1.
二回連続の任務のあと、翌朝無事に仕事に行った。
頭の回転は普段から早くない。だが今日は普段に増して遅くなっている。昼休みになりいつもの仕事量が終わっていないことで、それに気づいた。
そして思い出す。真言に朝に連絡しろと言われていたことを。
すぐにスマートフォンを見る。たくさんのメッセージと電話の履歴があった。これはまずいとこちらから電話をかけた。
「もしも」
『生きてますか?!』
最初の一言がこれとは、毒気を抜かれてつい笑う。一般的には、大丈夫か、や、体調はいかがですか、だと思う。最初のときもそんなかんじだったはずだ。
『なんで笑ってるの? すごく心配したのに!』
「ごめん、連絡忘れちゃって」
『忘れるほど疲れてるってこと?』
「ああ、はは」
まだ疲れているのはたしかで、電話の向こうの焦りようと声から、心配してくれているのはよく伝わってきた。
「ごめんなさい。あと、ありがとね」
『次があったら会社まで乗り込むから』
「かんべんして」
乗り込まれたら、誰かは恋人と勘違いするかもしれないし、研修旅行の幹事の人が真言の顔を思い出して不審者扱いしてしまうかもしれない。どちらもよろしくない。
次はあってはならないと胸に刻む。真言ならやりかねない。会社をつきとめて車に乗り込むくらいなのだ。へんなところで行動力がある。
『これでまともにできる』
講義が忙しい日だったのだろうか。単位はほぼとれていると聞いている。それでもまだ少しは残っているのだろう。講義内容が頭に入らないほどだったとしたら、罪悪感は大きい。学生の時間というのは大切だ。縛りが少ない、自由な時間。
なににも縛られない時間は、そう長くない。
「もう心配ないから、そっちも精一杯やってね」
『うん、わかってる』
「次は水曜?」
『その予定。あ、やべ、切る』
ぶち、とすぐに切れたのはきっと、大学の先生か友人に見つかったからだろうと推測する。それとも講義中だったのだろうか。この時間は大学も昼休みではないのかと不思議に思ったが、それよりも休みたいという詠自身の気持ちが勝り、野菜ジュースと栄養摂取のための固形物を口にして椅子に座ったまま目を閉じた。
仕事の進みはだいぶ遅かったが、残業するまでには至らず、定時で帰宅。
先にお風呂をすませて冷凍食品のうどんをつゆに入れた。ただ卵を落とすだけ。普段ならとろみをつけて生姜を入れて、野菜不足を少しでも補うためになにかしら追加するが、そこまでする元気がなかった。自分で作っただけ偉いと思う。
冷凍パスタやピラフ、チャーハン、牛丼の具などと、インスタント麺など簡単に食べられるものは常駐しているが、それらはきっと脂っこさと重みで胃が受け付けないと、体が判断したのだろう。
普段よりずっと早く寝付き、夜に着信があったことにも気づかなかった。
翌朝、起きたら着信あり。
昨日とは違って一回だけ。
マナーモードにするのを忘れていたのに、音にも気づかず眠りこけていたとは。
真言には申し訳ないが、「夜にこちらからする」、「今日も仕事行ってくる」、「元気」、と送っておいた。これで昼休みに驚いて電話をすることもないだろう。
このようなやりとりをするのが家族でない人間であることが不思議だ。
今日は水曜日。昨日遅くなってしまった分の仕事もだいたい終わらせて、定時から三十分以内には車を出す。真言は水曜、空きだと話していた。いつ電話してもいいだろう、と詠は今夜、先に夕飯を食べることにする。
作ってる、と久々に思うのは、金曜の夜からずっと、ほぼ買ったものだったからだ。今日こそごはんと味噌汁に主菜。これから電話をすることと、まだ本調子に戻っていないこともあり、アルコール代わりのノンアルコールドリンクは遠慮することにする。
グリルが勝手に魚を焼いてくれている間、スピーカーで電話をかけた。
「もしもし、こんばんは。今電話いい?」
『うん』
出てくれて助かった。
『なんか音してる? 電波悪い?』
「ああ、今料理中」
『料理するんだ』
