第十九話 エリアスの罪。ミレイユの罪。
「うっ・・・、うっ・・・ひぐ・・・」
ベッドの端で丸まり、ミレイユは声を殺して泣いていた。
——いい?思いっきり傷ついて、メソメソしてる演技をしてよね!——
前日の夕暮れ時、夕焼け色と興奮で顔を紅潮させたティナが、悪戯っぽく片目を閉じた顔が思いだされる。これは作戦だ。支配的な兄の目を欺き、収穫祭でルークと踊るための、ティナが提案してくれたお芝居だったはずだ。
”こんなもん被って俺に恥をかかせるつもりか!”
”まさか本気で、お前みてぇな不細工が収穫祭で踊れるとか思ってんのか?”
”それとも、あの腰抜けのルークに期待してんのか?馬鹿が!”
さんざん罵声を浴びせられた後、花冠を目の前で壊され、昨夜からずっと部屋に閉じ込められた。何度かドアが開かないかと試してみたものの、外から心張り棒でも嚙まされているのか、びくともしない。
——朝、私が迎えに行くから、玄関のノックが聞こえたら窓から出て。ディランがうんざりするくらいごねて時間を稼ぐから——
ティナが考えてくれた 作戦。そのためのお芝居。それなのにどうしてだろう?本当に涙が止まらない。
ああ・・・。私はいつもこうだ。
弱くて、みっともなくて、何の取柄もない自分。情けなさで胸が引きちぎられそうだ。今だって、せっかくティナが作戦を考えてくれたのに、体がすくんで動けない。
友達とおしゃべりしたい。収穫祭に出たい。花冠を被りたい。そしてルークと踊りたい。けれど、その欲をかいた結果どうなった?アルフリーダは口汚く罵られ、エリアスは腹を立てた。踊りに誘ってくれたルークは殴られて。
今、出て行けばきっともっと酷いことになるかもしれない。今度は何を壊されるんだろう。私も殴られるかも。いいえ、私だけじゃない。もしかしたらティナまで、ぶたれるかもしれない。自分に親切にしてくれた人たちのためにも、私は部屋から出るべきじゃない。きっとそれが正解だ。そもそも、私には誰かに親切にしてもらう価値なんてないのだから。
ドカッ!とドアを蹴られ、ミレイユは肩を震わせた。
「いつまで泣いてんだ!静かにしろ!」
ディランの怒声が響いた直後、玄関の扉が叩かれる音が聞こえた。ズキン!っと心臓が痛いくらい突き上げた。ティナが来たんだわ・・・!
「ったく!何だってんだよ。誰だ!・・・またお前か」
普通の家庭よりもミレイユの家は、一部屋分広い。とは言え、狭いことには変わりはない。戸口の音など丸聞こえだ。ミレイユはベッドから降りると、ぶるぶる震える手を鎧戸に伸ばした。今、外に出て入り口に回ればティナがぶたれないで済むかもしれない。ティナを守らなきゃ!
しかし、聞こえてきた声は予想外のものだった。
「おはようございます。素晴らしい収穫祭の朝ですね、ディランさん。ミレイユをお誘いに参りました」
ミレイユの手が時間が止まったように固まった。アルフリーダの声——
どうしてアルフリーダが?こんな作戦じゃなかったのに・・・。ティナは?来られなくなったの?頭の中がまるでミンスパイの中身のように、ゴチャゴチャに混ぜっ返されている。その時、鎧戸がカタンと静かな音を立てて外から開いた。眩しい朝の光が、ミレイユの重苦しい寝室に一筋の希望のように差し込んでくる。そしてその向こうからぬっとティナの顔が覗いた。
「ミレイユ!早く早く!」小声で、でもしっかりと聞こえる声でティナが急かした。頭には花冠を着け、窓枠にかけた手には、実をつけた蔓草を編んで作ったリストレットが揺れている。
「ティナ・・・。私・・・やっぱり行けない」
ドアの向こうから戸口のやり取りが聞こえてくる。良い天気だの、ミレイユはまだ支度中ですか?だの。アルフリーダの、一見すると呑気とも取れるような声に、時折ディランの吐き捨てるような声が混じる。
「はあ?何言ってんのよ!早くここから出ましょう?ルークも待ってるって!」
ミレイユは首を横に振った。今出て行ったとして、そして無事にルークと踊れたとして、それからは?家に戻った時ディランがどんな顔をして私を迎えるだろうか?きっと無事では済まされない。心臓をぎゅっと鷲掴まれたように、ミレイユは立ちすくんだ。
ミレイユは窓際で唇を震わせて立ちすくんでいる。顔色は青ざめ、柔らかく波打つ髪は乱れてぼさぼさだ。その姿は、風にあおられて今にも消えかかっている灯のようだ。その灯にエリアスは手を伸ばした。
「ミレイユ」
ティナをやんわりと押しやり、エリアスは窓を挟んで向かい合った。
ミレイユの背後に見える彼女の寝室は、恐ろしく殺風景だ。アルフリーダが来る前の自分の家と大差ないほど、飾りっ気がない。
「俺も・・・、諦めたことがある。こうしたい。こうなりたい。そう強く願えば願うほど、希望は逆に俺自身に牙を剥いた。何も望まなければ、どれほど楽だろうかとも考えた」
ミレイユのみならず、ティナまでもが息を飲み込む音が聞こえた。
「だから——諦めた。それで、どうなったと思う?」
ルーメン・アマリアの光は強すぎ、そして未熟な自分には重すぎた。聖光に意識を削られ、腕が壊れそうに震え、何度も何度も拒絶された。そして諦めようと思った時、エリアスは死を願った。
だが、エクリア=ノクスを託された最後のヴァルドが消えたら、姫の封印はどうなるのだ?誰かが都合よく解いてくれるのか?もしその”誰か”の手によって姫が封印から目覚めた時、どうやって姫はヴァルド家の地下に安置されているエクリア=ノクスを取り戻すのか?
