第五十二話 『カミルの懸念』
リュカの話が終わっても四人はすぐにとは、ものを言えなかった。ティナはは自分で自分を抱きしめ、ルークは強くミレイユを引き寄せている。
「見間違いだったとしても、ちょっと怖いぜ・・・」
言いながらルークはミレイユの細い肩を温めるように撫でさすった。
「見間違いなんかじゃねえって」
「まあまあ。そんな気色ばまないで」
ふくれっ面になるリュカをミレイユが優しく窘める。こんな話を聞いてカミル自身はどうかと言うと、正直なところホッとしていた。良かった。オバケがただの幽霊で。いや、ただの幽霊ってなんだよ。
自分自身に突っ込みながら、カミルはチラリと眠っているエリアスの方に目をやった。静かな寝息。時折ひくりと動く眉。
アルフリーダは、朝と夕方に包帯を替える。その時に見えた傷は、やはりどう見ても鋭利な刃物によるものだった。剣での斬り合い。それが一番しっくりくる傷口だ。脇腹も弱点になりやすい。けど——
剣でこいつに傷を付けられる者。現代の外郭で、剣術を習おうなんて酔狂者はほぼいない。それよりもやるべきこと——畑仕事や生活を営むこと——の方が圧倒的に人々の心を占めていたからだ。
カミルはふと顔を上げて、「見たんだって」「マジかよ」「私も帰れないじゃん!」などとやり合っている四人の間に割り込んだ。
「なあ、リュカ。そのオバケ、本当に女だったか?」
「ひでぇ!カミルまで信じてくれねぇのかよ」
リュカがふくれっ面を更に膨らませようとして、カミルは慌てて手を振った。
「ちげぇよ。勘違いすんなっての。そうじゃなくて、ほら、そんな物騒なやつが出歩いてんならさ、詳しいこと聞いときたいだろ?」少なくともこいつならそうするんじゃね?
カミルは親指で眠るエリアスを指し示した。混ぜっ返されていた場の空気が、スッと静かになる。ったく。こいつの影響力、半端なさすぎだろ。
「・・・で、どうなんだよ。本当に女に見えたのか?例えば甲冑を着たごつい男とかじゃなくて?」
「女かって言われたら・・・よく分かんないけど。でもごつい男じゃなかった。だってチビだったもん」
「チビって、お前よりもチビなら赤ん坊じゃねえか」
ルークが吹き出すと、リュカはあからさまにむくれ顔になる。
「大人の男に比べたらって意味だよ!ミレイユ姉ちゃんくらい、かなあ?」
全員の視線がミレイユに集中する。
「ミレイユくらいってことは、私よりも小さいくらいよねえ?」
ティナが手を横にして、自分の頭上からミレイユの方へスッと滑らせる。ティナの手はミレイユの耳あたりにぶつかり、ミレイユが「ひゃっ」と悲鳴をあげた。そんなんじゃ比べたことにないらねえだろ。とは思ったが、カミルは口を挟まずにリュカの言葉を頭の中で噛みしめた。幽霊の性別などどうでもいい。それよりも重要なのは——その幽霊が”奴ら”かどうかだけだ。
「確かか?」
カミルが低く問いかけると、リュカは胸を張って自信満々に頷いた。
「うん!礼拝堂の階段のさ、上がり口にナナカマドの木があるじゃん。あの一番下の枝に届くか届かないかくらいだったし」
「ナナカマド?そんなの、あったっけ?」
ティナが小首を傾げる。
「あるよ!だって毎年冬が来る前に、皆で実を取るんだ。すると、司祭さんが甘いジャムにしてくれるんだよ」
リュカの声が弾んでいる。大方、司祭が孤児たちに「仕事」として実を取らせ、「報酬」としてジャムを食べさせているんだろう。へえ。あの禿げ頭の司祭のヤツ、なかなかアジなことすんじゃねえか。
「で?その”一番下の枝”ってどれくらいの高さだ?」
「え~とね。オレが木箱に乗っかってギリギリ届くくらい!」
リュカが立ち上がって、先ほど板を乗せてテーブル代わりにした木箱の上に飛び乗った。
「私と同じくらい?」ミレイユも立ち上がってリュカの隣に並ぶ。確かに。こうして見れば、二人の頭の位置にあまり変わりはない。
「んじゃお前、ナナカマドの収穫の時、全然届いてなかったってことじゃねえの?」
「と、届かねえけど、オレは木を揺する係なんだよ!」
「あんな大木を?お前一人で?」
「実が落ちてくりゃ、なんでもいいんだよ!ってか、もう!そんな話、カンケ―ないじゃん!」
喧騒に身を委ねながらカミルは全然別の事を考えていた。具体的な高さまで覚えているということは、おそらく勘違いや見間違いと言うことはなさそうだ。カミルは改めて胸を撫でおろした。
ただの幽霊なら、怖いだけで済む。ただの幽霊なら、斬りつけられることもない。
エリアスを傷つけたモノが何なのか分からなくても、少なくともこの町に”奴ら”が迷い込んだわけじゃない。その結論が漸くカミルの中にしみ込んでいった。
一度だけ——子供の頃エリアスにくっついて、城に肝試しに行ったことがある。そこで見た”奴ら”。殺気を魔法で塗り固め、人間らしさの代わりに、氷のような怨念を詰め込んだ抜け殻みてぇな騎士達。あれが何かしらの理由で町に来たら、幽霊どころの騒ぎではすまない。その上、更に悪いことに奴らは百年前の精鋭部隊だ。子供の頃、エリアスの一緒に、爺さんから嫌と言うほど叩き込まれた剣術や弓術があっても、死なない騎士を相手にどれだけ立ち回れるかなんて考えたくもない。
エリアスを傷つけられる奴がいるとしたら、城に巣食っているノクスベインしかいないだろう。しかし、もしそうだとするのなら——
カミルは人形のようなアルフリーダの横顔を、探るように見つめた。エリアスは城に行ったのか?もし行ったのだとしたら目的はなんだ?無駄と知りつつアルフリーダに問いかけたこともある。だが返って来たのは虚しい沈黙だけだ。
「とにかくさあ、帰り道が怖いから、ルーク兄ちゃん、送ってってよ」
リュカが木箱の上でピョンピョン跳ねた。ガタガタと木箱が、リュカの「お願い」に合わせて、騒々しい音で加勢する。
「そうよ、ルーク!私のことも送って行ってよね。こんな話聞いた後で、か弱い乙女をまさか一人で帰したりしないわよね」
”か弱さ”など微塵も感じさせないくらいの威圧感で、ティナがルークを睨みつける。ルークの隣でミレイユが促すような視線を彼に送る。「皆を送ってあげて?」ミレイユの視線がそう語りかけているが、ルークは弱り切ったように頭をかいた。
「いや、そうしてやりたいのは山々なんだけどさ。ティナはともかく、リュカが住んでる礼拝堂って俺たちの家とは反対方向だろ?明日も家畜の解体作業がさ・・・」
「ひでぇ、ルーク!オレがおばけに食われちゃってもいいってことー!?」
カミルは思わず吹き出した。さっきまでの重苦しい空気が少しだけ霧散した気がした。
「幽霊がお前なんか食うかよ」
ポンッと膝を打って、カミルは立ち上がると、さっき脱いだばかりの外套に腕を突っ込んだ。
「しゃあねぇなあ。俺が送ってきゃいいんだろう?」




