第十一話
麦を干していた棚がようやく完全に撤去され、季節に急かされるように足踏み脱穀機の音が町の広場に響き始める。そのすぐ横では、収穫祭の準備がせわしなく同時進行で行われていた。動いていると汗ばんでくるが、冬の気配を含んだ風が、すぐに汗を拭い去っていく。エリアスは金づちを振るいながら、黙々と作業し続けた。
死の季節。冬と言う悪魔がそこに潜んで、こちらを値踏みしている気さえする。今年は誰にしようか?誰を連れて行こうか?あそこに見慣れない女がいるではないか。あの女にしようか。と。
エリアスは顔を上げて、町を飾るリースを作っている女達に目を向けた。木の実や干した花を輪にする集団の中にアルフリーダがいる。慣れない作業のはずだが、彼女は器用にこなしていると見え、何やら女や子供たちと和気あいあいと盛り上がっている。
アルフリーダは、この厳しい冬を乗り越えられることが出来るのだろうか。俺は彼女を冬と言う強敵から守り切ることが出来るのだろうか。こんなにも冬を怖く思ったことは、ついぞなかった。自分一人なら飢えようが凍えようがどうでも良かった。けれど、今年は違う。アルフリーダがいる。守らなければいけないものが——
と、隣の少女に向けられていたアルフリーダの笑顔が、エリアスに向いた。ドキッとして金づちを落としかけた時。
「おーい!エリアス!こっちに来てくれー!」
広場の端の方から声が飛んできた。見ると、脱穀を終えた麦がぎゅうぎゅうに詰め込まれた麻袋を,、男たちが積み上げている。
「こいつを貯蔵庫まで運んでくれー!」
エリアスが頷こうとしたとき、他の方向から甲高い声が飛んできた。
「ちょっと!エリアスは収穫祭準備の人員よ!勝手に呼びつけないで!」
リース作りの輪の中から町娘のティナが立ち上がった。柔らかい赤毛を長い三つ編みに結い、威嚇する母猫のように男たちに向かって怒鳴り返している。収穫祭だの、夏至祭りだの、新年の火祭りなど、町をあげての行事の時は、水を得た魚のように生き生きと場を取り仕切る。それがティナだ。
「ティナ。すまないが行ってくる」
幼馴染に頭を下げようとすると、ティナが嚙みついてきた。
「はあ!?何言ってんのエリアス!こっちは男手が足りないってのに!」
「すぐに戻ってくる」
イライラと腕を組み、エリアスが半分ほど組み上げた祭壇に目をやる。収穫祭のメインとも言える祭壇は、まだ骨組みしか完成していない。その上、ほぼエリアス一人で作業していると言っても過言ではない。一日で完成させるのは無理がある。ティナが貴重な男手を確保したがるのも無理はない。しかし脱穀作業は力仕事だ。一人でも多く男手が欲しいのも、また事実だ。しかも間が悪いことに、今日はカミルも狩りで町を空けている。
「仕方ないわねえ。早く戻ってきてよね」
エリアスが背を向けた時、再びティナの怒号が響く。
「分かってんでしょうねえ!エリアスはこっち側なんだからねー!」
脱穀作業中の男たちから苦笑が漏れる。わら束の乾いた匂いが風に乗って流れ、石畳にはもみ殻の山がさらさらと音を立てて転がっていく。少年たちが大人の男たちの傍らで、もみ殻を袋に詰めている。いや、あれは遊んでいるな。山を滑り降りたり蹴散らしたり。真剣にやっているのは茶色の髪のテオくらいのものだ。と思ったのもつかの間。エリアスの見ている前で、そのテオが山を散らかしているカートの背中に、サッと一掴みのもみ殻を入れた。
「うわ!テオ!やったな、てめえ!」
「ふふん。戦場では背中を見せたものが負けなのだ」
薄い胸を得意げに反らすテオに、「ここ、戦場じゃねえ!」とカートが怒鳴り返す。そのまま服の中に両手を突っ込み「うっひゃあ!」と、もみ殻を落とす様子は、おかしな踊りのようだ。
