第五十一話 『佇む亡霊』
——あれはさぁ、交換広場でハンスさんの片づけを手伝った日だったっけな。
いつの間にか洗い場から戻ってきたティナたちが話に加わり、藁束の上に腰を下ろして頬杖をついた。ミレイユはルークにもたれかかり、ルークは彼女の肩を抱いている。ただ一人、アルフリーダだけが輪に加わらず、エリアスの前に座り、こちらに視線すら向けない。
——パイを焼く窯の周りでハンスさんの手伝いをしながら、落ちた野菜とか、壊れた籠とか拾ってたらさ、もう空が真っ暗になっちゃって。
手元が見えにくいなあ。と思った時には、周囲はとっぷりと日が暮れていた。
あれ?もうこんな時間?見回すと、ほとんどの店が戸を立てているか、立て始めている。さっきまではまだ広場を照らしていたはずのお日様の姿はとうになく、真っ黒い森のガタガタした影だけが遠くに見える。
「すまねえなあ、リュカ。もう片付けに入ってくれ!」
店の外壁にくっつくようにして組まれた竈から、今日最後のパイを引っ張り出しながら、ハンスが申し訳なさそうにリュカの方を見た。
「はぁい!」
リュカは元気よく返事をすると、手早く周囲のゴミをかき集めはじめる。
ゴミと馬鹿には出来ない。ゴミの中にはお宝が隠れているものだ。まだ食べられそうなベーコンの切れ端とか、人参や芋の小さいのとか。木切れでも糸くずでもリュカにとっては立派な”お宝”だった。
リュカはそれらを見つけると、不格好なまでに大きなポケットに手当たり次第に詰め込んだ。大きすぎて、七面鳥のスヌードが腰からぶら下がってるみたいだと笑われることもあるが、そんな事は恥でもなんでもない。こちとら、食いもんが入れば何だっていいんだ。
「リュカ!」
ハンスが声を張り上げてリュカを呼んだ。慌てて駆け付けると、ハンスが肉入りパイを最後の客に手渡しながら、こちらに目配せしている。視線の先を辿ると、窯から火掻き棒が飛び出していた。どうやら灰を掻きだしている最中だったみたいだ。
「悪いな。灰の始末をたのまぁ!」
「うん!」
元気よく答えて、リュカは落ちていた火掻き棒を手に、灰を掻きだした。もわっと白い塵が舞い上がる。灰を吸い込まないように袖口で鼻と口元を押さえながら、リュカは燃え残りがないように目を凝らした。火種は暗い方が良く見える。リュカは火掻き棒で小さな熾火を全部叩き消すと、灰を綺麗に竈の外に掻きだした。明日もハンスが仕事をくれるかどうかは分からない。それでも丁寧な仕事は次の仕事を呼ぶ。例え幼くても、リュカはそれを経験で知っていた。
掻きだした灰を、店の軒下に煉瓦で区切ってある灰置き場に山にして積み上げておく。この作業は大好きだ。あったかいし、ちょっぴり楽しい。リュカは山にした灰山に、こっそりと手形を残してみた。ふかっとした手触りにざらついた燃えカスが触る。つい楽しくて幾つも手形を作っているとハンスが声をかけてきた。
「すまんなあ。遅くなっちまって」
「いいよ。大丈夫」
手を叩いて灰を払いながら、リュカは何もしていない風を装ってピョイッと立ち上がった。ハンスの目が一瞬灰山の手形に向き、ほんの一瞬だけ目尻を下げる。一瞬、怒られるかな?とヒヤリとしたが、ハンスは何も言わずにリュカを手招いた。
「こっちに来いや。これは残業代だ」
素直について行くと、ハンスがスヌードの中に肉入りパイの残り物をどっさりと詰め込んでくれた。こんだけあったら、皆と分け合ってもお腹いっぱいになるかもしれない!リュカは満面の笑顔でハンスに頭を下げた。
げた。
「ありがとう!」
「いやなに。こっちこそ助かったぜ。けどお前・・・」
ハンスの視線がチラリと、うらぶれた大通りの方へ向く。大通りとは名ばかりで、夜になると人通りは極端に少なくなる。きっとリュカの帰り道を心配してくれているんだろう。リュカはニカッとハンスに笑ってかわざと胸を張って見せた。
「だいじょうぶだよ!こう見えてもオレ、5歳だぜ?迷子になるトシじゃねえ」
