第四十話 『螺旋階段の戦闘』
——もう時間がない。
エリアスは、跳ね上がるようにして立ち上がった。
「上に行きましょう」
アルフリーダの返事を待たず、エリアスは彼女の手を引いて、主塔の螺旋階段に走り込んだ。後ろの方で扉が蹴破られ、閂が弾け飛ぶ音が聞こえてくる。アルフリーダを先に行かせ、エリアスは螺旋階段を上った。
主塔の螺旋階段は、上から迎え撃つ者に有利な造りだ。つまり、追っ手には不利だと言う事だ。槍や剣は使えない。しかも主塔の上階にはノクスベインはいない。そもそも城の防衛上の要は跳ね橋やバービカンだ。そこを抜けられても、広場で敵を集中的に叩く構造になっている。主塔にまで敵が侵入すると言うことは、その時点で敗北を意味する。故に主塔に騎士を配置する意味がない。それだけが救いだが、上に逃げると言うことは、同時に追い詰められると言うことでもある。
エクリア=ノクスを使えれば——
エリアスは、自分の考えを打ち消した。今考えることはそれではない。とにかく敵の数を減らさなければ。異常に早い復活の事も気がかりだが、それでも時間を稼ぐくらいは出来るだろう。いざとなれば、腕ずくでもエクリア=ノクスを奪い取ることも考えねばならない。
螺旋階段が途切れ、主塔の二階が見えてきた。敵の姿はまだない。エリアスは、階段を登り切った二階廊下の一番手近な扉を開いた。中は驚くほど狭い。地べたに二人も座れない。明り取りにもならない小窓の下には窪みが刻まれ、その中に埃まみれの小さな聖女の像が、こちらに向かって腕を広げている。ここは——祈りの場、か?
「ここにいて下さい」
エリアスは半ば強引にアルフリーダを小さな部屋へ押しやった。
「どこに行くのですか・・・!」
階段の下の方で、鎧が擦れる金属音が途切れがちに迫ってくる。
「奴らを食い止めます」
小礼拝堂の扉を閉め、エリアスは踵を返して螺旋階段に取って返した。二、三段降りたところで、足を止め軽く息を整える。腕を振り上げるのが精いっぱいの幅しかないここでは、剣をそのまま振るうことは出来ない。エリアスはブレイドの中ほどを掴み、ハーフソードを逆手に持ち替えて構えた。
螺旋の死角からノクスベインのヘルムがチラリと見えた。その機を逃さず、エリアスは迷わず踏み出した。こちらを見上げる敵の脳天に狙いをつけ、逆手に構えたロングソードのクロスガードを、敵のヘルムに打ち据える。乾いた音と同時に頭から後ろへぶっ倒れるノクスベイン。うまい具合に、そのまま背後にいた近衛騎士達を巻き込み、派手な金属音を立てながら転がり落ちていく。息をついている時間はない。すぐまたアーマーの金属音が上がってくる。新手か?それとも、また理由は分からないが、驚異的な再生力がなせる技なのか。
支柱の影から現れたノクスベインは新手のようだ。先ほどエリアスが付けた凹みがヘルムにない。外の近衛騎士たちは全員剣か槍だった。どこで持ち替えたのか、手にはショートソードを構えている。ヘルムの奥で光る深紅の視線がエリアスを認め——
ビュッ!敵の鋭い突き攻撃が斜めに入る。つま先立ちをするよう恰好で、一瞬だけ胸を逸らして避け、黒光りする胸当てに思い切り蹴りを叩き込んだ。重いアーマー騎士が吹っ飛び、螺旋階段の壁に激突し、ガクリと崩れかけの石段の上に倒れこむ。
やったか?ピカピカの装備が見る見るうちに腐り果てていく。エリアスは短く息を吐いた。どういう理由でノクスベインの復活時間が短くなっているのかは分からないが、少なくとも時間は稼げそうだ。階下からは、まだアーマーが擦れあうガチャガチャと言う耳障りな音が聞こえてくる。だが、音の主が登ってこないところを見るに、転がり落ちてきたノクスベインの下敷きになっている可能性が高い。エリアスは暫く螺旋階段の死角を注意深く睨みつけていたが、新手がくる気配はない。今のうちにアルフリーダと合流して、逃げ道を確保した方が良さそうだ。
螺旋階段に背を向けようとした時、視界の端に動くものを捉えた。振り返り、エリアスは息を飲んだ。
先ほどの蹴りを受けて、装備が崩れていく様を確認した、あのノクスベインがゆらりと顔を上げる。崩れたはずのアーマーに光沢が戻り、ヘルムの奥でチカチカと赤い光が瞬いた。
仕損じたか?
