第二十四部 アナタのそばに居たいだけ
――その後
月は、空の定位置に戻っていた。
ニュースは奇跡だと騒ぎ、専門家は説明不能だと首を振る。
けれど久世庵では、誰もテレビを見ていなかった。
久世庵
暖簾は下ろされたまま。
団子の香りも、将棋盤の音も、笑い声もない。
縁側には、誰も座っていない。
ただ、恒一像の方向を向いたまま、空席が一つ。
かや
指輪は外していない。
けれど、触れない。
触れたら、思い出してしまうから。
夜になると、布団の片側を無意識に空ける癖だけが残った。
「……バカ」
そう言って、泣かないようにしている。
ルミナ
最初は叫んだ。
何度も。
でも今は静か。
庭に残った小さな芽の前に毎日座る。
「ちゃんと見ててよ」
「笑ってって言ったでしょ」
強い子になろうとしている。
ネメシス
距離を取っていた自分を、責め続けている。
縁側で一人、夜に歌う。
マイクは使わない。
ただ、生声で。
エーテルに届くと信じて。
歌は、前より優しくなった。
セラ
誰よりも静か。
誰よりも深く。
誰もいない部屋で、何度も何度も同じ言葉を呟く。
「……父上は、約束を破らない」
それが希望か、呪いか、自分でも分からない。
アーク
毎朝竹刀を振る。
強くなるためじゃない。
心を壊さないため。
振り終えた後、空を見上げる癖がついた。
グアラ
全部知っていた。
全部分かっていた。
だからこそ、誰よりも泣けない。
みんなを支える役目を、黙って背負っている。
ナポリネス・イリス・レオン・メクル
それぞれが、動き出している。
旅館を止めない。
塾も、工房も、音楽も。
止めたら、エーテルの存在まで止まってしまいそうだから。
久世庵、再開
ある朝。
かやが暖簾を持って立っていた。
震える手。
深呼吸。
そして掲げる。
「……営業、再開します」
団子は、少し甘さが変わった。
自然エネルギーは、もうあの頃ほど強くない。
でも、味は温かい。
縁側の席。
誰も座らないはずだったその席に、
ある日、小さな風が吹いた。
芽が、少しだけ伸びる。
ルミナが気づく。
「……ねえ」
誰も何も言わない。
でも全員が分かる。
終わっていない。
“居なくなった”だけで、
消えてはいない。
久世庵の広間。
社員もバイトも全員集められていた。
ひなた、神谷、琥珀、新人たちも並んでいる。
いつもなら縁側にエーテルがいて、
「まぁまぁ座りなよ」って笑ってる時間。
今日は――いない。
その空白が重すぎた。
かやは一度深く頭を下げる。
そして、静かに言う。
「……エーテルは亡くなりました」
空気が止まる。
誰かが冗談だと思おうとした瞬間、
かやの目を見て理解する。
本当だ、と。
ひなたが最初に声を震わせる。
「え……あの、昨日まで……庭で……」
神谷も言葉が出ない。
「団子……一緒に売って……」
琥珀は膝から崩れそうになり、必死に立っている。
「そんな……あの人が……」
かやは続ける。
「最後まで、皆さんのことを心配していました」
「ここが好きだって」
「久世庵を守ってほしいって」
「皆さんに……ありがとうって」
そこで少し声が詰まる。
でも泣かない。
女将だから。
「だから、久世庵は続けます」
「エーテルが守った場所を、終わらせません」
「ここは“帰ってこられる場所”であり続けます」
沈黙のあと、
ひなたが小さく言う。
「……あの人、私の曲、初めて褒めてくれた人でした」
神谷が拳を握る。
「俺、あの人みたいな大人になりたいって思ってて……」
琥珀は震える声で。
「命の恩人です……それ以上です……」
誰かが泣き始めると、連鎖する。
でも不思議と絶望じゃない。
“喪失”と“感謝”が混ざった涙。
かやは最後に言う。
「エーテルは、ここで生き続けます」
「皆さんの中に」
「この旅館の中に」
その夜。
団子はいつもより売れた。
渋茶も、すぐ無くなった。
誰も笑わないけど、誰も帰らなかった。
縁側の空席に、そっと団子が一本置かれる。
誰かが言う。
「……今日もお疲れさまです」
久世庵・フリースペース
常連のおじいさんが団子を手にしながら言う。
「今日はエーテルさんはおらんのかい?」
別の客も続く。
「最近見かけないわねぇ、縁側の旦那さん」
「将棋の相手してくれる人」
「人生相談の人」
かやは一瞬だけ息を止めてから、微笑って答える。
「……少し、遠くに行きました」
嘘じゃない。
でも全部は言わない。
「寂しいなぁ」
「また戻ってくる?」
その言葉が胸に刺さる。
かやは一礼する。
「ええ。ここはずっとありますから」
◆ ネメシスの配信
コメントが流れ続ける。
エーテルさん今日いないの?
