第六十一話 『狼ズシャ!の剣 ⑥』
広場は人だかりでごった返していた。甘い菓子の匂いと肉を焼く香ばしい匂い。笑い騒ぐ色んな声。まるで広場そのものが、若い男女の浮かれた踊りの輪みたいじゃねぁか。そこにてんでバラバラに町の連中が加わって、更に熱気をグルグルと掻き回す。それは祭壇に近づくにつれて濃さを増していった。
「おい!ちょ!どけよ!どいてくれっての!」
小さなカミルの声では、いくら張り上げても誰の耳にも入らない。人並みを掻き分け、身を捩り、ムカつく邪魔なやつの足を踏みつけながら、カミルは渦の中心に躍り出た。
漸く空気が吸えると思った瞬間、飛び込んできた光景がカミルの胸をどんと押した。
祭壇には若い男が上がり、その正面には鍛冶屋の親方連中の中でも更に古参の親方——オルトが、ロングソードを捧げ持っている。
「弓術大会で、見事な弓の腕前を見せ、並み居る挑戦者を黙らせた者——」
赤毛の若い男が祭壇の上で、手製らしい弓を高々と空に突き上げた。わあっと上がる歓声。
は?え?挑戦者を黙らせた者?って何だよ?優勝するのはあいつだろ?そりゃ、エイムは悪いけど、それ以外は完璧なんだからさ。
カミルはキョロキョロと独楽鼠のように、首をあちこち回してエリアスの姿を探した。群衆の中には敗れた挑戦者らしきもの達も混ざっている。皆、一様にため息をついたり肩をすくめたり。と、その中に他よりも小さな銀髪の頭を見つけた。その隣にはすっきりとした長身の爺さんが寄り添うように立っている。
——エリアスは負けたのかよ・・・。
「ここに勝者ロドリックの栄光を称え、名匠の剣を与える!」
一瞬場が静まり返ったかと思うと、瞬間ドッと空気を揺るがすような笑いが広場を震わせた。
「名匠っつったぞ!名匠って!」「そんな御大層なもんかよー!」「お~い!いつから名匠になったんだよぉ!」勝者ですら腹を抱えて笑い転げている。確かにオルトは腕の良い鍛冶師だが、作るのはいつも鋤とか鍬とか斧ばっかりだ。オルトは顔を真っ赤にして、賞品のロングソードを振り回した。
「うるせぇ!名匠っつったら名匠なんだよ!」もうお前らの斧の鍛え直し、してやらねぇぞ!と、大人げないオルトに群衆がまた笑い転げた。敗者たちの中からも笑いがぽつぽつと起こる。それでも銀髪の頭は、笑いには乗らず、顔を背けるようにしてうなじを見せた。カミルも笑えない。笑えないどころか、オルト並みに怒りで顔がカアッと熱くなってきた。
なんでロングソードをもらう相手が、こんな赤茶猫みてぇなふっさふさ頭の男なんだよ!
カミルの怒りなどそっちのけにして、ロングソードの授与式が勝手に進んでいく。弓を背中に引っかけた赤毛男が、それでもうやうやしく両手を指し伸ばし、オルトがその上に勿体ぶった仕草でロングソードを——
おいおい!ちょ!待て待て待て!てめえ!赤猫の野郎!エリアスの剣に触んじゃねえ!
「おい!勝負はまだ終わってねえぞ!」
カミルは声を張り上げた。手を祭壇の端に引っかけて弾みをつけ、その反動でカミルはひらりと祭壇の上に飛び上がった。
おお!っとどよめきが沸き上がる。
「おい!赤猫の兄ちゃん!俺とも勝負しようぜ!」
「あ、赤猫・・・」
新たな挑戦者の珍入にオルトはロングソードを取り落としそうになり、赤猫男は口をパクパクさせている。群衆がドッと沸いた。「おお!勝者に挑む挑戦者ってか!」「悪くねえなぁ」「ガキ!やれー!いけー!打ちのめせ―!」皆酒が入っているせいで、手が付けられない大騒ぎだ。カミルは群衆を背負い、オルトと赤猫男(名前、忘れちまった)に向き直った。
「まあ、そんなにやりてぇんなら」と言うオルトに対して、赤猫男はこちらを指さしてぶるぶる震えている。
「お、おま、おま、お前」
「皆もこう言ってるし、別にいいよな?兄ちゃん?」俺なんか怖くもねぇだろ?それともビビってんの?
口の端を吊り上げて挑発すると、赤猫男は髪色と同じくらい顔を真っ赤にして唾を飛ばした。
「はあ!?ビビるのはてめえの方だろ!そこまで言うならやってみろよ!言っとくけどなあ、俺は全部の矢を的に命中させたぜ?」
見ろよ!と赤猫男がカミルの目の前に、小さな板切れを突き付けてきた。それは射撃の得点札のようだ。名前と的に当てた矢の数。それから、ブルズアイ(ド真ん中)からの距離まで細かく書いてある。カミルはその板切れを見て鼻で笑った。
「全部端っこじゃねえか!あ~あ、オトナが的の端っこにギリギリどうにか当てて、イキリ散らかす姿。ダサすぎてビビりそうだぜ」
群衆がわっと笑う。「は、端っこでも俺が優勝したんだからな!」と言う赤猫を「へいへい」と無視して、カミルはオルトから貸してもらった弓矢を受け取ると、祭壇からぴょんと飛び降りた。身を翻したそのとき、エリアスの顔がチラリと見えた。
なんて顔してんだよ。一瞬だけ捉えたエリアスの表情は強張り、固まって、そしてアイスブルーの瞳はこれでもかと言わんばかりに見開かれていた。まるで逃げ場を失った獲物の目、そっくりじゃねぇか。
行かないと言ってたのに、急に乱入したからびっくりしてんのか?それともカミルの奔放ぶりに「行儀が悪い!」と、ちょっと腹を立てているのか?
