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この気持ちに名前をつけて  作者: ぬりえ
がんばって帰った

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13/33

2.

「がんばって!」


 あたしは先生からの掛け声に合わせて、息を繰り返す。ひぃひぃふぅ、というのは本当なんだ。それともこの助産師さんが、ベテランのおばあちゃんだからか。


 ぃえあ、ぃぁぁ、


 鳴き声が聞こえる。これは。


「おめとうございます」


 あ。


「元気な女の子ですよ」


 あたしは、無事に女の子を出産した。これほんとに人間? って先生に訊いたら、あなたの娘になんてことを! と笑い交じりに怒られちゃった。





 目が覚めた。

 あれ、あたしの娘は? どこ?


 なに、この暗い部屋。これじゃ赤ちゃんの顔が見えないじゃない。

 ドアを開けようとしたら、鍵がかかってる。

 なんで? 鍵って普通、内側からかけるもんだよね?


「開けて! 開けて!」


 なんども大声を出して、手がすりむけるほど叩く。ずっと繰り返していたら、やっと鍵が開いてドアが開いた。

 あ、お父さん! よかった。もしかして、赤ちゃんの、あたしの娘の調子、よくないのかな。どうしよう。


「お父さん! あたしの娘は? 生まれたんだよ!」


 もうお腹は大きくない。娘がいて大きくなったお腹を愛しくなでていた頃が懐かしいな。


「会わせて!」


 お父さん、大きい病院の弁護士だもん。あたしが娘を生んだのも、その病院だもん。知ってるよね?

 そうだ、まだ名前、決めてない。


「おまえに娘などいない!」


 え?


「だって、あたし、生んだんだよ。抱っこしたんだよ。なのに」

「中絶したのを忘れたか! まだ反省できていないようだな、もうしばらく静かにしていなさい!」

「待って!」


 ばん、とあたしを突き飛ばすと、お父さんはずかずか出ていった。乱暴に鍵がかかる音が、がしゃ、と響く。


 え? 中絶?


 静かにしていなさい、と言われたのに従うつもりはさらさらなかった。でも、頭が動かなくて黙っていたら、だんだんと、思い出してきた、記憶。


 そうだ、あたし、妊娠して。


 中絶したんだ。





 あたしには弁護士のお父さんがいる。顧問弁護士? ってやつ?

 その相手? っていうのかな、まぁ、大きな病院がある。調子が悪くなって、診てもらったことがある。それがたしか、十七になる前の、冬、だったかなぁ。

 先生はあたしの名前を見たからか、先に聞かされていたのか知らないけど、弁護士の先生の娘さんだねって、最初に言った。

 そう、あたしはいつも、“先生の娘”なんだ。


 あたしには、法子(のりこ)っていう名前があるのにね。キラキラネームの真逆に位置する名前だと思うけど、やっぱりあたしは法子っていうあたしでいたいから、先生の娘扱いは嫌い。


「あれ? のりちゃん?」


 帰るときに声をかけてくれたのは、誰だか知らないけど、そこそこ若いお兄さん。白衣を着ているから、この人も先生だろうな。


「誰?」


 さっきの先生にぴりぴりしていたから、年上相手でも邪見に当たっちゃった。そんなあたしにも、その人、嫌な顔ひとつしなかった。


「さすがに覚えてないよねぇ。のりちゃんのお父さんがうちの父と話してる間に、ちょっと遊んだくらいだもんね」


 小学校五、六年生のとき、お父さんにくっついてこの病院に来たあたしは、このお兄さんに遊んでもらったらしい。今二十四っていうから、あのときはいくつだろう。ってかあたしの顔、よく判別できたな。


「つんつんした目が同じだったから」

「それ、久々に会った女の子に言う言葉ですか」

「あ、ごめん」


 その後、美人なのが変わりないってさ。このお兄さん、いつか病院を継ぐ、院長の息子らしい。人の顔と名前を覚えるのも、医者の仕事なのかな。

 ただ、あたしを名前で憶えてくれていたことが嬉しくて、この人の言うつんつん目から、笑った目になったみたい。


「その笑顔も変わらずかわいい」


 お兄さんは、お医者さんは、人をタラす力もあるらしい。あたしはその瞬間にお兄さんを好きになった。




 それから、たまに会うことができた。お父さんは夜遅くまで帰ってこない日も、一日帰ってこない日もある。だからこそお母さんは出ていった。家としては裕福だから、あたしは家族っていうのにあんまり頓着がない。楽だって感じてた。