「おい!お前ら!遊んでねえで、仕事しろ!仕事」脱穀機の一定のリズムに、ヨハンの声が響く。と言ってもその声は決して威圧的でなく、どちらかと言うと呆れ半分、諦め半分と言ったところか。
エリアスはこみ上げる笑いを押し殺して、麻袋を持ち上げた。肩に伸し掛かる麦の重さと子供たちの騒がしい声に、少しばかり胸のつかえが下りる気がした。麻袋の重みが、冬と言う名の”死”に対抗する武器そのものに思えてくる。
藁束やもみ殻も無駄には出来ない。藁はベッドやクッションに活用できるし、もみ殻は壁材に混ぜ込んだり、燻して燃料としても使える。貴重な資源だ。
広場の端にある貯蔵庫まで麻袋を運んでいた時、すっと横を男が通り過ぎて行く。その瞬間、エリアスは足を取られてたたらを踏んだ。振り返ると、さっきの男がニヤニヤした笑みを張りつかせながらこちらを見ている。
「おっと、悪い。考え事してたら足が当たっちまった」
わざと足を引っかけておいて、何を白々しいことを。麻袋はかなりの重さだ。もしもバランスを崩していたら、ただでは済まない。周囲にも被害が及ぶことくらい想像できないのか、こいつは。しかも近くには子供もいる。エリアスは、にやけ顔の若い男を睨んだ。
「気をつけろ」
広くはない貯蔵庫に麻袋を下ろし、エリアスは再び脱穀機の音の方へ取って返す。と、先ほどのにやけ面と目が合った。荷運びもせずに、数人の仲間と何やら下品に笑いを交わして。嫌な感じだ。
「まったく、いい気なもんだぜ。大の男が脱穀作業を手伝わねえで、あっちで女子供とよろしくやってんだもんな」
「僻むなよロイク。なんせエリアスは家名持ちの騎士様だぜ?女子供の側でちんたらやんのも、騎士道なんじゃね?」
「騎士道ねぇ」ロイクの濁ったような灰色の目がエリアスを追いかける。
「なあ、おい、エリアス」
通り過がりにちょっかいをかけるのが、こいつの常套手段なのか?足を止めると、ロイクがもたれかかっていた樽から身を浮かせて、馴れ馴れしくエリアスを手招いた。
「さっきはすまなかったなあ。けど、お前大丈夫か?」
「何がだ?」
「何がってお前、結婚したんだろ?今年は特に冷え込むって言うし、二人分だぜ?やっていけんのか?」
「結婚じゃない。婚約だ」
ロイクの顔にまたあの笑みが広がる。今度は顔一面に。知っていてわざと言っている。エリアスの眉間に皺が寄る。
「へえ?そうかい。だったらこの冬は余計に気ぃ張らねえとな。婚約者が腹減らしたり、凍えたりしてみろ?雪が解けるより早く、婚約の方が解けちまうかもなあ」
ドッとロイクの仲間たちの中で笑いが巻き起こる。
「気にすんなよエリアス。けど本当に、若い女ってのは寒さに弱いからな。”騎士様”の家が冷え込んできたら——」
「余計な心配だ」
エリアスは短く言い放った。
「へえ、強気だな。まあ、せいぜい頑張れよ。冬は長ぇからな」
「凍えたら呼べよ?薪くらい分けてやるからよ。騎士様も寒さには勝てねえだろ?」
エリアスは黙って踵を返した。その背中にロイクの声が追い打ちをかけてくる。
「ただし!タダじゃねえけどな!ハハッ」
胸の内に、重たい雲がゆっくりと垂れこめてくる。寒さ、食糧、二人分・・・。
エリアスが、積んである麻袋を持ち上げようとしたとき、ふっと足元に影が落ちた。見上げると、エリアスよりもずっと年上のライナーが麻袋を担ぎ上げて、チラリとこちらに目をやった。
「あいつらの言うことなんざ気にすんな。若ぇのは皆不安なんだよ。お前が羨ましいだけだ」
「羨ましい・・・?」
「ああ」
ドサッとライナーがエリアスの腕に麻袋を渡し、自分はもう一つ麻袋を肩に担ぎ上げる。
「冬は長ぇし、仕事はきついのに、先の見通しなんざ立ちやしねえ。その上家族もいないときたら、な。だからお前みてぇに婚約者がいるってだけで、羨ましくてたまらねえのさ」
