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封印の姫と最後の騎士  作者: ラーナ


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第十話

案山子がある。


 顔の部分が的になった案山子だ。


 エリアスは案山子の一つしかない目のような的の中心を、じっと凝視した。案山子の赤く塗られた的の真ん中がエリアスを見つめ返してくる。赤い小さな丸。エリアスはそこに意識を集中し、そして一気に矢を放った。


 ビョウ!っと鋭い音を立てて、朝の冷たい空気の中を一本の矢が空を裂いて飛んでいく。的の赤い目に向かって。


 ザクッ!矢が枯れかけた茂みに勢いよく突き刺さる。


 ・・・外れた。隣でカミルが呆れたように溜息をついた。


「お前、何回目だよ。こんなに的外せんの、むしろ才能じゃねぇ?」


「うるさいな・・・」


 軽やかな足取りで、カミルが矢を引き抜いて戻って来る。


「あーあー。この案山子、ずーっと無傷なままだな。お前、ひょっとして案山子に惚れてんのか?」


「そんなわけがあってたまるか」


「だったら、一本くれぇ当ててみろよ。こんなに大事にされて、案山子も照れてるぜ」


 カミルが背中から自分の弓を取り、ゆっくりとした動きで矢をつがえ引き絞って見せる。


「ここまではいいよな?ってか、お前の場合、形は完璧なんだよ。で、威力も完璧。でも——」


 矢の先が案山子の目に向かって固定され、カミルの琥珀色の瞳がすうっと細くなる。獲物を狙う獣さながらに——。ドスッ!っと重い音が響き、案山子の赤い目のど真ん中をカミルの矢が射抜いた。


「お前の狙いは、壊滅的」


「ちゃんと狙っている」


 カミルに倣ってもう一本矢を取ってつがえる。重心を整え、肩の筋肉を意識しながら弓を弾き絞る。そして、的を狙う。


「そうじゃねえ。それだとまた地面を狙い撃ちだ」と言うカミルの声に、腕をもう少しだけ引き上げる。


「どこ見てんだ?色っぽい姉ちゃんを見つめるくれぇ凝視すんだよ!」


「女性にそんな不躾な視線を向けたことなどない」


 途端にカミルの顔に、”悪い満面の笑み”が浮かぶ。


「嘘つけよ、エリアス。昔、パン屋のアンナのことを随分熱心に見てたじゃねえか」


 カミルに反論しようと口を開きかけた時、まだ若かったパン屋のアンナの笑顔がまざまざと思い出された。子供たちに向けていたその人懐っこい顔が、エリアスの中で急にアルフリーダの優美な顔に変換される。動揺した弾みで指からするりと矢が逃げた。


「——っ!」


 当然飛距離が伸びるわけがなく、案山子までは到底届かない。矢は地面をすべるようにして、エリアスの足元と案山子の中間あたりの地面に躓くような格好で止まった。


「お前が変なことを言うからだ!」


「はあ!?俺のせいかよ!」


 まだ顔が熱い。エリアスは頬の熱を振り払うように、矢を取りに走った。


「そう言やお前、婚約したんだって?」


「な!な、なんで知って・・・」カミルの唇がにやりと吊り上がる。


「酒場で聞いたんだよ。——道理で、なんか顔が緩んでんなって思ったんだ」エリアスは反射的に顔を手で隠そうとして、拾った矢で頬を突きそうになった。カミルの腕がドサッと肩に回され、エリアスは思わずつんのめる。


「聞いたところによると、すっげぇ美人なんだって?」


「・・・知らん」


「おいおい。一つ屋根の下で暮らしてて”知らん”わけねぇだろう。結婚祝いは何が欲しい?狐か?鹿か?それともなんか他の——」


 ぐいぐいと体重をかけてくるカミルの腕をつかみ上げて、エリアスはそのまま片腕だけでカミルを地面に投げ飛ばした。


「ってぇ・・・!何すんだ!」


「体術の訓練に相応しい態勢だったからつい、な」


「つい。じゃねえよ!ってか、ぜってぇワザとだよな!」


「防げなかったお前が、未熟なだけだ」


 手を差し出すが、カミルがそれを乱暴に振り払う。


「おらおら、遊んでねえでもう一回やるぞ」


「どっちがだ」


 言われるままに、矢をつがえ弓を弾く。


「よーし。型は完璧だ。狙いは・・・。そうじゃねえ、もうちょい左だ。まあいいか。そこで」


 なんだ?今、カミルから諦めの空気を感じたんだが。


 カミルの言う”もうちょい左”を意識して、エリアスは弓を放った。ビュウッと矢が弓を離れ、すさまじい勢いで空気を震わせ飛んでいく。案山子の横を楽々通過して、とんでもない方向へ——


 矢は、訓練場の端を超えて森の方まで飛び、茂みに隠れて見えなくなった。


「なぜだ・・・」


 つぶやいた瞬間、遠くの方で小さな悲鳴が上がった。弾かれたようにエリアスとカミルは弓を捨てて走り出す。矢は訓練場にしているもの置き場の向こうに広がる森の方まで飛んでいったように見えた。森の小道の辺りで、一人の女性が立ち尽くしている。その姿にエリアスは声を上げた。


