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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
前にあった勇気

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29/31

1.

 トンネルに到着したのは、夕方だった。わざとその時間にしたのだ。

 話題になったのは小学校五年生だったという。生徒が放課後に肝試しに来るとしたら、きっとこの時間帯。同じ時間に、と考えた結果だった。


 幸い、トンネルの前に進入禁止の看板と柵はあるが、近くまで車で来られる位置だった。疲れてしまっても気合で車に戻ればいい。そのまま寝てしまっても、なんとかなるだろう。寒いだけだ。死にはしない。まだ。


 トンネルは、林のなかにあった。ネットで調べたとおりの見た目だが、だんだん枯れ始めた葉がはらはらと落ちている。写真で見たのは、青々と生い茂る林の木だった。きっとその頃だったのだろう、物好きが写真を撮りに来たのは。


 保安林なのか、トンネルなどの管理のためか、舗装されていないが細い道があり、車が通った轍が残っている。なら問題ないと、車を走らせて来た。


 トンネルの見た目は、たしかにただのトンネルだ。小さく、古い。

 そこそこ長いのか、向こう側まで見通せない。それとも、もとから出口はないのだろうか。岩が崩れたというのが新聞記事に載っていたくらいだ。


 入り口には、よく見る黄色いフェンスがあった。だが隙間を通れば簡単に入れてしまう。事故があったのにこれでいいのか、と心配になるくらいの管理だ。


 すでに誰か入っていそうで、押してずれた後が残っている。

 最近だろう、このあたりは最近雨が降ったらしく、足元はぬかるんでいる。スニーカーで来たことを恨みたくなるが、変更はできない。


 トンネルの前に立ってみると、夕焼けが自分の影を長くしていた。夕焼け色の周囲のなかに、詠の人間型の影が、トンネルに向かって伸びている。

 影だけが入ってくれればいいのに、と思ってしまう。


 進入禁止の理由は、崩れやすく危ないからであり、実際に子供が死んでいるのだ。入りたいとは正直思わない。


 神社仏閣に地蔵になんでも、そういったなにかがあれば、未練はそこにいる可能性が高い。

 トンネルになにもなければ、引き返せばいい。実際、トンネルの外にはなにもなかった。あるとすれば、岩くらいだ。

 だが、亡くなった子供を弔うなら、どこか。

 それはその場所だ。


 よく見かける、道端や交差点に置かれた花やお菓子に水。そういったことがあったから、そこにあり、人によっては弔いのなにかを置く。

 あるとしたら、中を探さなければならない。


 これは自分で決めたこと。


 思い出す。あの記事を読んで、家族も学校も公共も、なにをしているんだと怒りをおぼえていた詠。だがその後のゴシップ記事を読み、今度は悲しくなった。

 自分にも、そういう時期があったのだ。

 いじめられた、記憶。


 いじめというのは、いつ頃始まるのかわからない。だが、誰のことは好きで、誰のことが苦手、という意識はきっちりと芽生える。


 自分の立場を強くするためだったり、ストレスの発散だったり、いじめが始まる理由はたくさんあるのだろう。正直、理由なんてどうでもいいことだ。


 詠も小学生の頃、いじめられていた時期があった。

 真面目に過ごしていた。いい子にしていた。

 成績もよく、先生からはとても使い勝手のいい生徒だっただろう。


 クラスのなかで、なぜかヒエラルキーができ始める。偉そうだ、と嫉妬心からかなんなのか、いつからかクラスで格の高い生徒から暴言を吐かれ、ものを隠され壊され、無視されるようになった。

 特に気にしなかったわけではない。詠は友達がいなかった。みんなただのクラスメイトで、友達だったのかわからない。


 暴言を吐かれても気にせず流し、ものを隠されたり壊されたりしても直し、無視されてもそもそも会話をする相手がいないのだから気にしなかった。

 そのほうが、相手の苛立ちが強くなり、悔しさを与え、相手が下であることを思わせると、知っていたから。

 いつしか、これもやめるだろうと思っていた。


 もちろん、詠の行動は相手の癪に障った。

 もとから友達は本だった詠。先生もいじめられていることは知っていただろうが、相談すらせず表情にも出さない詠を、問題なしと判断したのだろう、対処はなかった。それがよかった。詠としては、そうしてほしかった。先生は、なにもしなければ動かない。


 相手の気持ちを考えるのは、得意だった。たくさん本を読んできたからだ、と詠は勝手に思っている。本は、人の人生の一部を第三者として見せてくれる。だからかもしれない。


 だがそれは、詠に相手の気持ちを感じさせる心をも強くした。


 いじめてきた相手が、詠にダメージを与えられていないことが悔しく、取り巻きの友達に当たり始めたのだ。

 先生は、詠に助けを求めた。それをすべきなのは先生だろうに、と思う一方、やりたくない、できない、という心がとって読めた。

 詠は引き受け、いじめの本人に言った。


 そんなに悔しいなら、わたしをいじめるの、やめたらいいんじゃない?


