第六十五話 『大馬鹿野郎の告白』
「で?どこの猛者だよ、お前にそこまでの傷を負わせた奴」
雪はそれほどの降りではない。たまにどこかの家の鎧戸の隙間から伸びる細い光で、ようやく雪が降っていることが分かる程度だ。降ったかと思ったら止み、止んだと思ったら降り始める。雲間から星空が見えるのに、雪は小さな羽毛の綿毛のように、ふわふわ、サラサラと夜道を歩く男二人の肩に、時折気まぐれに降りかかった。
「洗いざらい喋ってもらう」とは言ったものの、エリアスの口は重く、その唇からは白い呼気しか吐き出されない。カミルは闇に溶けるため息をついた。
「・・・ハッ。言いたかねぇか。ま、いいさ。お前がそんな顔するときは、大抵理由があるんだろうしな」
これはクラウスの受け売りだ。
「けど——どこに向かってるのかだけは喋ってもらうぜ?」どっちにしろ今のエリアスは一人でそうは動けない。話そうが黙ろうが、答えはいずれ分かることだ。そして、カミルにはエリアスの行く先が何となく分かった気がした。具体的な場所は見当もつかないが、おそらくアルフリーダと関係があるはずだ。
カミルは方の上でずれてきたエリアスの、幹のように太い腕を担ぎ直した。骨に直接分厚い筋肉を乗っけまくったような腕に、カミルは思わず唇を歪めた。
くっそ重てぇ・・・。この筋肉だるまが。熊かよ。
狼の森の時は、あいつが俺を支えた。そして今は俺がこいつを支えている。そう思うと、この沈黙も肩にかかる重みも、悪くねぇなと思った。その時——
「お前・・・」
急にエリアスが声を出したので、カミルは顔を上げる拍子にエリアスの腕を引っ張りそうになった。
「・・・つっ!」
「あ、わりぃ。で?何だって?」
腕をしっかりと固定し、カミルは今までよりも足運びに集中した。余計な事をして、せっかくの話を聞くチャンスをみすみす溝に捨てるわけにはいかねぇ。
エリアスは呼吸を整えて、切り出した。
「お前、見たのか?」
は?見た?何を?
疑問符まみれのカミルに、エリアスがもう一歩踏み出すように続けた。
「夜の・・・彼女の姿を」
夜の彼女。誰のことだよ。やけに遠回しな言い方をするじゃねえか。エリアスはカミルに向いた顔を、また前のまばらに降る雪の、あられ模様の暗闇に戻し、ポツリ、ポツリと話し始めた。
「アルフリーダが、あんな風になったのは俺のせいだ」俺が彼女を止めた。彼女の使命の邪魔をした。
独白のように、そして罪の告白のように、エリアスは先を続けた。
「——彼女の覚悟を、俺は踏みにじった。俺は、彼女を助けたかった。だから俺は——無我夢中でアルフリーダを助けた。いや、助けたつもりだった。だがそれは——アルフリーダの為なんかじゃなかった」
エリアスがまるで、喉に詰まった血の塊でも吐くような声で呟いた。「俺のエゴだ」と
「——生きてほしい。逃げてほしい。彼女を縛る全てから。そして——出来れば——このまま一緒にここで暮らしてほしいと願った。——立場も何も放り出して。ただの一組の男と女として。そんな身勝手な思いを——俺は、アルフリーダの覚悟よりも優先させてしまった」
そのせいで——アルフリーダは壊れてしまった。
エリアスの声は震えていた。怯えている、罪を悔いている。そして何よりも、今こいつが震えている大元——それは、「怒り」によるものだとカミルには分かった。
何があったかは知らねえ。けど、こいつは今めちゃくちゃ怒っている。誰に?——自分に。
力が足りなかった自分に。アルフリーダの覚悟を受け止めきれなかった自分に。守りたいくせに守り切れず、無様に怪我を負った自分に。あの時と同じだ。どれだけ弓の練習をしても、ちっとも上手くならなくて、「俺が、嫌いなんだ」なんてほざいてたガキの頃と何一つ変わっちゃいねぇじゃねえか。