「私をなんだと思ってる。最近出来合いのごはんばっかりだったから」
『ごめん』
謝らせたかったわけではない。
「謝らないで。ああいうのはあれでおいしいからいいの。で、昨日の電話は次のことでしょ、教えてくれる?」
『なるべく直接話したいんだけど』
「じゃ、いつものお店行く?」
しばらく沈黙が続いた。どうしたのかわからずに、返事を待つ。電話の悪いところは、直接話せないところだ。表情が見えない。真言が直接会って話したいと言うのもよくわかる。
『よければ、そっちのお宅に行きたい』
「え? うち?」
女性の家にあがることをお願いする、そのことを口淀んでいたらしい。
そういうことなら問題ない。真言のことは信頼している。ただの協力関係だ。気にしてくれるのは嬉しいことだし常識人だと思う。
「どうぞどうぞ。もううち知ってるもんね、おいで」
『え、いいの?』
警戒心が含められた言い方だ。たしかに男も女も関係ないと思い直す。
「私もなんもしないから安心して。時間によっては簡単なごはんくらい出すよ」
いつもごちそうしてもらっていて、少しは申し訳なさを覚えていた詠。ちょうどいい機会と思った。上手に分類されるかはわからないが、家庭料理の範囲内ならとりあえず適当に作ればいい。見た目さえきれいにしておけば、なんとかなるだろう。
『それは、まぁ、助かる、んだけど』
真言は大学生。いくら時間に余裕があるとはいえ、外食ばかりではお金がかかるし舌も飽きる。人の作ったごはんもおいしいし、そういった意味で真言にも助かる提案だった。
「じゃ、いつ来る? できれば土日がいいんだけど」
『じゃ、土曜日に』
「じゃ、お昼ごはんの時間に来なよ。朝は家事しててばたばたしてるかもだし、夜はそれこそまこくんが気にするでしょ」
『うん』
「だいたいの時間、前の日までに教えといて。ごはんの用意合わせるから」
『わかった』
といったかんじで電話は終わった。長すぎない会話で魚が焼けたタイミングはちょうどよく、久々の食事がおいしく思った詠だ。
それからは問題なく仕事を進めた詠。訪れた土曜日はすぐだった。決して待っていたわけではないのだが、なにか予定があると、時間というのは早く進むらしい。一般的には逆だろう。心に余裕があるときは、ゆっくりと時間が過ぎていく。ということは、予定の有無にかかわらず、余裕が少なかったのだと思い直す。
お昼に何を食べようと考えた。特別ななにかを作る予定はない。じゃがいもを見つけ、冷凍庫にベーコンがあるのを思い出し、コンソメ炒めを思いつく。あとはトマトでも切っておこう。
十一時過ぎには着く、という連絡を受けていた。十時半から動きだす。
じゃがいもを短冊切りにして茹でている間、ベーコンを約一センチで切って炒める。茹で上がったじゃがいもを投入、塩コショウとコンソメをかけて炒めたら、最後に溶き卵を回しかけ、火が通ったらおしまい。簡単料理だ。あれば長ネギも入れたかった。
男子学生にこれでは足りないか心配になったが時すでに遅し。家のチャイムが鳴った。出迎える。
「どうぞ」
「お邪魔します」
こういうときだけ敬語だ。
「手洗いうがいはそこに洗面所あるから、そしたらテーブルの近くに座って待ってて」
「うん」
どこか母親になった気分で詠は案内した。うがいの済んだ真言は、言ったとおりにテーブルの隣に座った。丸いローテーブルの近くには小さな背もたれがあるが、気が引けるのかそこには座らない。座布団の上に正座している。
「ごはん、どのくらい食べるかわかんないから自分でよそってもらっていい?」
「うん」
立ち上がった真言に茶碗としゃもじを渡す。やはり母親になった気分だ。
「なんかいいにおい」
「そりゃ、炊き立てごはんと作りたてのおかずがあるからね」
足りなければ、ごはんと冷蔵庫にあるなにかしらの食材を食べてもらえばいい。
考えなしの詠は、じゃがいも炒めをまるごと大皿に入れた。取皿を用意したほうが好きな量を食べられるだろう。