団子屋のおじさんどこ?
あの人の声好きだった
元気?
ネメシスは一瞬だけ画面から目を逸らす。
喉が詰まる。
それでも笑顔を作る。
「……最近、ちょっとお休みしてるだけだよ」
嘘が下手だから声が揺れる。
コメントはさらに増える。
待ってるよ!
早く戻ってきて!
家族動画また見たい
配信を切った瞬間。
ネメシスは床に座り込む。
「……なんでいないのに、みんな待ってるんだよ……」
ルミナがそっと抱きつく。
「パパは……ここにいるよ」
胸を指して。
それからの日々
・団子を買って「エーテルさんによろしく」と言う人
・差し入れを持ってくる常連
・YouTubeで“復帰待ちタグ”が勝手にできる
誰も知らない。
世界を救った代償だなんて。
かやは夜、縁側に座って呟く。
「……あなた、人気者すぎ」
風が少しだけ強く吹く。
庭の樹の葉がざわっと鳴る。
まるで返事みたいに。
団子は変わらず美味しい。
温泉も、庭も、景色もそのまま。
なのに――空気だけが違った。
かやは以前みたいに笑わなくなった。
笑顔はある。
でも目が笑っていない。
「いらっしゃいませ」
声は丁寧。
でも温度が少し低い。
常連のおばあさんが小声で言う。
「……最近、元気ないねぇ」
「縁側の旦那さん、ほんとにいなくなったんだね」
誰も責めない。
ただ、寂しそうに言うだけ。
ルミナは庭で遊ばなくなった。
樹の近くで座って空を見る。
ネメシスは動画の投稿頻度が落ち、
笑顔がぎこちなくなる。
アークは無駄に忙しく動き回り、
セラは無理やり明るく振る舞う。
みんな、それぞれ壊れ方が違う。
YouTubeの変化
コメント欄も空気が変わっていく。
最近元気ない?
雰囲気違うよね…
エーテルさんの声が聞きたい
何かあったの?
ネメシスは笑って返す。
「だいじょーぶだよ!」
でも視聴者は気づいている。
笑顔の裏が空っぽなことを。
ある日、こんなコメントが流れる。
前より暗くなってるの、みんな分かってるよ
無理しないで
エーテルさんがいなくなってからだよね…
画面の前でネメシスの指が止まる。
◆ 常連が気づき始める
団子屋で男性客がぽつり。
「ここさ……エーテルさんがいた頃のほうが、あったかかったよな」
「なんか“帰ってきた”って感じがあった」
別の客も頷く。
「今は綺麗だけど……寂しい場所になった」
その言葉に、かやの手が震える。
◆ そして広がる噂
・久世庵から活気が消えた
・あの縁側の男が消えてから雰囲気が変わった
・まるで“魂が抜けた場所”
ネットでも言われ始める。
「エーテルさん=久世庵の象徴だった説」
生配信タイトル
「大切な人のことを話します」
いつもより視聴者が多い。
異様なほど静かなコメント欄。
ネメシスは深く息を吸う。
目が赤い。
声が少し震えている。
「……今日は、隠してたことを言います」
コメントが流れ始める。
どうしたの?
