第十六部 久世を知るもの
朝の久世庵。
今日は森野ひなた、初めての休日。
目覚ましもかけず、自然に起きた朝。
「……休みかぁ」
天井を見上げながらぼんやり。
バイト始めてから毎日濃すぎた。
料理は芸術だし、庭は神秘的だし、働いてる人は全員どこか異常。
(今日は何しよ…曲でも作ろうかな)
スマホを手に取った瞬間――
バンッ!!
部屋の襖が勢いよく開く。
「ひなたー!!!」
ルミナが全力ダッシュで飛び込んでくる。
「えっ!?な、なに!?」
「休みなんでしょ!?遊ぼ!」
距離が近い。
眩しい。
朝からテンションが高い。
ひなた、固まる。
「今日はね!森の奥に秘密基地つくるの!」
「え、ちょっと待って、森ってあの結界の向こう?」
「うん!」
「うんじゃないよ!」
廊下の奥からエーテルの声。
「ルミナ、危ないことはするなよー」
「はーい!」
(この家族、距離感どうなってるの…)
ルミナが手を引く。
「ひなた、音楽やってるんでしょ?」
「え?う、うん」
「じゃあ秘密基地のテーマ曲作って!」
「作る前提!?」
森の中。
木漏れ日。
不思議と空気が澄んでる。
ひなたはふと気づく。
(ここ…普通の森じゃない)
音が柔らかい。
風の流れが整いすぎてる。
「……ルミナ」
「なに?」
「この森、なんか変」
ルミナがにこっと笑う。
「ひなたは音の人だから気づくんだね」
一瞬だけ、表情が大人びる。
「ここ、パパが大事にしてる場所なの」
ひなたの胸がざわつく。
(やっぱりこの家族、普通じゃない)
でも怖くはない。
むしろ――安心感。
「ひなた、ここ!」
木の根元に小さな空間。
「ここを基地にするの!」
「ちょっと待って、設計図いるでしょ」
「ひなた建築家?」
「音楽家志望です」
二人で枝を組み、布を張り、石を並べる。
ひなたがスマホで簡単なビートを流す。
ルミナが踊る。
森の空気が震える。
(……あれ?)
音の響きが増幅されている。
ただのアプリ音源なのに、まるでライブ会場。
ひなたが息を飲む。
「これ…」
ルミナ、いたずらっぽく笑う。
「この森、音好きだから」
昼頃。
汗だくで完成した秘密基地。
「できたー!」
ルミナが両手を広げる。
ひなたは笑う。
「なんか、久しぶりに純粋に楽しかったかも」
「よかった!」
ルミナは真顔になる。
「ひなた、ここで曲作りなよ」
「え?」
「きっと、いい音生まれるよ」
その言葉が、妙に刺さる。
ひなたはふと思う。
(ここに来たの、偶然じゃないのかも)
遠くからエーテルが静かに見ている。
「森が選んだか」
小さく呟く。
秘密基地が完成して、ひなたがスマホでメロディを組み始めていると——
森の奥から足音。
ザッ…ザッ…
風が揺れる。
「ここにいたんだ」
低くて透き通った声。
振り向くと――
そこに立っていたのはネメシス。
長いまつ毛、中性的な顔立ち、光をまとったみたいな存在感。
ひなた、心の中で叫ぶ。
(え、あの歌ってる人だ……本物……!?)
