1.
無事に仕事は進んでいる。朝は大音量のモーニングコールのおかげで起きることができた。一般的な第一声は、時間を考えると「おはよう」だと思うのだが、
『体調は?』
これだ。心配性にもほどがある。
詠は、眠気はあるがどうにか動けることを伝え、二連続の前に比べるとずいぶん体も軽いと伝えた。だんだん慣れてきているのかもしれない。
今日明日行けばまた休日。休日は土日だけでなく水曜も入れてくれれば、仕事もずっと楽になる気がする。前の日が休日、次の日休みが続くと思うと、そうしてほしい。
朝の電話のあと、次、昼に詠に連絡が届いた。
『また土曜にお邪魔していい?』
「もう次が決まったの?」
来ることに問題はない。前回と同じであれば昼ご飯を用意しておけばいい話だ。
『大切な話がある』
「わかった。時間は?」
時間は前回とは違って、午後三時。ということはおやつでも用意しておけばいいか、とどこのお菓子を買おうか考えていた。
土曜日、準備万端で待っていた。部屋もきれいにし、年頃の男性に見られて問題があるものはない。
テーブルには、お茶の用意とおやつに地図。地図は箪笥の引き出しに敷こうと思ってもらっておいた、電機屋で年末に無料配布している日本地図だ。思い出してクローゼットから引っ張り出した。数年前のものだが、陽に当たっていなかったため日焼けはなく、日本地図に変わりはほぼないから使える。真言も喜ぶかもしれない。
呼び鈴が鳴った。ちょうど午後十五時。ぴったりに来ることに律儀さと真面目さを感じる。
「どうぞ」
こちらからドアを開けると、お邪魔しますとあがる真言。手には箱を持っている。
「おやつに」
「あれ、私も用意しちゃった」
あはは、とここは笑うところだと思った。だが真言は笑わない。おかしいかおかしくないかは人の感性によるため、詠は特に追及しなかった。ありがとうと受け取って、冷蔵庫にしまう。
「お茶淹れるね」
「うん、ありがとう」
「疲れてる?」
「え?」
「なんかすごく思い込んだ顔してる」
「そう、かな。 ……うん、そうかも」
聞いたほうがいいのか、聞かないほうがいいのか、よくわからない。だからこそそれを尋ねる。
「聞いたほうがいい? 聞かないほうがいい?」
「聞いてください。それが本題なんで」
「あ、そうなの?」
どこか深刻そうで、詠はどんな反応をしていいか戸惑う。その間に、真言は前と同じ場所に座って、置いてある地図を見た。
「あ、これ」
「うん、地図。大きいけど、県名くらいはわかるし、わかったら細かいのにすればいいし」
真言がいつも使用しているのは細かいものだ。両方あると便利だと思う。喜んでもらえるかと思ったが、真言はまた黙ってしまった。
——なんかおかしい
詠は真言の様子を見て思った。とりあえず、その本題とやらを聞けばなにかわかるかもしれない。お茶だけ淹れておやつは後にしようと、用意してあった皿を下げる。マグカップがテーブルにことりと音をたてた。
「なんか、深刻そう? なかんじだから終わったらおやつにしよう」
そのほうがおいしく食べられる、という詠の気持ちの問題だ。
「うん、じゃ」
真言が口を開いた。
「詠さん、今後はもう、僕ひとりでやる」
突然の宣言に、詠は「はい?」と聞き返すこともできなかった。
「ちょ、ちょっと待って、順序踏んでくれる? なんで?」
「詠さんの命にかかわるかもしれないから」
「命?」
突然の宣言も大きかったが、次の宣言も大きかった。ついていけない。
「詠さん、いつも未練を断ったあと、眠くなるでしょ」
「うん……」
「あれはね、気力を消耗して、体が休息を求めてるんだ」
「そりゃ疲れて当然のことしてると思うよ。体力はまだしも、精神的にさ。私、そういう修行? みたいのしてないし」
「そういうことじゃなくて! 気力って言ったのが悪かった。ごめん」
「いや、謝られても困る」
「生命力」
「せいめい、りょく?」
「生きるための力だよ。寿命、みたいな」
「寿命……」
「あれをやるたびに、詠さんの魂は寿命を縮ませてるんだ」
「え?」
「だから、いつも眠くなる。少しでも休んで、生命力を保持して補いたいって、体と魂が訴えてるんだ」
スケールが大きすぎて、話の理解はできても、受け入れることが難しい。ただ、まっすぐに詠を見据えて話してくる真言の態度からして、目からして、嘘ではないとわかってしまう。
「僕は、僕のせいで、詠さんの寿命を縮ませたりさせたくない」
力がないと言っていた真言。そのせいで、未練を断つ手伝いができないと言っていた。そこでたまたま出会った詠を追いかけてまでして、自分の仕事をまっとうしている。