どちらとも取れる。けれど、どちらとも取れない。カミルがその表情を完全に読み切る前に、足が地について、エリアスの顔は見えなくなってしまった。
弓術大会は別名”町撃ち”とも言われる。その名の通り、町の長い通りが射場になる。申し合わせたように男たちが的を運び出し、人の波が戻りかけた道から通行人をどかせる。踏まれて薄くなった射位には石灰が撒かれ、カミルは矢の数を数えながら射位に立った。
矢は五本か。弦を試しに引いてみるが、緩みもなく悪くない。ただ普段カミルが使っている弓よりは、弦が若干張りすぎな気がするが、この程度なら許容範囲内だ。
石灰線に足を踏ん張り、カミルは矢を番えた。あれだけ騒がしかった周囲から音が消えていく。いや、これは自分が集中しているせいだと、爺さんに言われたことを思い出す。矢を番える。すると周囲から音と同時に世界の全てが遠のいていく。
あるのは自分。それとブルズアイだけ。
カミルは自分だけの静寂の世界で一人、矢を引き絞った。放つ衝撃と、的を矢が射抜く重く確かな手ごたえ。
番えて放つ。
番えて放つ。
それをきっかり五回分。カミルは淡々と繰り返した。
その間、群衆が騒いだのか、赤猫男が悪態をついたのか、カミルの耳には一切入らなかった。矢が尽きて、カミルが腕を下ろしたとき、急にドオッと音と言う音、声と言う声が濁流のように戻って来て、カミルは一瞬驚いて目を瞬かせた。
カミルの放った矢のことごとくが、ブルズアイの——更にド真ん中に綺麗に集中していた。
「優勝は、砦町の悪ガキ代表!カミルだー!」
一度、波が引くように歓声が鳴んだかと思うと、次の瞬間、津波のような大歓声がその場を飲み込んだ。
「う、わ!」
オルトの丸太ん棒のような腕に担ぎ上げられて、カミルは慌ててオルトの頭に噛り付いた。でっかい肩の上からの眺めはいつもと全然違う。皆が小さく見える。どこもかしこも、見るものすべてが「ブルズアイ!」「ブルズアイ!」の大拍手と大歓声で溢れている。
「あ~あ。まさか全部ブルズアイとはな」
赤猫男ががっくりと落とした肩を、男たちがバンバン乱暴に叩いている。「いいじゃねえか!落ち込むなよ!」「そうだぜ!赤猫!」口々に囃す男たちに「誰が赤猫だよ!」と、怒鳴り返す声に、カミルの中で漸く勝利がゆっくりと染み込んでいった。
勝った——これでエリアスの顔に笑い顔が戻る。「すっげぇどころじゃねぇよ!優勝したらロングソードがもらえるんだ!」って興奮に顔を紅潮させていたあの時みたいに。
あまりの大騒ぎに表彰式は、祭壇には移動せず、その場で執り行われることとなった。射位を挟んでカミルとオルトが向かい合い、なぜか赤猫男が「お前ら!静かにしろよ!」と一括して、群衆を黙らせた。
誇らしさで胸がいっぱいに膨らんでいる。その膨らみ切った胸を出来るだけ逸らして、カミルはオルトの顔を見上げた。オルトが所々古い火傷跡が散っている太い腕で、ピカピカのロングソードを両手でこちらに差し出した。
「面白いもんを見せてくれて、ありがとな。名匠の剣はお前のもんだ!」
真新しい革の鞘に収められ、オルトが手に持たせてくれたロングソードは、祭りと歓喜の象徴のように光っている。ずしりと手に来る重み。鉄と革と微かな油の匂いに思わずカミルの唇から笑みが零れ落ちた。
「こっちこそありがと。おっちゃん!けど——これは俺のもんじゃねぇんだ」
「え?」「どういう事?」と言う空気が、波を渡る風のようにさあっと流れて広がって行く。
「どういうことだよ、坊主」
「俺よりも”メイショー”の剣に相応しい奴がいるってこと」
カミルは人込みの中から素早く銀髪を見つけ出すと、重い剣を両手で抱きかかえながら、よたよたと駆け寄った。
人込みに隠れるようにして、エリアスがいる。その隣には爺さんが渋い顔で(いっつも同じ顔だけどな)立っている。カミルは迷うことなく、エリアスの目の前にグイっとロングソードを突き出した。
「これは——お前のもんだ」
周囲から微笑ましい声が漏れ出す。「へえ?」「もともとあの子の為に?」「なんか、いいじゃねえか」
エリアスの顔がゆっくりと上がり、カミルを見る。しかしその表情は——到底笑顔とは程遠いものだった。顔色を失くし、表情は強張り、言葉すら失って——
そうか。エリアスはやっぱり怒ってるんだ。カミルは弾んでいた息を整えた。
勝手な事ばっかりやる俺の事に、今日と言う今日こそ腹を立てているんだ。だったら——謝るしかねえな。
「いっつも迷惑ばっかかけて、ごめんな」
カミルはノロノロと頭を下げた。
「お前はさ、自分のことが嫌いかもしれねぇ。けど俺にとってはお前はいつだって——」
「ふざけるな!!」
エリアスの震える怒声が、カミルの言葉を容赦なく叩き落とした。さっきまでの微笑ましくも温かい空気が一瞬で凍り付く。
エリアスの拳が震え、炉端で二人で作った弓も、その手の中で一緒になって震えていた。
「お前なんか——」
絞り出すようなかすれた声がエリアスの口から洩れる。
「お前なんか——大っ嫌いだ!!」
その叫びを置き去りにして、エリアスはダッと人込みの向こうへと駆け出した。




