4.
子供は父親の言葉の受け取り方を誤った。
あの男の言葉に惑わされ、行動を誤った。
せっかく立てたはずの戦略は、失敗に終わり、死を迎えた。
最後に残ったのは、怖い、その気持ちだけ。
恐怖は、自分を守るための感情だ。
その恐怖があったのなら、なぜ、考えなかった。
思い返すことを、忘れていたのだ。前を向くしかない、という誤った考えで。
弾けた竜が、大粒の硬い雨になって落ちてくる。すべて、落ちる先は、ぶつかる先は、詠の上。たくさんの方向から、狙うように擦り傷、切り傷を与えていく。
——もう終わってしまった。君の人生は
——だから、父さんと、母さんと、お兄さんたちと、会おうよ
——もう一度、幸せな日々を、暮らそうよ
——そのためには、こんなところに居座っていてはだめなんだよ
怖い、を繰り返し、
前を向く、を繰り返し、
最期には怖いことも真正面から受け止めてしまった。
どこも傷だらけ。
詠でなくても、今後誰かがもしここに来たら、同じことが繰り返されるだろう。
——そんなことはさせない
「私は、未練を断ち切るためにここにきたの!」
——あの人たちに会うためじゃない!
勝手に出てきた歌詞。この子だけでなく、自分とも投影された。
夏、怪物を対峙する青年。死ぬと時間が巻き戻り、もう一度、怪物との闘いを始める。
もうこの子には、同じ思いをさせない。私は戦う。そう決めたから!
戦う術はただひとつ、歌うこと。
共感した感情、共有した記憶から、未練に響く歌を、
——唱える!!
怖いと思ったそのときに、この子の声が聞こえた。
——怖いのは私だった
誰もいないという恐怖。それがあの子の、見えないことへの恐怖とかすった。
——誰かといるとあたたかいよね
——あなたにも私にも、もうここは独りぼっちの空間
——それなら一緒に出ていこう?
父さんは、嘘つきだ。
ぼくは、ちゃんと前を向いていた。
——違う、嘘つきじゃないよ
——あれは君を守りたい、お父さんからの、大切な、言葉だよ
——そうじゃないと、生きていけないと思ったんだ
——君は、……弱いから
弱くない。戦った。
勝つための方法を考えて、実行した。
ぼくの思い通りになった。
——なら、なんでここにいるの?
未練があるからここにいる。思い通りになったなら、ここにはいないはずだ。
——私は、自分に生きる価値を求めて、ここにいる
ぼくは。
ぼくは。
うまくいかなかったから、ここにいる。
結局、会えずに、
前も見えなくなって、
ぼくは、どこで間違ったの?
怖い、怖い、怖いよ、
とうさん、かあさん、おにいちゃぁん
『ごめんねぇ、まだ幼いおまえには、難しかったね』
『あなたったら』
『この時代だと、ポジティブっていうみたいだよ』
「父さん、母さん、にいちゃん!!」
『さすが息子、かっこよかったぞ。自分と戦ってきたんだね』
『よく耐えたわね』
「うん、うん」
『父さんたちはね、大雪の雪崩で、家ごと埋まってしまってね』
『お迎えいけなくて、ごめんね』
「迎え、きてくれるんだったの?」
『もちろんよ』
『あの人たちは人でなしなのは知っていたからね』
「じゃあなんであんなとこに出したんだよ! くちべらしって!」
『それは、合っている』
「!」
『おまえは勇敢だ。きっとどうにかして帰ってくると思った』
なんて勝手な想像だろう。子供を減らすなんて、今の時代で考えたくもない。
『そうだ、言い訳にしか聞こえないね。実際言い訳だ』
『ひとりにして、ごめん』
『これから、一緒に、過ごそう』
『神様がきっと、時間をくださる』
『前を向いてごらん』
白い竜の背が、天に向かって伸びている。
「わぁ、かっこいい」
『怖いかい?』
「ううん」
「父さんたちと一緒だから」
『あっちの世界はあたたかいぞ』
『死んだのに新しい生活が始められるなんて、おかしな話ねぇ』
『それをおれらが言うのも不思議だと思うよ』
兄はちら、と詠を見る。