ルミナがぱぁっと笑う。
「ネメシス!ひなたと基地作った!」
「へぇ……可愛いの作ったね」
ネメシスはしゃがんで中を覗く。
「音、もう鳴らしてる?」
「え、あ、はい!」
ひなたが緊張しながら再生する。
シンプルなビートとコード。
森がそれを包み込む。
ネメシスの目が一瞬で変わる。
「……この場所、響きが生きてる」
プロの顔。
「一緒に作ってもいい?」
「も、もちろんです!!」
即答。
ネメシスは静かに目を閉じる。
指でリズムを刻みながら、ふっと息を吸う。
そして――歌う。
声が入った瞬間、森の空気が震える。
ただの歌じゃない。
音が景色になる。
ひなたのビートに、ネメシスの旋律が絡みつく。
ルミナが目を輝かせる。
「わぁ……空がきらきらしてる」
本当に、木漏れ日が光の粒みたいに舞っている。
ひなた、鳥肌。
(これ…やばい…)
思わず言う。
「ネメシスさん…この曲、名前つけません?」
「いいね。何がいい?」
ルミナが即答。
「“森の心臓”!」
ネメシスが微笑む。
「じゃあそれで決まり」
曲が完成した瞬間、風がすっと止む。
まるで森が拍手したみたいに葉が揺れる。
ネメシスがひなたを見る。
「君、才能あるよ」
「え……」
「努力型なのに、音が嘘つかない」
胸に刺さる言葉。
「ここに来たの、運命だと思う」
少し離れた場所でエーテルが静かに頷く。
「やっぱりな……この森が呼んだ」
ネメシスが優しく言う。
「今度、一緒に正式に曲出そう」
「俺のチャンネルで」
ひなた、脳内パニック。
「え!?え!?!?」
ルミナがドヤ顔。
「ひなた、人生変わったね!」
森の秘密基地では――
ネメシスとひなたが完全に制作モード。
ひなたがビート刻み
ネメシスがメロディを重ね
ルミナが横でリズム取ってる。
「ここ、少し余白あけよ」
「了解!」
プロと才能が噛み合って、空気が研ぎ澄まされていく。
その頃。
別チャンネル。
【アークの気ままVlog】
内容:
・朝のストレッチ
・庭で素振り
・コーヒー飲んで一言「うまい」
・夕焼け眺めて無言
――それだけ。
だがコメント欄が地獄。
「何この顔面」
「存在が芸術」
「結婚して」
「男だけど恋した」
「女だけど惚れた」
再生数:一晩で300万。
アルゴリズムがバグる。
おすすめ欄が全部アーク。
「無言で水飲んでるだけの動画」が急上昇1位。
旅館内。
レオンがスマホ見て叫ぶ。
「アークが人類を支配し始めている!!」
イリス「美の暴力ね」
セラ「……許せない(嫉妬)」
ナポリネス「理論上ありえない再生速度だ」
本人アークは超無自覚。
「え?ただ撮っただけだが?」
エーテルが肩を叩く。
「お前、顔がSSRなんだよ」
そこへ通知音が鳴り止まない。
企業案件
モデル依頼
ドラマ出演
香水イメージキャラ
全部アーク宛。
一方その頃。
ネメシス×ひなたの曲、完成。
ネメシスが静かに言う。
「これ……来るよ」
アップロード。
数分後。
再生数が爆伸び。
コメント欄、
「耳が恋した」
「声と音が融合してる」
「これ才能の暴力」
結果:
音楽界はネメシス&ひなたが席巻
映像界はアークが破壊
久世庵、なぜかエンタメ帝国になる。
ルミナがぽつり。
「この家族…普通に世界獲りにいってるよね」
エーテル遠い目。
「俺は旅館やりたかっただけなんだがなぁ……」
朝。
エーテルが庭を掃いている。
一方その頃――
ネメシス:音楽チャート急上昇1位
アーク:トレンド常連・国宝級イケメン
ひなた:天才作曲JKと紹介される
ニュースが騒がしい。
エーテル「……落ち葉多いな」
(世界?知らん)
昼。
業界人が旅館に殺到。
「アークさんいますか!?」 「ネメシスさんに楽曲依頼を!」
※悪意を持たない人は包囲網内に入れるようになった。
全員エーテルに声かける。
エーテル「えっと……受付はこちらです……」
完全に旅館のフロント係。
記者に囲まれる。
「あなたはご家族のマネージャーですか?」
エーテル「いや、ただの庭師というか……」
「謙虚すぎる!!!」
勝手に美談にされる。
夜。
家族団欒。
ネメシス「今日また登録10万増えた」
アーク「ドラマ決まった」
ひなた「作曲依頼30件きた」
一同ワイワイ。
エーテルだけ。
