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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
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3/11

3.

 ——あれ、あの黒い手、なくなった


 二人の姿も消えていて、夢だったのではないかと思い始める。もしかしたら、熱中症でも起こして幻覚でも見たのかもしれない。

 が、そうではなかった。


「君、」


 この声は、祖母に呼ばれて崖に向かうのを止めたときの、男の声。


「もう大丈夫?」


 大丈夫ではないのが詠の実状。

 正座みたいに座り込み、ズボンは砂だらけ。顔は涙でぐちょぐちょ。祖母の姿を見てからの記憶は、しっかりと残っている。

 が、現状を理解できずに呆けていて、どうしたのか、なにがあったのか、まださっぱりわからない。


戸開(とあけ)さん? 大丈夫?!」


 約束の時間になってもバスに来ない(よみ)を、今回の研修旅行の幹事が探しに来てくれたらしい。


 話によると、崖に向かう詠を知らない男が止めたと思ったら、急に逃げるように後退、いきなり歌い出した、とのこと。

 幹事は止めた男を怪しい人物と判断し、離れさせようとしたが、「近づくな!」と睨まれてただ傍観するしかなかったという。


「あ、え、その、」


 ——詳しく話してもきっと信じてもらえない


「あ、ちょっと、飲みすぎてしまったみたいで!」


 へへへ、と笑ってごまかすことにする。嘘であることはばれている。詠が酒を飲めないことは知れていること。不信感をあらわにする幹事だが、そうと思わないと出来事を説明できないと自分を納得させたのか、行こう、と階段を下り始めた。すみません、と詠も後を追った。


「止めてくださって、ありがとうございました」


 すれ違いざま、男にそれだけ伝える。お礼は伝えないといけない。この人が止めてくれなければ、詠は死んでいた。

 だがもう、関わりたくないというのが本音だ。

 合わせた目は、値踏みするかのようにこちらを見ていた。




 申し訳ありません、と何度も謝罪して、調子が悪いという理由で、あと一日ある研修旅行を抜けることにする。多分、他の社員もそのほうが安心だ。またへんなことをされたら困るだろう。気にせず旅行を楽しめるほうがいい。

 研修旅行という名ではあるが、これは社員旅行で、職場のみなさんと飲んで食べて観光する時間だ。仕事を抜けるわけではない。誰も止めなかった。


 詠としては、自分で家に帰ることのほうがよっぽど痛い。毎月、旅行分の会費が少しずつ給料から徴収されるが、それがパーになるうえ、帰宅分の交通費は自腹なのだ。二日目の分も返ってこない。


 ——まぁ、命があるだけで十分かもしれない


 電車に揺られながら、考える。

 祖母に呼ばれ、会いに行った先は崖。

 怪しい男に止められて、よく見ればくつもの黒い影が手となって伸びていた。

 男はそれを未練と言っていた。なかでも強い未練が、詠と同調したのだと。

 それが、祖母になって、形として現れた。


 ——会いたい


 それが詠の気持ち。

 あ、と思ったらキヨの記憶が一気に入ってきて。


 歌っていた。


 気づけばキヨが会いたがっていた幹彦がそこに現れ、二人で手をとってまるで昇華されるかのごとく、消えていった。

 感謝の言葉を残して。


 ——なんだったんだろう、ほんと







 家に帰って、ひとり考える。独り暮らしの家に仏壇はないが、もういない祖母に対して手を合わせた。


 ——未練があったのは、私のほうなんだ







 研修旅行翌日から、仕事はある。疲れていても、二日酔いでも、なんでも。今年のスケジュールは日取りが悪かった。


「戸開さん、体調良くなった?」


 幹事が尋ねてきた。問題ないと答える。あの場を見られたのはこの人だけ。それには安心。もしもあの場にここの人たちがいたら、恥ずかしさと怖さと、心の痛みで出勤できなかったかもしれない。


 仕事はいつもどおりに終えて、残業もなく帰る。電車、徒歩、自動車と出勤手段は人それぞれだが、自動車で出勤している詠は敷地内から車を出した。

 中央線もない片側通行の道。すれ違いは問題なくできるが、大通りに出るまでは信号を二つ越えなければならない。


 夏のこの時期、まだ明るいが、だんだん暗くなってくる時間帯。あの神社の木漏れ日が消えて手が伸びてきた瞬間を思い出し、暑いのに背筋が寒くなった。薄暮時はたしか、色々と見えにくく、事故も起こりやすいと講習で聞いた覚えがある。


