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封印の姫と最後の騎士  作者: ラーナ


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第九話

二人のぎこちなくも慎ましい生活は、穏やかに過ぎて行った。けれどもエリアスには一つだけ、胸の奥に小さい錘のような懸念が引っかかり続けていた。アルフリーダの悪夢だ。


 初めの二、三日は、慣れない生活での気疲れが悪夢を見せるのかと思っていたが、何日経とうが変化は見られない。それでいて目覚めているときのアルフリーダは、生き生きと健康的で顔色も悪くない。闇の空を掻き、息を乱し「放して」と身をよじる夜の記憶は、完全に抜け落ちてしまっているようだ。


 エリアスはアルフリーダがうなされる度に、ぐずる子供を宥める父親のように、彼女を抱き寄せ背中を撫でさすった。そうしているうちに、アルフリーダの呼吸は落ち着きを取り戻し、また眠りに落ちていく。覚えていないならそれでいい。あえて不安にさせる必要もない。ただ一つ、悪夢を見る事以外に問題があるとしたら、アルフリーダを抱き寄せるときに感じる一抹の罪悪感だけだ。


 ある朝、エリアスは思い切ってアルフリーダに聞いてみた。まさか直接悪夢の事を尋ねるわけにもいかず、「慣れない藁のベッドで、眠れていますか?」と。藁がチクチクする。や、寝返りをうった時のガサガサした音で眠りが浅くなる。などと言った理由を、頭のどこかで期待していた。それなら、環境の変化による一時的な悪夢と言う理由が成立する。けれど、彼女の答えはそれとは真逆だった。


 細く開けた鎧戸から差し込む朝日を斜めに受け、アルフリーダは微笑んで頷いた。「ええ。ここに来てからと言うもの、自分でも驚くほどによく眠れるのです」干し草の香りのせいでしょうか?と、あどけなく小首を傾げてくる。


 それを見て、エリアスはますます何も言えなくなってしまった。だが、これでいいのかもしれない。アルフリーダが良く眠れて、日々を健やかに過ごせるのに、何を思い悩む必要があるのだろうか。と。


 


 珍事が起きたのは、アルフリーダが来てから一週間ほど過ぎた時のことだった。


 やっとのことで収穫が終わり、広場では麦穂を干す作業追われていた。収穫物を狙う盗賊や、食い荒らす動物も、壁の中までは、さすがに入っては来られない。


 城塞内部の広場にはあちこちに麦が干される棚が作られ、冬季だけの簡易的な貯蔵庫が出来上がる。収穫から貯蔵へと慌ただしく動き回る町の喧騒に、金槌やのこぎりの音が賑やか加わった。


 先に刈り取っておいた分は、すっかりカラカラに乾燥し脱穀出来る頃合いのものもある。町の者達は総出で脱穀の準備と麦を干す作業に大わらわだ。貧が染みついたエルノヴァでも、この季節だけは賑やかで町の者たちの顔にも笑みが浮かぶ。冬の到来への不安を、どうにか打ち消そうとするかのように。


 そろそろ夕日が差し込み、その日の作業も終わろうとしていた時——


 広場に長い影が伸びた。


 おおよそ人のものとは思えぬ異形の影。最初に気が付いたのは、座り込んで遊んでいた子供だった。子供の手元に尖った長い角の影が、すうっと音もなく忍び寄り、子供は顔を上げる。眩い西日の手前に異形の影の主が佇んでいる。影の主は角を揺らしながら、忙しそうにうち働く者達を値踏みするように。子供の手から小石が零れ落ち、そして小さな口がいっぱいに開かれる。


「カミルだ!」


 子供の声に、町の人々が一斉にそちらに目を向けた。


「おーい!カミルー!ひっさしぶりだなあ!」麦の干し台を作っていた若い男が、影の主に手を振った


「今年も帰ってきたのか!うわあ、これまたでっかい鹿だなあ」麦束を運んでいた男が、カミルが肩に背負った鹿を見て感嘆の声を上げる。


「カミル!カミル!」子供たちが群がる。


 その様子を、藁束を抱えたままエリアスは静かに眺めていた。また、うるさくなるな。


 溜息をつきながらも、心の奥ではカミルの帰りを嬉しく感じている自分がいた。


「よお。エリアス」子供たちを引き連れて、カミルがエリアスの前に現れた。


 肩に、巨大と言っても過言ではないほどの大鹿を担いでいる。よく見ると、腰のベルトに茶色いウサギを三羽もぶら下げている。長く伸びた枝のような角が丁度カミルの頭の上にあり、まるで角の冠をつけているように見えなくもない。


