第五十五話 『追放』
寒風を真ん中から真っすぐに切り裂くように、カミルは通りを歩いていた。いつものカミルなら寒さに身を縮こまらせたかもしれない。だが今のカミルには冷たい風どころか、例え氷塊の中に突っ込まれたとしても寒さを感じないだろう。それくらいカミルは怒っていた。心の中は、冷水でイノシシの内臓を洗った後の手のようにガサガサにささくれ立ち、不快極まりない。たった今エリアスから告げられた言葉のせいだ。
クソッ!
目の前に酒場の扉が見えてくると、カミルはまるで蹴破る勢いのままに、重たいオーク材の扉を開けた。蝶番が悲鳴をあげ、勢い余って壁に激突する。衝撃で梁にこびり付いた煤が、パラパラと落ちてくる。テーブルに背中を丸めて酒を呷っていた連中が、ビクッと肩を震わせて一斉にカミルを仰ぎ見た。
脂の浮いた顔。不機嫌そうに歪んだ口元。ぼさぼさでバリバリの髪の毛。おおよそ薄汚い男どもの見本市みてぇな連中の、濁った視線を掻き分けながら、カミルはカウンター席にドカリと尻を下ろした。
「酒くれよ」
ブラントが黙って、巨大なジョッキにエールを並々と注いでくれる。
「なんかの祝杯か?」
「いや。やけ酒だ」
溢れかえる怒気をまき散らしながら、ジョッキを引っ掴むとカミルはエールを呷った。冷え切った喉元を、とろりとした麦の甘みと、酵母の粒々した感触が通り過ぎて行く。舌先にほんの少しだけ残る、ピリッとした酸味にも似た刺激が、カミルの苛立ちをほんの少し和らげてくれた。へえ。作りたてかよ。いい時に来たもんだぜ。
早くも空になったジョッキにお代りを注ぎながら、ブラントがボソリと聞いてきた。
「エリアスの具合はどうだ?」
ガン!カミルは受け取ったジョッキをカンターテーブルに思いっきり叩きつけた。中身が盛大に跳ねてカウンターの上に飛び散る。いつもの殺伐とした——ある意味和やかさを纏った——空気を取り戻しつつあった場に、再び亀裂が入る。
「酒飲んでるときに、あいつの名前なんて出すな!聞きたくもねぇ!」
「何があったんだ?」
ブラントが布切れをこちらに放ってよこしながら、ボソリと問うた。どうやら「自分で拭け」と言う事らしい。カミルは布切れを掴んで、怒りに任せてぐしゃぐしゃと手の中で丸めた。
「あいつ、俺に「失せろ」って言いやがった」
ブラントは、はあっと大きく息をついてから、太い幹のような両腕をカウンターに突いた。そしてカミルの顔をマジマジを見つめてきた。洞穴の中に隠れているウサギでも見るような目つきで。その眼には、嫌と言うほど覚えがあった。まだガキの頃。何か嘘をついて誤魔化そうとする度に、大人たちが向ける眼。
へえ?本当に?話を盛ってないかい?腹立ちに任せて、大きく言ってやしないかい?そう尋ねる「大人」の眼。
「あいつがそう言ったのか?」
あ~あ。分かったよ。降参だ。
カミルはくしゃくしゃに丸めた布切れをカウンターに放り投げて、芝居がかった動きで両手を打ち鳴らした。そして出来るだけ背筋を伸ばして、声を落としきりっと眉を引きあげる。自称騎士の奴がいつもやってるみてぇに。カミルは小さく咳ばらいをすると、真っすぐにブラントを見ながら、おもむろに口を開いた。
「俺はもう大丈夫だ。お前は——宿屋に戻れ」
一瞬空気が物音までもを吸い込み、凍り付くように止まる。その直後、ブラントが小さく吹き出した。
「それ、あいつのモノマネか?」
「どうだ?似てたかよ?」調子付いて言うとブラントは、笑いを引きずりながらも、やおら首を大きく振った。
「いいや。大根役者の三文芝居だなあ」
頼んでもいないのに、ブラントがカウンターの上に黒パンの欠片を無造作に置いた。その隣には、何が入っているかよくわからないポタージュまで。
「芝居分の報酬だ。食え」
カミルはパンを千切ってポタージュに浸してから、口に放り込んだ。まずくはない。だが、アルフリーダの作るシチューやスープとは決定的に何かが違っていた。風味か?香りか?そう言やあいつ、料理にはハーブを使ってたよな。俺らの婆さんみてぇに。カミルを育ててくれたエリアスの祖母。歳をとっても艶のある頬と、暖かい笑顔が脳裏に浮かぶ。次いで、爺さんの厳格そうな顔も。
「ま、なんだな。少なくとも喋れるくらいには本復したってわけか」
「知るかよ!」
口にパンを詰めたままプイと顔を背けた。
「どうにか起きれるようになったってのに、なんも話さねぇしよぉ」
怒気と共にエールをかっ喰らう。絶対に何かあったのは間違いねぇ。そうでなきゃ、二人があんな風になるはずがねぇ。それなのに、漸く口を開いたと思ったら「出て行け」と来た。やってられねぇよ!