嫌な予感する
大丈夫?
ネメシスは拳を握りしめる。
「エーテルは……」
一瞬、言葉が詰まる。
喉が鳴る。
「……父上は、もういない」
空気が凍る。
数秒後――
え?
嘘でしょ
ドッキリ?
冗談だよね?
ネメシスは首を横に振る。
涙がぽろっと落ちる。
「守るために……世界を守るために……」
「父上は……命を使った」
「戻らない」
コメントが一気に荒れる。
嘘やめて
信じたくない
なんでそんなこと今言うの
エーテルさんがいない世界とか無理
ネメシスは震えながら叫ぶ。
「俺だって信じたくなかった!!」
「毎日帰ってくると思ってた!!」
「縁側に座って笑ってると思ってた!!」
涙が止まらない。
「でも……もういないんだよ……」
「俺たちが元気じゃないといけないって言ってたのに……」
「無理だよ……」
視聴者の空気が一変する。
泣かないで
エーテルさんありがとう
世界救った人なんでしょ
ヒーローだよ
誰かが書く。
久世庵にいたあの人だよね……
あの縁側の人……
まじか……あの人だったのか……
真実が、じわじわ広がっていく。
ネメシスは最後に言う。
「父上は……最後まで笑ってた」
「だから俺も……笑わなきゃって思った」
「でも……無理だった」
配信終了。
その夜からネットは一変する。
・#エーテルありがとう
・#久世庵の英雄
・#縁側の守り神
トレンドを埋め尽くす。
そして久世庵には――
花と手紙と、感謝が止まらなく届き始める。
イリスに静かに頼んだ。
「編集しなくていい」
「加工もしなくていい」
「そのまま……全部出して」
公開タイトル
「エーテルが最後に選んだ真実」
再生数は、投稿から数分で異常な速度で跳ね上がる。
映像は――
恒一像の前。
ふらつきながら歩くエーテル。
それでも背筋は伸びている。
そして地面に手を突っ込む。
巨大な樹木が空を裂くように成長し、
月を受け止める。
世界が救われる瞬間。
次のカット。
エーテルの身体が少しずつ砕けていく。
それでも倒れない。
座り込んで、空を見上げて笑う。
家族が駆けつける。
一人一人の頬にそっとキスをして、
「ありがとう」
「生まれてきてくれて」
「幸せだった」
声は弱いけど、優しい。
最後にかやを見て微笑む。
「俺の人生……最高だった」
そして光が消える。
動画はそこで終わる。
ネットは沈黙した。
数秒後――
崩壊。
嘘だろ……
これ現実なの……
世界救って消えたのかよ……
なんでこんな人が……
怒りじゃない。
悲しみでもない。
喪失だった。
ニュースが即座に動く。
「月接近の真因と阻止の真実」
「無名の英雄エーテル」
「世界を救った最後の選択」
久世庵の前は花で埋まる。
海外からも。
手紙にはこう書かれていた。
「あなたが守った世界で、私は生きています」
ネメシスはその光景を見て小さく呟く。
「ほら……父上」
「ちゃんと伝わったよ」
かやは映像を見て、初めて泣き崩れる。
声を殺して。
抱きしめてくれなかった最後を思い出して。
そして世界は知った。
エーテルは神でも英雄でもなく――
家族を愛した一人の男だったことを。
動画が公開されてから数日。
久世庵には花が絶えなかった。
世界中から人が来た。
でも――
かやは一切出てこなかった。
部屋にこもったまま。
布団の上に座って、動かない。
泣かない。
声も出さない。
ただ、エーテルが使っていた湯呑みを両手で握っている。
冷たいのに。
セラが声をかける。
「かや……ご飯……」
返事なし。
ネメシスが近寄る。
「母さん……父上は……」
その瞬間。
