第六十四話 『兄貴と弟』
「それで?その後、どうなったんだ?」
結局年寄り共の空気に乗せられて、ペラペラ昔のことをしゃべっちまった。それがなんとなく悔しくて、ほんの仕返しのつもりで、カミルはジョッキに残っていたエールをワザとゆっくり飲み干した。
「その後はお決まりの筋書きだ」
ジョッキをカウンターに置く。すると、ブラントが無言で注いでくれる。いつもなら「その辺にしとけ」とか言うのによ。カミルはジョッキを傾けた。やはり今日のエールは出来がいい。酸味を帯びた甘い香りが鼻を抜けていく。エールの香りのお陰か、それともこの爺さんの想いで話に付き合ったせいか。カミルの内側は、さっきよりもずっと静かに凪いでいた。
「お決まりって?」
「爺さんに二人してどやされた」
——共に力を補い合い勝者となること。それを忘れたばかりか、町の者たちにまで心配をかけおって!その上、森に入って狼に襲われただと?恥を知れ!——
だったかな?
広場の端っこで二人並んで立たされて、ひとしきり言い合いになったっけな。
「試合に乱入するとは!しかも終わった試合に!」「んだよ。共に協力だろ?片方が負けたら、もう片方が代わりに戦うのが、戦場の常識だっていつも言ってんじゃん?」と言いかえすカミルに、もう一つの声が加わった。
「俺たちは共に力を補い合い、勝者となりました。そこに何の問題があると言うのです?」
予想外の増援に、爺さんだけでなくカミルまで口をあんぐりと開けてしまったほどだ。
「表彰式を飛び出し、カミルを危険に晒し、皆に迷惑をかけたのは全部自分の未熟さ故です。カミルはただお祖父様との約束を忠実に守っただけで、責められる理由はありません。全ての責任はこの俺にあります」
きっぱりと言い放ち、狼の血しぶきを頬っぺたにくっつけたまま、エリアスは真っすぐに爺さんの顔を見返した。あの時の爺さんの顔。優等生のエリアスが、あんな風に言い返してくるとは想像もしていなかったのだろう。瞳ガン開きで、一瞬固まって——
「お前が兄弟じゃねえって言い張るんなら、それでも構わねえ。けど、それならお前らの関係を何て言えば良いんだ?」
カブ男が萎びた体に似合わない朗々とした声で問いかけてきて、カミルは一瞬言葉を失った。
「狼に囲まれた時、一緒にいたのがエリアスでなきゃ、お前あんな風に剣を差し出せたかよ?」
答えられない。あの時いたのはエリアスだ。だから俺は剣を差し出した。エリアスの腕なら、狼なんて敵の内にも入らねぇって思ったから。
「相棒ってのも違うな。エリアスにとっちゃ、お前はいつまでも自分が守んなきゃならねえ”ガキ”だからな」
ガキだと?言い返そうと顔を上げると、カブ男が「かかったな」とばかりにニヤリと笑った。
「言っただろう?”兄貴ってのは、カッコつけたいのさ”」
カミルの中で、あの日の草っ原で会った若い男との顔を、目の前の爺さんとが重なって見えた。艶々した蕪が萎びただけで、後はそれほど変わっちゃいねえ。こうして見ると自分でも何で気が付かなかったのかと不思議に思うほどだ。
「お、お、おま・・・、クラウスか?」
エール樽を掻き回していたブラントが、ブハッと豪快に吹いた。
「お前、気付いてなかったのかよ!」
「いや、知るかよ!俺は一年の殆どを留守にしてんだぜ!?」
ひとしきりカミルの間抜け面を肴に大笑いをした後で、クラウスが先を続けた。
「あいつがお前を突き放す時は、何か理由があんだよ。弓術大会の時。きっかけは自分の情けなさをお前に知られたくなかっただけかもしれねえ。けど、それだってお前の前では強い自分でいたいっていう気持ちがなきゃ、ああはならねえ」
カミルは一瞬黙り込んだ。古びた蝋燭がジジッと音をたてる。ふと見ると酒場にはカミル達以外誰もいない。結構な時間が過ぎたようだ。
「今回はなんだ?『俺は大丈夫だから、お前は宿屋に戻れ』だったか?」
