったが、羅針盤からしてあそこには何度か真言も来ることは決まっていた。詠に会う可能性はとても高かった。
実際会ってしまった。そして任務も真言の代わりに行っていると目でも見てしまう。
なれば土日の詠の行動を知るしかない。
真言は土日、詠のアパートの近くにある駐車場で、詠の行動を張っていた。どこかに行くときはついていったという。それがスーパーでのただの買い物であっても。
土日、何回もそういった場所に行っていた詠。いつも真言が後ろにいたと思うと、
なぜ、安心しているのか。
怖いと思うのが普通だが、詠の心はなぜか異なる感情が占める。
とにかく、いつもストーカーをされていた。病院もついていっていた。さすがになかまでは入らなかったが、詠が行くところで羅針盤に触れている。病院ではぴたりだった。
あの日、病院裏に車を移した詠。真言も近くの調剤薬局に車を置いて遠くから見たところ、そこには薄暗い陰があった。
きっとすぐに行動に移すだろうと、それからは一週間張っていたという。
「一週間?」
せめて土日だけにすればいいのに、というのが呆れた詠の感想だ。さすがに、仕事優先に動いていた。生きるためには仕事をして、稼がなければならない。仕事をそうやすやすと休むわけにはいかないのだ。
なのに一週間。
その間、真言はずっと講義にも出ていないのだろうか。
服装を見て、行先が仕事とわかったときは講義へ行っていたという。ただ、終業時刻後に行くこともあるだろうから、待ち伏せしていたと。なんたる執着心だろう。
「そんなことするハメになるんだったら、最初の時に私の車に乗り込んでくるとかしなければいいのに」
「いろいろ、あったんだ」
「あっそ」
どうでもいい話だ。
「で、結局私と任務遂行って話になったわけね?」
「うん」
「まこくんさぁ、自分がものすごぉく勝手なこと言ってるの、わかってる?」
「わかってる」
「私はまこくんがいなくてもやり続けるって決めたの。できるってわかったわけだし。ってわけで、最初のはいらない」
詠と一緒に任務遂行する、という話は、いらない。一緒でなくていい。
ほしいのは、誰かいるという安心。いてくれる、それだけでいい。
「僕が詠さんをサポートする。僕のために、僕の代わりにやってもらうんじゃなくて、僕が、詠さんのために、動きたい」
もう、決めたから。
真言は、詠と同じことを言った。ストーカーまでしてくる真言が、こういうのだ、もう、止めることはできない。
それよりも。
一緒にいてほしい、
安心したい、
さみしさを、恐怖を、やわらげてほしい、
その気持ちが強くなる。詠は結局、真言の意思をくじくことはできなかった。しなかった。
しなかったのだ。
いつかそれが、大きな後悔になるかもしれない、そんな未来がちらとよぎっても。
意地になっている自分に、いくつかあったあの足跡は、同調していたのだ。
詠は女性だが、心情とすると、男性のように論理的にものを捉え考えるのかもしれない、とあのとき思ったが結局は、詠は感情で動いていた。
詠は佐知代と博史に救われたほうだったのかもしれない。自分の心を見つめる機会を作らせてくれた。作られてしまったのだ。
自分の気持ちに正直に、口は動いた。




