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封印の姫と最後の騎士  作者: ラーナ


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第十五話

「へえ?んな面白ぇことになってんのか」


 アルフリーダが朝から丁寧に裏ごししたカブのスープが、椀の中で湯気を立てている。今朝はそれだけではない。カミルが狩りのついでに取ってきたキノコが、とろみのある白いスープの中で、良い香りを漂わせていた。それをカミルがガツガツと貪り食っている。口いっぱいに黒パンを頬張り、スプーンを使わずに椀を掴んで直にスープを啜る。何とも見苦しい事この上ない。


「食べながら喋るな。それに面白い話じゃないだろう?」


「あ!アルフリーダ!お代り!」


 何回目のお代わりだ?口をパンでもごもごさせながら、アルフリーダに向かって椀を突き出す。


「あ、はい。今——」


 立ち上がろうとするアルフリーダより先に、エリアスが無言で席を立った。暖炉の前に歩み寄り、横に吊られたグローブをはめると、火にかけられている厚手の鉄の鍋を両手で持ち上げる。そして、そのままテーブルの中央へ。


 ドン。


「・・・自分でよそえ」木のレードルを突き付ける。


「おお!いいね!」


 まったく気にした様子もなく、エリアスの手からレードルを受け取ると、満面の笑顔のままレードルを鍋の中に意気揚々と突っ込む。


「まったく。・・・お前は、子供か」


 エリアスは額を片手で覆ってため息をつく。昨夜遅くカミルは宿に戻ってきたらしい。大きなイノシシと雁を引っ提げて。長じて家を出てから、カミルは一度もこの家で寝ようとはしなかった。夕食すら共にすることもない。けれどどういうわけか朝食だけは、変わらずこの家で食べに来る。それが、カミルの習慣になっていた。


「ありがとうございます。エリアス」


 湯気の向こうでアルフリーダが微笑んだ。その笑顔の柔らかさに、日に日に強くなってきている朝の冷え込みなど吹き飛びそうだ。


「・・・いえ」


 短く返すのが精いっぱいだ。以前なら、せっかく帰ってきたカミルと朝食しか一緒に過ごせないことを寂しく思っていたエリアスだったが、アルフリーダがいる今では、正直ほんの少しうっとおしい。


「朝からそんなに食べて大丈夫ですか?」


 よそっては食べ、食べてはよそう。そんな健康優良男に、アルフリーダは少し眉を寄せる。


「大丈夫、大丈夫!こんなうまいスープ、エリアスだけに食わせるなんてもったいねぇ!」


「お前・・・。アルフリーダは、俺の婚約者だ」


 香り高いハーブティーに口を付けた時だった。勢いよくドアが開き、子供が飛び込んできた。


「エリッ・・・!エ、エリアス、兄ちゃん・・・!」


 顔は真っ赤で、茶色の前髪が額に張り付いている。目は涙目。よほど急いで走ってきたのだろう。


「テオ。どうした」


 木をくりぬいたマグをテーブルに置き、エリアスは立ち上がった。


「たっ・・・!た、たいへっ・・・!だよ!」


 カミルがパンを口に詰めたまま振り返る。


「ふぁ?ふぁにが、ふぁいへんはっへ?」


 肩で息をしているテオにアルフリーダが駆け寄り、湯冷ましを飲ませる。テオはそれを一気に飲み干すと、袖で口を拭うのももどかしく、必死に言葉を絞り出した。


「る、ルークが・・・!ディ、ディディ、ディランに・・・!」




 朝の空気を切り裂くようにエリアスは駆けていた。すぐ後ろをカミルが何かをわめきながら追って来る。


 昨日の今日でこれか——。胸の奥の方がざわざわと落ち着かない。そのざわめきに急きたてられるように、エリアスは石畳を蹴った。通り過ぎる町の者たちが驚いたような目を向けるが構っていられない。


 角を曲がった時、怒号交じりの喧騒が耳を打った。ミレイユの家の前に人だかりが出来ている。


「おい!どけよ!どけって!」


 その人だかりをカミルが蹴散らすように割って入ると、まず目に飛び込んできたのは、腕を振り上げたディランの背中だった。左手でルークの胸倉を掴み上げ、固めた右手は殴りかかる寸前で止まっている。ぶるぶると震えている腕に、一人の男が必死に食らいついていた。だがディランは男の脇腹を思いっきり蹴り飛ばす。男が吹っ飛び、人だかりへ倒れ込んだ。団子状になる野次馬と男に手を貸そうと、カミルがさっと駆け寄るのが視界の端に見えた。


