6.
——言葉になんて、する必要あるのかな?
——法子は、あなたが生きているだけで、天国で喜んでるよ
——昨夜会った彼女は、あなたのことを恨んでいなかった
——幸せなことを、覚えてた
——名前をつけられないこととか、言葉にならない心のなかみとか、色々ある
——法子はあなたに会えたことで、幸せだったよ
——あなたの、健さんの、今の気持ちが、正解だと私は思うよ
いつのまにか歌っていた。けっこう古い曲だと思う。泣けるやつってアプリの紹介で出てたけど、私には失恋の曲に聴こえた。どうなんだろう、違うかな? それこそ、作詞作曲をした本人に聞かないとわかんないし、答えてくれるかもわかんないよね。
あなたの受け取り方でいいですよ、とかもありえるね。
——たぶんね、法子は覚えててくれるだけで、幸せだと思います
——なんも知らない私がそんなことを言ったって、あなたに響かないだろうけど、それが私の感想
もし会えたら。
現在死亡ではなく失踪となっている、もうこの世にいないと思っていたけど、生きていて、法子に会えたら、どうしよう。
かける言葉が見つからない。
なんと言ってほしいかってことを考えてる時点で、あんた今の重みから救われたいって甘えてるんじゃない? って私は一度健をはたいてやりたい気分だけどね。
——あなたはお医者様でしょう?
——あんなことがあっても、今も続けているのでしょう?
——自分自身を診て、診断しなさい。正解は、あなたの心にあるんだから
「かけたい言葉っていうか、聞きたいことなら、あるんだよね」
——あれ、これは法子の声だ
「この子の名前、どうする? って」
声が聞こえただけなのに、法子が釣り目をきゅっと持ち上げて笑った気がした。
手は、なにを言えばいいかわからない、というよりも、正解がわからずに口を詰まらせるお兄さんの心を表していたのだろう。
——だって、言葉なんていらないとき、あるでしょ?
太い手が離れる。合掌のように両手を合わせると、さぁ、と消えていった。
「健さん、どうしたの? なんかいいことあった?」
妻に問われた。いい顔してると追加されるほどだ。
なんだろう、なんか少し、すっきりした気がするのは、なぜだろう。
「わからないなら、自分で自分の診断でもしてくださいな!」
うん。そうするよ。
後悔が薄まることはない。きっと中絶させられたあの子は、あのお地蔵様に救われたのだと思うことにした。
かけるべき言葉とかは、旅行で行ったどの神様も仏様も教えてくれなかったけど、自分で考えろって言われたと思うことにした。
そもそも、“かけるべき”なんて言葉、ないんだ。きっとそのとき、自然と出てくる。
今は、目の前の子供を、思い切り愛そうと心に決める。
「帰ってきてくれ」
生きていないと思っていた。でも今、法子は生きていると信じよう。幸せに、どこかで、生きていると信じる。
会えたら。殴られても、泣かれてもいいから。もし、会えたなら、願いが叶ったと、喜ぼう。
法子、ごめんよ、僕は自分勝手な人間だ。今、結婚して子供も授かって、幸せに生きているけれど。君の家と言えるかはわからないけど、僕は迎えるよ。
「おかえり」
伝えたい。
「よか、った……」
くたくたと膝からずり落ちた。アスファルトが熱い。
「あの赤ちゃん」
どちらだとしても、いい。法子が幸せで、赤ちゃんも幸せなのだから。
それに母親が子供を間違えるはずながい。たとえ見た目が同じでも、向こうの世界では魂として在る。血のつながった魂が、お互い引きあうと思う。健のところまで、法子が来たくらいだ。
「見たでしょ? 笑ってたもんね」
これで詠の未練もなくなった。ふぅ、と息をついたらとたんに視界が暗くなった。
——あ、……れ?