「今日のシーツ重かったなぁ……」
かやが微笑む。
「あなたが一番働いてるよ」
エーテル「神より重労働だよこれ」
一般人エーテルの不幸イベント
記者に何度も転ばされる
配達業者に間違われる
ファンに写真頼まれて撮影係
サイン求められるが自分じゃない
「お父さんですよね?」とだけ言われる
誰も正体に気づかない。
ルミナが言う。
「パパだけレアキャラじゃなくてモブ扱いだね」
エーテル「世界救った男の末路がこれか……」
でも一番信頼されてるのはエーテル
困ったら全員エーテルに来る。
ネメシス「パパ聞いて」
アーク「相談がある」
ひなた「これどう思います?」
エーテル、全処理。
世界的スター一家の裏で
唯一の常識人・苦労人・まとめ役
それがエーテル。
ある日。
久世庵の前に集まるいつもの報道陣とファン。
ネメシス目当て。
アーク目当て。
ひなた目当て。
エーテルはいつも通り誘導係。
「順番守ってください〜」
そこへ突然――
政府の極秘部隊と研究機関の連中が来る。
「目標を確認。エーテル・スター確保準備」
かやが凍る。
「……え?」
次の瞬間。
空が割れるような自然エネルギー反応。
旅館周囲の植物が一斉に発光。
地面が震える。
研究員が叫ぶ。
「間違いない……!」
「この反応は創世神エーテルそのものだ!!」
全カメラが一斉にエーテルを向く。
さっきまで庭師扱いだった男。
ホウキ持ってた男。
世界同時中継
テロップ:
「伝説の存在・創世神エーテル発見か」
「歴史書にしか存在しない宇宙創造存在」
エーテル「……え、これそんな大事?」
(本人まだ状況理解してない)
軍が囲む。
「抵抗するな!」
その瞬間。
自然エネルギーが無意識に解放。
空気が歪む。
雲が割れる。
重力が狂う。
誰一人動けない。
アークが静かに言う。
「……父上だ」
ネメシス震える。
「ずっと庭掃除してたのに……」
世界パニック
SNS:
「庭師が神だった」
「あの旅館集団何者だよ」
「世界救った存在がシーツ干してた件」
株価乱高下
宗教団体混乱
国家会議緊急招集
エーテルの一言で世界沈黙
エーテル、頭かいて言う。
「いやさ……」
「働かないと生活できないから働いてただけなんだけど」
全世界:
「???????????」
専門家が崩れ落ちる。
「創世神が生活費のために庭師……?」
追い打ち
かやが言う。
「この人、昨日腰痛で湿布貼ってたんですよ」
世界、完全崩壊。
その後
エーテル国家級保護対象
旅館が聖地扱い
観光地ランキング世界1位
エーテル像が各国に建つ
でも本人は言う。
「草むしりしたいんだけど……」
そして一番のオチ
エーテル、職質されなくなる。
逆に警察が土下座。
「いつも疑ってすみませんでした!!!」
ネメシスのチャンネルは歌だけじゃなくて、
「創生一家の日常」
シリーズがバズり始める。
今日の動画タイトル
【朝から父が草むしりしてました】
カメラ回すネメシス。
エーテルが黙々と庭仕事。
ネメシス「お父さん、また腰やらないでね」
エーテル「年だからなぁ〜」
(※創世神)
コメント欄
「平和すぎる」
「この家族好き」
「庭師のおじさん可愛い」
ナポリネス回
【兄が今日も天才すぎた】
ナポリネスがミラとルークに勉強教えてる。
ホワイトボードが数式で埋まる。
ミラ「え、簡単!」
ルーク「理解できた!」
視聴者「????」
ナポリネス淡々と一言。
「基本だ」
コメント欄大荒れ。
「次元が違う」
「家庭教師界の神」
「これ無料なのバグ」
アーク回
【兄と朝トレしてみた】
上裸で庭で素振りするアーク。
ネメシス「兄さん、朝から仕上がってるね」
アーク「日課だ」
筋肉と美形の暴力。
コメント欄
「朝から心臓止まった」
「国宝級」
「この家族何者」
エーテルの扱いだけ雑
サムネ:
「父、また変なことしてる」
・洗濯物落とす
・ほうき折る
・脚立から落ちかける
ネメシス「危ないよお父さん〜」
エーテル「うわっ!?ごめんごめん!」
(宇宙創造存在)
視聴者:
「このお父さんだけ一般人感すごいw」
「一番好き」
正体バレ後の地獄ギャップ
世界が知る。
「この庭掃除のおじさん=創世神」
過去動画掘り返される。
・腰痛回
・湿布回
・転んで泣きそう回