 戸口の隅では、ミレイユがしゃがみこんでガタガタと震えている。そばかすが散る顔を、恐怖と涙でぐしゃぐしゃにして——。


 突如、わあっと、恐怖のどよめきが起きた。動きを取り戻した拳が、再びルークに牙を剥こうとした。


「何をしている?」


 エリアスは迷いなく、その右腕を掴み上げた。


 驚いたような視線がこちらへ向く。その眼は怒りで我を忘れた獣のように濁りきっていた。


「何だよ。・・・邪魔すんのかよ!」


 獣が威嚇の咆哮をあげる。エリアスは動じない。そして、そのまま掴んだ手に、更に力を籠めた。あれだけ騒がしかったと言うのに、まるで世界が終わりを迎えたかのように音が消えていく。口に手を当てたまま固まっている男。子供を抱き寄せ、小刻みに震えている女。誰もが息をひそめ、肩を寄せ合って成り行きを見守っている。


「ルークを放せ」


 ディランが奥歯を噛みしめる音が、ギリッ耳に響いた。


 ルークを鷲掴む手に一度だけ力が籠り、そしてゆっくりと手が開いた。ドサッと重い音を立ててルークがしりもちをつく。


「おら。放したぜ」


 言うや否や、エリアスの腕を乱暴に振り払う。呆れたような声や、ホッとしたような声が入り混じる。ディランは気に入らないように舌打ちすると、うずくまるミレイユにずかずかと歩み寄った。


「お前!いつまで座ってんだよ!」


「ご・・・!ごめ・・・なさ・・・」


 ミレイユは震える足に力を込め、戸口に縋るようにして懸命に立ち上がろうとしているが、思うようにいかない。すぐにまたずるずると地面へ逆戻りしてしまう。エリアスはミレイユに手を伸ばしかけた。だが、その前にディランが立ちはだかる。


「ったく!お前がそんなだから、俺がこんな恥をかかされるんだ!来い!」華奢な肩を掴み上げようとした時——


「おやめなさい!」


 通りに澄んだ声と同時に、パシン!と鋭い音が響き渡った。


 当のディランですら何が起こったのか理解が追い付かなかったはずだ。自分の手を叩き落としたのがアルフリーダだったと言う事を。




 自分の目の前で何が起こっているのか、エリアスには一瞬分からなかった。


 しゃがみこむミレイユ。その前に立ちはだかるように、アルフリーダが両手を広げていた。


 その紫色の瞳の奥で火花が散った。それは怒りではない。そんな生易しいものではない。敵を芯から焼き尽くすような、烈火の耀き。


 ——紫焔。


 王族だけが持つと言われる、魔力を帯びた瞳の色。向けられた視線の鋭さに、空気が熱を帯びて歪む。肌を焦がすような錯覚にさえ覚える。ディランの背中がぶるりと震えた。


 ディランの足がアルフリーダから一歩退く。それでも獣は口汚く吠えた。歯をむき出しにして、唾を飛ばして。


「ミレイユは俺の妹だ!俺が何しようが、てめぇにゃ関係ねえ!」


「関係ないですって・・・?」


 アルフリーダの声は静かだった。凍てつくようでいて、すべてが灰に変えるような熱量を孕んでいる。どろどろに溶かされた鉛を喉の奥に流し込まれたように、ディランが口をパクパクさせた。


「彼女は一人の人間です。妹である前に一人の女性。女性である前に、一つの意思を持った存在なのです」


 アルフリーダは一度、紫焔を瞼で覆った。そしてゆっくりともう一度目を開くと、その瞳はいつもの慈悲深い色に戻っていた。


「私は私の意志として、虐げられる彼女を守りたい。それを関係ないとおっしゃるのですか?」


「お・・・。俺は、ただ、妹を守ろうと——」


 アルフリーダの顎がピクリと反応した。そして静かに、しかし鋭く言い放つ。


「それが妹を守る振る舞いですか?恥を知りなさい」


 アルフリーダの言葉が落ちた瞬間、ディランの顔がぐしゃりと歪んだ。怒り、屈辱。そして恐怖。それらがディランの中で混ざり合い、練られ、巨大な”恥”へと凝り固まっていく。


「・・・勝手にしろ!」


 吐き捨てるように叫ぶと、ディランは踵を返し、開けっ放しの家のドアを乱暴に掴んだ。そして、叩きつけるようにドアを閉める。


 ガン!


 粗末なドアが悲鳴を上げて、木枠がわずかに震え続ける。


 誰かが呆れたようなため息をついた。エリアスが顔を向けると、それがカミルの口から洩れたものだと気づいた。

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