「それが、春までの宿代か?」


 春から夏にかけて森に住み、冬の間は町で住む。弓一つで生きる猟師らしい暮らしだ。


「ま、そんなとこだな。けど、見てろよ。雪が積もり始めるまでに、もうあと二頭は仕留めてくる。こいつと同じくれぇの奴を、な」


「助かる」


 琥珀色の目を細めて笑うカミルは、そのまま大きくなった子供の顔だ。


「別にお前のためじゃねえよ」


「分かってる。だが、お前がこうして毎年獲物を仕留めてくれるお陰で皆が肉を食える。毛皮も手に入るしな」


 群がる子供たちが、カミルの腰のウサギを興味深げに突いている。あどけない顔が、自分よりもずっと背が高いカミルを憧れの眼差しで見上げる。


「ねえ、カミル。俺も狩りに連れて行ってよ」「俺も!」エリアスを押しのけ、それこそウサギのように少年たちがカミルの周囲でピョンピョン飛び回る。


「おう!お前ら頼もしいな!だったら、こいつを頼むわ」カミルは背中に背負った巨大な鹿をドサリと地面に落とした。


「酒場のブラント親父のとこに持ってってくれ」


 跳ねまわっていた子供たちの足が一斉に止まり、代わりに小さな口から次々と文句が飛び出す。


「こんなデカいの無理だよー!」「そうだ。そうだ!」「重すぎるって!」


 茶色の髪の少年が大枝のような角を思いっきり引っ張ったが、びくともしない。カミルがわざとらしく身をかがめて、子供たちを眺めまわすようにぐるりと一回転する。


「へえ?無理だって?狩りに行きてえって言ったのはどの口だ?これくらい運べねえようなガキなら、狩りにはとても連れては行けねぇな」


 少年たちの目線が交差する。無言での会議の末、茶色の髪の少年が再び角に手をかける。「ほら、お前らも持てよ」「仕方ねえな」まだ短い黒い髪を首の後ろで無理に束ねた少年が前足を束ねて持ち上げる。「カートも手伝えよ」「え?俺?」「他に誰がいんだよ。おーい!スタン!鹿運び、手伝えー!」わらわらと小さな頭が集まり鹿を運んでいく様は、まるで虫の死骸を巣まで運ぶアリの軍勢のようだ。


「おいおい、あんま引きずるなよ。毛皮だって、お前らの手袋になんだからな」


「分かってるっての!」「ちぇっ!人使い荒いよな。うわ!お、重てぇ!」「狩りに連れて行ってもらうためだ。これくらい・・・、お、重いよ・・・!」ワイワイ。ガヤガヤ。賑やかな声が広場を横切って行く。


それを見かけた大人たちが「頑張れよ」「ああ!そこ!引きずってる!」などと声をかけている。


 腰に手を当てて、鹿を運ぶ小さな群れを見送ってから、カミルはようやくエリアスに向き直った。


「今頃麦束を干してんのか?遅くねえか?」


 カミルの視線がチラリと広場の様子を見渡す。カミルの言う通り、いつもならもうとっくに脱穀作業に入っていなければならない。


「ああ。今年の夏はあまり気温が上がらない日が続いたからな」


「けどその割にゃ、収穫量はそれなりに確保できているみてぇじゃねぇか」


「どうにか冬を越せる程度は、な」


 言いながらも、エリアスの胸に小さな不安がポツッと生まれる。冬は死の季節だ。毎年春を見ずに誰かが死ぬ。特に幼子と年寄りが冬の犠牲になる。病持ちなら尚のことだ。どれほど剣の腕を磨いても、冬と言う強敵には無力だ。


「へっ!随分弱気じゃねえか!なら、お前も狩りに付き合うか?久しぶりに、お前のクソみてぇなエイム力を鍛えてやるよ」


「俺の専門はロングソードだ」


「いちいち教えてくれなくたって知ってるって。けど、爺さんが言ってただろ?”騎士たる者、あらゆる武器を使いこなさねばならん。苦手だからと修練をしない者はヴァルドの器ではない。”ってな?」俺、ヴァルドじゃねえのに。とカミルが懐かしそうに笑って見せる。ご丁寧にエリアスの祖父の声マネまでして。


 エリアスは肩をすくめた。祖父はエリアスだけでなくカミルにも武器の技術を徹底的に教えこんだ。そこには単純な血縁などと言う線引きはなく、「ヴァルド」と言う小さな騎士団のようなものだった。