エリアスは黙って頷いた。冬は辛くて長い。仕事をどれだけこなしても不安はぬぐえない。
「この町じゃ男の独り身なんて珍しくねえ。女の数が足りねえんだからな。あいつらもそれを分かってるから余計に焦ってんだろうよ」
ライナーの視線が自然とリースづくりの女達の方に向けられる。少女から年寄りまで、ざっと20人ほどだろうか。もちろんこれが外郭にいる全ての女性たちと言うことはないが、それでも女性は男の半数ほどだ。
「女は子を産む。だが大抵はそれで終ぇだ。出血や熱で死んじまう。悪くしたら、せっかくの赤ん坊まで助からねぇ」
「ライナー、あんたは・・・」
ライナーが重苦し気に頷いた。
「ああ。ウチは女房も子供もダメだった」
「そうか」
胸の奥の雲が更に大きく重くなっていく。日焼けした横顔。その目尻に刻まれた皺の隙間が光っているように見えて、エリアスは麻袋を担ぎなおすふりをして目を逸らした。
「悪いな、しんみりさせちまったか?」
「いや」
「まあ、何とかなるだろう。冬は毎年来るし、毎年何とかしてきた。今年も同じだろうさ。さてと、さっさとこいつを運んじまわねえとな」
小さく笑いながらライナーが顎でティナを指した。つられて見ると、中途半端な祭壇の前で、腕組みをしたティナがこちらを睨んでいる。その手が苛立たし気にパタパタと腕を叩いている。
「早くお前を返さねえと、またティナのやつが怒鳴りやがるからな。”エリアスを返せー!”ってな」
エリアスは苦笑して頷いた。考え込んでいても仕方がない。冬が来ることに変わりはない。ただ、備えをしておくだけだ。
ロイクの嫌味よりも、ライナーの言葉の方がエリアスの胸に刺さった。俺はたまたま運が良かっただけだ。しかし、その幸運はいつまで続くんだ?成り行きとは言え、アルフリーダは婚約者だ。この先、正式に結婚することになるだろう。その次は?もしも彼女が子を授かることになったら?ライナーの言葉がエリアスの脳裏をかすめていく。
——女房も子供もダメだった——
エリアスは、ぶるっとかぶりを振った。
胸に沈殿した思いは、エリアスの中で静かにたまり続け、夜になるころには完全に冷え切った塊と化していた。
「エリアス?」
はっとしてエリアスは目を瞬かせた。暖炉の炎の照り返しを受けて、剣のブレイドに自分のぼんやりした顔が歪んで映っている。
「剣の手入れ中に、物思いは危険ですよ」
椅子に座ったアルフリーダが、縫物の手を止めてこちらを見て優し気に微笑んだ。
「お疲れなのではないですか?あんなにたくさんの麦を運んだのですから。私も今日は色んな方々と一緒に作業をして疲れました」と、ふっとアルフリーダの笑顔が小さくなって消えた。まるで蝋燭の火が風に揺らぐように。
「どうかしたのですか?」
「あ、いえ。今日、気になるところを見たものですから・・・」
「気になるところ?」エリアスは眉をひそめた。まさか俺がロイクに嫌味を言われたように、アルフリーダも何か不快なことを言われたのだろうか?
縫物をテーブルに置いて、アルフリーダがエリアスの側まで来て座った。ぼろぼろの絨毯など目に入らないかのように、アルフリーダは真っすぐにエリアスを見上げてくる。
「今の時代、若い女性は少ないのですか?」
まさにエリアスの物思いの核心を突かれ、彼は思わずたじろいだ。
「なぜ、そんなことを・・・?」
アルフリーダの視線がふっと陰る。
「今日、一緒に作業をしていた中に、ミレイユと言う方がいらっしゃったのです。エリアスはご存じですか?ふわふわした栗色の髪で、そばかすが可愛らしい方なのですが」
ふわふわ?そばかす?エリアスは首を横に振った。
「いえ、あまり若い女性と接する機会がなかったものですから。どういう方なのですか?」
アルフリーダは迷いながら、ゆっくりと語り始めた。