体幹がなくなったように、ぐにゃりと横なのか後ろなのか前なのか、倒れるかんじがした。
「詠さん!」
ほんのり見えた景色が途中で止まる。多分、真言が支えてくれたのだろう。昨夜の疲れと暑さといろいろで、気が抜けたらしい。
また起き上がって自転車を走らせて、家まで帰らねばならない。せっかく来たのだから、少しは観光もしたい。
だが、それは叶わなかった。
大丈夫? と近づいてくれる人がいる。
熱中症かしら、と心配して見ている人がいる。
なんか歌ってたけど、お祈りでもしてたんかな、と不審または好奇の目で見ている人がいる。
お礼参りに来まして。感謝を伝えたかったのかもしれないです。でも暑さで疲れた、のような、最初に考えていたものではない言い訳をし、親切な人にレンタルした自転車を預けタクシーを呼んだ。自転車は一日分の対価を払ってある。戻してくれれば好きに使ってもらってかまわない、と。
さすが観光地、ちょっと外れた場所でも、早くに到着した。詠を抱き上げて乗せる。ずっと一緒にいたからか、本当に連れの人間かどうか、聞いてくる人がいなかったことに安心する。
だが詠のことについてはまったく安心できない。熱があるわけではない。身体から感じる熱は、暑さのなか日傘もささずにあの場にいたからだ。
真言にとって、地蔵の口を塞ぐ手を掴んでからの時間はほんの数秒。だが詠の感覚はもっと長い。浦島太郎の逆バージョン。
どれだけ疲れただろうか。実際に彼または彼女の記憶を見て、歌って、未練を断ち見送った詠への精神的な疲労は真言にはわからない。
タクシーで向かった先は、あの民泊。空いていればもう一度泊めてもらおうと思った。移動するタクシーのなかで連絡をすると、不幸なことに空いていないという。他にどこか知っている場所がないか尋ねたところ、事情を尋ねられた。話したら家に泊めてくれるという。ここはお言葉に甘えるしかない。
「早う入って」
お礼を言いながらすぐに飛び込んだ。部屋を案内され敷いてある布団に寝かせる。熱中症と説明したが、信じてくれただろうか。
とにかく真言は、目が覚めるまで待っていることしかできない。
今朝、決めたことがある。まだ、詠に話していないことを、きちんと伝える、と。もしかしたらもう、付き合ってくれなくなる可能性があるほど、重大なことだ。
これが終わったら、と思っていたが、詠が元気になってからにしようと変更を決めた。今話しても、うまく通じるかわからない。詠を不安にさせるだけかもしれない。
「はやく、起きて」
畳の部屋に敷かれた布団の上でただ眠る詠。その隣で正座してただ待つことしかできない自分を悔しく思った。
「あれぇ」
間の抜けた声がしたのは、もう真っ暗になった時間。終電などとっくに過ぎている。
「起きた?」
「んん? うん」
ちょっと頭と体重いけど、と言いながら起き上がろうとする詠を支える。
「お水飲んで、できれば少し食べて、また寝て」
「寝る? 帰らないと」
記憶ははっきりしているらしい。時計を見せる。
「え?! うそ! 新幹線は?!」
「明日に変更」
「そんなに寝てたの?」
声に気づいた民泊のオーナーが、おかゆをくれた。ありがとうございます、と遠慮せずに受け取る。この好意には、お金でしかできないが、きちんと応える。
「半日以上寝てたんだよ」
「そんなに」
「疲れたんだよ。昨日のこともあるし」
「なんてこった。で、ここは?」
「民泊のオーナーさんの家」
「え!」
早く出ようと言い張る詠に、オーナーが泊っていくよう言いつけた。頼もしい人だ。
風呂は禁止され、トイレに行って着替えたらすぐに寝るよう追加で言いつけられた詠は、お世話になったこともありオーナーに反抗できず、そのとおりに動いた。
