第六十六話 『幽霊の正体』
歩きながら、エリアスはポツリ、ポツリと話した。
アルフリーダが心を閉ざし、人形のようになってからも、意識が戻るたびに呼びかけたこと。その度に逃げ出すように席を立つので、そのうち気が付いていないふりをするようにしていたこと。呼吸を整え、極力彼女を刺激せずに、それでもどうにかして自分の声を届かせようとしたこと。
「アルフリーダは、俺の怪我を自分のせいだと思っている」
「はあ?何でだよ」
エリアスは一瞬、迷う素振りを見せて、そして曖昧に答えた。
「彼女が——俺を利用したと思っているから・・・だと思う」
なんだ、そりゃ。また謎かけみてぇなことを言いやがるじゃねえか。カミルはため息をついた。エリアスに肩を貸してなきゃ、きっと肩もすくめただろう。まあ、いいや。今はそこは突っ込まないで置いておいてやらぁ。お優しいカミル様だからな。
「ふうん。で?お前はどうなんだよ。お前自身もアルフリーダに利用されて、チクショウ騙されたー!って思うのかよ?」
エリアスは黙って首を横に振った。
「ま、そうだろうな」こいつはこういう奴だよ。利用されても、それで自分を騙した奴の役に立てるなら、満足って言う男さ。
「だが——アルフリーダには俺の声は届かない。いくら「あなたは悪くない」と言おうとしても、するりと逃げて行ってしまう」
ああ。だから「俺は眠っていた」か。なるほどな。とカミルは納得した。下手にカミルの声に応えて、話をしているところなんかをアルフリーダに聞かれでもしたら、彼女はもう家には戻れない。
会話の中身なんかどうだっていい。カミルになら話すのでは?と言う思いがアルフリーダにあるのなら、逃げ出す理由としては十分だ。二人は兄弟だから。ただの与太話だったとしてに、アルフリーダには「あの女に嵌められたんだ」と、弟に訴えかけるように囁く声にしか聞こえないだろう。それでエリアスは、アルフリーダが戻って来られるように、俺を黙らせたってのか。
まったく!揃いも揃って、大馬鹿野郎どもめ。
ずっと眠っているように見えて、まんまと騙されたわけか。でも怒りは湧いてこなかった。怒れるわけがない。食事を摂らず、身なりも整えず、ただひたすらにエリアスの怪我の治療にあたるアルフリーダの姿を、こいつはどんな気持ちで見ていたんだろう。そう考えると——
ああ!なんか腹立つぜ。無駄にカッコいいじゃねえか。
「ある夜。椅子を引く音で目が覚めた」
瞼をうっすらと持ち上げて伺ってみると、アルフリーダが立ち上がるところだった。もう一つの椅子に畳んで置いてあったエプロンを取り上げると、丁寧に腰に巻き付ける。朝の支度をするような手つきで。
収穫祭の踊り用に彼女が刺した、聖女アマリアの左手がエリアスを手招きするように揺れる。身支度とも言うにはささやかすぎる身支度を終えると、アルフリーダはそっと裏口のドアを開けると、外に出て行った。
足音が完全に消えてから、ゆっくりと体を起こした。起き上がったのはその時が初めてだったと言う。左脇腹の傷が引き攣れて、嫌な痛みが一瞬走るが、構わずエリアスはテーブルから降り立った。アルフリーダが戻って来なかったら。そう思ったら、とても黙って寝てなどいられなかった。
何日も寝たきりだったせいで、足が震えるのを堪えながら、そこら辺に転がっていた板切れを杖代わりに、アルフリーダを追いかけた。
「ちょい待った。そん時、俺は何やってたんだ?」
エリアスの話しぶりだと、時間としては夜中だろう。その頃にはいつも竈の前にいたはずだ。寝てたって言ったって、二人も出て行ったらさすがに気が付くだろう。
それにはエリアスは、ちょっと笑った。
「お前は、竈の前で寝ていただろう?」
うわ、マジかよ。そんな空気がヒリヒリするような場面で、呑気に寝こけてたってのかよ。このカミル始まって以来の醜態だ。
「そ、それで。よくそんな板切れ一枚を頼りに、アルフリーダを尾行出来たじゃねえか」
黒歴史はいったん脇に追いやって、続きを促すように言うと、エリアスはまた首を横に振った。
「いや。その日は、とてもじゃないが追いつけなかった」
おいおい待てよ。”その日は”だと?まさかこいつ、今までずっとアルフリーダを尾行してたってのかよ。
「夜呼び——と言うものを知っているか?」
エリアスの声が一段低くなった。
「病の一種らしい。”眠者の彷徨”とも呼ぶな」
何だよ、その不気味な名前の病気は。不吉な言葉の響きが纏わりつくようで、カミルは「知らねえ」と少し大げさに頭を振った。
「心に深い傷を負い、現実に心の置き所を見失ってしまった者が罹る——気の病だ」眠りの中にのみ安らぎを見出し、時に何かに呼ばれるように何処かへ行ってしまう病。朝になる前には戻ると言うが、出て行ったきりそのまま戻らない者もいる。まるで夜の魔物に誘われ、連れ去られたように。
「ア、アルフリーダが夜中いなくなるのも、そのなんちゃらの彷徨だってのかよ?」
いきなり腕がグンっと引かれた。一瞬エリアスが引っ張ったのかと思ったが、逆だった。エリアスが立ち止まりカミルは変わらず進んだせいで、カミルの肩に預けた腕はそのままに後ろに引っ張られただけのことだ。エリアスのアイスブルーの目が、前方を凝視している。何だ?何見てんだ?
二人は、広場の入り口に差し掛かっていた。ついさっきまで酒を飲んでいたブラントの酒場は火が落とされ、他の店と変わらないくらい、すっかり黒い輪郭の仲間入りをしている。
時折チラチラと舞う雪がその輪郭を滲ませた。全てがシンと静まり返っていて、辺りはまるで廃墟のようだ。カミルは、もう一度エリアスの方を振り返った。エリアスの視線が微かに揺れている。その動きにカミルは漸く気が付いた。違う。こいつは何かを見てるんじゃねえ。何かを目で追いかけているんだ。カミルは何かに冷たい手で撫でられたように、バッと勢いよく振り返った。ほのかな雪明りにもならない光と影の中で、何かが蠢いた。カミルは袖で目をごしごしと擦って見た。
何かが動いている。最初それは案山子に見えた。弓の的に使うあの案山子だ。けれどその案山子は動いている。細い腕がひらり、ひらりと夜気を掻き、細い足が石畳を微かに踏む。この姿は——
「ゆ、幽霊・・・」
震える声が、冷たい雪のひと固まりを吹き飛ばした。