 なぜ相手がこんなにも当たってくるのか知っていた。その子の場合、問題は両親にあった。教育熱心で、完璧をその子に求めていた両親からのプレッシャーの発散を、学校で行っていたのだ。

 内弁慶ならぬ、外弁慶。


 誰かが一度、学校で起きたことを家まで直談判に行ったことがあると聞いた。本当かどうかは置いておくが、出た母親は、うちの子はそんなことはしない、と話をまったく聞いてくれなかったという。


 相手は爆発した。辛かったこと、悔しかったこと。

 心にあったダメージが膨れ上がり、行動は取り巻きにも及んでいたのに、詠はそれを逆なでする言葉を発してしまったのだ。


 やめれば、らくになる。

 悔しいと思うこともなくなるんだから。


 友達になろう、


 それが次に発しようと用意していた言葉だったのだが、最後まで言わせてくれなかった。


 相手は爆発し、泣き叫んで学校の備品も取り巻きの体も壊す勢いで、叩く蹴るを始めた。すぐに止めに入った詠だが、自分も怪我にあう。頼りにしてきた先生は、詠がうまくやらなかったことを勝手に残念がり、勝手に怒った。

 怪我をしてしまった以上、さすがに保護者に連絡がいき、その子は引っ越した。今、どうしているかわからない。

 詠の保護者にも連絡がいってしまって、大変辛い思いをした。


 そこではっきりと思った。

 今まで、いじめられている、と認識したことはなかった。

 ただのストレス発散材料にされていると思っていたから。

 だが、いじめだ、とはっきりわかった。


 自分がそう感じたら、それはいじめなのだ。

 相手にそんな思いがなくとも。

 社会人にとっては、ハラスメントと同じ。


 詠にとって最悪の事態が起きたところで、自分が相手からされていたことを、いじめだと認識したのだった。


 だからといって、死のうと思うほどのことはない。

 ニュースでは、いじめで自殺したという事実がある。

 見て見ぬふりをした先生も友人も学校も、気づかなかった家族も、悪いのは誰になるのだろうか。

 れっきとした殺人だと思うが、たったこれだけで終わってしまった、トンネルの事故は、どうなるのだろうか。


 ゴシップ記事を正しいものとして考え始めてしまった詠。今、気持ちはいじめられた小学生に向いている。


 自分もいじめを受けて、ひどいめに遭った。


 それだけで、同調できると思った。


 一歩、踏み出す。


 真っ暗は嫌いだ。トンネルに入り、夕日はもう消えかけて、十数歩も先へ進めば光はなくなってしまった。


 怖い。


 持ってきた懐中電灯を点けるも、全体は照らしてくれない。あの影は、トンネルの闇と一体化してしまえば見えない。しっかりと端から端まで見てまわる。崩れているところがあれば、そこが当たり。

 手でも泥でもなんでも、あればそれが未練で、昇ってもらわねばならない。


 崩れた岩を見つけた。


 ここだ、と思うと、背筋が冷える。誰かが亡くなった現場に自分は入り込んでいる。刑事ドラマのその場に自分は、現実でいるのだ。


 だが、岩の辺りを照らしても、なにも見えない。

 ということは、はずれか。それでいい。それがいい。

 残念、という気持ちもあるが、それがいいのだ。

 そう、それがいいのだ。


 友達に、なんて、考えたくもない。


 くるりと踵を返す。なにもないなら帰る。もとより肝試しがされるような場所だ。そのうえ、地震が起きたら崩れそうな岩。色々な意味で怖い。

 さあ、と足を動かそうにも、


 動かない。


 ——なぜ?


 足が、足が、沈んでいる。

 足首すら見えない。


 ——なんで?


 ずぶずぶ、と音などないはずの音が聞こえるように、身体が沈んでいく。トンネルの天井が、離れていく。

 これは、このままでいいのだろうか。

 いつもどおりに、このまま影に身を任せていれば、記憶が伝わってくるのだろうか。


 だが、思い出した。影の形は見えなかった。そもそも、このトンネルのなかが闇なのだ。もしかしたら、詠はすでに、影のなかに入っていたのではないか。そう考え始めた。


 だとすれば、日が当たらなくなった時点で、もう影に吸い込まれ、今なにも感じないということは、記憶も入ってこないということは、


 ——もう。私は


 すでに胸の辺りまで身体が沈んでいる。ないはずの沼に、はまっている。底なし沼に落ちていったら、先は地獄だ。そしてそれは、自業自得。


 でも、生きていたくて、詠はないはずの地面にすがっていた。もう首まで影にはまっている。今、両腕をなにに力を入れて掴んでいるのかもわからない。



 ——怖い、


 ——だれ、か、


 



 ——たすけて!!





「詠さん!!」



 大きな声がした。

 久々の、声。


 ——この、声、は。


「まこ、くん……?」

『彼女のいるべき場所へ!』


 ぐん、と身体の重力が逆になった。

 トンネルの、外に出ていた。


 ——いつのまに。なんで、

 ——なんで、まこくんが、


 でもわかった。

 あのとき、感じたのだ。

 怖い、助けて、と願ったあのとき、同じなにかと、出会ったのだ。


「今から、もう一度行ってくる」


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