「もう怖くない。苦しいことばっかりじゃなかった。ちゃんと、ぼくには家族がいたんだ。後ろ見て、思い出してよかったんだ、幸せな時間!」
「ごめんなさぁい、間違って、ごめんなさぁい」
『信じてくれて、ありがとう』
わぁぁと泣きながら、恐怖を喜びと悲しみで覆いつくして、消えていった。
白い竜の尾が、ぶんと空を薙いだ。強い風が吹く。それとも、叩かれたのかもしれない。背中がじんじん痛む。
「竜巻?」「なに今の風!」
人の声が聞こえる。無事にこっちの世界にいるようだ。身体が痛いのも、その証拠だろう。
「もしもしお客様、大丈夫ですか?」
声をかけられているのは詠だった。
「あ、はい、多分」
「服がびしょぬれです、すぐに病院へ」
いやいやいいです、と言いたいが言えない。
「見て、空に柱みたいなくも!」
それを聞いて、無事に帰ったんだと安心した詠は、そのままふつりと意識が途切れた。
目が覚めたら、今回は病院だった。着替えさせられているのは、濡れていたからだろう。病院服だ。電子時計があるのを見たら、もう月曜日になっている。時間は五時。
これなら問題なく仕事に行ける。
「ひとりでできた」
——危なかったけど
一時、あの子に連れて行かれるところだった。多分、同じような過去があるほど、そういうことが大きい。気を付けようと引き締めると、ナースコールを押した。
仕事に行かせろとごねた詠を、先生は押し負けて許した。普通に仕事に行き、普通に仕事ができた。半日ほど眠っていたからか、倒れた前よりは悪くない。仕事から普通に帰る……ことができなかったのは、病院にもう一度行くことが条件だったからだ。
話を聞いたところによると、神社で突然竜巻のような突風が吹き、詠が飛んだという。詠は自分が山林から飛ばされてきたとわかったが、見ていた参拝客には風のせいでこけたと思ったのだろう。ただ、全身が黒っぽく濡れていたことには驚いていた。
医者は意識を失った詠を診察したがなんともなく、ただ寝かせていただけだった。一日の入院費と、仕事に行くための交通費が痛い。あとは、駐車場に置いたままだった車を引き取りに戻るための費用も。
なぜ濡れていたのか聞かれたが、わからないと伝えた。本当のことを言っても、医者になるような理系で論理的な人間に、こんなオカルトじみた話が通じるとは思えない。
そもそもオカルトじみていない。本当の話なのだが。もし話せばきっと、危ない宗教に入っているとか、精神的な疾患と診断されるかのどちらかだ。後者になるとしたら、それは最終手段だと思っているからまだ使いたくない手。
医者は納得できない顔ではあったが、解放してくれた。
神社には駐車のお礼と騒がせてしまったお詫びをしにいった。次の休日になったため、それまでの出勤が公共交通手段になってしまったが、仕方ない。
医者と同じようなことを尋ねてくる宮司に、竜に食べられた後、尾に突き飛ばされた気分です、と伝えたら、笑われもせずにまじめに聞いてくれた。
雨の神様は、この神社だと竜だとされているのです、と嬉しそうだった。詠は、竜のイメージは雷だったため、竜として出会えた神様が雨でよかったと安心した。
「あの、山林のなかって、なにかあるんですか」
詠の問いに、宮司は、川もあると言った。そういう意味ではなかったのだが、宮司は続けた。
「水の神様もいらっしゃいます。ここから湧き出る水があるでしょう、山からの湧き水で、お清めに使います。水の神様の姿は蛇や蛙や魚、あとは竜とも言われます。この神社で祀る神様とも仲が良いかもしれませんね」
もしかしたら、あのあたりに水の神様の休憩所かなにかがあったのかもしれない。清めてくれる水なら、特に、求められるだろう。
詠はありがとうございました、と頭を下げた。
「お嬢さん、無茶はいけませんよ」
宮司さんの最後の言葉には、頭を下げるだけにした。返事はしない。無茶をしないと、任務は遂行できないから。




