第五十話 『騎士と聖女の家』
ゴロツキどもの襲撃から更に数日が過ぎた。エリアスの容体に対する緊張に加えて、それと同じくらいカミルを悩ませていたのは町の連中の反応だった。向けられる視線は恐怖と蔑みから不安へと形を変えていった。その刺々しさは日ごとに増していき、冬の気配が近づくにつれて、不信感と言う冷たい風が町全体を震え上がらせているように思えた。
男たちはカミルを見ると、顔を背けるか、あからさまに舌打ちをしてくる。女たちや子供は小さく悲鳴を上げて逃げ出してしまう。カミルは自分が見知らぬ場所に突然放り込まれたような疎外感を、肌で感じていた。昨日は、水を汲もうと井戸の順番に並んだら、その前にいた男が空の桶を抱えたまま足早に逃げて行った。パン屋は、自分の本分を忘れてしまったかのように、売り物があろうがなかろうが首を横に振り続けた。
そんな中でも、救いが全くないわけではなかった。熱が落ち着きを見せ始めると、エリアスは僅かに目を開けるようになった。まだ反応は薄いものの、話しかけると頷いたり、掠れた声を出す瞬間もある。
とは言え、それはほんの短い間だけだ。薬湯や薄いスープを二匙ばかり口にすると、また深い泥の中に引き込まれるように眠ってしまう。夜になると相変わらず熱が上がり始めたが、アルフリーダの異常なまでに献身的な看護の賜物なのか、以前とは比べられないほど回復の兆しを見せていた。
ある日の夕方だった。
カミルはずっと宿で寝ていなかった。昼間はアルフリーダには出来ない力仕事をこなし、どうにかして食い物を手に入れ、夜は台所の竈の側で座り込むようにして眠る日々が続いていた。
どうにかその日のパンを手に入れて家路を急いでいた時、どこかからふんわりと旨そうなシチューの匂いが鼻をくすぐった。
どこの家だよ。ったく、こっちは腹を空かせてるってのによ。
腹と心を温めるはずのシチューの匂いまで、自分への攻撃のように思えて仕方がない。カミルはささくれ立った気持ちをどうにか宥めようと、歩調を速めた。
アルフリーダは、家事とエリアスの手当てをする以外は、ずっとあいつの側につききりだ。自分の為に料理をすることもない。食事も、カミルがパンを目の前に突き出さない限りは食べようとしない。別に食事を作ってもらいたいわけじゃない。自分の食べるモンくらいは、自分でどうにか出来る。そうじゃねぇ。そうじゃねぇのに、なんでこんなにシチューの匂いが突き刺さんだよ!しかもこの甘い匂い、ミルク入りかよ!
家のドアが見え、カミルは逃げ込むように乱暴にドアを開けた。
途端、ふわりと甘い香りが頬を撫でた。
「ちょ!かき混ぜてって言ったじゃない!鍋が噴いてるわよ!」
「いっけねえ!」
左手奥の台所から賑やかな声が上がる。竈の上には大きなシチュー鍋がかかり、ぐつぐつと軽快な音を立てている。リュカが伏せた桶の上に立ち、必死で鍋をかき回してティナに怒られていた。
は?どういう状況だ?
カミルはパンの籠を持ったまま、しばらくその光景を理解できずに立ち尽くした。
「お帰りなさい。カミル」
優しい声にハッと左手の方を見やると、ミレイユがこちらに笑いかけている。アルフリーダの傍らで、寄り添うようにして、表情を失くしている彼女の肩にそっとショールをかけてやっている。
「お、お、おま、お前ら——」
カミルの理解を更に混ぜっ返すように裏口のドアが開き、薪を両手に抱えたルークが入ってきた。
「おお、カミルか。ってか、お前もう少し薪割りしておけよな」あれじゃ、全然足りないぜ。と笑いながら暖炉の傍らの鉄製ラックにドサッと薪を放り込んだ。
「いや、お前らさ、なんで——」
「なんでって当たり前じゃない!」
竈の方からティナの大声が飛んできた。
「私たちの騎士と聖女がピンチって時に、手伝いに来なくてどうすんのよ!」
ミレイユが気遣うようにカミルに微笑みかけた。そこには以前のような怯えた影は微塵も感じられない。
「聖女って・・・。けど、お前ら・・・」
「ごめんなさい。すぐに来られなくて。本当はもっと前から来たかったんだけど・・・」
ミレイユが気遣わし気にルークの方に目をやった。
「すまねえ。俺が止めたんだ」
薪を二、三本暖炉の中に放り込み、ルークは手の木くずを払いながら立ちあがった。
「最近寒くなって人通りが減った上に、妙な噂だろ?」
「そうよ!アルフリーダが魔女ですって!?何日か前までは”聖女”だとか言ってたくせに、何なのよ!」
ティナが手に持ったお玉を振り回して参戦してくる。カミルはますます混乱してきた。こいつらは噂を信じていないのか?
