第五十六話 『狼ズシャ!の剣 ①』
煤の黒ずみと、白い旨味の膜。その膜から見え隠れしている皮は、見事なあめ色に燻じられ、まだ熟成途中とは言え、十分なほどの照りを見せつけてくる。肉の匂いとハーブの香りが鼻をくすぐり、カミルは湧いてくる唾を飲み込んだ。
これはつまみ食いじゃねぇ。熟成の出来栄えを見るっていう立派な仕事だ。などと言い聞かせ、カミルはグラグラする足場の上で、梁から垂れ下がる腸詰に向かって手を伸ばした。
いつもならこの時間、婆ちゃんは洗濯だし、爺さんは収穫祭の準備だって出てったし。エリアスは——そう言やあいつ、どこ行ったんだっけ?まあ、いいや。どっちにしろ、今がチャンスだってのは変わらねぇもんな。
よし!掴んだ。と思っても脂でつるりと逃げてしまう。
「くっそ!大人しくしろってんだ」
煙出しの隙間から差し込む秋の日差しが、揺れる腸詰に光を投げる。あめ色の皮が光を跳ね返し、「惜しかったな、小僧。ほら、こっちだぞ」と言わんばかりに揺れている。いや、揺れたのはカミルが掴み損ねたせいなのだが。腹を空かせた十歳の少年からは、完全に腸詰が悪者だった。
腸詰のヤツ!舐めやがって!俺を揶揄うとは、良い度胸じゃねえか!
「おまっ・・・!ぐぬぬ・・・!よし!」
ガシっと掴んだところまでは良かった。今度は皮のくびれが千切れない。本当なら隣の巨大な燻製肉の塊を狙いたいところだったのだが、さすがにバレるだろうと、腸詰を選んだと言うのに。
「千切れろよ!・・・てめっ!」
体重をかけるとつま先がふわりと足場から浮いた。調理台の上に椅子を乗せてもまだ届かず、更に木箱を乗っけたのが裏目に出た。浮いたつま先がコツンと木箱に当たり、ガラガラと派手な音を立てて崩れ落ちた。その瞬間——
「カミル!一大事だ!」
勢いよくドアが開いて息を切らせたエリアスが飛び込んできた。
「はあ?お前、こっちの方が一大事だっての!ってか、助けろー!」
叫んだ瞬間、手の中で嫌な手ごたえがあった。ぶち・・・。
「う、うわぁぁ!」
カミルは、倒れた椅子とひっくり返った木箱が散らかる調理台の上に投げ出された。
「いっ、ててて・・・。あ!」
果せるかな。脂まみれの手の中には、良い感じに千切れた腸詰が収まっていた。
「お前・・・、また盗み食いか?」
エリアスが呆れたように手を差し出してくる。
「ほら、そこ動くなよ。危ないだろ・・・まったく」
カミルは当然のようにその手を掴むと、ピョンっと調理台から飛び降りて、戦利品を噛みちぎった。噛んだところから、濃い塩味と共にジュワッと脂が染み出して口の中に広がった。思った通り、もうすっかり腸詰は食べごろだ。
「うま・・・っ!」
「ったく。お婆様に見つかったら、どうすんだよ。片付けろよな」
片付けろ、片付けろと言いながら、いつも先に片付けてくれるのがエリアスと言うものだ。今も、調理台の上の椅子を掴んで下ろし、今度は木箱に取り掛かっている。
「で?一大事ってなんだよ?」
腸詰の端っこを千切って差し出しながら、カミルはエリアスが木箱を下ろし終えるのを待った。エリアスは差し出された腸詰の切れ端に目をやると、一瞬だけ眉をひそめて動きを止めた。視線がチラリと家の入口の方へ向けられる。次いで開けっ放しの窓の方へも。婆ちゃんの気配がない事を確認するや否や、腸詰の欠片を受け取るとパクっと口に放り込んだ。あ、怒ってても食べるんだ。
「・・・うまっ。じゃなくて!聞けよカミル!」
慌てて飲み込み、エリアスは思いだしたようにカミルの両肩を掴んだ。
「今年は豊作だったから、鍛冶屋の連中が弓術大会もやるって!」
弓術大会だ?カミルは残った腸詰を、ポイと口の中に放り込んだ。そんなのどこが面白れぇってんだよ。的を狙って撃つだけだろ?ガキにも出来らぁ。とは口が裂けても言い出せない。なぜなら、エリアスは弓の腕前が壊滅的にヘタクソだったから。動いている的はおろか、静止している案山子にかすった場面すら、お目にかかれた事がない。そのエリアスが弓術大会?
