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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
がんばって帰った

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15/29

4.

 民泊に戻ってきた頃には、観光客がどんどん動き出している時間だった。途中、朝ごはんを買っていたこともあり、想定していた時間には間に合わなかった。


 特に声をかけずに鍵を開けて入る。ただいまもどりました、と言いかけて、すぐの部屋に誰もいないことに気づいた。


 ——まだ、起きてない?


 シャワーを浴びている可能性も考えられなくはなかった。昨日シャワーを浴びたのは傷の手当のためで、清めるためではない。すぐに就寝した。だが水の音がしない。


 こっそり隣部屋への襖を開けてみると、まだ布団に横になった人の姿があった。エアコンは効いているため、この暑さでも快適に寝ていられるが、あまりに遅くはないか。

 毎日の睡眠時間が何時間かは知らない。でも体内時計が一度は目を覚まさせるはず。時間を見れば、詠なら起きると思っていた。


 襖を大きく開け、障子と日よけを開け放つ。これだけ光と音が入れば、目が覚めるのではないか。


 目が、覚めない。動かない。


 怖くなった真言は詠の顔にそっと触れてみた。生きている人間の温かさがある。布団から出ていた手にも触れてみる。脈はきちんと、正常に打たれていた。


 生きている。


 なぜ、こんな当然のことに安心しているのだろう。

 目が覚めないだけで、なぜこんなに怯えているのだろう。


 高くなった陽が照らす詠の顔は、ほんのりと曇っているように見える。疲れが溜まっている。隈もある。これは、今日は、やめよう。真言は決めた。


「詠さん、」







 ずしんと体が重い。頭に霧がかかったようにはっきりしない。まだ布団でごろごろしていたい。


「詠さん、」


 それでも、呼んでくる声がある。


「朝です」


 そんなことはわかっていた。これだけ明るければ……


 ——あっ


「仕事! 寝坊?!」


 勢いよく体を起こした反動か、眩暈がしてバランスが崩れた。たとえぶつかるのが布団でも痛みはあるはずだが、なにかに支えられて防がれた。


「今日は休日、土曜。任務に来たんだよ」

「あ…… そか」


 そのまままた、横にされた。なにも話さなければ、また眠りの沼に沈んできそうだ。


「あ、ごめ、早朝から動くんだったよね」

「場所は見つけた」

「ひとりで? ごめんね、寝坊して」

「今すぐ帰ろう」

「え?」


 場所を見つけたならすぐに向かい、終わらせて、ほんの少し観光して帰ればいい。だが真言は帰ると言う。


「なんで、行こ、せっかく来たんだよ」

「そんな体調だよ。場所が見つかったなら、また来ればいい」

「お金も時間ももったいないよ」

「詠さんの体のほうが大切」


 きっぱり言い切る真言。真剣さが伝わってくる。心配も含んでいる。これは嬉しいことだ。

だが、


「見つけたなら行こう」


 これは曲げない、詠の意思。未練があるなら、早く断たなければ、苦しむ魂がいるのだから。


「帰るなら一人で帰って。私は行く」

「でもそんな体で」

「嫌なの!!」


 大きな声が出ていた。


「あんな気持ちで終わらせたくないの! せめてここで、他のことでも、きれいにさっぱり、終わらせて、すっきり帰りたいの!」

「ごめん、僕が余計なことを」

「言ったね!」


 真言がびくりと震えた。触れていた手から真言の手が離れる。


「ものすごく、心が重くなった。私自身に未練ができた。断つことができない未練!」


 真言は無言で、俯いている。


「だからね! 行くの! 次のをきっちり終わらせて、プラマイゼロで終わらせるの! いい? だから早く場所教えろ一人で行ってくるから! そんであんたは帰って! あんたなんていなくてもなんとかなったって報告待ってて!」


 首根っこを掴む勢いは強かった。自分に言い聞かせているものだと二人でわかる。


「僕がいなければなんともできない」

「なに?」


 思い切り不快感をぶつける詠。顔色は悪いままだが、言葉と威勢だけは強いままだ。


「僕が教えないと、詠さんはそこまでたどり着けない」


 今度は詠が口を噤む番だった。


「だから僕も行く。連れていく。詠さんが危ない時は助ける」


 約束だから。


「わかった。すぐに準備し」


 ぐぅぅぅ、


 詠のお腹が鳴る。かぁぁ、と顔が赤くなった。顔色が良くなった。別の意味で。


「有名店のお弁当、買ってきた」


 真言が視線を向ける先には、ほんのり湯気が立ち上るビニール袋があった。

 一緒に食べる。和食で、朝から胃にやさしいおかず。やわらかめのお米。元気を取り込んでいる気分だった。真言はほんの少しではあるが、詠の顔色がよくなったと思った。

 だが安堵してはいられない。もう一件、やるべきことがあるのだ。



 さぁ出発。

 民泊先にお礼を伝え、バスで移動、下りたら自転車をレンタルしてまたがった。漕ぎながら会話をする。見つけた地蔵のことだ。


「というかんじで」


 真言自身の勝手な想像だが、どうに見えたかは伝えておこうと話した。話しながら、後ろについてくる詠の様子も確認する。昨夜のように自転車をこげないほどではないようで、会話をしながら進んでいける。