エリアスは長い間、甘美な死の誘惑と、その向こうにある姫の姿とを考えた。
「諦めたことで俺が得られたのは、罪だ」エリアスは肺腑の中の息を、言葉に乗せて全部吐き切った。
主でもないのにエクリア=ノクスを使い、そして真の主から王家の剣を隠した。本来の使い手であるはずの姫を謀ったのだ。そしてそれは今も続いている。一生付き纏う罪だ。
「罪・・・?」
エリアスはゆっくりと頷いた。
「お前も今ここで諦めたら、自分の弱さと言う罪と一生を共にすることになる」
「んな、大げさな」ティナが隣で呆れたようにため息をついた。
「確かに俺とお前の抱えていることは違う。けど、”諦めるかどうか”と言う一点では同じだ」
ミレイユの瞳が震えている。グレーの瞳が大きく見開かれ、そこから滲み出た涙がフルフルと今にもこぼれそうに揺れている。エリアスは容赦なくミレイユをまっすぐに射抜いた。
「お前は、諦めたその先の事を考えたのか?」
「その先・・・」ミレイユの独白するような呟きに、エリアスは力強く頷いた。
「ああ。諦めることでお前は一瞬だけ楽になったかもしれない。けれど、ルークはどうなる?」
ミレイユの肩がびくりと跳ね上がる。
「お前の為に花冠の替え玉を用意し、作戦を練ったティナの事は?今、お前の為に時間を稼いでいるアルフリーダは?」
「わ、私は!皆を守りたくて・・・!だから、あの時言ったじゃない。私は収穫祭に出ないって・・・!」
「それがお前の罪だ」
目に見えない衝撃を喰らったようにミレイユが僅かに身を引いた。その余波で溜まり切った涙が瞼から零れ、ツウっと筋を引いて頬を滑り落ちていく。戸口のアルフリーダの優雅な声がやけに大きく聞こえた気がした。
「エリアスは・・・、私が収穫祭に出ることとか、逆に諦めることとかは・・・全部私だけの問題じゃないって言いたいの?」
俯いたまま、ミレイユが絞り出すように声を発した。
「それがお前がたどり着いた答えなら、俺に正解を聞く必要はない。お前が答えを決めていいんだ」
ミレイユは胸に手を当てて、ふうっと長い息を吐いた。その空気をティナが「なんのこっちゃ?」と、素っ頓狂な声でぶち壊した。腕を組んで、ズイッとエリアスに詰め寄る。
「なんか難しい事言ってさ。結局こう言いたいんでしょ?”逃げたら後悔するぞ”って」
「まあ、そう言うことかもな」
ティナの雑な解釈に頷きかけた時、ガタッと窓枠が鳴った。ふと見ると、ミレイユが窓枠に足をかけて、そして勢いよく外に飛び出してくるところだった。
「ちょっ——!」
驚いたティナが組んでいた手を解き、反射的にミレイユを受け止めようと手を伸ばす。ドサ。「わ、わ、・・・!」どうにか抱き留めたは良いものの、そのまま勢いあまって二人してひっくり返そうになるのをエリアスが慌てて支えた。
「あんたねえ。危ないでしょ?」
咎めるような声など、どこ吹く風。ミレイユはティナの腕の中で息を弾ませながら涙を拭った。
「ごめんなさいティナ。私・・・行く。行きたい!」
エリアスは自分の顔がふっと緩むのを感じていた。
「ああ。行くか」




