第三十九話 『囚人の祈り』
いつの間に復活したのか、城壁歩廊の上に幾つもの影が立ち並び、こちらに向かって次々に矢が放たれる。エリアスはアルフリーダを背に庇い、鞘を払いざまに剣で矢を叩き落とした。
「早く主塔へ!」
アルフリーダが頷き、目前の主塔の階段目指して駆け出していく。アルフリーダの靴が過ぎ去った足元で、先ほどまでカタカタと古びた近衛隊の鎧を、風に鳴らしていたに過ぎなかったノクスベインが起き上がっていく。ヘルムのフェイスガードの向こうに赤い光が灯る。エリアスの背筋がうっすらと寒くなった。目の前に一人。そして背後にもう一人。歩廊の弓兵の数はおよそ二十人ほど。それだけではない。広場内に散っている近衛の剣騎士と槍騎士もすぐにここに駆けつけてくるだろう。
数が多すぎる。ここは主塔に逃げ込んだ方が得策だ。
次の矢の雨が、甲高い悲鳴にも似た音を立てながら弧を描きながら降ってくる。エリアスはマントを翻して矢の軌道を逸らしながら主塔へ向かおうとした。その瞬間——
正面に、復活したばかりのノクスベインの近衛剣士が立ちはだかった。先ほどまで鉄くずを纏ったミイラに過ぎなかったモノが、百年前に巻き戻ったかのような色彩と鋭利な輝きを宿しながら、研ぎ澄まされた刃を真っすぐにエリアスへと向けてくる。ヴェル=アリムの魔力——。同じ百年前の装備を身に纏っていながら、ノクスベイン達の装備は、彼の補修の努力を嘲笑うように新品同様だ。
エリアスは剣を斜めに構えた。ノクスベインの剣がエリアスの剣の腹を打つ。金属同士が互いに噛み合い、一瞬間動きが止まる。
好機。
エリアスはブレイドをわずかに傾けて、バインド状態を断ち切ると、そのまま速度を乗せて刃を滑らせ、敵の喉笛を貫いた。ぐらりと傾くノクスベイン。エリアスは、その首を掴み、振り向きざまに背後から振り下ろされる一撃を盾よろしく受け止めた。
その間ですら容赦なく、城塞歩廊から矢が次々に降り注いでくる。ノクスベインの体を掲げて矢飛を止める前で、見る見るうちに赤い目の光が薄れて消え、ノクスベインが元のミイラへと戻って行く。倒されて、ヴェル=アリムの理から外れたのだ。
黒光りしていたアーマーが、瞬時に錆びだらけのガラクタへ変じ、脆く薄くなった鉄板を矢が易々と貫通する。突き刺さった矢羽根の振動がノクスベインからエリアスの手に伝わってくる。鏃はエリアスの瞼ギリギリのところで止まっていた。
ノクスベインの残骸を、目の前に迫る近衛剣騎士の顔面に思い切り投げつける。ほんの少し、ノクスベインの赤い光が逸れた。その瞬間エリアスは動いた。胸壁の弓隊はまだ矢を番えている。猶予があるとしたら、ほんの刹那だけ——この機を逃すつもりはない。
近衛騎士が剣を構えるまでのわずかな隙を突いて、エリアスは左手で相手の手首を掴み、脇へ抱え込みながら捩じり上げた。それは、かつて祖父から叩き込まれた剣術。ディスアーム(武装解除)。
石畳に騎士剣が落ちる音。それを聞く前にエリアスの剣は敵の顎下を正確に貫いていた。しかしディスアームの成功に安堵する暇はない。
カランと言う剣が地面に落ちる音に混じり、矢羽が空を裂く音がグングンこちらに近づいてくる。先ほどのようにノクスベインの体をかざしている時間はない。その間にこちらが針山にされてしまう。
エリアスは、騎士を脇に挟んだままその陰に隠れるような形で膝を付いた。次の瞬間、ドス、ドス!と腕に衝撃が来た。ビリビリと骨の髄にまで震えが走る。視線を上げると、黒々と光沢のあった近衛騎士の鎧から、急激に輝きが失われていく。長くは持ちそうにない。
「エリアス!早くこちらに!」
アルフリーダの声がする。逃げたのではなかったのか?チラッと背後に目をやると、主塔の扉を掴んで、エリアスの名前を叫んでいるアルフリーダの姿が見えた。その時、今の今まで忘れていた違和感が、ハッキリと形となってエリアスを襲った。
——おかしい。
心臓が汗ばむ胸の奥で警告のように鳴り響く。確かにノクスベインは不死だ。倒されても粉々にされても、時間が経てばヴェル=アリムの理の中に回収され生き返る。とは言え——