アルフリーダが何を背負っていて、何を考えていたのかなんて俺には関係ねぇ。けどこいつは、アルフリーダが背負ってる、その全部を、壊さないままで救い出せるだけの強さがなかったと思ってる。
そんなどうしようもなく無力な自分が許せなくて、こいつは今猛烈に自分自身に腹を立てているんだ。
不器用モンが、無理しやがって。
カミルは唐突に肩からエリアスの腕を放り出した。怪我の事を考えなかったわけじゃない。それでもカミルは、二、三歩たたらを踏み、脇腹を押さえているエリアスを悪びれもせずに冷ややかに見つめた。
「何を——」
「お前、いい加減にしろよ!」
声が勝手に口から飛び出して、夜の空気を震わせた。
「どこまでカッコつけてぇんだよ!お前がやりたいことはカッコつけることかよ!?ああ!?」
前かがみになっているエリアスの胸倉を掴み上げて、カミルはグッと顔を近づけた。
「惚れた女の命が大事で何が悪いってんだ!一緒に暮らしたい?そんなの、当たり前だろうが!身勝手だと?上等じゃねぇか!」
エリアスが目を見開いた。
「お前はよ!他人の荷物まで全部一人で背負ったまま、カッコよく助けたかったんだろうが!?アルフリーダのことだけじゃねえ!ヴァルドって名前も、ヴァルドの剣も、騎士道も!町の奴らの事も!俺のことだってそうだ!」
冗談じゃねえよ!カミルはエリアスの胸倉を掴んだまま怒鳴った。
「お前は何様だ?お前一人頑張ったところで全部救えんのかよ?んで頑張って——頑張って、頑張って、頑張って、ボロボロになるまで頑張って!んで、出来なかったからって、それが罪かよ!チクショウ!頼れよ!そのために俺がいるんだろうが!」
荒い息が口から出る度に、瞬時に白く凍り付いていく。エリアスの手が伸びて、胸倉を掴んで震えているカミルの手を上から握った。
「・・・知ってる」
え?
「俺には——何もない。騎士の称号があるわけでも、治める領地があるわけでもない。どころか、仕える主君もいない」
アイスブルーの瞳が、薄い雪明りの中で冴え冴えとした静かな光を放っている。その上を滑るようにエリアスの声が流れていく。
「それでも——俺は騎士であろうとした」それしか、俺にはなかったから。
「——お祖父様にも、お祖母様にも」
声が一度途切れ、エリアスは息を深く吸い込んだ。
「アルフリーダにも——」
エリアスは顎をグッと上げて、今度はカミルを真っすぐに見上げた。
「お前にも——ヴァルドの名に恥じない騎士でいたかった」
男たちの間に沈黙が流れた。時折降りかかる雪だけが、対峙する二人の間に僅かな現実味を見せてくれる。それがエリアスの「カッコつけ」の理由かよ。騎士であろうとしたって?そんなもん、今更あらたまって言われなくたって分かってんだよ。
「特にお前の前では——胸を張っていたかった」お前の兄として。
カミルの手からは、とっくに力が抜けていた。全部知ってる。はなっから承知してる。多分、あの言葉を聞いた時から。「石・・・投げてくれて、助かった」あれを聞いた時から、こいつの騎士の葛藤が透けて見えていた。
馬鹿かよ。
カミルは思わず笑い出しそうになって、慌てて堪える。こいつ、助けてって言えないんだ。「助けて」よりも「助けたい」が勝っちまって。馬鹿だ。本当に。どうしようもなく。
エリアスが、掴んでいた手を離して代わりに開いてこちらに差し出した。
「だが、今は——お前の力が必要だ」俺一人ではろくに歩けない。
カミルはエリアスの掌をポカンと見下ろした。無骨な土くれみてぇな掌の上に、羽毛の欠片が舞い降る。そして、ふわりと溶けて形を失っていく。水に還って行く。
やっと——やっと言いやがった。
カミルはそのデカい手を力強く掴んだ。
「最初からそう言えよ。この大馬鹿野郎」