巻き込んだのは真言なのに、それを断りに来たのだ。
「だから」
「だからもなにもないでしょう」
なにを勝手なことを言えるのだろう。詠は怒りがわいていた。怒っていた。
自分から“巻き込む”と言っておきながら、自分から手伝ってほしいと願ってきたくせに、今度はやっぱりやらなくていい、とは。勝手すぎるのではないか。
「なんかいきなり大きい話になってるけどさぁ」
つい、声に怒気が含まれてしまう。
「いきなりなに? それを聞いて、なんとなく納得したよ。疲労感と眠気。とりあえずそれで少しは補えるんだったらさ、それでいいじゃん」
「よくな」
「私は!!」
「請け負ったことを途中で放り投げたりしたくない!!」
ばん、とテーブルを叩いてもいいところだ。だがここは冷静に、真言が納得してくれるまで話そうと決める。
「まこくんの力、足りないんでしょ? それで私にお願いしてきたんだよね? 私がいるから、今までの未練は断てたんでしょ? 引き下がったとして、これからどうすんの? 自分でできるの?」
冷静に、と心は思っていても、まくしたてる物言いになってしまう。ぐ、と真言が唇を締めた。
「どうにかできる方法を、考える」
「考えてたら遅いでしょう」
「でも、詠さんの命を削るわけには」
「でもじゃない。気持ちは嬉しいから受け取っておく。まこくんが自分でできないなら、また誰かを探すの? しないよね? 私の命を削りたくないって理由をくっつけるくらいなんだから、他の協力者、探したりしないでしょ? だとしたらもう方法なんてないじゃない」
「いるかもしれない」
「たしかにね、いるかもしれない。それを見つけるまでの時間と、その間に私が断つ未練、どっちを選ぶ? 期待を信じていても見つからなかったらどうするの? それこそまこくん死んだあとに未練になるよ」
「詠さんにお願いして、連れていかれたとしても未練になる」
「それってさ、自分が傷つきたくないだけじゃん」
真言が固まる。自分ではそう思っていなかったかもしれない。だがこの反応は、きっと図星なのだろう。今気づいたのかもしれない。心配してくれているのは本心。だが、それ以上に、自分が傷つくのを怖がっている。
「羅針盤があるから場所を探せる。それはまこくんのおかげ。それで私がいるから、未練を断ち切れる」
二人三脚でやっている、仕事だ。
「あんた日本を救うんでしょ? どっちが大事? 私ひとりで足りるならそれでいいんじゃないの?」
「そんなはずないでしょ!!」
「わっ」
いきなり出された大きな声。力強く掴まれた両肩。驚いて今度は詠が固まった。
「ご、ごめん」
すぐに姿勢を戻した真言だが、
「天秤になんか、かけられない」
気持ちは変わらなかった。思い出す、仕事帰りに会ったあの日。ずいぶんと強情で、決めたことは頑として通す意志の強さ。
「ねぇ」
失いつつあった冷静さが、さっきの驚きで戻ってきた。思ったより詠の声は低い。
「いつから、それ、知ってた…… わかったの?」
知っていたなら、もっと早く切り出したはずだ。
「三回目あたりに、おかしいなって思った」
三回目は、初めて探しながら車で出かけたときだ。
「次に、詠さん倒れるようにずっと眠ってて、あそこの日の二回目で」
自分の考えが正しいかもしれないと、確信に近づいた。
「それでこの間」
「ってことはさ、もっと早く言い出すことができたんだよね?」
真言は返事をしない。これは肯定と捉えられる。
「なのに言わなかった。まぁ、私が寝てたからかもしれないけど、今日みたいに来ることだって、あとは電話でもなんでもできた。それでも」
言い出したのは、今。
「私がいないと困るからって気持ちがあったわけだよね?」
詠個人の心配はしている。だが、真言のやるべき仕事もある。どっちが大切か、どうすべきか、わからない。
わかっていたら、すぐに話していたはずだ。
「羅針盤が、動きにくくなった」
いきなり話題が変わる。意味があるのか、それとも話題を変えて本題を切り替えるためか。
「でもこの間、詠さんが僕に手を触れたら、動いたんだ」
「そういえば」
なかなか動かない羅針盤に、触れた。そして動いたのを覚えている。
「羅針盤に与えられる力も、弱まってるんだ」
真言は膝の上で両拳を握っている。下を向いて、きっと歯を食いしばっている。
「僕にできることがなくなっている。もう、詠さんに頼ることしかできない。すべてを詠さんに背負わせることになるんだ」
——すべて、私にかかっている