エリアスはハーフソードを逆手から順手に持ち替える。
打撃では不十分なのかもしれない。寧ろ、そうであってくれ。
切なる願いを脇に追いやり、エリアスは振りかぶった敵の腕の付け根を左手で掴み、体重に任せて捻りながら段差と壁の角に押し倒して押さえつけた。そして、ヘルムとアーマーの間を剣先で狙う。確かな手応えがあった。ノクスベインの手からショートソードが落ちて階段を転がっていく。額の辺りを掴んで上を向かせると、赤い光が弱まって消えていく様子が見えた。今度こそ——
その目の前で、萎びたミイラの手がピクリと動く。最初は見間違いだと思った。ノクスベインの頭を投げ捨てるようにして離し、エリアスは狭い段上で距離を取った。信じられない。などと言っている場合ではない。それでも、エリアスは自分の見ているものが真実だとは到底受け入れられなかった。
ノクスベインが僅かに突き出た壁の突起に指をかけて立ち上がる。ヘルムの奥に光が瞬いて灯り、感情の欠片の一片すら感じられない赤い視線が真っすぐにこちら向く。エリアスは敵を凝視したまま、慎重に息を整えた。連戦のせいで息が上がる。体の一部だった剣が重く感じられる。いや——倒せるはずだ。
喉を鳴らして、エリアスは再び逆手のハーフソードに構えた。ノクスベインが剣を拾い上げる。その時、ガントレットの隙間から奴の皮膚が見えた。再起した手ではない。肉が削げ落ちた、灰色の死人の肌だった。それを認めた瞬間、エリアスは理解した。再生が追い付いていない。連戦に息が上がるように、ノクスベインも再生することに”疲れて”いるのだ。奴らにも”限界”がある。
エリアスは一気に距離を詰め、拾い上げたばかりの敵のクロスガードに勢いを乗せて手を伸ばした。再生が追い付いていない今なら奪える。——そこに油断があったのだとしたら、”倒せる”と言う希望こそが油断の正体だっただろう。
ノクスベインが、まるでそれを最初から読んでいたかのように剣を引いた。広げた指が空を掴み、同時にノクスベインの肩が僅かに沈む。そして——自ら作り出してしまった左わき腹の空間に向かってショートソードの切っ先が斜めに跳ね上がる。
「——!」避けきれない!
刃が胸当て外側、脇腹のチェーンメイルを破り、焼けるような痛みが走り抜ける。痛みに押されて引けば、相手に攻撃の隙を与えるだけだ。
ノクスベインは追撃の為に剣を引き戻している。そのわずかな隙に、エリアスは柄頭を思い切りノクスベインの眉間を守るブローリッジに叩きつけた。がくりと膝が折れる。ずるずるとアーマーが石壁を擦る音と、自分の荒い呼吸が重なり合う。左の脇腹が燃えるように熱い。刃を握る右腕が痺れ、感覚が薄い。赤い光が明滅し、ノクスベインが再び顔を上げる。萎びた手が武器を拾おうと階段を探る。
エリアスは歯を食いしばった。
一撃。一撃は叩き込めるはずだ。だがそれでも倒せなかったら——
エリアスは刃を握り直し、クロスガードを振り上げた。
二階にはアルフリーダがいる。自分が倒れたら、彼女を守るのは、腐りかけ、ひび割れだらけのた扉一枚。
この一撃で倒せないのなら、もう一撃喰らわせるだけだ。先ほどの一撃を喰らって、大きな凹みを見せる眉間にエリアスは再び狙いを定めた。その刹那。
カッ!と紫色の閃光が弾けた。狭い階段の石壁が——そこだけ切り取って太陽の下に晒されたように——昼間のように明るくなる。エリアスは思わず振り返った。そこにはアルフリーダがいた。その瞳が、鮮烈な輝きを纏いながら——燃えていた。