かやの指がぎゅっと湯呑みを潰す。
陶器が割れて、血が滲む。
でも痛みすら気にしていない。
「……ネメシス」
初めて声が出た。
震えてる。
「エーテルはね……」
「また帰ってくるの」
沈黙。
「だっていつもそうだったでしょ」
「消えても、死にかけても、結局戻ってきた」
笑おうとする。
笑えない。
「だから今回も……」
「ちょっと長い散歩してるだけ」
全員が何も言えなくなる。
否認。
心が現実を拒絶してる。
夜。
かやは一人で縁側に座る。
エーテルがよく座ってた場所。
そこに向かって話し始める。
「ねぇ……」
「団子焦げてたよ」
「また渋茶作りすぎだし」
「ほんと不器用なんだから」
風だけが返事をする。
その時。
ポロッと落ちる涙。
一滴。
二滴。
止まらない。
「なんで……」
「なんで私置いていくの……」
「ずるいよ……」
肩が震え始める。
声が漏れる。
「世界救うとかどうでもよかった……」
「私は……あなたに生きててほしかった……」
ここで完全崩壊。
声を押し殺そうとして失敗する。
嗚咽。
息ができなくなるほど泣く。
床を叩く。
爪が割れる。
「私の神様だったくせに!!」
「夫だったくせに!!」
「勝手に英雄にならないでよ!!!」
家族が駆け寄る。
抱きしめようとすると振り払う。
「触らないで!!」
「エーテルじゃないなら意味ない!!」
その夜、かやは熱を出す。
高熱。
うわ言でエーテルの名前を呼び続ける。
「帰ってきて……」
「一人にしないで……」
「お願い……」
医者は言う。
「身体じゃなく、心が限界です」
そして一番危険な兆候が出る。
翌朝。
かやは泣かなくなる。
表情が消える。
静かに微笑む。
「ねぇ、みんな」
「エーテル迎えに行こうか」
その一言で全員凍る。
完全に“そっち側”へ行きかけてる心。
このままだと
かやもエーテルを追う。
縁側に座ったまま動かないかや。
目は空っぽ。
笑っているようにも見える。
そこへ――
セラとルミナが並んで立つ。
風で髪が揺れる。
しばらく誰も話さない。
最初に口を開いたのはルミナ。
小さな声。
「……ママ」
かやはゆっくり振り向く。
「なに?」
優しすぎる声。
それが逆に怖い。
ルミナは唇を噛んで、涙をこらえて言う。
「パパはね」
「ママを生かすために死んだんだよ」
一瞬、空気が止まる。
セラが続く。
震えるけど、逃げない目で。
「世界のためじゃない」
「かやのためにだ」
かやの指がぴくっと動く。
ルミナが一歩近づく。
「なのに……」
「ママが死んだら」
「パパは何のために消えたの?」
その言葉が胸を貫く。
かやの笑顔が初めて崩れる。
セラが声を荒げる。
「かや!!」
「父上はお前を生かしたくて砕けた!!」
「一人で逝くために守ったんじゃない!!」
涙が止まらないセラ。
「私たちは見た……」
「最後まで耐えて」
「かやが来るまで待って」
「一人一人に触れて」
「生きろって顔してた……」
ルミナが泣きながら叫ぶ。
「ママが死んだら!」
「パパの人生、全部無駄になるじゃん!!」
その瞬間。
かやの胸が大きく上下する。
息が荒れる。
目に涙が一気に溜まる。
「無駄……?」
かやの声が割れる。
セラが強くうなずく。
「無駄になる」
「父上を殺すのと同じだ」
沈黙。
長い沈黙。
風の音だけ。
かやの唇が震え出す。
「……私……」
「そんなこと……」
「したくない……」
涙がこぼれる。
堰を切ったように。
「エーテルがくれた命なのに……」
「私……捨てようとしてた……」
ルミナが飛びついて抱きつく。
「お願い生きて!!」
