3.
「おまえ、この先に行く勇気もないんかよ」
弱虫、とりっくんはぼくに吐き捨てる。そんなこと言われても、怖いものは怖い。身を守るための感情だって、なにかに書いてあったよ。
「りっくん、ここ、進入禁止って書いてあるよ」
そのための看板だ。なのにみんな、このトンネルに来たがるのはどうしてか、ぼくにはわかんない。
「りっくん呼ぶなっつったろ。オレは力だ」
りっくんは幼稚園から一緒で、りっくんって呼んでたからまだそう呼んでる。でもだんだん、嫌がられるようになった。りっくんは力でもりっくんでも、どっちでもかっこいいのはかわんないのに。
「ほら、行ってこい」
「行けるかよ、この弱虫に」
「行けねぇだろ、せめて一番前にしてついてってやろうぜ」
「じゃねぇと最後まで行ったかわかんねぇし」
今日は遊ぼうと連れてこられた。りっくんたちの“遊ぼう”、はぼくをからかうこと。ぼくのものを隠したから探せ、とか、ぼくの教科書を汚した、とか、りっくんたちの宿題をやれ、とか。好きな女の子をばらされたこともある。家に持ち帰る重い荷物をたくさん持たされたことも。
でも、ぼくはりっくんたちから離れない。ぼくには、大きな望みがあるから。
「危ないよ、なにかあったらケガじゃすまないかもよ」
「そんなの相当運悪くねぇと遭わねぇって」
それが危ないって言ってるのに。
ぼくはりっくんたちのストッパーだ。もしも危ないことがありそうなときに、りっくんたちを守れるように。
ぼくは一度、たった一度だけど、りっくんに助けられたことがある。中学年のとき、野良犬がぼくに襲い掛かって来た。ぼくは怖くて動けなかった。腰が抜けるって、こういうのを言うんだな、ってそんなこと考えてた。
スローモーションってアニメのなかだけじゃなくて、人間の目でもあるんだ、って思えるほど野良犬はゆっくり襲い掛かって来た。
でも野良犬はぼくに届かなかった。どっか横にとんでった。
りっくんがランドセルを投げ飛ばしたのが、ぶつかったんだ。
そのあいだに他の二人が大人を連れてきてくれて、ことなきを得た。ぼくは助かったんだ。
「これは貸だ。オレの部下にしてやる」
それからぼくは、りっくんについてまわるようになった。同じクラスでなくても。放課後ずっと一緒に。
危ないことばっかりしたがるし、ぼくになにかしらやらせるし、嫌だと思うし伝えたこともある。でも、りっくんはやめない。ぼくは途中であきらめた。貸なんだから、返せばいいんだ。
そうすれば、きっと……
「ほら、先に行け」
りっくんがぼくを汚れた靴の底で押してくる。なにかあったら、を考えても仕方ない。りっくんはこうなったら最後までしないと気が済まないんだ。ここでずっと夜までいることになったら、叱られるのは僕にまでおよぶ。
ぼくは、黄色の柵を越えて、トンネルのなかに入った。
季節は夏にさしかかる頃だったけど、トンネルに入って十数歩歩いたら、すぅ、と空気が冷えてきた。後ろで、熱い日の避暑地にするのよくね? とかそんな話が進められてる。
たしかに今は涼しいけど、夏のまっさかりになったら、逆にこの岩のなかはサウナみたいになりそうで、熱中症にならないか心配だな。もし現実に避暑地にされちゃったら、きっとぼくもここに来ることになるし。危険がないか調べておかないと。
あ、もう、危ない場所に入ってるんだった。
ブロックみたいな岩で作られたトンネル。どうしてブロックが重なってるのに、半円みたいになっているのかわかんない。
ただ、ちょっと湿っぽい空気と、ぼくたちが歩いてる以外の岩の音が聞こえるのは伝わってくる。
進入禁止。それは危ないからだ。地震が起きたら、どうなるんだろう。くずれたらぼくたちは生き埋めになるのに。
肝試しって、幽霊とかおばけとか、そういうのをするのかと思ったけど、たしかにこういうのも肝が冷える。
「おい、水たまりのところについたら、昨日置いたおまえの体育館履きあるから、取って帰るぞ」
昨日ここに来てたんだ。珍しくからまれなかったと思ったら、そういうことだったんだ。昨日は今日の準備をしてたんだ。
体育があるのに、ぼくの体育館履きが片方なかった。先生に伝えて、貸してもらった。昨日から、ぼくの体育館履きはここにあったのか。