「それを言うなら、久しぶりにお前の崩れた型を見てやろう」


「お前、年々爺さんに似て来るな。俺の専門は弓だっての!」


 エリアスはニヤリと唇を釣り上げ、わざとらしく腕組みをした。


「騎士たる者、あらゆる武器を使いこなさねばならん」


 カミルが吹き出した。


「へいへい。分かったって。早朝、訓練場だろ?」


「遅れるなよ」


「そっちこそな」


 軽口を投げ返して、カミルは定宿の酒場の方に歩いて行く。その背中を見送りながら、エリアスはふっと息をついた。胸の奥が少しだけ軽くなる。この感覚は久しく忘れていたものだ。


 頼まれもしない日々の治安維持。冬の食糧確保。それらをエリアス一人で守っているなどと驕っているわけではない。けれど誰よりも気にかけているつもりではある。だからこそ、頼れる者がいるのといないのとでは、心持ちがまるで違った。


 無鉄砲でうるさくて、けんかっ早い。だが気が付くといつも隣にいた少年の姿と、今のカミルの背中が重なる。エリアスは目を細め、その記憶を胸の内にそっとしまい込んだ。


「まったく・・・。相変わらずだな」


冷たい秋の風が、そろそろ片付け作業にかかる広場を吹き抜けていく。エリアスはその風に誰に言うでもない言葉を乗せて、自分も作業の輪に早足で戻って行った。




「今日は、楽しそうですね」


 シチューの湯気の向こうから、アルフリーダの笑みを含んだ声がかかる。秋の夕暮れは早く、ただでさえ暗い家の中は夜中と大して変わりない。赤々と燃える暖炉の炎と、貴重な蝋燭の明かりだけが、粗末な食卓に暖かさを灯していた。


「そう見えますか?」濡れた手を拭きながら、エリアスはアルフリーダに代わってシチュー鍋をテーブルへと運ぶ。


「ええ。何か良いことでもありましたか?」


 まるで自分の事のように、どことなくワクワクしているような目でエリアスを見上げる。


「良い事。というほどでもありませんが、猟師をしている友が冬を過ごすために戻って来たので」


「友?どんな方なのですか?」


 カミルがどんな男か・・・。あいつの印象を頭の中で纏めるだけで、唇がムズムズする。


「そんな、楽しい方なのですか?」


「いえ。そういうわけではありません。ただ、あの男を説明することは一筋縄ではいかなさそうだと思っただけです。そうですね・・・。カミルは一口で言うなら、厄介者で人気者。怠け者で頼りになる。そんな男です」


 シチューを木の椀に盛りつけながら、アルフリーダが小首を傾げる。


「・・・はあ。難しいのですねぇ。どこで知り合ったのですか?」


 根菜とミルク。そしてハーブの香りの湯気に、忘れていたはずの幼い日々の記憶がよみがえる。


「カミルは、私がまだ幼い子供の頃、祖父がいきなり連れて帰って来たんです」


 いつものように作業から帰って来た祖父の腕の中に、小さなカミルがいた。まるで拾われた子犬のように。祖父の太い腕の中で丸まって眠る幼子おさなご。それがカミルとの初対面だった。


 「どこの子?」と聞いても祖父は答えない。ただ、妻である祖母にエリアスのベッドの隣にもう一つ寝床を作るように申し付けただけだ。祖母も何も聞かずにベッドを整え、眠っているカミルを祖父の腕から受け取って目を細めた。「まあ。なんて可愛いんでしょう。まるで天使みたいね」


 明るい茶色の髪にバラ色の頬。通った鼻筋。祖母の言う通り、エリアスの目から見てもカミルは可愛らしい子供だった。そしてそのまま、まるでカミルが昔からここに住んでいたかのように、小さなヴァルド家は四人になった。


「いきなり兄弟が出来たみたいで、楽しかったのではないですか?」


 エリアスの前に切り分けた黒パンの皿を置いて、アルフリーダは遠い昔を見るように暖炉の踊る炎に目を向ける。


「どうでしょう。修練と家の手伝いを抜け出しては、いつも冒険だの探検だの、釣りだのと狩りだのと私を連れまわしてばかりでした。おかげで、私まで祖父から罰を受ける羽目になったことしか思い出せませんね」


 アルフリーダの瞳が、悪戯好きの少女のように輝いた。


「どんな冒険に出かけたのですか?ぜひお聞きしたいです」


 カミルとの冒険の数々が脳裏に浮かぶ。冒険と言う名の「危険な遊び」と言う方が当てはまる。


「大したことはありませんよ。子供の遊びです」


 魔法の石探しと称し、暗い森に行って迷子になった事。凍りついた湖に釣りに行き、氷が割れて凍死寸前になりながら帰った事。どの冒険も他愛なく、結局最後には二人そろって暖かい暖炉の前で祖母に世話を焼かれ、祖父に怒られる。