セラも抱きしめる。
かやはついに崩れ落ちて泣く。
子供みたいに。
嗚咽しながら。
「会いたい……」
「エーテルに会いたい……」
「でも……生きる……」
「あなたが守ったから……」
この瞬間、かやは死を選ばなかった。
まだ悲しみは消えない。
一生消えない。
白でも闇でもない、やわらかな光に満ちた世界。
重さも痛みもない。ただ“意識だけ”が漂う場所。
エーテルはゆっくりと進んでいた。
すると遠くで――
誰かがぶんぶん手を振っている。
やけに元気で、見覚えありすぎる影。
「おーーーい!!久世ぇぇぇ!!」
近づくにつれて輪郭がはっきりする。
懐かしい笑顔。
少し日焼けした顔。
どんな絶望でも折れなかった英雄。
恒一だった。
「……恒一?」
「ここ……どこだ?」
恒一はニカッと笑って親指で空を指す。
「天国だよ」
「お前、世界救ってるから直行コースな」
その瞬間、景色が広がる。
青空。
草原。
風に揺れる木々。
そして――
そこには久世がかつて共に戦った者たちがいた。
鳳仙が酒を飲みながら大笑いしていて
晴道が剣の稽古をしていて
みよが皆にお茶を配っている
久世軍の兵たちも、鎧を脱いで走り回っている。
戦も苦しみもない世界で、
ただ“生きていた頃の続き”みたいに暮らしていた。
「お頭ーーー!!」
「久世様だ!!」
「相変わらず無茶した顔してんな!」
一斉に駆け寄ってくる。
笑顔しかない。
エーテルの胸が強く締めつけられる。
「……みんな……」
恒一が隣で腕を組む。
「ここな、戦って死んだやつらの集合住宅みたいなもん」
「苦しみゼロ」
「後悔ゼロ」
「ただ楽しく暮らすだけ」
鳳仙が肩を組んでくる。
「久世よぉ、遅ぇんだよ!」
「宴もう何回目だと思ってんだ!」
晴道が笑う。
「お前が来るまで主役取っといたぞ」
エーテルの目に涙が滲む。
「……俺は……みんなを置いて……」
みよが首を振る。
「違うよ」
「久世は“未来”を守りに行っただけ」
「私たちはここで見送っただけ」
恒一が静かに言う。
「なぁ久世」
「ここはゴールじゃない」
「休憩所だ」
「本当の終わりを選ぶやつもいるし」
「戻るやつもいる」
エーテルは空を見上げる。
穏やかで、完璧な世界。
でも――
胸の奥には、かやの顔が浮かぶ。
家族の声が響く。
「……俺は……戻りたい」
恒一は嬉しそうに笑った。
「だと思った」
「お前がここで満足するタマじゃねぇ」
鳳仙がニヤッとする。
「次はゆっくり生きろよ、鬼神」
晴道が拳を合わせる。
「守る側も悪くないぞ」
みよが微笑む。
「またいつか、ここで会おうね」
恒一が最後に言う。
「ここは逃げ場じゃない」
「帰ってくる場所だ」
光がエーテルを包み込む。
天国の風景が遠ざかりながら――
皆が笑って手を振っている。
「行ってこい、英雄」
「第二の人生だ」
天国の光が遠ざかり、
エーテルの意識が完全に溶けかけた、その瞬間。
宇宙の彼方。
かつてルミナが生まれた、あの星。
無数の墓標が並ぶ灰色の大地。
創生の記憶が眠る場所。
その中心にあった――
“心臓”のような巨大装置。
静かに、脈打っていた。
ドクン……
ドクン……
宇宙そのものと同期するような鼓動。
砕け散ったはずのエーテルの欠片たちが、
時空を越えて集まり始める。
光の粒
記憶の残響
魂の破片
それぞれが流星のように降り注ぎ、
心臓部へ吸い込まれていく。
最初は砂粒ほどの光。
次第に――骨の形。
筋肉の輪郭。
胸郭。
そして中心に、強く脈打つ“核”。
自然エネルギーでも創生エネルギーでもない。
命そのもの。
ドクン!!!