先生、またか、って顔するなら、なにか対策してくれればいいのに。
水たまりのところって言うってことは、わざとそこを選んだな。ぼくが嫌がるのを見たかったんだろうな。でもちょうどいいや、汚れてきてたし、これ、洗う理由ができる。
さすがに普段の上履きは先生に見つかりやすいからか、隠したりされることは少なくて、なくてもいくつか三か所くらいをまわるとすぐ見つかった。
りっくんたちは、先生にぼくが言いつけないことを知っててやってる。
りっくんたちは、ぼくを弱虫って言ってくるけど、弱虫だったらもうお母さんとか、先生とかにとっくに言いつけてるよ。
ぼくは、待ってるんだ。
最高のタイミングを。
からから、
ぱらぱら、
音がするのは岩の砂が落ちる音だ。りっくんたちは、ぼくが怖がるのを楽しみにしてるみたいで、ぼくが怖がりそうな言葉を後ろからかけてくる。背中を押したり、ふって息をふきかけてきたり。
でもごめん、ぼくは幽霊とかおばけは信じてない。怖いのは、この場所が危ないってことを知ってることくらいだ。
押されても、押されたってわかってる時点で他人の力によるものだってわかる。息をふきかけてきても、なまあたたかいだけで気持ち悪い。それだけ。
ぼくはただ、無言で歩き続けた。
「あったよ」
ぴちゃん、と音がしたときだった。
水の音。これがりっくんの言う水たまりってことは、ここにあると思って目を凝らした。暗いところを歩いてきたから、ある程度暗さには慣れてきて、黄色の線が入ってる体育館履きは目に捉えるのは難しくなかった。
「はい、じゃ、帰ろう」
ここは危ないよ、なんて言ったらもっと長居することになりそうだから、言わないでおく。
「ほんとにそれ、おまえのかよ」
見せて見ろ、と防犯ブザーにくっついてるライトで照らした。ちゃんとぼくの名前が書いてあるでしょ、力って。
「なんだよ、これ、りきのじゃねぇか」
「ほんとだぁ、おまえのじゃねぇな」
そうくると思った。ぼくの名前は力。“力”と書いて“ちから”と読む。
対してりっくんは“力”と書いて“りき”と読む。
読み方が違うだけで、漢字が同じなんだ。
「りっくんの苗字、忘れちゃったの?」
持ち物には氏名が書かれている。だから、読めればわかるんだ。ぼくの苗字、じゃなくて、りっくんの苗字って言ったのは、そっちを読めなかったらきっとこの二人は、りっくんを怖がると思って。
「忘れるかぼけ!」
片方が、ぼくを突き飛ばした。岩の壁に当たる。痛かったけど、この答えをもらえたなら、もう心配ない。これで帰れ
「力!」
大きな音がした。
いや、そこまで大きな音だったかな。ぼくは大きな音と崩れたなにかに視界を奪われて、なんにも感じなくなった。
助けて、
叫んでも助けてくれる人には聞こえない。届かない。
「力……」
「力くん、まだ、小学生なのに」
「かわいそうにねぇ」
「肝試ししてたっていうのよ」
「ねぇ、前日からクラスメイトにいいふらしてたって」
「あそこは危ないって書いてあるのに」
「あら、けっこう行く子いたそうですが」
「学校も先生もなにをしてるんでしょう」
「すみませぇん、写真よろしいですかー!!」
ここにいる人たちは、真っ黒な服に身を包んでいる。こそこそと聴こえるのは噂話も混じっている。線香の匂いと一緒に漂ってくるのは、気まずさだ。
ああ、言えなかった。
決めていたのに。
「いじめの噂もあるそうですよ」
「どうしてそんなこと知らないの?」
「ご両親や先生はなにをしてるのかしら」
広がっていくのは、安らかに眠るための言葉ではなく、聞いてて気分が悪くなるようなものばかり。
ああ、言えなかった。
決めていたのに。
決めていたのに!!
——生きたかったんだよね
——怖かったね
——助けてほしいって思うのが、当たり前だと思う
——岩が崩れてきたあの状況
——もう、怖いことはないから
——きっとみんな、力があるから、今も、精一杯、生きているよ
——ここに残っていないで、外に出ようよ
——そのほうがずっと、明るくなるよ
伝えようと思っていたのに。
詠が見たのは、想像とはまったく違う記憶だった。