カミルは無言で頷いた。不思議だ。クラウスが言うと、謎めいてムカつくエリアスの態度が、また違った形に見えてくる。
「じゃあ考えてみろ。エリアスは本当に”大丈夫”なのか?」
怪我の治り——は、おそらく順調だろう。いいや、順調すぎるくらいに順調だ。だってもうスープとか自分で食い始めたし、どうにか座れるくらいにはなったもんな。でもアルフリーダの方は大丈夫とは程遠い。手に持たされるまで、何も食わないし何も飲まない。相変わらず言葉は喋らないし、人形みたいに表情一つ動かさない。それだけならまだいい。近頃じゃ、エリアスが起きてる間は、ほとんど側にいねぇ。洗濯、薬湯の仕込み。理由は様々だ。けど、エリアスの意識が朦朧としていた時はここまでじゃなかった。
アルフリーダはエリアスを避けてる——
「どう考えても”大丈夫”じゃねえよな。少なくとも俺はそうは思わねえ」
「だったら、やることは一つじゃねえのか?」
「は?」
カミルは、シワシワの水分が抜けたクラウスの顔を見上げた。その顔がよほど間抜けに見えたのか、クラウスがまた朗々とした声で笑った。
「大丈夫じゃなくてもエリアスはお前を家から遠ざけたかった。でも別に家に危険があるわけじゃねえ。あるとしたら、たまに臆病な連中がゴミを投げるくれぇだろ?」
リュカがゴロツキに石を投げてからか、騒々しいティナたちが出入りするようになってからか。とにかくその辺りから、「魔女」に対する嫌がらせは随分と減った。とは言え、完全になくなったわけではない。今でも鎧戸が鳴ったり、ゴミをぶちまけられることもある。そんな時は、ティナが片付けついでに大声で脅し文句(聖女と騎士にゴミを投げるなんて、聖女様が見たらどっちが裁かれるんでしょうね!)をぶち上げていた。
「だとしたら、家に何かあんだよ。お前に見せたくない、知られたくない何かが」
カミルはハッとした。エリアスの不可解な言葉。
「声を立てるな」「俺は眠っていた」
それとアルフリーダのあの無表情に、じいっと見つめる視線。
カミルは椅子から腰を浮かせた。
「お?やるべきことが分かったのか?」
「いいや、分かんね」
短く言い放ち、カミルは外套の前を掻き合わせた。
「けど、あいつが何か隠してんのは分かった」
だから俺行くわ。
クラウスとブラントの、二種類の笑い声を背中に聞きながら、カミルはすっかり人気のなくなった酒場を飛び出して行った。
家に飛び込んだのは、別に何かを暴いてやろうとか、エリアスの秘密の現場を押さえてやろうとか言うつもりなかった。単に寒かった。通りは凍り付くような風が吹き抜け、白いものが時折、遠くの山から吹き飛ばされてきたように舞っている。
家に飛び込んで最初に目に入ったのは、裸に包帯の上から直接上着を着ようと、テーブルの上で苦戦しているエリアスの姿だった。片袖には袖が通っている。だが、もう片方が上手くいかない。腕を上げると傷が痛みんだろう。頭からチュニックを被る。なんて言う芸当はすっかり諦めて、直接上着を着ることにしたんだな。
視線を巡らせる。
アルフリーダはいない。エリアスが驚いて何かを言いかけるが、カミルは構わずテーブルに歩み寄ると、エリアスの右腕を掴んでブラブラしている片袖の中に押し込んだ。
「っ・・・!」
「あ、わりぃ」
言いながら、カミルはエリアスの右側に回り込んで、腕を担ぎ上げた。
「お前・・・っ、何を——」
「んで?どこに行くんだ?仕方ねぇから俺も付き合ってやる」
肩にズシッとエリアスの重みがかかる。
「帰れって——言っただろう」
「ああ、ここが俺の家だ」文句あるか?
カミルはエリアスに肩を貸しながら、ゆっくりと外に出た。雪はちらついているが、雲の切れ間からは銀色の星が瞬くのが見えた。
「さあて。歩きながら話してもらおうか。洗いざらいな」
うっすらと白くなり始めた石畳の上を、二人分の不器用な足音がゆっくりと重なった。白い吐息がそれに続いて、静まり返った夜に溶けて行った。