心臓装置が大きく鼓動した瞬間、
光が爆ぜる。
そこに――
人の形が浮かび上がる。
砕ける前の神でもなく
弱りきった人間でもなく
その中間。
傷も記憶も想いも全部抱えた存在。
エーテル。
いや――
久世。
胸が上下し、初めて“息”をする。
「……っ……は……」
指が微かに動く。
まぶたが震える。
墓標の風が吹き抜ける中、
心臓装置の鼓動はゆっくり弱まっていく。
役目を終えたように。
エーテルはかすれた声で呟く。
「……ルミナ……」
「……かや……」
魂は天国を通り
肉体は創生の原点で再構築され
存在そのものが“第二の誕生”を果たした。
神でもない
ただの人間でもない
宇宙と命に選ばれた存在。
そして墓標の奥で、
かつての幻影たち――セラ、アーク、創生の仲間の気配が
静かに消えていく。
まるで言っているようだった。
「今度は、生きろ」
心臓装置が最後にひときわ強く脈打ち、
完全に停止する。
同時に星の空がゆっくり明るくなっていく。
再生完了。
再構築された身体は、確かにエーテルの形をしていた。
だが中身は、かつての創世神とも、人間だった久世とも違う。
鼓動はある。
だが寿命という概念がない。
呼吸はする。
だが疲労で倒れることもない。
自然エネルギーも創生エネルギーも使えない。
けれど世界そのものと“共鳴”している。
存在そのものが、宇宙の調律装置の延長。
――人でも神でもない、“境界の生命”。
この星の墓標の森には誰も来ない。
だからこそ静かだった。
風の音だけ。
遠くの星雲の光。
エーテルは大樹の根元に腰を下ろし、ゆっくり空を見上げる。
ここでは時間が優しい。
痛みも焦りもない。
ただ、回復していく感覚だけがある。
骨が強くなり
神経がなじみ
心臓の鼓動が安定していく
まるで宇宙そのものが看病しているみたいだった。
そして不思議なことに。
孤独じゃなかった。
墓標一つ一つから微かな温もりが伝わってくる。
かつて救った星々
失った仲間たち
守った命たち
全部が「ここにいていい」と語りかけてくる。
エーテルは小さく笑う。
「……変な存在になったな、俺」
「神でもないのに世界を救って」
「人間でもないのに心は人のままだ」
否定する声はどこにもない。
裁く存在もいない。
ここでは存在そのものが価値だった。
しばらくは、この星で休む。
完全に身体が“生きる存在”として安定するまで。
急ぐ理由なんて、もうない。
焦って戦う必要もない。
犠牲になる必要もない。
ただ、生き直す時間。
そして遠くの宇宙で――
かやたちが気づく。
星の鼓動が、また静かに整い始めていることに。
まるで誰かが、帰る準備をしているみたいに。
久世庵は、今日も開く。
朝の仕込みの音。
湯気の立つ厨房。
縁側を掃く音。
全部、エーテルがいた頃と同じ。
――違うのは、真ん中がぽっかり空いていることだけ。
「おはようございます」
かやの声は明るい。
笑顔も完璧。
でも誰よりも分かってる。
この旅館で一番エーテルを探してしまうのが自分だって。
縁側に目をやるたび
庭に人影を探すたび
無意識で名前を呼びそうになる。
(……いない)
そのたび胸がぎゅっと縮む。
それでも前を向く。
常連客が聞く。
「最近、あの旦那さん見ないですね」
「いつも話聞いてくれた人」
「今日は団子の人はいないの?」
そのたびかやは一瞬だけ止まって、笑う。
「……少し遠くに出かけてます」
嘘じゃない。
まだ“帰ってくる途中”なだけだから。
夜、客が帰ったあとの静けさが一番つらい。
ネメシスは無言で縁側に座り
ルミナは庭を見つめ
セラは無理に明るく振る舞い
