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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
前にあった勇気

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31/33

3.

「おまえ、この先に行く勇気もないんかよ」


 弱虫、とりっくんはぼくに吐き捨てる。そんなこと言われても、怖いものは怖い。身を守るための感情だって、なにかに書いてあったよ。


「りっくん、ここ、進入禁止って書いてあるよ」


 そのための看板だ。なのにみんな、このトンネルに来たがるのはどうしてか、ぼくにはわかんない。


「りっくん呼ぶなっつったろ。オレは力だ」


 りっくんは幼稚園から一緒で、りっくんって呼んでたからまだそう呼んでる。でもだんだん、嫌がられるようになった。りっくんは力でもりっくんでも、どっちでもかっこいいのはかわんないのに。


「ほら、行ってこい」

「行けるかよ、この弱虫に」

「行けねぇだろ、せめて一番前にしてついてってやろうぜ」

「じゃねぇと最後まで行ったかわかんねぇし」


 今日は遊ぼうと連れてこられた。りっくんたちの“遊ぼう”、はぼくをからかうこと。ぼくのものを隠したから探せ、とか、ぼくの教科書を汚した、とか、りっくんたちの宿題をやれ、とか。好きな女の子をばらされたこともある。家に持ち帰る重い荷物をたくさん持たされたことも。

 でも、ぼくはりっくんたちから離れない。ぼくには、大きな望みがあるから。


「危ないよ、なにかあったらケガじゃすまないかもよ」

「そんなの相当運悪くねぇと遭わねぇって」


 それが危ないって言ってるのに。


 ぼくはりっくんたちのストッパーだ。もしも危ないことがありそうなときに、りっくんたちを守れるように。


 ぼくは一度、たった一度だけど、りっくんに助けられたことがある。中学年のとき、野良犬がぼくに襲い掛かって来た。ぼくは怖くて動けなかった。腰が抜けるって、こういうのを言うんだな、ってそんなこと考えてた。


 スローモーションってアニメのなかだけじゃなくて、人間の目でもあるんだ、って思えるほど野良犬はゆっくり襲い掛かって来た。


 でも野良犬はぼくに届かなかった。どっか横にとんでった。

 りっくんがランドセルを投げ飛ばしたのが、ぶつかったんだ。

 そのあいだに他の二人が大人を連れてきてくれて、ことなきを得た。ぼくは助かったんだ。


「これは貸だ。オレの部下にしてやる」


 それからぼくは、りっくんについてまわるようになった。同じクラスでなくても。放課後ずっと一緒に。


 危ないことばっかりしたがるし、ぼくになにかしらやらせるし、嫌だと思うし伝えたこともある。でも、りっくんはやめない。ぼくは途中であきらめた。貸なんだから、返せばいいんだ。

 そうすれば、きっと……


「ほら、先に行け」


 りっくんがぼくを汚れた靴の底で押してくる。なにかあったら、を考えても仕方ない。りっくんはこうなったら最後までしないと気が済まないんだ。ここでずっと夜までいることになったら、叱られるのは僕にまでおよぶ。


 ぼくは、黄色の柵を越えて、トンネルのなかに入った。


 季節は夏にさしかかる頃だったけど、トンネルに入って十数歩歩いたら、すぅ、と空気が冷えてきた。後ろで、熱い日の避暑地にするのよくね? とかそんな話が進められてる。


 たしかに今は涼しいけど、夏のまっさかりになったら、逆にこの岩のなかはサウナみたいになりそうで、熱中症にならないか心配だな。もし現実に避暑地にされちゃったら、きっとぼくもここに来ることになるし。危険がないか調べておかないと。

