第二十一話 収穫祭②『狂気の乱入者』
アルフリーダの艶やかな唇が、ふうっと笑みの形を作り出す。その微笑みを見た瞬間、エリアスの脳内で何かがパチンと弾け飛んだ。
さっきまで消えていたと錯覚していた音と言う音が、濁流のように戻ってくる。それを受けながら、エリアスは全ての振り付けを完全に無視して動きを止めた。
フィドルとリュートが急き立てるようにリズムを刻み続けている。音楽はまだ終わってはおらず、踊りは今まさに佳境だ。近くの男たちがギョッとしてステップを止めそうになっている中、エリアスは迷いのない足取りで歩みを進めた。アルフリーダに向かって。
「おい、エリアス!」
「まだ終わってねえぞ!」
踊りに戻るよう、小声で呼び掛ける男たちの声がするが、エリアスは振り返らない。周囲の困惑と動揺を掻き分けるようにアルフリーダの前に出る。目を見開き、揺れる視線にほんの少しの不安を宿すアルフリーダ。その前でエリアスは、一切の躊躇なくその場に跪いた。
ざわめく群衆。土の匂いと素朴な踊りの真ん中で、エリアスはアルフリーダに手を差し伸べた。
「アルフリーダ」
アルフリーダの肩がピクリと跳ねる。エリアスは顎を上げて真っすぐに最愛の主を見上げた。胸が狂おしいほどに熱を孕んでいる。
「・・・あなたの騎士として、どうかその手を取らせて下さい」
静かな衝撃がアルフリーダの表情に走った。そして、祭りの篝火よりも鮮やかに頬が紅潮していく。
「これは・・・予想外でしたわ」
アルフリーダは楽し気に、弾むような笑い声を漏らした。
「ええ。収穫祭に”相変わらず”の鉄面皮ではいられませんから」
収穫祭の仕来りも踊りの暗黙の了解も、全てを無視した騎士の姿に、アルフリーダは呆れたように息を吐き、そして満面の笑みを輝かせた。
「私の手を、あなたに委ねます」
エリアスの掌に柔らかな温もりがそっと舞い降りる。アルフリーダの手を握り、エリアスは悠然と立ち上がった。
自分の目の前で何が起こっているのかようやく理解したフィドル奏者が目を剝き、盛大に手元を狂わせる。弓が派手に横滑りし、おかしな金切り声を上げた。釣られてリュートがベベン!とリュートらしからぬ音をたてる。何事かと顔を上げた笛吹がギョッとして息を吸い込んだせいで、リコーダーの音が変に裏返った。そして唐突に、音楽が終了した。
アルフリーダの手を引いたエリアスが広場の中央に進み出た時には、踊りの規律は木っ端微塵に崩壊していた。慌てて目当ての女性に跪きに行く者。振りつけのポーズのまま動きを止めている者。
わけてもティナの前の被害は甚大だった。一人がティナに駆け寄ろうとしたのを皮切りに、津波のようにティナに殺到し総崩れとなっている。観衆に至っては笑ってもいいのか、ヤジを飛ばすところなのかと、感情が迷子状態だ。
さすがのエリアスも、ようやくこの状況になって頭が冷えてきた。自分の勝手な振る舞いが一年に一度の晴れの踊りをぶち壊してしまったのだと。
すうっと血の気が引きそうになった時、アルフリーダの手がそっとエリアスの肩に回された。
「踊りましょう。エリアス」
今度は自分が目を見開く番だった。アルフリーダの揺るぎない凛とした瞳が、真っすぐにこちらを見つめてほほ笑んでいる。
”音楽がなかろうと、場が混乱しようと、私たちが踊ればそこが舞台ですわ”
そう言われた気がした。その強烈なまでのリードが、エリアスの背中を強く押し、迷いを消し飛ばした。
「ええ。アルフリーダ」
エリアスは、主の細い腰に腕を回して引き寄せた。二人の体が隙間なく密着し、繋いだ手が抜けるような青空に向かって掲げられる。そして——
タッ!
エリアスはアルフリーダとステップを踏み始めた。アルフリーダの動きは早く、エリアスの方が必死で動きに付いて行かなければならないほどだ。二人は音楽のない広場で、火花が散るような激しいターンを繰り返した。
観衆に歓声が戻り、音楽隊が慌てたように演奏を開始する。何組かのカップルが成立し、エリアス達に合わせるように踊り始める。その中にルークとミレイユも混じっていた。頬を真っ赤にして、しっかりとミレイユの手を握り、必死にステップを踏んでいる。ミレイユもまた笑顔だ。これまで見たことがないほどの、満たされ、一片の曇りもない晴天の青空のような笑顔。
ティナの周囲はまだ団子状態だ。それでも差しだしてくる男たちの手を、ティナが笑顔で一人ずつ叩き落としている。パシン、パシンと。小気味よい音が響くたびに観衆から歓声と笑いの渦が巻き起こる。幸福なカオスに包まれた広場。その刹那だった。
「このアマァァ!!」
笑いと歓声のド真ん中を、耳を劈く怒号が引き裂いた。アルフリーダの肩がビクッと震え、握った手がエリアスの手に強く食い込む。
楽し気な雰囲気が一瞬にして凍り付き、エリアスは声の方へ勢いよく振り返った。
「ひっ・・・!」とミレイユが小さく悲鳴を上げた。突如現れたディランと言う黒雲に、一点の曇りもなかった笑顔がみるみる拭い去られていく。
踊りの輪の外側。そこにいたのは信じがたいほどに無様な男の姿だった。肩を激しく上下させ、喉の奥から荒く濁った呼吸音が漏れている。握りこぶしを震わせ、怒りで血走った目線は真っすぐにミレイユに向けられている。手には棒切れを引きずり、今にも振り上げそうな勢いだ。
ドン、と衝撃音と共に近くにいたカップルの女性が突き飛ばされた。慌てて、男の方が女性を抱き留める。
「お前、何す——」
「邪魔だ!どけ!」
大声で棒きれを振り上げるディランに、男たちが悲鳴を上げる女性たちを庇いながら、引き潮のように道を開けていく。アルフリーダが小さく、鋭い声で「エリアス!」と囁いた。
その声に即座に踏み出そうとするが、皮肉にも先ほどまでは微笑ましかったティナに振られた男たちの渋滞が物理的な壁になりエリアスを阻んでいる。
普段なら誰よりも体裁を取り繕い、周囲の承認を得ようと涙ぐましいまでに立ち働くディランが、完全に我を忘れている。棒切れを石畳に向かって滅茶苦茶に振り回しながら、ミレイユに近づいていく。ルークが震えるミレイユの頭を胸に強く抱え込んで背中を丸めて身構える。
「お前が踊ることも——!」ガツッと棒切れが石畳を抉る。
「お前が笑うことも——!」ダン!っとディランのブーツが地面を踏みつける。
「何一つ許してなどいないぞぉぉ!!」
漸くルークの前に出られた時、ディランが棒切れを大上段に振り上げた。エリアスは手を伸ばしたが、まだ距離がある。間に合わない——