アークは仕事に没頭する
みんな、それぞれの耐え方で耐えている。
誰も泣かない。
誰も弱音を吐かない。
エーテルが守ってきた場所だから。
かやは一人で帳簿を閉じる。
ふと、隣に誰かいる気がして顔を上げる。
……いない。
それでも小さく言う。
「今日も忙しかったよ」
「あなたなら、褒めてくれるでしょ」
返事はない。
でも続ける。
「団子もよく売れた」
「ネメシスの動画も好調」
「みんな頑張ってるよ」
まるで報告するみたいに。
夜布団に入って、やっと弱くなる。
声を殺して泣くこともある。
歯を食いしばって耐える夜もある。
それでも朝は必ず立ち上がる。
エーテルが愛した場所を守るために。
久世庵は今日も満室。
笑顔があふれている。
温泉はあたたかく
団子は甘く
人の心は少し軽くなる
――エーテルがいた頃と同じように。
でも誰の心にも、同じ願いがある。
(生きてるよね)
(きっとどこかで)
(帰ってくるよね)
それは祈りじゃなく、信頼。
エーテルは約束を破らない人だったから。
そしてかやは毎晩、同じ言葉を心で言う。
「おかえりって言う準備は、できてるよ」
「だから、ゆっくりでいい」
「ちゃんと生きて帰ってきて」
ミラはペンを走らせていた。
ルークは横でトーンを貼り、背景を描く。
エーテルの物語。
創世神としてじゃなく――
家族として生きた一人の人間の物語。
「ここ、父上が団子焼いてるとこ入れよう」
「縁側のシーンもな」
笑いながら描くけど、胸は少し痛い。
ふと、ミラの指にある指輪が目に入る。
エーテルの身体から生まれた、あの樹木の指輪。
(……おかしい)
本来なら。
エーテルが消えたなら
自然エネルギーから作られたものは砕け散る。
今までそうだった。
なのに――
ひび割れ一つない。
むしろ、淡く脈打つように光っている。
「ルーク……これ……」
「……残ってるな」
二人は顔を見合わせる。
ミラはそっと指輪を机に置く。
カチ、と軽い音。
崩れない。
消えない。
まるで“存在を拒否している”みたいに。
「亡くなったなら……消えるはずなんだよ」
「父上の力でできたものは、父上と一緒に」
ルークの声が震える。
その瞬間。
指輪が、ほんの一瞬だけ温かくなった。
まるで――
“ここにいるよ”と答えたみたいに。
ミラは息をのむ。
「……生きてる」
「父上、生きてるよ」
確信に近い直感。
砕けないということは
完全に消えていないということ。
存在がまだこの世界のどこかで続いている証。
ルークは静かに笑った。
「じゃあこの漫画、終わりじゃないな」
「“帰ってくる物語”にしよう」
ミラは涙をこらえながらうなずく。
「ううん……帰ってくるじゃなくて」
「“ずっと生きてた物語”だよ」
その夜。
指輪はかすかに光り続ける。
まるで遠くの星の心臓と共鳴するように。
砕けない理由は一つ。
エーテルは――
完全には消えていない。
魂も欠片も、まだ“存在している”。
夜更け。
久世庵は静まり返っていた。
風の音と、遠くの虫の声だけ。
皆それぞれの部屋で眠っている。
――はずだった。
カッ。
突然、ミラの机の上が白く染まる。
「……?」
まぶしさに目を覚ましたミラは、ゆっくり顔を上げた。
そこにあったのは――
あの指輪。
昼間まで淡く光る程度だったはずなのに、
今は心臓の鼓動みたいに脈打ちながら強く輝いていた。
ドクン……ドクン……ドクン……
まるで“生きている”。
「ルーク!!」
ミラは小声で呼ぶ。
「見て……これ……!」
ルークも飛び起きる。
「……うわ……」
部屋全体が柔らかい光に包まれていく。
その瞬間。
旅館中の自然エネルギーが反応し始めた。