専門家失神。
政府声明:
「創世神は非常に庶民的です」
でも家族は変わらない
ネメシスは今日も言う。
「お父さん、動画撮るよ〜」
エーテル「やめろ恥ずかしいって!」
アーク「もう慣れろ」
ナポリネス「無駄だな」
ネメシスの元に届く一通のメール。
件名
【企業案件のご相談:スターフォージ社】
ネメシス
「重機……?ぼくのチャンネル音楽だよ?」
ミラ
「絶対ミスマッチ案件じゃん」
ルーク
「スキップで断るやつ」
でも案件名を見て空気が止まる。
【エーテル重機シリーズ体験レビュー】
ネメシス
「……え?」
エーテル
(庭で草むしりしながら固まる)
イリスがニヤッとする。
「君が昔持ち上げてた“人類が扱えるエーテル式パワー機構”だよ」
レオン
「要するにお父さんの力を一般仕様にしたやつだ」
ネメシス震える。
「これ…お父さん案件じゃん……」
撮影当日
サムネ:
【歌い手が重機乗ってみたら世界変わった】
現場に並ぶエーテル重機。
・ビルサイズの資材を軽々持つ
・精密作業も可能
・操作簡単
ネメシス
「いやこれ軍事兵器じゃない?」
イリス
「建設機械です」
作業員さんが説明。
「誰でも扱えますよ〜」
ネメシス恐る恐る操縦。
レバーを少し動かした瞬間──
巨大鉄骨がふわっと浮く。
ネメシス
「え、羽根?」
「重力どこいった???」
視聴者用テンション爆上げ実況。
「みんな聞いて!!これ指一本!!」
「ぼく今山持ち上げてる!!」
そしてエーテル登場(悪ノリ)
エーテル
「じゃあ比較してみようか」
何も乗らずに素手で同じ鉄骨を持つ。
そのまま投げる(空に消える)
ネメシス
「案件殺しに来てるよお父さん!!!」
アーク
「比較対象がおかしい」
ナポリネス
「参考にならんな」
動画公開後
再生数:一晩で数千万
ニーホントレンド1位
コメント欄
「重機の概念壊れた」
「欲しいけど都市壊れる」
「歌い手チャンネルで文明進化すな」
重機メーカー株価爆上がり
ニュース
「エーテル重機、全世界受注停止レベルの人気」
「人類の労働史が変わった」
ネメシスの感想動画
「ぼくのチャンネル音楽だったはずなのに
なぜ文明を進化させてしまったのか」
エーテル肩ポン。
「誇れ、息子。人類を救った」
ネメシス
「歌で救いたかったよ!!」
動画の概要欄に追加された一文。
【▼エーテル重機公式サイト】
※動画公開から7日以内限定 20%OFF
再生数だけが異常に伸びた。
登録者数:ほぼ横ばい
再生数:数千万〜億単位
――見る人は見る。でも登録はしない“社会人層直撃型”。
数時間後
スターフォージ社サーバー死亡。
イリス
「アクセス集中しすぎ」
レオン
「文明が押し寄せてきてる」
購入層
・建設会社
・復興団体
・国家機関
・インフラ企業
誰もコメントしない。
静かに、しかし大量購入。
SNSではこうなる。
「ネメシスの動画から文明買った」
「歌い手なのに世界の基盤動かしてて草」
「登録はしないけど感謝はしてる」
ネメシス本人
「登録増えないのに…世界だけ変わってる……」
結果
・受注10年待ち
・割引即終了
・経済ニュースで話題
だがチャンネルは相変わらず落ち着いた規模。
エーテル
「登録者より影響力のほうが怖いな」
ナポリネス
「“静かな覇者”だな」
ネメシスの案件動画はすべて非公開。
代わりに――
同じ映像がエーテル個人チャンネルに移される。
チャンネル名:
Ethel Works(エーテル工房)
説明欄には一文だけ。
技術提供:スターフォージ社
出演協力:ネメシス
公開24時間後
再生数:異常
コメント:社会人だらけ
登録者:相変わらず伸びすぎない(でも濃い)
コメント欄
「この重機、物理法則おかしくない?」
「復興現場で使ってます。命救われました」
「歌い手守るために全部背負う親ポジで泣いた」
ネメシスのチャンネルは平和を取り戻す。
歌
日常
曲作り
ファンとの距離感も元通り。
一方エーテル側はというと――
政府関係者からのDM
企業の公式問い合わせ
国際支援団体からの連絡
スマホが止まらない。
イリス
「完全にインフラ神チャンネルになってる」
レオン
「もうYouTubeというより国家窓口」
エーテルは苦笑しながら言う。