テーブルには大きなお皿にじゃがいもの炒め物がどっさりと山になっている。気合が入ったのではなく、どれだけ食べるかわからなかっただけだ。あとはトマトを切っただけ。
「どうぞ、遠慮なく食べてね、お口に合えばだけど。あとはすごく簡素でごめん」
「いただきます」
手を合わせた真言は一口食べると、箸はどんどん進んだ。
がつがつとまではいかないが、少なくとも口に合わないわけではなさそうで、安心する。詠も食べた。
「おいしかったです」
「それはよかったです、お粗末様でした」
食べ終わってからではなく、食べている途中にでも言ってくれればいいのに。安心したかった。
「足りた? まだごはんと、なにかしらおかずはあるよ」
「腹いっぱい」
「よかった」
「片付ける」
「いいよ、シンクに置いておけばいいから。本題に入ろ」
「なにかしら動かないと眠くなりそう」
食べると眠くなるのは人の性なのだろうか。たしかに内容は大切なこと。脳に動いてもらわないといけないため、洗い物と片付けを一緒に行う。もしかしたら、ごちそうになったお礼なのかもしれないと詠は思った。
すべて終わってから、お茶を淹れる。なんとなく真言は緑茶のほうが好きそうだったが、今あるのはティーパックの紅茶だけだ。それで我慢してもらおうと用意し、テーブルの端に置く。
「じゃ、本題ね」
「うん」
真言はテーブルに地図を広げる。すでに方面はダウジングのようなあれで定まっているかと思ったが、そうではないらしい。
『僕らの行くべき場所を示せ』
ぽぉ、と仄かな光を放った羅針盤。揺れるが、どこかにぴたりと止まることがない。
「ちょっと手の位置変えてみる?」
詠が真言の手を自分のほうへ引いた。
と、羅針盤が一か所に止まる。重力に逆らって、斜めに鎖が伸びている。
「あ」
「ここだね」
ひとつ隣の県。平日でも行ける距離だ。
「日程はいつにする?」
「再来週の水曜でいい?」
「再来週? 隔週でってことじゃなかったっけ?」
「そうだけど、ほら、けっこう疲れるみたいだし。前回二か所行ったし」
「そう」
詠としてはどこか納得しがたい返事だった。必ず隔週でなければならない、という理由などない。だが、真言の話し方がいつもと違う。きっぱりとした話し方が多い真言が、歯切れの悪い話し方をしている。
「この間のこと、気にしてるかんじ?」
「まぁ、うん、そんなところ」
真言がお茶を口に含む。まるでもう話さない、とでも言っているかのようで、詠としては気持ちよくない。だが無理に話させるのは、あのお地蔵様にたかっていた手を思い出してしまい、よくないと思い直す。
あまり思い出させるのも気が引けて、詠はそのまま細かな予定を話し出した。
出発時間、待ち合わせ場所。
そのあたりにある神社仏閣を調べておくこと。マップにも出てこないような小さなお社もある。
健の件で、神社や寺だけが対象ではないこともわかった。調べた場所でうまくいかない場合は、羅針盤を頼りに地蔵や道祖神を探していくということに決まる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。面倒じゃなければ、またうちで相談しよ」
詠としても、もし会社の人に見つかった場合を考えると気持ち悪い。
「じゃ、また」
「気を付けて~」
送り出しながら言うと、ほんの少し振り返った真言が渋い顔をしていた。
真言は、話そうとしていたことを話せなかったと後悔している。次の期間までには時間がある。その間の夜や土日にまたお邪魔して話せばいい。最悪、電話でもいい。
が、時間を取るのも気を遣わせるのも嫌だ、と言い訳をつけていた。
では次の目的地までに行く間に話せばいい。だがそれも難しいと思う。詠は車で寝てもらいたい。多分帰りも寝ているし、話す時間は少ない。
真面目な会話をしたいのだ。
だから、向かい合って話したい。
色々と言い訳をつけて、真言は帰宅した。
気を付けて、と送り出してくれた詠に、会釈も笑顔も返せないほどに情けなさが心を占めていた。




