4.
音がした。
そこまで大きな音ではなかったと思う。
取り巻きの片方に押されてぶつかった岩の壁。
それが崩れた。
一瞬で悟った。これは死の恐怖。
大きな音は、もしかしたら、声のほうだったのかもしれない。
「ちから!」
りっくんが、ぼくのことを突き飛ばした。ぼくは壁じゃなくて地面にしりもちをついた。目を明けたら、りっくんの上に、大きな岩のブロックが、のっかっていた。
ぼくを突き飛ばして勢い余り転んだりっくんの上に、ぼくがぶつかって崩れた岩が、落ちたのだ。
死の恐怖。
「りっくん! りっくん!!」
名前を呼んでも、動かない。
「りっくん! すぐにおとなのひと、つれ」
「オレは、りき、だ」
岩をさっさとどかすべきだったと思う。でもぼくは、りっくんを揺さぶっていた。その目を閉じたら、もう。
その手首を、りっくんが掴んだ。
「二度、言わすな、よ」
りっくんの最期の言葉になった。
だれか、たすけて。
りっくんを、たすけて。
ころさないで、
こわい!!
見えたのは、葬儀の記憶まで。
詠はてっきり、いじめを受けていた子が、ちからのほうが亡くなってここに残っているのだと思った。丑の刻参りのときは、あそこで逝った人間と未練の主は別物だったが、ここは同じ。新聞記事に乗っていた名前と、一致した。
りきとちから。漢字は同じ、力。
いじめられた“ちから”が亡くなっていると思っていたら、違ったのだ。亡くなったのはいじめていた“りき”のほうで、ちからは助けられたのだ。
怖かったのは、なんだろう。
決めたことがあるって、記憶で言ってたちから。では、決めたこととは。
記憶は途切れてしまった。もう一度つなげることはできないか。
詠に巻き付いた沼の一部は、もう離れ始めている。詠はそれを掴んだ。
——教えて、なにを決めたの?
——私にも、決めたことがあるの
——まだ、できていないの
——あなたの決めたことって、なに?
——どうして、いじめと言えることをされても、彼らと一緒に行動していたの?
ぼんやりと、流れてきた。記憶だ。
だが、もう沼に戻ろうと離れている先を掴んでいる詠の手も、沼に引き込まれていく。これを離してはいけない。
——少しでいい、断片でいい、聞かせてほしい
——君の、決意を
「もう一度、……」
——そっか
「詠さん!」
手が沼に入る直前、真言の声が入って来た。おかげで、最後まで聞こえなかった。でも自分は間違っていて、自分は合っている。
——歌え
学校の音楽集会で歌ったことがある曲だ。なんのために人が出会うのか。それを諭してくるような、唱歌。手話も見たことがある。
幼稚園が一緒だったりきとちからはきっと、その頃は友達だったのだろう。だんだんと成長するにつれ、それが友達ではなくなっていったのだ。
弱虫、と呼ばれて、かっこいいりきと弱虫のちからは離れてしまった。
せっかく会えた同じ名前の二人は、友達ではなくなってしまったのだ。
りきのヒエラルキーのなかで。
怖かったのは、りきが死んでしまうことだ。
助けてほしかったのは、りきのことだ。
とんだ思い違いをしていた、と詠は思いつつ、歌う。
——嫌い合っているんじゃなかったんだね
——たしかにちからくんは嫌なめに遭わされていたけど、それでも一緒にいたい相手だったんだね
ぼくは弱虫じゃないって、りっくんに認めてもらいたかった。
それで、また友達になろうって、今までもこの先も、友達だって、
伝えたかったの。
あのとき、野良犬から助けてくれたりっくんは、とってもかっこよかった。ちから、だいじょぶか? ってヒーローみたいな言葉に涙が流れたんだ。
それからぼくは、弱虫になったんだ。
——ねぇ。これはわたしの想像だけど。勝手な、ポジティブな捉え方だけど
——見ていたまわりの友達から、守るためってのは違うかな?
——だっせぇ、ってちからくんが襲われたってこと、笑うようなやつらから、距離をとるためだって思ったら、どうかな?
——りきくんのなかではずっと、友だちだったんじゃないかな
——隠したものもわかりやすいところにあってさ
——私は、そうであってほしいって思ってる
——じゃなかったら、助ける? 心配する?
——理想論だけど、それじゃだめかな?
——あのトンネルから帰ったら、こいつは強いって、みんなに知らしめるためだったんじゃないかな
——そうじゃなきゃ、知らないでしょう、大人の人もまわりの子も
——なんで、トンネルに行くこと、前から知ってたのかな?
——これから先も、ずっと、ずっと、友達だよ
——もうそこにいなくても、友達だって、思ってほしい。それをりきくんは、願ってる
——ねぇ?
——だから、ここに未練があるんだよね?
——りきくん?
——名前で呼んだことが、もう、その証拠だよね
——呼んでほしかったんだって。名前で
——友達でいたかったんだって
——枕元にでも立ってあげたら?
——こんなところにいないでさ
うん、オレ、あいつを怖がらせに行ってみるわ。
じゃ、
沼が人の形になった。岩に潰されたときのりきくんではなく、それは元気で健康体で、傷ひとつないりきくんだった。
ここに残っていたのは、ちからくんの後悔だった。決めたことをもう絶対に果たせないという、辛い気持ちだった。
自分がこんなことをしたせいで、死んだせいで、ちからくんを苦しめている。
それを知ったりきは、未練という形でここに残っていた。きっと、お互いに引きあっていたのだろう。お互いの存在を求めて。
「あいつ、なんか、こういうところの管理の仕事してるんだよ。セーシキメーショー知らんけど」
言ってくら、と消えた、影。
「故人の未練だけじゃないんだね」
きっと今夜は、ちからは夢を見せられることだろう。それが良いものなのか、悪いものになるのか。
それは本人次第だ。
ちからの影の言うことが本当ならば、きっと彼は、同じようなことが起こらないように、前向きに進んだか、それとも彼を忘れないために動いたか。
いじめといえばいじめであり事実だった。ゴシップ誌の記事は当たっている。が、ゴシップ誌には少しずれがあった。
なにが本当なのかは、本人たちにしか、わからないものだ。
「あ」
沼が消えたそこには、上履きが置いてあった。黄色の線。これは、ちからのものだ。名前も書いてある。だが苔むしていないし、かびてもいない。
定期的に、ここに来ているのだと、わかった。
だからこそ、ここに残っている。これが、それぞれの存在を許していた。