「素敵な冒険ですね。まるで心の宝石のようです」


 アルフリーダが目を細めて楽しそうに笑う。


「忘れられない冒険はありましたか?」


 アルフリーダの言葉に、エリアスのシチューを食べる手が止まった。トクンと心臓が脈打ち、まだ10代だった頃のある秋の日が蘇ってくる。長い間触れないようにしてきた記憶が、彼の胸の内で静かに揺れる。


 光と重さ。小さな手の温度。使いこなせなかった短剣。耳に残った消えかけの約束。


 そう言えば、あれが今の俺の始まりで、罪の始まりだったんだな・・・。


「エリアス?」ハッとしてエリアスは顔を上げた。


「いえ。少し物思いが過ぎましたね。それより私ばかり子供の頃の話をさせられるのは、不公平では?」


「え?私は修道院育ちで、冒険などしたことがありません」


 両手を振って、子供の頃の話題から逃げようとするアルフリーダにエリアスは追撃した。


「友達と壁をよじ登ったんですよね?」


「いえ!よじ登ったのは彼女の方で、私は・・・」頬を赤らめ指をもじもじとさせている様子からは、怪しさしか感じられない。見つめているだけで飽きない。やがて観念したアルフリーダがぽつりとつぶやくように言った。


「その、小鳥の巣があったんです・・・」


「小鳥の巣?」アルフリーダがコクリと頷く。


「窓からも地面からも、丁度枝で隠れていて見えませんでした。友が、綺麗な青い卵があるからと言うので、どうしても見てみたくて」


「まさか、本当に登ったんですか?」驚いた。いくら少女と言え、姫君が壁登りをするとは。アルフリーダの眼が伏せられ、顔が見る見るうちに耳まで真っ赤になる。


「大丈夫だったのですか?」


「・・・落ちました」


 エリアスは息を飲んだ。声が出てこない。無事だったんだろうか?いや、無事でないなら今彼女がここにいるわけがない。無事だったに決まっている。アルフリーダがエリアスをチラリと見て、吹き出した。


「昔の事です。そんな顔をしないで下さい」


「で、ですが、だ、大丈夫だったんですか?」


「ええ。そこまで高くは登れなかったのが幸いしました。その後、やはり修道院長様に二人してお叱りを受けましたが」


「当然です!あなたの友とは言え、何と言う悪童でしょう。姫を壁登りに誘うなど・・・」


「貴族令嬢ですよ」くすくす笑い交えながらを返って来た答えが、エリアスの悪童のイメージを打ち砕いた。貴族令嬢?壁登り?ドレスとリボンで飾った少女が壁登りをする。だと?


「彼女は壁登りだけでなく、剣術にも秀でておりました」


 女で、少女で、しかも剣を使う!?アルフリーダが上目つかいでエリアスを見ながら、くすくすと笑う。


「エリアスと、いい勝負かもしれませんね」


「わ、私は・・・、しょ、少女と剣を交えるなど・・・!」


「嘘です。あなたの方が、ずっとお強いに決まっていますから」


 アルフリーダの明るい声が、暖炉の煙とシチューの湯気が漂う薄暗い空気の中に響く。どうやらこの姫君も、お転婆な貴族令嬢と負けず劣らず冒険好きで茶目っ気に溢れていると見た。文献の中のアルフリーダは、清廉で気高く、物静かで思慮深い姫だった。しかし今、エリアスの目の前でコロコロと笑う女性が本当のアルフリーダなのだ。


 悪くない。むしろ人間らしい。黙っているのを不快に思っていると取ったのか、アルフリーダが急に不安げにのぞき込んできた。


「もしかして、怒ったのですか?」


 いつもは高貴な輝きを放つ瞳が、叱られた子供のように丸くなるのを見て、エリアスは耐えきれずに笑ってしまった。


 こんなに笑ったのはいつぶりだろう?カミルがまだ家に居た時か?それとも、子供たちの目を盗んで祖父が祖母に不器用なキスをした時?あまりに久しぶり過ぎて、顔の筋肉が引きつりそうだ。


 アルフリーダがきょとんと眼を瞬かせた後、つられたように笑い始めた。


「あなたもこんな風に笑えるのでね」


「ええ。私も人ですから」


 いや。今初めて自分が人だと認識したと言ってもいいくらいだ。完璧な騎士でいたいと思っていた。騎士でいられるのなら、人でいる事を忘れ去ってもいいとすら思う事もあった。だが、自分は人だ。それ以外になりようがない。   ようやくそれに気が付いた気がした。

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