「アルフリーダ!」


「あ、おい」カミルの戸惑った声を聴かず、エリアスはアルフリーダに走り寄った。まさか、自分が放った矢が彼女を傷つけたのか?不安が、紙の上に落ちたインクのように、エリアスの胸に広がっていく。


「大丈夫ですか!?どこか怪我は・・・」


 アルフリーダの靴からさほど離れていない手前の地面に、矢は刺さっていた。エリアスの胃の腑が急激に冷えていく。まさか自分の放った矢で彼女を傷つけるところだったなどと——。


「どこも怪我はありません。急に何か飛んできたので、驚いて声を出してしまいました」


 エリアスは思わず、アルフリーダの両肩を掴んだ。細い肩が、彼の手の中でビクッと跳ねる。


「なぜ、こんな危険なところに来たのですか?」


「え?」アルフリーダの目が驚いたように見開かれ、さあっと穏やかな表情が拭いされていく。しまった!と思っても遅すぎる。口調が強すぎた。


「ちょ、エリアス!待てよ。大丈夫だ。どこにも当たってねえ!」追いついてきたカミルがエリアスの手をアルフリーダの肩から引きはがした。アルフリーダの紫色の瞳が伏せられる。


「朝食の時間になっても、お戻りにならなかったので・・・。すみません」


「あ、いえ。あなたを責めるつもりは・・・」カミルの視線が窘めるような空気感を放っている。「お前、そりゃ言い過ぎだ」と。顔を見なくてもわかる。口を開かなくても聞こえる。エリアスはアルフリーダに頭を下げた。


「申し訳ありません。私の放った矢があなたを傷つけたかもしれないと思うと、その・・・怖かったのです」


 そうだ。怖かったのだ。アルフリーダが傷つくのが。もっと言えば彼女を失うのが・・・。しかもその原因を作ったのが自分だとしたら、一生自分を許せないだろう。


 アルフリーダがかぶりを振る。


「いえ。私が軽率でした。訓練場なのですから、それくらい予測しておくべきでした」


「おいおい。もとはと言えばお前のクソエイム力とバカ力のせいだろ?こいつを責めるのは違うんじゃねえか?」


「”こいつ”じゃない。アルフリーダだ」


 カミルの琥珀色の瞳が何かを悟ったように光る。”ははあん。この女が噂の婚約者だな?”と視線がエリアスを探る。


アルフリーダが小首を傾げる。


「えいむ、・・・りょく?」


カミルがエリアスの肩を掴んで引っ張り、代わりにアルフリーダの前にしゃしゃり出る。


「ああ。エイム力って言うのは、狙いをつける技術の事だ。お前の婚約者はな、剣だと天才、弓だと災害なんだ」


「・・・災害は言いすぎだろ」


「じゃあ、この矢は何だよ!?」


 アルフリーダが困ったようにカミルとエリアス、そして自分の足元に突き刺さる矢とを見比べている。エリアスは、まだぎゃんぎゃん騒ぐカミルを無視して、自分が放った矢を地面から引き抜いた。


「アルフリーダ。怖い思いをさせて申し訳ありません。私は・・・、弓の腕が——」


「壊滅的!」カミルが間髪入れずに叫ぶ。


「エリアスは、弓が苦手なのですか?」


「はい。認めたくはありませんが・・・、その通りです」


「おい!なんだよ、そりゃ!?認めろよ。もっと素直に認めろよ」


 余計なことを・・・。カミルを睨むと、ニヤニヤしながらこっちを見ている。


「あの、・・・もしよろしければ、そちらの方も朝食をご一緒にいかがですか?」


「え!?マジ!?行く行く!」


 早くも足が家の方に向かって歩き出そうとしているカミルの襟の中に、エリアスは手を突っ込んで引き留めた。


「おい。片付けがまだだ」


「はあ!?なんで俺が!?」


「手分けした方が早い。あなたは先に戻っていてください」


アルフリーダの方を向くと、彼女がふっと表情を和らげてほほ笑んだ。その微笑みに、エリアスはやっと、冷えた心臓が熱を取り戻し始めたような気がした。


「はい。では、お粥を温めなおしておきますね」


 軽く会釈をして立ち去る彼女の後ろ姿に、胸の奥で張りつめていた糸がフッと緩んだ。思わず小さな息が漏れる。彼女は無事だ。ここにいる。安堵と言う名の暖かさが、自分の中のざわつきを静かに撫でていく。


「へえ。お前のそんな顔、初めて見たぜ」


「何のことだ?」


 弓がまだ訓練場にしている倉庫跡地に転がっている。エリアスはカミルを見ずに空を仰いだ。朝日はすでに高く、森の影も短くなっている。礼拝堂の鐘が鳴ったかどうかさえ記憶にない。


「おい。急ぐぞ」


「へいへい。早く美人の婚約者のところに帰りてぇもんな」


「黙れ」


 エリアスは、まだ何か言っているカミルの声を無視して、朝の空気で頬に冷ますように走り出した。

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