 あ、もう、危ない場所に入ってるんだった。


 ブロックみたいな岩で作られたトンネル。どうしてブロックが重なってるのに、半円みたいになっているのかわかんない。

 ただ、ちょっと湿っぽい空気と、ぼくたちが歩いてる以外の岩の音が聞こえるのは伝わってくる。


 進入禁止。それは危ないからだ。地震が起きたら、どうなるんだろう。くずれたらぼくたちは生き埋めになるのに。

 肝試しって、幽霊とかおばけとか、そういうのをするのかと思ったけど、たしかにこういうのも肝が冷える。


「おい、水たまりのところについたら、昨日置いたおまえの体育館履きあるから、取って帰るぞ」


 昨日ここに来てたんだ。珍しくからまれなかったと思ったら、そういうことだったんだ。昨日は今日の準備をしてたんだ。


 体育があるのに、ぼくの体育館履きが片方なかった。先生に伝えて、貸してもらった。昨日から、ぼくの体育館履きはここにあったのか。

 先生、またか、って顔するなら、なにか対策してくれればいいのに。


 水たまりのところって言うってことは、わざとそこを選んだな。ぼくが嫌がるのを見たかったんだろうな。でもちょうどいいや、汚れてきてたし、これ、洗う理由ができる。


 さすがに普段の上履きは先生に見つかりやすいからか、隠したりされることは少なくて、なくてもいくつか三か所くらいをまわるとすぐ見つかった。


 りっくんたちは、先生にぼくが言いつけないことを知っててやってる。

 りっくんたちは、ぼくを弱虫って言ってくるけど、弱虫だったらもうお母さんとか、先生とかにとっくに言いつけてるよ。

 ぼくは、待ってるんだ。

 最高のタイミングを。


 からから、

 ぱらぱら、


 音がするのは岩の砂が落ちる音だ。りっくんたちは、ぼくが怖がるのを楽しみにしてるみたいで、ぼくが怖がりそうな言葉を後ろからかけてくる。背中を押したり、ふって息をふきかけてきたり。

 でもごめん、ぼくは幽霊とかおばけは信じてない。怖いのは、この場所が危ないってことを知ってることくらいだ。


 押されても、押されたってわかってる時点で他人の力によるものだってわかる。息をふきかけてきても、なまあたたかいだけで気持ち悪い。それだけ。

 ぼくはただ、無言で歩き続けた。


「あったよ」


 ぴちゃん、と音がしたときだった。

 水の音。これがりっくんの言う水たまりってことは、ここにあると思って目を凝らした。暗いところを歩いてきたから、ある程度暗さには慣れてきて、黄色の線が入ってる体育館履きは目に捉えるのは難しくなかった。


「はい、じゃ、帰ろう」


 ここは危ないよ、なんて言ったらもっと長居することになりそうだから、言わないでおく。


「ほんとにそれ、おまえのかよ」


 見せて見ろ、と防犯ブザーにくっついてるライトで照らした。ちゃんとぼくの名前が書いてあるでしょ、力って。


「なんだよ、これ、りきのじゃねぇか」

「ほんとだぁ、おまえのじゃねぇな」


 そうくると思った。ぼくの名前は力。“力”と書いて“ちから”と読む。

 対してりっくんは“力”と書いて“りき”と読む。

 読み方が違うだけで、漢字が同じなんだ。


「りっくんの苗字、忘れちゃったの?」


 持ち物には氏名が書かれている。だから、読めればわかるんだ。ぼくの苗字、じゃなくて、りっくんの苗字って言ったのは、そっちを読めなかったらきっとこの二人は、りっくんを怖がると思って。


「忘れるかぼけ!」


 片方が、ぼくを突き飛ばした。岩の壁に当たる。痛かったけど、この答えをもらえたなら、もう心配ない。これで帰れ


「力!」


 大きな音がした。

 いや、そこまで大きな音だったかな。ぼくは大きな音と崩れたなにかに視界を奪われて、なんにも感じなくなった。


 助けて、


 叫んでも助けてくれる人には聞こえない。届かない。







「力……」

「力くん、まだ、小学生なのに」

「かわいそうにねぇ」


「肝試ししてたっていうのよ」

「ねぇ、前日からクラスメイトにいいふらしてたって」

「あそこは危ないって書いてあるのに」


「あら、けっこう行く子いたそうですが」

「学校も先生もなにをしてるんでしょう」


「すみませぇん、写真よろしいですかー!!」


 ここにいる人たちは、真っ黒な服に身を包んでいる。こそこそと聴こえるのは噂話も混じっている。線香の匂いと一緒に漂ってくるのは、気まずさだ。


 ああ、言えなかった。

 決めていたのに。


「いじめの噂もあるそうですよ」

「どうしてそんなこと知らないの?」

「ご両親や先生はなにをしてるのかしら」



 広がっていくのは、安らかに眠るための言葉ではなく、聞いてて気分が悪くなるようなものばかり。



 ああ、言えなかった。

 決めていたのに。


 決めていたのに!!







 ——生きたかったんだよね

 ——怖かったね

 ——助けてほしいって思うのが、当たり前だと思う

 ——岩が崩れてきたあの状況


 ——もう、怖いことはないから

 ——きっとみんな、力があるから、今も、精一杯、生きているよ

 ——ここに残っていないで、外に出ようよ

 ——そのほうがずっと、明るくなるよ


 伝えようと思っていたのに。


 詠が見たのは、想像とはまったく違う記憶だった。


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