いくらなんでも復活が早すぎる。
さっきアルフリーダはエクリア=ノクスを使った。経験上、再び動き始めるまでには半日はかかる。こんなに早く復活することは今までになかった。ましてやエクリア=ノクスは、ヴェル=ノクスの力を帯びた禁忌の波動を放つ。
急に脇が軽くなり、ノクスベインの腕が体から外れた。とっくに元のミイラに戻っている。もう考えている時間はない。エリアスは残骸を投げ捨てて地面を蹴った。音だけを頼りに、矢の雨を躱し、マントで急所を庇いながら。必死で主塔の階段を駆け上った。アルフリーダの血の気の引いた顔が見えた時、グイっと腕を引っ張られた。倒れ込むように主塔に足を踏み入れる。その瞬間アルフリーダが、両開きの主塔の扉を閉めた。ガシャン!と、空間ごと一気に叩き潰すような音と共に、光が遮られて視界が暗くなる。
「エリアス。怪我はありませんか?」
重たい閂を扉に噛ませながら、アルフリーダがしきりに目をエリアスの体に這わせてくる。
「それは、こちらのセリフです」
エリアスは息を整えながら、アルフリーダに向き直った。
「なぜ逃げなかったのです?私は”必要ない”のでしょう?」
アルフリーダの視線が、暗がりの主塔の中で一瞬揺らぐ。
「私など捨て駒にして逃げれば良かったのです」
エリアスは、ずいとアルフリーダに手を付き出した。騎士としての礼儀を欠いている。自分の余裕のなさが生み出す不協和音を自覚しながらも、押し寄せる焦りと自責の荒波が、容赦なく彼の心の堰を乗り越えようと打ち寄せてくる。
アルフリーダに、秘密にしておきたい全てを知られてしまった。エクリア=ノクスは姫の手にある。そして扉の向こうは敵だらけだ。主塔だって決して安全とは言えない。エリアスの心の堰は、今にも決壊寸前だった。
「エクリア=ノクスを渡して下さい」
「何を言うのです!」
悲鳴のような声と共に、アルフリーダの足が一歩退く。その仕草は、奪われそうな剣を守ると言うより、まるでエクリア=ノクスと言う脅威からエリアスを守るように——幼い子供から危険な刃物を遠ざけるように見えた。
アルフリーダの細い指が、剣の鞘を覆った布地に食い込む。
「あなたは、この剣の力を——」
「知っています」アルフリーダの声にエリアスは言葉を被せた。
「あなたの封印を解くとき、エクリア=ノクスを使用しました」
アルフリーダが鋭く息を飲みこむ、甲高い笛のような音が、主塔内部の湿った空気を震わせた。
「なっ・・・!なぜ!・・・何という事を・・・っ!それならっ・・・、命を削る苦しみをあなたは・・・」
形にならない言葉が、ぶつ切りになって、震える唇から溢れてくる。その悲痛なまでに荒い呼吸に、扉に矢が突き刺さる音が重なり合う。じきに扉は破られるだろう。エリアスは、更に手をアルフリーダに差し向けた。
「逃げ伸びて欲しいからです。ここから——。全てから」
近衛騎士たちがいよいよ到着したのか、扉を殴りつける音が主塔の石壁に響き渡る。
「あなたを縛る全てから、逃げて——自由になってほしいのです。ノルヴァン王からも、エクリア=ノクスからも、・・・姫の責務からも」
エリアスは、その場に跪いた。いつもの忠誠を示すやり方ではなく、処刑を待つ囚人が最後の最後で、許しを乞うような、痛々しいまでに無様な姿勢で。
どうか、願いを聞いてくれ。罵倒も、蔑みも、拒絶も。命を投げ出すことすら、喜んで受け入れる。
「——全部投げ出して、町に帰ってほしいのです」
ドガン!と扉が大きく震え、閂が一瞬だけ僅かに重力を無視して跳ね上がった。
「私がノルヴァン王を討ち取って参ります。あなたの代わりに」だからエクリア=ノクスを渡してくれ。俺を置いて、ここから逃げてくれ。俺を犠牲にして生きろ。
祈るような気持ちで、エリアスは手を差し伸べ続けた。
色を失ったアルフリーダの唇が、開かれる。その時、彼女の声を待たずに、扉が大きく打ち鳴らされた。閂がみしりと大きくしなった。




