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封印の姫と最後の騎士 【第一部完結】  作者: ラーナ


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第六十二話 『狼ズシャ!の剣 ⑦』

 ハアハアと言う息遣いと、びゅうびゅうとうるさい風の音を振り払うようにして、カミルはエリアスの後を必死で追った。駆ける度に足に引っかかり、転ばせようとしてくる鞘をどうにかこうにか抱え直し、カミルは、なおも走り続けた。


 心臓が胸の奥で暴れ狂っている。息が切れて胸がムカつく。それがエリアスに投げつけられた言葉のせいなのか、単に息が切れているだけなのか。とにかく、「お前なんか大っ嫌いだ!」と言う声がカミルの中で繰り返される度、見えない刃の鋭い刺突が胸を抉った。


 視界が急に滲んで歪んだ。チクショウ!泣いてなんかいられないってのによ!


 とうとう足がもつれてカミルは、その場に膝をついた。手からロングソードが滑り落ち、鈍い銀色に磨かれたポメルが草むらに隠れていた小石に当たって、カチンと虚しい音を立てた。草の匂いが鼻を突く。ひとしきりその場で息を整え、涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔をグイっと服の袖で拭いてから顔を上げると、少し離れたところに案山子が見えた。そこはいつもの「訓練場」だった。


エリアスが必死になって弓の練習をした案山子。その襟首に巻かれた紐が、暮れかけた秋風に頼りなく揺れている。


「は・・・はは・・・っ」


 カミルは思わず小さな笑みを零した。体に染みついた習慣がここにカミルを連れてきたのか。それとも、無意識のうちにエリアスならここにいる筈だと考えたからなのか。どっちにしろ、エリアスの姿は見えない。あるのは、案山子と、木箱だけだ。遠くから小さく聞こえてくる祭りの喧騒が、かえってこの場所の静けさを引き立てた。


 元は大昔の倉庫跡地だと爺さんが言っていたっけ。エリアスなんか「きっとここは、騎士団の営舎だったんだ!」とか妄想を膨らませて。


 ふと案山子の足元に何やら白いものが散っている。その白が妙に目について、カミルはロングソードを拾い上げると、ノロノロとそちらに近づいた。それは、ボロボロになった矢の残骸だった。白いのはガチョウの羽根だ。鷹の羽根が欲しいとぼやいたカミルに、「ガチョウだって上等じゃないか」とエリアスが慰めてくれた、あの時二人で作った矢だ。自棄になって折ったと言うよりも、何度も何度も引いて使い古された感じだった。羽弁(うべん)はボソボソと毛羽立ち、軸もあちこち折れ曲がっている。カミルは折れたガチョウの白い羽をそっと指先でつまみ上げた。


 あ~あ。何やってんだろう。俺。


 ガチョウの羽根を指先でクルっと回したとき——カミルの耳が何かを捉えた。


 風の上に、ちょっと間だけ腰を下ろした隙に運ばれてきたような。音として聞こえたと言うよりも、その”ちょっと腰を下ろした何者か”の気配を耳で感じた。と言う方が近いだろう。


 カミルは動物のようにピクリと耳をそばだてた。微かに。本当に微かな声だが、確かにカミルの耳はそれを聞き取った。物寂しげでいて、どこか剣呑な響き。嘆くようでいて、血の渇きを求めているような声。


 お・・・お~・・・ん。


 カミルの全身に、震えが足元から一気に駆け上がった。


 おいおい。ちょっと待てよ。さっきクラウスたちが狼がどうとか言ってなかったっけか?カミルはキョロキョロと周囲を見回した。誰かいねぇのかよ!こんな時に!


 落ち着きなくうろうろと訓練場の端から端まで歩き回り、カミルはふと足を止めた。訓練場は、小さな林と森の間に挟まれるようにしてそこにある。その森に続く道とも呼べない、踏み分けられた細道のぬかるみに、クッキリとした足跡を見つけた。大人にしては小さい。カミルは重いロングソードを抱えたまま、その足跡を自分の足を隣に置いて見比べた。やはり小さい。


「・・・まさか、あいつ・・・」森に入ったってのかよ。


 顔を上げる。湿って黒々とした道が、グネグネと筋を描きながら森の中へと伸びている。中は薄暗い。一歩踏み出すだけで、さあっと光が薄くなる。まるで洞穴みたいだ。背中がそわりと冷えて、カミルは突っ込んだ足を引き戻した。


 この森には狼が出るんだ。ビビッてなんていられねぇ。あいつをのことも、このまま放っておけねえ。


 カミルは喉を鳴らすと、ゆっくりと足を持ち上げた。だが一歩踏み出そそうとする格好のまま、足が固まってしまった。怖い。


 まるで目に見えない、恐怖の冷たい茨にがんじがらめにされてるみてぇだ。それは何も、狼に対する恐怖だけではなかった。


 行って——あいつを追いかけて——そんで、どうするんだよ?