「ディランにも止められていたの」
ディラン?あのクソ兄貴が?考えていたことが顔に出ていたのか、ミレイユがクスりと笑った。
「収穫祭以来、ディランはずっと力が抜けたみたいにしょんぼりしててね。私のすることにあんまり干渉してこなくなったのに、ここに行こうとする時だけ止めるのよ」
以前はミレイユを支配で縛り、外に出ることを禁じ、逆らうと暴力を振るっていたあのディランが?少しはまともな事をするようになったじゃねえか。
「そんで、この前さ、オレが初めてここに来た日にさ、帰り道でティナお姉ちゃんに捕まっちゃって」
リュカがえへへ、と口を挟んだ。
「だって!ずっと気になって、本当はすぐにでも駆け付けたかったのに、この子だけ出入りしてるとか悔しくて!エリアスの容体は良くないし、アルフリーダも・・・」
こんなに騒がしい中でもアルフリーダは表情一つ、身動き一つしない。一瞬弱くなった炎の中に、慌てて木切れをくべるように、ティナが声を張り上げた。
「とにかく!そう言うわけで、今日漸く来れたって言うわけ!」
「ティナ姉ちゃ~ん!シチュー、もういいんじゃない?」と言うリュカの声が合図になり、夕食の準備が慌ただしく始まった。エリアスが寝かされているのでテーブルは使えない。代わりにルークがどこから持ってきたのか、長い板切れを木箱を二つ並べた上に渡して、テーブルにした。カミルの鼻が嗅ぎ分けた通り、シチューにはミルクが入っていた。
「こいつは御馳走じゃないか」
ルークが嬉しそうに湯気の立つシチューの椀を、即席のテーブルに並べていく。すぐに悪くなるミルクは、搾乳するとすぐさま日持ちするチーズなどの加工品に変えられてしまう。
「ブラムが分けてくれたのよ」ティナが胸を張ると、ミレイユがクスクスと笑った。
「本当にくれたの?」
「おいおい、脅したんじゃねえだろうなあ?」
ティナが顔を真っ赤にして両手をぶんぶんと振り回した。
「そんなことしてないってば!ただ・・・ちょっと強めにお願いしただけ・・・」
リュカを床に敷いた藁の上に座らせながらルークが呆れたように肩をすくめた。
「それを”脅した”って言うんだよ」
「だから、脅してないってばー!」「あつっ!」「リュカ、気を付けて?ほら、アルフリーダも」「俺にも一杯くれよ」
ワイワイ、がやがや。カミルは目の前で繰り広げられている、当たり前の日常に目を細めた。
ミルクをくれたと言うブラム。ミレイユたちは”脅した”と笑うが、ブラムならきっとワザと”脅された”んだろう。皆が頼りにする牛飼いのブラムが表立ってエリアスを助けると、町の輪が更に乱れる。だからこそ、ティナに押し切られる形でミルクを渡したんだろう。「仕方ねえな。持ってけ」ブラムの低く豪快な声が耳に聞こえる気がした。
「ほら。アルフリーダも食べて?」
ミレイユがアルフリーダの手に椀を持たせる。アルフリーダはただその視線を湯気に向けるばかり。ミレイユが、そっと手を出してアルフリーダにスプーンを持たせた。すると、その手がゆっくりと動いて、一さじだけ口に運んだ。
「オレが作ったんだ!」
「あんたは混ぜただけでしょ!」
「何でもいいから、腹減ったぜ。カミル、パンくれよ」ルークの手が籠に伸び、勝手にパンを搔っ攫っていく。甘い湯気と笑い声が混ざり合い、その場が光と温もりの小さな輪が出来上がる。外では冷たい木枯らしが、どうにか家の中に入り込もうと壁を手探りしている。けれども、ティナたちの騒がしい笑い声がそれを跳ね返していた。今のエリアスの家の中は、以前のように暖かで安全だった。
——ったく。しょうがねえなあ。
「おいリュカ。俺の分、くれよ」敷き詰めた藁の上に腰を下ろし、カミルはリュカに掌を差し出した。
「えー!自分で入れてよー!オレ今忙しいんだって!」
カミルは苦笑いを浮かべた。忙しいって。食うのに忙しいってことだろ?リュカは口の周りを白く汚しながら、椀に齧り付くようにして夢中で食べている。
ミレイユがスッとシチューを入れた椀を差し出した。
「熱いから気を付けて?」
カミルは椀に直接口を付けた。冷え切った指先をシチューの温もりがほんのりと温める。ミルクの甘さと根菜のうまみがじわっと口の中に広がる。
「・・・うまいじゃねえか」
ポツリと口から言葉が出た。
「当たり前でしょ!」
「オレが作ったんだもん!」
「はいはい。リュカのお手柄ね。ルークお代りは?」
「ああ、頼む」
その賑やかさが、ゆっくりとカミルの腹を満たしていく。いや、満たされているのは心か。まあ、うまけりゃ、どっちでもいいや。カミルはスプーンを取ってシチューをガツガツと腹に入れた。温かい。こんなあったかいメシはいつぶりだろうか。
賑やかな食事が終わり、アルフリーダが蝋燭の火を落とした。エリアスは静かに眠っている。自分の家にこんなに訪問者がいると言うのに。ティナたちは裏に洗い物に行き、ルークは即席のテーブルを片付けていた。その時、ルークを手伝っていたリュカが小さく呟いた。
「かえり道・・・こわいなあ・・・」
見ると、アイスブルーの瞳が微かに震えている。
「あ?なんか言ったか?」板を壁に立てかけて、ルークがリュカに向き直った。
「うん。・・・帰り道が怖いなって」
おばけが出るんだ——
まるで、そわりと背筋が冷えるように、ふうっと暖炉の火が揺らいで弱まった。
実は、ずっと無言のまま黙々と投稿してきた「プロデュース能力0」の作者でございますが・・・。五十話と言う節目を迎え、第二部へと物語が走り出している今、「読者の方々はここまでのお話を、どのように感じておられるのだろうか・・・?」と気になりだしてしまいました。
もし良ければ、短いお言葉だけでも、また辛口なご意見でも(笑)大歓迎ですので、感想を書き残していっていただけると、大変励みになります。
(※ストーリーはラストまで決まっておりますので、今後の展開も安心してお読みいただけるかと存じます)
これからも毎週木曜日19時、土曜日18時のペースで、物語をお届けしていきたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。