「君!」


 エアコンはつけずにおいた。開けている窓から、声がした。

 君とは誰のことかと思うが、聞いた、声。

 びくっと体が震え、ついブレーキを踏んだ。体が前に傾く。ちょうどあのときのことを思い出していたときに、なぜ。


 気のせいと思いたかった。が、一度止めてしまった車体の外から、あの声が、また聞こえる。


「君と、話したいんだ」


 顔なんて覚えていないが、声は記憶に刷り込まれてしまった。話したいことなど、こちらにはない。


 が、後ろから車がやってきて、クラクションを鳴らしてくる。帰宅ラッシュのこの時間。車が停まっていたら、反対車線からもずっと車がきて、追い越しができない。なるべく小さく発しているのだろうが、パン、とこちらが動くのをせかしてくる。


 早く発車させたい。でもこの男は、窓に手をかけている。窓を閉めても、車を出しても、なにをしても怪我をさせてしまう。仕方ない、


「早く乗ってください!」


 返事もなく、男は乗った。

 後ろの車にハザードランプでお詫びをして、車を走らせた。


「話したいってなんですか」


 不機嫌をあらわにしても、叱られることはない。この男が悪い。


「ってかなんで私の居所を知っているんですか!」


 ストーカーになった、とかも考えられなくもない。あの状況だったとはいえ、一度後ろから抱き着かれている。


「答えるし、話すから。だから安全運転お願い」


 男の上から目線にもの申したいところだが、もっともだ。無言で運転に集中する。

 だが、どこに行けばいいのかわからない。会ったのは二度目とはいえ、得体の知れない男を家に連れていくわけにはいかない。


「個室のあるファミレスとかって知らない?」


 ファミレスに個室があるなど、聞いたことがない。あったとしても仕切りだけだろう。でもファミレスなら、まわりは自分たちの話に夢中でこちらの話なんて聞くことはないだろう。


「聞かれたらまずい話でもあるんですか」


 もしかしたら怪しい商売でもしているのかもしれない。そう考えると、個室には入りたくなかった。


「巻き込む人間は少ないほうがいい」


 聞こえはいいが、それだと詠は巻き込んでいい人間に分類されていることになる。

 それでも一度あの怖い経験をしてしまったため、男の言うとおり、すべて個室のある食事処へ向かった。ただ、会計は男に任せることだけは約束させた。





 食事処とは言ったが、いくつか店舗がある和食チェーン店。ファミレスではないが、個室のため話しやすく、飲み物はセルフ、長居するにはちょうどいいと、昼間は奥様がたに、夜は飲み屋として人気な店だ。


 会計はお願いした。逃げられることも考えられるが、突然の登場に頭にきたから脳においしい栄養をと、肉も魚も楽しめる豪華なセットを注文する。男は安価なメニューだ。申し訳ないなんて一ミリも感じない。食べ終わったらデザートも追加する予定だ。


 お互い無言で食事が進む。もくもくと箸を口に運ぶだけの時間。おいしいはずなのに、おいしいと感じにくい。

 話があると言ってきたのは男のほうだ。しかしそれを始めないため、おいしさがあまり伝わらない。ちょうど半分以上のおかずがなくなってから、声をかけた。


「話ってなんですか」


 タイミングを見計らっていたのはわかる。でも遅すぎる。気持ちが悪いから、食事をおいしくいただくためにも早くしてほしい。男はすでに食べ終えていて、ちらちらと見てくる。


「一昨日のことです」

「それはわかってます」


 わざわざ会いに来た理由を知りたい。


「なぜ私の居場所がわかったんですか」

「神社からの帰りに、バスに会社名があって、ナンバーに県名書いてあるから」


 ストーカーみたい、ではなくストーカーだ。


「ここだと思って出てくるの待ってたら、車乗ったの見えて飛び出した」

「轢いてたらどうするんですか、私が悪くなるんです」

「ごめん」


 まぁいい、さっさと本題に入ってもらうことにする。ちょうど食べ終えた。


「一昨日起きたことは、現実です」


 男が話し始める。


 あれは現実だとわかってはいた。流れた涙の後、尻餅をついたときに擦れた手足の小さな傷。それでも信じたくない自分がいたが、この男が言う。現実だと。


 神社には神様が祀られている。未練は、そこに救いを求めて外からやってくる。外というのは、黄泉(よみ)のこと。


 死んだ人間には生身の体がない。だから神社に赴き手を合わせることもできない。

 そこで、生きている人間を求める。本来は神様に救いを求めてくるのに、そのために生きている人間を求めるのだ。


 神様に救いを求めるために必要な、生きた身体という器。故人は自分たちがいる場所に生きている人間という器を呼び寄せなければならない。黄泉に。


 黄泉に呼べば生が死に変わってしまい、結局は求めたものは手に入らないということも考えられないほどの大きな未練。


 一昨日、それに寄せられたのが、詠だった。たまたま、あそこにいた未練のなかで一番強く、共感できるのが詠だったのだ。


「人の心に寄り添えるから」


 同調できる。共感できる。共鳴できる。あっちの世界の故人にとって、これほど操りやすい生きる人間はいないという。あのとき、祖母に見えたのは、未練と同調した詠の記憶がそうさせていたからだった。