庭の木々がざわめき
風が逆向きに流れ
温泉の湯が静かに波打つ。
まるで何かを迎える準備みたいに。
別の部屋で――
ルミナが突然目を開けた。
胸を押さえる。
「……パパ?」
理由は分からない。
でも、はっきり感じた。
近い。
とても近い。
ネメシスも飛び起きる。
息が荒い。
「……父上……?」
懐かしくて、切なくて、胸が苦しい。
かやは悪夢から覚めたように起き上がる。
涙が勝手に流れていた。
「……エーテル……?」
名前を呼ばずにはいられなかった。
その頃、ミラの部屋では――
指輪の光がついに限界まで強くなり、
空間が歪む。
まるで星空の一部を切り取ったような模様が広がる。
中心に、ぼんやりと“人の形”。
まだ輪郭だけ。
声はない。
けれど――
確実にエーテルの気配。
「……父上……?」
ミラが震える声で呼ぶ。
ルークは拳を握りしめる。
「生きてる……やっぱり……」
その瞬間。
光が一気に収束し、指輪へ戻る。
静寂。
何事もなかったかのように夜は戻った。
指輪は元の淡い光へ。
でも――
温もりだけが残っていた。
廊下では家族全員が集まっていた。
全員、同じ方向を見ている。
ミラの部屋。
誰も説明しなくても分かっていた。
“何かが起きた”と。
かやは震える声で言う。
「……今の……感じた?」
セラがうなずく。
「間違いない……お父様……」
ネメシスは唇を噛みしめる。
「生きてる……父上は……」
ルミナは涙をこぼしながら笑った。
「……帰ってくる」
まだ姿は戻らない。
でも――
存在は確かに近づいている。
エーテルは消えてなんかいなかった。
世界のどこかで
形を取り戻そうとしている。
深夜。
再び――指輪が淡く震え始める。
今度は光だけじゃなかった。
「……ザー……」
微かなノイズ。
まるで古い録音機みたいな音。
ミラが息を止める。
「……音、してる……」
ルークが指輪に耳を近づける。
「これ……声だ……」
次の瞬間。
指輪から、はっきりと――
聞き慣れすぎた声が流れた。
『もし俺が死んだらな――』
その一言で、全員の心臓が跳ね上がる。
かやの手が震える。
ルミナの目が見開く。
ネメシスは泣きそうな顔になる。
エーテルの声は、穏やかで優しかった。
まるでいつもの縁側で話す時みたいに。
『創世神にはな、呪いみたいな輪廻転生がある』
『完全に消えることはできない』
『魂は砕けて、集まって、また形になる』
一拍、間。
『その時にこの指輪は――』
『俺が帰る“座標”になる』
光が一瞬強くなる。
『この指輪がある限り』
『俺は必ず帰ってくる』
かやの頬を涙が伝う。
『今そこに俺がいなかったら』
『死んだと思わなくていい』
『ちょっと遠くに出張してるくらいに思っててくれ』
少し照れたような笑い声。
『心配かけてごめんな』
『でも約束する』
『絶対、帰る』
『だから――』
声が少しだけ震える。
『それまで、生きててくれ』
『笑っててくれ』
『俺の居場所を残しててくれ』
プツ……。
録音が終わる。
静寂。
誰もすぐには声を出せなかった。
最初に崩れ落ちたのは、かやだった。
「……ばか……」
「ほんとに……ばか……」
泣きながら笑う。
「そんなの……待つに決まってるじゃない……」
ルミナは指輪を胸に抱きしめる。
「パパ……帰ってくるんだね……」
ネメシスは顔を覆って嗚咽する。
「父上……ずるい……こんなの信じるしかないじゃないか……」
セラは静かに涙を流しながら言う。
「……お父様は、いつも約束を守る」
ミラとルークは顔を見合わせてうなずく。
「描こう」
「帰ってくるまで、物語続けよう」