 でも、お兄さんに会ってからは、それが変わった。この人とまた会いたい。ずっと一緒にいたい。そう思うようになって。


 お父さんが帰ってこないいつかの夜、あたしはお兄さんに想いを告げた。そのまま、無言の了解でお兄さんとの距離はゼロになった。


「なんてことをしたんだ!!」


 ずっと生理がこなくて、気にしていなかったけど、調子が悪いしもしかしたらって、あたしは市販のやつで確認した。

 妊娠していた。避妊はしていたと、思ったけど……。覚えていない。あの日、あたしはお兄さんと家族になったから。


 お父さんは怒り狂った。あたしが高校生で妊娠したからじゃない。法律では結婚していい年齢だし、問題はない。問題があったのは、相手が、お兄さんだったこと。

 そして、お兄さんには、婚約者がいたことだった。


 お兄さんは婚約していた。それは、愛もなにもない結婚になる。病院同士の娘息子を番にさせ、お互いの力を強くするためのもの。病院のために使われる、駒だった。


 お兄さんに妊娠の連絡をしたのはあたし。それがなぜか、院長まで知れ渡った。お兄さんからそう電話があった。

 好きな人ができて、子供ができた。婚約はなかったことにしてほしい。あたしと結婚するって、婚約者に言い切ったって。

 そしたらうちのお父さんと同じく院長は怒り、うちのお父さんまで連絡が来て。で。


 そうだ、あたしは、中絶、させられたんだ。


 もうあの男を医者にできないようにしてやる、社会的に生きていけないようにしてやる。


 お父さんのその言葉は、あたしには大きすぎた。弁護士という法を司る仕事をしているからか、それともお母さんはもういなくて、お父さんに生かされているっていう意識がどこかにあったからか。


 とにかく、本当ならそんなことできないはずなのに、できたとしてもそうなるのはお兄さんだけじゃなくてお父さんもってことなのに、混乱したあたしは、中絶をするって、しちゃったんだ。

 


 あたしの意思に関係なく、あたしはおなかの子を、お兄さん…… 好きな相手と、将来お嫁さんに行くはずの人との子供を、失った。

 奪われた。

 命を、奪われた。


「がんばって」


 中絶の処置をしたベテランの先生が、あたしの眼をしっかりと見て、言ったの。これから、ってこと? なにをがんばればいい?




 それから、そうだ。反省しろって、軟禁されてるんだっけ。

 お父さんがどうしてるかなんてどうでもいい。

 じゃぁ、さっきのは、ほんとに夢なんだな。マンガかよ。夢落ちってやつじゃん。


 あたしはさすが弁護士の父を持つからか、頭がよかった。

 普通に戻った、もう赤ちゃんのことなんて、お兄さんのことなんて忘れたっていうふりをした。そしたら笑顔で、やっと正気に戻ったか、って外に出してくれて、学校も普通に通った。あたしは病欠ってことになってたみたいで、心配されるのは体調だけ。たしかにね、病欠かも。


 お兄さんのことについて、昔世話になった患者を装って尋ねてみた。そしたら、今も仕事、続けてるって。婚約されてるんですってねえ~って噂話の好きな奥様みたいに話してみたら、電話先の人は口が軽い人みたいで、婚約もそのままって話してくれた。

 そっか。お兄さんの人生が無事なら、よかった。


 お父さんのほうがどうなったかなんて、どうでもいいや。



 あたしだけでいい、苦しいのは。



 お兄さんの無事を確認出来てから、貯金を全部下ろして、あたしは家を出た。お父さんの預金からも、一日の上限全部下ろしてやった。知ってるよ、パスワードくらい。

 いなくなってから、失踪届くらい出したのかなぁ。あたしは行きたかったところまで、なにごともなくたどり着く。


 子供の供養をしてくれるという、お寺。水子供養を丁寧にしてくれるっていう、ネットで調べるとそこそこ評価のいいお寺。なんも聞かずに供養をしてくれた。なにか察してくれたのかもしれない。人のいいおじいちゃんってかんじの住職さんで、気を付けて帰ってくださいね、と見送ってくれた。