 たくさん伸びてきた手は、あれの他にある未練。大きな未練が、キヨの未練が昇華されたことで、一緒に消えていったという。


 あのテープから中に入れないのは、神社が特別な域であることと、テープという線が引かれていたから。こっち側とあっち側、という線引きは大切だそうだ。


「その説明のためにストーカーしたんですか?」


 ならこれでおしまいだ。ちょうどいいタイミング。デザートで頼んだパフェをお願いする。


「いや」


 男は違うと言った。


「付き合ってほしい」


 ——はぃぃ?!

 ——つ、つき?!


「これから、いくつかの神社で、君に未練を昇華してほしい」


 —— ……ああ、そういうね


「お断りします」


 即答する。なぜ、見知らぬ男にそんなことを頼まれなければならないのか。

 あんな怖い思いをもう一度しろと、なぜそんなことを言えるのかわからない。


 ちょうどパフェが運ばれてきて、苺がたくさん。怖い思いもこれで上書き。スプーンをさす。

 これを食べ終えたら帰ろう。嘘か真かはさておき、なぜあんなことが起きたかは理解できた。すっきりした。


「日本の未来にかかわるんだ!」


 ぼと、苺が落ちる。


「はい?」


 ——日本の未来? あまりにもスケールが大きくありませんか?


「日本には神社仏閣が十五万あると言われている」


 仏閣ということは、さっきの話に登場した神社というワードには寺も含まれるらしい。

 とにかくそこに、人の未練が集まる。それらが集まると、負のなにかが溜まりに溜まって、生きている人間にも影響を及ぼすという。


 いわくつきの場所に行くと、本当に悪いことが起きる、とか、危ないやつらと一緒にいると染まってしまう、とか、それらと似たかんじだそうだ。

 耳半分で、パフェを食べる手を止めることなく聞いてはいるが、男はいたって真剣な顔。


 そうすれば、いつか日本が、世界が、死んだ者の想いによって心を壊されてしまう、と。

 それを防ぐために、大きな未練を断ちに行く必要がある、と。


 一昨日みたいに、ひとつがきれいに昇華されれば、まわりの手が消えたように他の未練も消えるから、と。


 もし、万が一にもそれが本当だとして。


「それが本当だとして、なぜ私がやらねばならないのですか」


 たまたま居合わせて、たまたま同じ想いがあり、たまたま昇華とやらができただけなのに、なぜ自分をスカウトするのか。


「君が、詠み手だからだ」

「よみて?」

「祝詞とか、お経とかをあげる、それを故人に伝えられる人間なんだ」


 お経ならわかる。あれは故人のために唱える言葉だ。故人の未練を、お経ならきれいにできそうだ。でも、祝詞は神様に奏上する言葉ではないのか。


 スマートフォンで調べたところ、祝詞は負の力を祓い、神様との繋がりを持つとも言われているという。

 ということは、神様に救いを求めるあの未練の手の穢れを祓うか、代わりに神様との繋がりを持つこともできるのではないか。

 そんなことを思ってしまった。


「君の歌が、未練を、断つ力になる」


 ——私の、歌が


 たしかに、一昨日は歌った。キヨの気持ちが痛いほど伝わってきて。たまたま観た映画の劇中歌が、意味は違えど歌詞がぴったりはまったから。

 同じ想いをしている人がいた。どうか、この人が報われてほしいと祈った。勝手に歌が出てきた。


「信じられないと思う。でも、本当なんだ」


 体験してしまった詠とすると、未練というものが形になって現れるのは信じるしかない。だが、あれにより日本やら世界やらがどうなるかなんて、それは信じられない。


「信じられないよね。だから、一緒に、行ってほしいところがある」


 そこで、君は僕の言葉を信じられる。と。


 怪しい宗教の勧誘ではない。ただ、一緒に来て、と誘ってくるだけ。金をむしり取られるわけではないが、体を張って危ないことをしろと言われているのはよくわかる。

 どうすべきか。


 ——それなら、信じさせてみろよ


「今日は疲れた。明日にして」


 会計は任せ、別々で外に出る。送ってあげることもしない。するほど親切ではない。

 夏のねっとりとした風が、やけに気持ち悪い。あんな話を聞いてしまったからだろうか。


 ——おばあちゃん、私、どうすればいい?


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