 また「大嫌いだ!」って言われたら?もし追い払われたら?それよりももっとひどい言葉を投げつけられたら?今度は追い払われるかもしれない。お前はヴァルドじゃない!出て行け!・・・とか言われたら?


 浮いた片足がブルブルと震え始めた。またぞろ視界が滲んできやがる。


「そうだよ。俺はヴァルドじゃねえ」


 息を整え、心を静めながら、カミルは自分に言い聞かせるように呟いた。俺はヴァルドじゃねぇ、と。


 けど——エリアスはヴァルドだ。ヴァルド家の当主になる男だ。


 けど——もしあいつが狼に襲われて死んじまったら?


 その時、胸の茨が冷たい棘で彼をチクリと刺した。


 ヴァルド家はどうなるんだ?ずっと守ってきた騎士道は?代々受け継がれてきた、あの剣は?なんちゃらヴァルドはどうなる?家は?爺さんと婆さんは?そこで終わりってかよ。


 カミルは歯を食いしばって、目の前に広がる森を睨みつけた。


 俺なら・・・俺ならどうなったって構わねぇ。だって”ヴァルド”じゃねえからな。


 カミルは今度は真っすぐ足で地面をしっかり掴んだ。


 いいよ、何言われたって。嫌いだ?上等じゃねえか!あいつとこれっきりになるくらいなら、そっちの方がずっといい。


 カミルは森の道と呼べない獣道を、踏み分け踏み分け、慎重に歩んでいった。そして、しばらく進むごとに大声でエリアスの名前を叫ぶ。エリアスに届いてほしい。返事を返してほしい、とか言う理由もないわけではないが、それよりなにより狼避けになる。奴らの足は素早くて牙も鋭いが、意外と争いは好まない。奴らが襲ってくる場合は、大体きちんとした理由があった。子供がいる時、なわばりに近づいた時とかなんかがそれにあたる。それ以外は基本的には人間を怖がって、向こうの方から避けるって爺さんが言ってた。とは言え、それはあくまでも「基本的には」だ。


 足を止め顔を上げて方角を確かめ、カミルはエリアスの名前を叫んだ。もう何回繰り返したか分からない。頭上を覆う木の枝葉から差し込む光も、随分と頼りなくなってきた。早く見つけねえと・・・。


 足は小枝で引っかかれてチクチク痛痒いし、両手に抱えたロングソードは重い。こいつを持ってきたのは失敗だったか?と後悔するほどに。長い鞘はカミルの歩みの邪魔になるし、ずーっと腕を曲げたままだから肘の裏が強張って関節が軋んだ。それでもいつもの癇癪は出てこなかった。早くエリアスを見つけ出さないと。早く安全なところに連れて行かないと。後のことは後でいい。とにかくこんな危ない場所に、エリアス一人でいちゃいけない。その思いがカミルを、前へ前へと動かした。


「おーい!エリアスーー!」


 何度目の声を張り上げた時、カミルは足元の違和感を覚えて動きをピタリと止めた。


 何だ?


 息をひそめて、まず足元を見る。もう木漏れ日とは呼べないくらいの弱々しい光が、湿った黒い地面の上でまだら模様を描いている。何も聞こえない。それでも違和感だけは変わらずカミルに「注意しろ!」と命令してくる。いたずらな風が木の葉を揺らし、カミルの足元を先ほどよりも鮮明に照らした。輪郭がぼやけた小さな光の輪。その中に腐葉土を踏む自分の靴が見える。それを見つけた時、カミルは思わず声を上げそうになった。靴の端から腐葉土とは明らかに違う黒い塊がチラリと覗いている。


 うわ・・・やっちまった・・・。


 カミルはゆっくりと靴をどかせると、そっと腰を落としてそれをまじまじと見下ろした。黒くて湿っていてところどころ変に艶がある。土じゃない。木でもない。顔を近づけると、獣の臭いが鼻を突いた。


 ——狼の糞だ。


 最悪な事にまだ新しい。カミルは、自分の心臓が縮こまるのを通り過ぎて、靴の中までストンと落ちて行った気分になった。


 ——俺は今、狼の縄張りのド真ん中にいる——


 落っこちた心臓が、靴の中でやけに落ち着いた感じでそう言ったのが聞こえた気がした。


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