ハンスは皺の浮いた顔に苦笑を浮かべると、リュカの頭を軽くくしゃっと撫でた。
「そうかい。なら気いつけて帰れよ。・・・なんか最近、幽霊が出るとか言う噂だしな」
「幽霊なんているわけないって!おどかしっこなしなぜ?ハンスさん」
リュカは笑い飛ばすと、もう一度丁寧にハンスに頭を下げると薄暗い大通りに向かって歩き始めた。
帰り道は、足取りが軽く・・・とはならなかった。心は弾んでいたが、ポケットが重くて下手をしたら、せっかく貰ったパイが零れ落ちそうになってしまう。
皆と暮らしている礼拝堂は通りの突き当りにある。目と鼻の先だが、御馳走を落とすわけにはいかない。リュカははやる気持ちを押さえつつ、(ポケットも押さえつつ)、慎重に礼拝堂への道のりを歩いていた。
物心ついた時から、色んな駄賃仕事をさせてもらって来たが、こんなに遅くなったのは初めてかもしれない。通りの少ない店も全部鎧戸を下ろしている。灯りと言えば、冬の夜空にかかる細い月明かりだけ。寒い。リュカはポケットにもう片方の手も当てた。パイの温もりがほんのりとリュカの凍えて汚れた手に温もりをくれた。
皆はもう寝てしまっただろうか。皆でそこら辺に落ちていた石を積み上げて補修した階段を上りながら、リュカは仲間たちの事を思った。礼拝堂の隅っこではリュカを含めて7人の孤児たちが暮らしていた。皆リュカのように行き場のない子供達ばかりだ。特段司祭が面倒を見てくれるわけではないが、それでも追い出される心配だけはない。昼間は一番小さいノアを含めて皆で仕事と食べ物を探す。とは言え、さすがにこの時間まで外にいるのはリュカくらいだろう。
重たいポケットを押さえながら、苦労して階段を上りきり、リュカは耳をそばだてた。
チビのノアやヨナの泣き声も、二人をあやすマリア姉さんの歌声も聞こえない。礼拝堂の中はシンと静まりかえっている。リュカよりも一つばかり年下のミカが、首尾よく食べ物を手に入れて、満腹で寝てるのかな?だったらこのパイは明日の朝ごはんだ。
礼拝堂の入り口が細く開いて、そこから中の灯りがうっすらと漏れている。いつものことだ。階段は直せても、流石にこんな大きなドアは直せない。でも今夜はその頼りない光の筋が、ホッとさせてくれた。その時だった。
——ひぃ・・・
バッとリュカは振り返る。ポケットが大きく揺れ、中からパイが転がり出そうになる。慌てて手で押さえ直しいながら、リュカはキョロキョロと辺りを見回した。ドク、ドクと心臓の音が耳の奥で響いている。その音にさきほどのハンスの声が被さる。「・・・なんか最近、幽霊が出るとか言う噂だしな」。背筋がそわりと寒くなる。
いや、気のせいだ。でなきゃ、ただの夜鳴き鳥の声が、ちょっぴり女の声みたいに聞こえただけだって。そう自分に言い聞かせて、足を踏み出そうとした時。
——ひぃ・・・ひいぃぃ・・・
また!
ビクッと肩が震える。階段の下は空っぽの通りが広場に向かって伸びているだけだ。誰もいない・・・よね?
リュカはゆっくりと足を後ろへずらす。その時、視界の端っこで何か見慣れぬものが見えた気がした。
階段の下に——何か、いる?ただでさえ細い月が、雲に隠れてしまって良く見えない。暗がりの中、リュカは懸命に目を凝らした。
いた——。淡い月影の中、確かに”それ”はそこにいた。
白い影が佇んでこちらを見上げている。見た感じ、それは線の細い痩せた女に見えた。女の影は、羨むようにリュカを見上げている。まるで礼拝堂に入りたいのに、入れないかのように。礼拝堂はいつだって開かれているって司祭さんは言ってた。それなのに入れないってことは——
「お、お、おば、おばけ・・・?」
リュカの震える声に、痩せぎすの影がゆらりと揺れた気がした。礼拝堂に入りたいのに入ることが叶わない憐れな亡霊。リュカは弾かれたように駆け出すと、礼拝堂の扉の隙間に体をねじ込んだ。