「これでいい。
矢面に立つのは俺で十分だ」
ネメシス(小声)
「……父上かっこよすぎでは?」
エーテルはイリスとレオンの工房に立っていた。
机の上に並ぶのは――
普通の植物の種と、淡く光るもう一つの“種”。
エーテルが静かに言う。
「自然エネルギーを極限まで圧縮した生命核だ。これを土に一緒に埋めると――」
レオンがモニターを起動。
タイムラプス映像。
1日目:芽が出る
3日目:もう畑サイズ
7日目:収穫可能レベル
しかも――
虫が寄らない
病気にならない
肥料いらず
農薬ゼロ
イリスが目を輝かせる。
「これ…食糧危機終わらせられるわ」
新商品発表
エーテル・グロウシード
・無農薬
・超成長
・土地を選ばない
・砂漠でも育つ
・寒冷地でも可
家庭菜園から国家レベルまで対応。
エーテル工房の動画公開。
タイトル:
「土に埋めるだけで世界が変わる」
コメント欄がやばい。
「農業革命じゃん」
「これで飢餓なくなる」
「エーテルさん何者なの?」
「もはや神だろ」
(なお本人は一般人ムーブ)
ネメシスが震えながら言う。
「父上……また世界救ってる……」
結果
農家が一気に導入
発展途上国から要請殺到
国連案件化
食料価格安定
戦争の理由一つ消滅
でもエーテルはいつもの一言。
「ただ自然を少し手伝ってるだけだ」
(世界規模で価値観破壊)
ある日の久世庵。
予約帳を見ていたかやが、ふと手を止める。
「……え?」
全部屋、三日間連続で予約。
しかも備考欄にこう書いてあった。
――他の客は一切入れないでほしい(貸切希望)
さらに支払いは前払い、桁がおかしい金額。
レオンがのぞき込む。
「これ旅館というより城を借りる勢いだな…」
イリスも首を傾げる。
「警備レベルじゃない?」
エーテルだけは静かに察していた。
「……有名人だな。しかも“普通の有名人”じゃない」
その日の夕方。
黒塗りの高級車が何台も森の入口に並ぶ。
スーツ姿の護衛が無言で周囲を警戒。
そして――
一人の人物が車から降りる。
帽子とサングラス、マスク。
でもオーラが隠しきれてないタイプの人間。
かやが女将として一礼。
「ようこそ久世庵へ」
その瞬間、その人は小さく息を呑む。
「……写真より、ずっと綺麗だ」
(護衛たち一斉に咳払い)
エーテルは心の中で思う。
(あ、これトップクラスだな)
チェックイン後、その有名人はこう言う。
「ここを選んだ理由は二つあります
一つは“誰にも邪魔されない場所”だから
もう一つは――」
視線がエーテルに向く。
「あなたがいると聞いたからです」
一同、空気凍る。
ネメシス小声
「父上、もう一般人じゃないよこれ…」
有名人は静かに続ける。
「僕はずっと限界でした
名声、仕事、人間関係
どこにも逃げ場がなかった」
「でもネットで見たんです
この旅館だけ、空気が違うって」
エーテルは優しく微笑う。
「休みに来たなら、全部置いていけ
肩書きも名前も」
「ここではただの客だ」
その瞬間。
有名人の目から涙がこぼれる。
「……それを言ってくれた人、初めてです」
その夜。
豪華だけど静かな食事
誰も写真撮らない
護衛すら緩む空気
ネメシスの歌声が庭から流れる
有名人はぽつりと呟く。
「生きててよかった…」
翌朝。
縁側でエーテルと並んでお茶。
「ここ…芸能界の人間の避難所にしていいですか?」
エーテル苦笑。
「増えすぎたら困るな」
「でも本当に壊れそうな人だけ連れてこい」
こうして久世庵は――
表では普通の高級旅館
裏では“人生リセット旅館”
有名人の心の治療所
になっていく。
夜の久世庵。
庭に灯りがともり、虫の音だけが響く静かな時間。
縁側にはエーテルと、今回の有名人。
肩書きも名も外して、ただの一人の人間として座っている。
湯のみを両手で包みながら、その人はぽつりと話し出す。
「……正直、もう全部やめたかった」
「人気も金もあるのに、誰も信用できなくなって、笑ってても心の中はずっと空っぽで」
エーテルは遮らず、ただ聞く。
風が木々を揺らす。
「裏切られるたびに思うんです
俺が悪いのかなって」
「頑張っても、結局消耗品なんだなって」
エーテルが静かに言う。
「それは“使う側の理屈”だ」
有名人が顔を上げる。