「もしかして、賞品がすっげえのか?」
「すっげぇどころじゃねぇよ!優勝したらロングソードがもらえるんだ!」それも新品!ピカピカ、打ち立てのやつ!
いつもは静かな湖みたいな瞳が、この時だけはその”新品のロングソード”に負けないくらいピカピカと光っている。
「へえ!?そいつはすげぇや!」
カミルもつられて目を輝かせた。別にロングソードが欲しかったわけではない。弓術大会にも興味はない。ただ、こんな風に両手を振り回して興奮しているエリアスが、単純に嬉しかった。カミルの知るエリアスはいつも真面目で、訓練と手伝いと勉強しかしないような奴だ。遊びに誘っても、一言目には「やめとけ」だの「あぶないだろ」だの、面白くないことしか言わない。とは言え、結局いつもエリアスはカミルに「遊び」に付き合ってくれた。ついでに、叱られたり罰を受けたりするのにも。
鍛冶屋の通りにはちょっとした人だかりが出来ていた。ゴミだらけの板切れをさっと払ったところに、やけに流麗な文字が書きつけられている。
「うわ!文字が綺麗すぎて読めねえ!」
カミルが呻くと、隣にいた若者達が揃って首を傾げた。「そもそも何て書いてあるんだ?」「弓と剣の絵が描いているのは分かるよ」「弓と剣の闘いが見れんのかな?」板切れを見てそれぞれが、思い思いの考察を口にする。そりゃそうだ。俺だって爺さんにうるさく教えられてなきゃ、まるっきり読めねえもん。
「ええっと?しゅー・・・かく?さい、んとき?・・・とう?」
カミルの手を引いていたエリアスが大きくため息をつくと、板に書かれた文字をすらすらと声に出して読みあげた。
「収穫祭の折、同時に弓術大会を催す。優勝者には——新品のロングソードを授与。ルールは五本の矢を的に当てて、的に振られた点数を競う。より高い点数を獲得した者を優勝とする。なお、同点の場合は決勝戦を行う。だそうだ」
「——だそうだ!」
すかさずカミルが便乗した。「おい」とエリアスが軽く小突く。それに「えへへ」と返しておきながら、カミルはもう一度、薄汚い板切れに似つかわしくない文字を見上げた。エリアスに読み上げてもらって内容が分かった男たちが、ワイワイと騒ぎ始める。「面白そうだな!」と喜ぶ者に「剣なんてもらっても使わねぇよ」と興味を失くす者。逆に「いや、剣術とか出来なくても、ほら、護身用にさ」などと言い出す奴まで千差万別だ。
「これ・・・子供も出られるのかな?」
エリアスが急に不安そうな声でポツリと呟いた。カミルが見た感じ(と言っても分かる単語は半分くらいだが)”子供不可”とか、”禁止”と言った単語は見あたらない。
「お?お前たち、ヴァルドの爺さんとこの子供らかい?」
出先から戻って来たらしい若い男が、カミル達に気さくに声をかけてきた。エリアスが礼儀正しく頭を下げる前に、カミルは若い男の前に走り出た。
「なあ、あんた。この鍛冶屋のもんだろ?これ子供でも出られんのか?」
「カミルっ。失礼だろ!」エリアスが服の裾を引っ張るが、カミルは無視した。だって、出れるかどうか気になるじゃん。男はカミルの無礼な態度に全く動じることもなく、アハハと朗らかに笑った。
「出たいのかい?騎士の血を引く君たちが出てくれるんなら、大歓迎だ」
「ま、マジか!」
「本当ですか!?」
エリアスが目を丸くし、カミルは思わず拳を作ってガッツポーズをした。「まあ、張り切りすぎて怪我だけはすんなよ?」とカミルの背中を叩くと、男は混雑する鍛冶屋の中に入って行った。
「・・・頑張ろう・・・俺」
エリアスの声は、秋風に攫われそうなくらい小さいのに、圧倒的な熱量を帯びていた。カミルはニカッと笑うと、エリアスの背中を思いっきりひっぱたいた。
「いった!」「決まりだな、エリアス!ロングソード!取りに行こうぜ!」エリアスの抗議する声とカミルの明るい声が重なり合う。
——面白くなってきたぜ!
心が、焚火の中の栗の実みたいに、パチンと弾んだ。