「少しくらい観光しようと思ったのにぃ」
「観光のためだけにくればいいじゃん」
「うう」
悔しそうにしていたが、詠は横になるとすぐに眠ってしまった。
真言も寝るよう言いつけられ、カップルと思い込まれたこともあり、隣に敷かれた布団で寝たのだった。
「お静かにおかえりやす」
気ぃつけて、と見送られるとき、詠に見られぬようこっそりとお札を渡す。が、返されてしまった。また観光に来るのだから、そのとき観光地で使いなさい、と。
「うへぇ、人いっぱい」
「このなかで観光したくないでしょ、さすがに今は」
「うん」
即答。それだけまだ身体にも心にも力が足りていないのだ。駅の構内でいくつか有名お菓子を買うだけに済ませ、新幹線に乗ってから、駅弁を食べずにまた詠は眠りに落ちた。
回復には睡眠が必要だと、確信する。
「起きて、そろそろ到着」
「ううん……」
瞼を重そうに開けた。閉じさせたらすぐに眠ってしまいそうで、とにかく動かせる。弁当、少ない土産。軽い荷物。
こんな状態で大切な話をすることはできない。話をするのは次の機会にしようと予定を変更したのは正解だ。
詠が寝てしまわないように、話しかける。
「なんであのときはあの歌だったん?」
「ああ、私からもなんて言うべきか、わからなくって……。健さんもそれがわかんなかったみたいだし…… そしたらあれが浮かんだ」
「タイトルだもんね」
「うん」
「けっこう古い曲じゃない? よく知ってたね」
「いい曲はずっと残るもんでしょ」
「ごめん」
「なにが?」
「僕の理解が間違ってたから」
「あれ見たらさ、普通、口塞いでるみたいに思うって。お地蔵様、石だからね、どうにもできなかったんでしょ、束になっても」
「がんばってたわけか」
「多分。でもね、最後、お地蔵様笑ってたみたいに思うよ」
「お地蔵様が?」
「笠地蔵じゃないけどさ、お礼に来てくれるかもよ?」
「来てくれるとしたら詠さんのとこでしょ」
「まこくんがいなきゃ、あそこ見つけられなかったでしょ」
「あ、あぁ、うん…… ありがと」
「うんうん、思ったことはちゃんと言葉にできるほうがいいね。嘘言ってもしかたないんだから、相手が求める正解じゃなくて自分の正解答えないと」
それがたとえ、相手にとって不正解だったとしても。
「帰ろ~、今回は二連ちゃんで疲れたぁ」
「次までの間隔、長めにとるね」
のびをして、新幹線を下りると、知った空気が入ってくる。詠はまだすっきりしない頭でよぼよぼと歩く。
二回目の今日のほうは、重たいかんじもしなかったが、それでも精神的な疲労は出るらしいと自覚した。
「送るからね」
「いや、大丈夫」
「それじゃ心配」
隈のある目元に血の気のない顔。重たいなにかが乗っかっているのがわかる。明日から詠は仕事。無事に帰れるかも心配になる。
引っ張ってタクシーに乗せた。家を知られたくないと言っていたが、もう拒まなかった。思ったより真言の家からは遠かったが、大学へ行く途中の駅で降りれば直接話ができる。
直接のほうが、真言としては色々な意味で嬉しい。すぐにスケジュール調整ができるし、メッセージのやりとりを待つより時間が早い。
女性の家に上がるのがよいのか悪いのかわからないが、なにかをするつもりなどさらさらない。言いだしにくいが、言葉にして伝えようと思った。
「明日、無事に仕事に行けたか、できれば朝、職場着いたら連絡して」
「お父さんみたい」
詠の父親はこんなかんじなのかと想像したが、なぜかあまり嬉しく思わなかった。
「大丈夫、無断欠勤とかできないし、任務のためにも有給は残しておきたいから」
詠が部屋に入ったのを見届けて、鍵が閉まるのを確認した後、真言も家に帰る。
次こそ。きちんと。話さなければ。