「お地蔵様にも未練がたかってるなんて」

「そもそもお地蔵様は神仏だから」

「え、神なの仏なのどっちなの」

「菩薩であって仏とも言われるし」

「だからどっち?」

「神仏習合ってやつ。神様と仏様が合体した、みたいな」

「んんん、ま、どっちでもいいけどお地蔵様もそういう類ってわけか」

「なんか罰が当たりそうな言い方」


 だが詠の言うように“そういう類”だからこそ、未練がまとわりついていることになる。


「口塞がれたら、お地蔵様も苦しいよね。未練もそうだけど、お地蔵様にもお勤め果たしてもらえるようになってもらわなきゃ」

「そうだからきっと、詠さんなんだな」

「なに? 聞こえない!」

「なんでもない」


 今回は真っ昼間で、人が多い休日になにかをすることになる。観光地だからこそ、なにかがあったとしてSNSにアップする人間もいるだろう。

 そういうときの言い訳を考えておいた。昔、旅行のときにこのお地蔵様にいたずらをして、罰があたったことがあると。だから探しに来て見つけて。涙はごめんなさいの意。


 詠に不名誉な気がしたが、それで本人はよしとした。ただ、真言が付け加えた涙の件に詠は文句をつけた。泣いてるのはいつもではない、と。

 たしかにいつも泣いているわけではないが、今回は昨夜のこともあり、きっと泣いてしまう。真言はそう思ったのだ。


 歌って聞いていた人がいたなら、あのとき気に入ってた曲だよね、となだめるふりをして真言がフォローする流れになっている。


 実際に近くなってきて、遠くにお地蔵様が見えてきた。有名観光場所のなかでも有名な場所から少し離れているからか、そこまで多くはないが、人の足は途切れない。

 なにか起きてしまって見てしまったとしても、この人たちが見て見ぬふりをしてくれればいいのだが。現代、情報は光の速さで伝わる。“炎上”という単語に新たな意味を持たせ、怖い単語にさせている。なにかあっても、こっちの面も真言は助けようと、しっかりと対応策を練り始める。


 きゅ、と自転車を止めた。


「わぁ、ほんとに手だ」


 詠は特に怖いという感情を抱いている様子ではない。


「ただなんか、太いしさ、絶対話すもんか! みたいな意思がありそう」

「でしょ」

「ぶっといし、動かないし。これはどうしたものか」


 まずはお地蔵様にご挨拶。花はこの暑さで持たないだろうと、小さなペットボトルの水と溶けないお菓子を買ってきた。お供えものだ。


 いつも詠が形をもった未練に迫られ、送られてきた未練の想いに共感することで記憶が共有されている。だが地蔵の口を塞ぐこの手は、詠に向かってなにもしない。


「いつも触れてからなんぼだったからなぁ」


 あ、と詠が思いついたように声を出す。


「それなら私から触ればいいんだ!」

「え? そんな簡単に触れちゃだ」


 め、と言う前に詠は、口を塞ぐ太い手をもう掴んでいた。触れると言っていたが、これでは手を離せと思い切り引っ張っているかたちだ。


 始まってしまった、と思った。まだなにかがあったわけではない。はたから見ればきっと、お地蔵様のお顔の横で両手をグーにしているだけだ。

 とはいえ行動はおかしい。


「ちょっとどかしなさぁい、この手を! お地蔵様が苦しいでしょうがぁ!」


 口に出ている。ぱっと周囲を確認するも、とりあえず今は見て見ぬふりで通り過ぎる人の足。


「なんで言いたくないのかなぁ? それとも言わせたくないのかなぁ?」


 人の目も気にせず一人ふんばる詠の姿を見て、真言はどうにもできない自分を恥じる。


「昨日は余計なこと言って、ごめん」


 ふと、詠が振り返った。でもすぐにお地蔵様に顔が戻る。


「次はないぞ」


 真言はそれを、許す、と受け取ることにした。

 まずすべきは、未練を断つことだ。


「なんて言っていいのかわかんないけどねぇ、こう、心がもやもやってちくちくってするのをどうにかしたいのよぉう、自分のためなんだけどねぇ! 協力しなさぁい!」


 本当は、傷ついた心が嫌だと言っているはず。

 たしかに自分のためと詠は言っていたが、それはうまくいけばの話であって、怖いはずだ。もしかしたら、がもう一度、続いたら。

 それこそ、恨まれる。


「後ろの男にも、なんて言っていいのかわかんないのよこの感情! あんたらもお口にチャックじゃなくて、開けて話してみぃ! 名前がつかないなにかなんてごまんと」


 ——あ


 詠が掴んでいた手が、地蔵の口から離れる。その手は、詠の片手を引っ張り、もう一方の手は顔に伸びる。


 ——きた


 口を塞がれると思ったが、違った。手は、詠の額にぺたんと張り付いた。


 ——あれ、なんであったかいんだろう


 今までにはない感触を不思議に思いつつ、詠は手に意識を向ける。


 ——聞かせて、見せて、誰だかわかんないけど、あなたの未練

 



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