「で?いじけてんのか?兄貴に追い出されちまったから」
カミルは目を剝いてブラントに噛みついた。
「はあ!?いじけてねえし!そもそもあいつは兄貴でもねぇ!」
「そうか?」
突然別の声が差し込まれ、見るとテーブルにいた男がそこにいた。萎びたカブがこっちに話しかけてら。と思うほど、クシャクシャと皺でとたるみで歪んだな顔の男が、カミルの隣に落ち着き、じっとこちらを見つめてくる。なぜか頭頂部にだけ茶色い毛が残っているところも、カブみてぇだ。その上顔は萎びカブなのに、目だけはやけに明るい光を帯びていて、まるで萎びたカブに宝石でもねじ込んだように見える。そこが何故だか無性に気に食わない。んだよ、おっさん!入ってくんなよ!と言おうとした時、カブ男が口を開いた。
「お前、カミルだろ?ヴァルドんとこの」
「俺はヴァルドじゃねぇし、エリアスは兄貴じゃねぇ!」
ブラントが黙って男のジョッキにエールを注いでやる。
「まぁまぁ落ち着けって。血が繋がってねぇってのは知ってるさ」お前の方が男前だもんな。と付け加えながら、カブ男はジョッキを傾けた。思わず席を立とうとした時、カブ男がカミルの肩を押さえた。何すんだ!
「ブラント。このガキに干し肉でもくれてやってくれや」カミルに視線を移し、ニヤリと黄色い歯を見せて笑いかける。
「それともお前にゃ、蜂蜜入りのケーキがいいか?」
ブラントが差し出す、炙った干し肉の皿を引っ掴み、カミルは躊躇なく口に押し込んだ。誰がガキだって?
硬い肉をガツガツやっているカミルを肴に、カブ男はエールを飲み干した。その笑い方も気に食わねぇ。まるでガキとか孫を満足そうに見つめる目つき、そのまんまじゃねぇか。
「あいつと兄弟じゃねえって?」
「実際、そうじゃん」
骨を皿の上に放り出し、カミルはさっきの布切れで手に付いた脂を拭った。ブラントがカブ爺のジョッキにエールを注ぎ足す。
「お前、覚えてるかよ?弓術大会の事を?」
ジョッキを持ち上げるカブ爺に、ブラントが大きく頷いた。
「ああ。あれはいつになく麦がパンパンに実を太らせた年だったよな」
そうそう。と爺が懐かしむように眉毛を下げる。
弓術大会。その言葉がカミルの記憶を掘り返し始めた。収穫量が跳ね上がったことで、その年は鎌やら鍬やらの注文が山のように舞い込み、町の鍛冶屋連中が嬉しい悲鳴を上げていた。それに気を良くしたのか、ただ単に調子に乗ったのか知らないが、鍛冶屋の親父連中が言い出した催しだった。賞品は忘れもしない、新品打ちたてのロングソード。普段は落ち着き払ったエリアスの目が、年相応に輝きを放っていたことが、脳裏に鮮やかに蘇ってくる。
酒と煙の匂いに混じって、その年の秋の空気がカミルの中で、ゆっくりと輪郭を取り戻し始めた。




