第五十九話 『狼ズシャ!の剣 ④』
ところで”シツボー”って何だ?と後でエリアスに聞いたら、盛大なため息とともに——
「お前・・・二度と『俺はヴァルドじゃない』なんて言うなよ」と言われた。
串焼き肉を食べてしまって、串まで舐めてから、カミルはそれを草むらの、うんと遠くの方にぶん投げた。弓術大会は午後に迫っている。午前中は楽しくもねぇ司祭の説教と、踊りだけだもんな。
あ~あ・・・。
草むらにひっくり返って、カミルは珍しくため息をついた。
あの日以来、爺さんは必要な事しか話さない。だからエリアスとカミルも、それに倣った。しかし約束は約束なので、二人は準備だけは入念に整えた。シャフトを真っすぐに削り出し、羽根の巻き方なんて、武器屋のおっさんに見てもらった(爺さんに頼むの癪だしな)。
エリアスは練習に余念がない。毎朝それこそ暗いうちから起きて、剣の訓練をした後で、弓の練習にいつもの倍以上の時間をかけていた。問題は、それでもエリアスの腕前が、さっぱり上がらないってこと。でもカミルが手伝おうとすると、いっつもやんわりと追い払われる。「一人で大丈夫だ」とか「今は弓の調整中だ」とか「あっちでお婆様が呼んでいたぞ」とか。一度だけ、あんまりにも放って置けなくて、カミルが矢を集める係を買って出ようとした時、エリアスが妙に真剣な声で呟いた。
「カミルがいると・・・焦るんだ」
確かにそう聞こえた。え?なんだって?って聞き返しても、はぐらかされるだけだった。焦るって何だよ?俺が悪いのかよ?
エリアスの小さな言葉が、カミルの胸の奥で、よく分かんねぇ形の火をちょっとだけ灯した。
みんな考えてること、難しすぎる!爺さんもエリアスも。
爺さんがエリアスに期待してる。それなのに”騎士道”とか言うのが邪魔をして、弓術大会に出ることも賞品をもらうこともダメ。
エリアスはエリアスで、「弓術大会に出てやる!騎士道も大事かもしれないけど、時には新品のロングソードの方が大事なことだってあるんだ!」とかなんとか言えば良いのに、な~んにも言わねえ。もじもじシャフトをこねくり回してるだけでさ。
あと、あれだよ。「俺が出りゃいいだろ?」って言ったとき。なんでエリアスは、あんな表情になったんだよ?カミルは枯れた草の上で寝返りをうった。とんがった細い葉っぱの先っちょが、カミルの鼻先を揶揄うようにくすぐる。
そんなガラでもねぇこと考えてないで、なんかやろうぜ。踊りが嫌なんだったら、見世物小屋にでも行こうぜ?と。カミルはうるさい枯れ草を、手のひらで平たく押しつぶした。
俺が出れば全部丸く収まんじゃねえか。
胸の奥の”よく分かんねぇ”小さな火が、また燻り始めた。
俺がエリアスの代わりに弓術大会に出たら、なんでダメなんだ?ロングソードも手に入るし、エリアスは爺さんとも喧嘩しないで済む。俺?俺はいいんだよ。だって”ヴァルド”じゃねえし。けどそれもダメだって言われる。ヴァルドじゃないとか言うなって——。
カミルはまた寝返りをうった。秋の空は澄み切っていて、どこまでも青い。その青さすら、カミルには新しい謎かけのように思えてならなかった。
期待するってなんだ?好きってこととは違うのか?なんでみんな、思ってることと真逆の事を言うんだ?
期待するってなんだ?好きってこととは違うのか?なんでみんな、思ってることと真逆の事を言うんだ?本当のことを言わねぇで、心の奥底にしまい込んでる方が、不安になるもんじゃねえのか?ほら、道具箱の下の下になってる小さな釘みてぇに。いつか見つけた頃には錆びついて、もう「釘」とは言えないような形になったりするんじゃないかってところまでは、なんで考えないんだ?
少し冷たい風が枯れ草を撫でる。その音を破ってカミルをと呼ぶ声が響いてきた。
「お~い!カミル~!」
声は思ったよりも近くでしたので、カミルは思わず体を起こした。見ると、町の方からエリアスが走ってくるところだ。手には、二人でこしらえた弓を握っている。
「まったく。どこ行ったかと思った。もうすぐ始まるぞ」
カミルは草の上に座り直して、息を弾ませながら近づいてくるエリアスの方を見上げた。
「何やってんだ。行くぞ」
エリアスが手をこちらに突き出した。チラッと見たエリアスの手。中指と薬指の付け根には、すっかり硬くなったタコが出来ている。何度も何度も弦を引き続けた結果だろう。例えそれが、何度も何度も的を外した結果だったとしても。
カミルは差し出された手から、クイっと顔を背けた。
「俺・・・いいわ」
「は?何言ってんだよ、お前?」
「いいって言ってんだよ。元々お前が始めたことだろ?俺は乗っかっただけだっての」
膝を抱え、カミルは体ごとエリアスから背を向けた。目の前には紅葉した木々と、その向こうの山々のすそ野に広がる、黒々とした針葉樹の尖がった先っぽしか見えなくなった。風に吹かれた枯れ草だけが「な~に?喧嘩してんの?」と言いたげな呑気な音を立てている。風で草が戯れる音と、遠くから聞こえてくる踊りの音楽。エリアスが立ち去る気配は感じられない。カミルが顔を背後へ向けると、やはりエリアスはその場に立ち尽くしていた。弓を握りしめて。
「早く行けよ」
俯いたエリアスの肩がピクリと震える。いつもキリッと、それこそ的を射る矢のように真っすぐな目が、今はこちらを向いていない。胸の奥の”よく分かんねぇ”小さな燻りが、小さな火花を飛ばした。
「俺がいたら焦るんだろう?だったら、いない方がいいじゃんか」俺のこと、嫌いなんだろ?
エリアスが急に顔を上げた。その動きがあまりにも素早くて、カミルは思わず斜めにのけぞりかけた。
「違う」
違うって何だよ?エリアスの顔が緊張で真っ赤になっている。
「お前がいると、焦るって・・・、いない方がいいとか、嫌いとかじゃなくて・・・」
エリアスの態度に、カミルは完全に面食らった。カミルにとってエリアスは年長者だ。いつも落ち着いていて、強くて、余裕があって、迷いがない。それが今はどうだ?目の前にいる少年は、自分よりも幼いカミルを相手に、まるで泣いているように拳を震わせ、言葉をつっかえさせている。カミルは慌てて、火花を飛ばした小さな『熾き』を叩き消そうとした。その時——エリアスが言った。
——俺が嫌いなんだ——
は?え?誰が誰を嫌いだって?カミルは訳が分からずに目をぱちくりさせた。
「俺が、嫌いなんだよ。お前じゃなくて・・・俺が」
その声は声と言うよりも、エリアス自身の血肉に思えた。胸の奥底にしまい込みすぎて、肉と同化してしまった気持ち。それを、喉を引き裂いて抉り出し、カミルの前に並べたような——
エリアスはふいに踵を返した。いつもなら、カミルが拗ねても、怒っても、ふてくされても、辛抱強く待ってくれていたのに。今日は違う。弓を握りしめて、草を蹴って、その背中がグングン遠ざかって行く。
礼拝堂の鐘が、広場の方から途切れがちに聞こえてくる。エリアスが瞳を輝かせ、カミルがそれに盛大に乗っかった弓術大会は、もうすぐそこまで迫っていた。