 ありがとうございます。


 ただ、帰りません。見送られる先は、別なんです。


 あたしはそのまま、誰も知らない場所で、死んだ。自殺ってやつだね。

 怖いと思わなかった。

 ちょっとでも尻込みしたら、あの先生ががんばってって言ってくれたのを思い出そうと思ってたのに。


 応援、必要ありませんでした。


 多分今、地獄にいるあたしの娘に、会いに行くだけだもん。そりゃ、怖くないよね。

 帰る場所なんて、別にあるもんね。


 ちょっと思った。

 一矢報いたぞ、クソ弁護士め。

 






 法子は、怒ってる。だってこの顔、怖いもん。

 苦しい。痛い。私が。


 岩にぎりりと握られて、今にも潰されそう。酷い記憶が脳内に入ってきて、法子の気持ちを思うだけで、かなしい。辛い。


 ——え? 哀しい?


 鬼は、般若の面だと思った。鬼は怖いものって思っていた。だから、怒っていると勝手に思った。さっきの記憶を考えれば、どうだろう。これは、怒っているのか。


「詠さん! 止める? 戻る? できる?」

「ちょっとだまってまこくん!」


 心配は嬉しいが、今は考えたい。


 般若の面は、喜怒哀楽のすべてを持ち合わせる。

 喜んでいた。好きな人ができたことに。子供ができたことに。夢のなかで出産し、抱いたことに。

 怒っていた。法子の気持ちを考えず、仕事のことだけを考えて勝手な行動をし、嘘をついた、父親に。

 悲しんでいた。お兄さんとの子供を失ったことに。

 楽しんでいた。お兄さんとの時間。あとは、父親に一矢報いるための策略。


 真言は未練と表現する。それが正しいならば、法子がこの姿でいるのは、未練があるからだ。その未練とは、なにか。


 夢。

 彼女の見た夢は、彼女の希望だった。ということは。


 法子は、生んだ娘と、お兄さんと一緒に幸せに生きることを望んでいる。

 でもそれは叶わない。

 娘は、生まれないのだから。


 未練とは。


 娘を、生めなかったこと。






 法子とお兄さんとの出会いは、とても素敵だった。自分を見てくれる人物を見つけ、惹かれあっていく。まるでおとぎ話。


 子供にするお伽話というのは、日本でも世界でも、いくつもある。現在絵本や物語や映画になっているのは、美しく飾られている。でもグリム童話の本物は、とてもグロテスクだと聞く。日本の昔話も、暴力的な表現は子供によくないと、削られたり変更されたりして本が出されている。


 きっと法子は、娘が生きていたらお話をいくつも聞かせたのだろう。すべてハッピーエンドになるものではなくて、ちょっと苦しい展開の物語も。感性豊かに育っただろう。法子たちが、たくさんの想いを抱いて生きていたように。寝る前に、絵本を読んであげたのかもしれない。それこそまるで、


 ——あ、


 ひとつの歌が、とん、と落ちてきた。

 実際は、岩のかけらが頭に下ちたのだが、詠は歌が落ちたと思った。


 日本の昔話をアニメでやっていた。知っている物語もあるが、知らない物語のほうが多い。涙が流れる話もあった。


 今考えると、あの歌詞だと、きっと寝る前に聞かせてあげたい話だったのかもしれない。


 ——きっとあなたの娘はいいこに育ちます

 ——賽の河原になんて行く必要ないはずだけど、あなたが来ると分かって待ってます

 ——早く行って、会えたら、たくさんお話してあげて

 ——大きくなるまで、ずっと、聞かせてあげて

 ——あなたの物語

 ——遠い昔ではなくて、近しいあなたのお話を

 ——寝る前の子守歌には向かないかもしれない

 ——でもきっと、その子の心に刻まれます

 ——大切な人との娘で、ほんとうは、家族として生きていたかったと


 歌う。握りつぶすほどに強い岩にそっと手を添えて。この荒ぶるたくさんの感情の塊を、溶かすように。


 その子はきっと、望んでいない。

 あなたが中絶したくなかったのと同じ。

 未練の魂となってここに、現世に残っていることを。

 望んでない。

 早く、帰るべき場所へ。


 ——じゃないと、大きくなっちゃうよ

 


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