「人は壊れるまで使っていい道具じゃない」
「君が壊れかけてるのは
弱いからじゃなく、真面目だからだ」
沈黙。
「期待に応え続ける人間ほど、先に壊れる」
「図太いやつは生き残る
優しいやつが潰れる」
「それがこの世界の歪みだ」
有名人の目が揺れる。
「……じゃあ、俺はどうすればよかったんですか」
エーテルは少し笑う。
「壊れる前に逃げてよかった」
「ここに来た時点で、君はもう勝ってる」
「逃げは負けじゃない」
「生き延びるための選択だ」
その瞬間、堰を切ったように涙が溢れる。
「……ずっと誰かに
それを言ってほしかった」
エーテルは続ける。
「人生は“耐久レース”じゃない」
「苦しみに耐えた人間が偉いわけでもない」
「笑って長く生きたやつの勝ちだ」
しばらくして有名人は深く息を吐く。
「明日から、少し休もうと思います」
「全部投げるんじゃなくて
距離を取ります」
エーテルは頷く。
「それでいい」
「世界は君がいなくても回るが
君の人生は君がいないと終わる」
その頃、障子の向こうでこっそり聞いてた一同。
ネメシス
「父上…強すぎる」
イリス
「心理学者泣くレベル」
かやは静かに微笑う。
「この人、昔からこうだったよね」
そして噂が広がる。
「久世庵に行くと人生立て直せる」
「説教じゃなくて魂を整えられる」
「帰る頃には心が軽くなる」
次々訪れる人たち:
・燃え尽きた俳優
・炎上した配信者
・潰れかけの社長
・才能あるけど折れた若者
全員、エーテルに再起動されて帰っていく。
エーテルのスタイルは一貫してる。
励まさない
綺麗事言わない
現実をそのまま肯定してくれる
「壊れたら休め」
「逃げろ」
「生きろ」
それだけ。
久世庵はいつの間にか――
人生の再スタート地点になる。
その日は珍しく、
かやが事前に「この予約、少し違う」と言った。
名は伏せられている。
紹介者も非公開。
ただ一文だけ添えられていた。
「過去を埋めに来ます」
夜。
雨。
黒い傘を差した一人の男が来る。
年齢は四十代半ば。
背筋は伸びているが、どこか空洞。
エーテルは出迎える。
「ようこそ、久世庵へ」
男は軽く会釈する。
「……ここなら、聞いてもらえると聞きました」
― 庭、縁側、重い告白 ―
夕食後。
縁側。
男は湯呑みを握り締めたまま、長い沈黙のあと話す。
「私は……
昔、戦場にいました」
空気が変わる。
「命令で、村を焼いた」
「命令で、撃った」
「命令で、助けなかった」
エーテルは何も言わない。
雨音だけが続く。
「今でも夢に出る」
「顔が浮かぶ」
「子供だった」
「自分に子供が出来た時、初めて理解した」
声が震える。
「私は……人間ですか」
ここで普通の慰めはしない。
エーテルは、静かに言う。
「人間だ」
即答。
男が顔を上げる。
「人間だから壊れてる」
「人間じゃなかったら、何も感じない」
「後悔は、罪の証明じゃない」
「まだ生きている証明だ」
男は歯を食いしばる。
「償えない」
「許されない」
「だから消えた方がいいと――何度も思った」
エーテルの目が少しだけ変わる。
「死は逃げじゃない」
「責任放棄だ」
冷たい言葉。でも否定ではない。
「償えないなら、償い続けろ」
「死ぬまで」
「生きてる限り、罪は重りになる」
「だがその重りは、誰かを支える力にもなる」
男は涙をこぼす。
「……私は、何をすればいい」
「同じ状況にいる若者を止めろ」
「同じ命令を出そうとする人間を止めろ」
「未来を守れ」
「過去は変えられない」
「だが未来を一つ止められれば、それは救いだ」
長い沈黙。
雨が止む。
男は立ち上がる。
「私は……逃げません」
「生きます」
「止めます」
深く、頭を下げる。
「ありがとうございました」
― 裏で聞いていた家族 ―
障子の向こう。
ネメシスは小さく呟く。
「……父上は、どうしてあんな言葉を選べる」
アークは静かに言う。
「自分も罪を背負ってるからだ」
かやはただ目を伏せる。
― 帰り際 ―
男は最後に振り返る。
「あなたは……何者ですか」
エーテルは少し笑う。
「ただの旅館の話し相手だ」
男は去る。
その背は、来た時よりも少しだけ重みが減っていた。
― その夜、独り言 ―
縁側で一人になるエーテル。
小さく呟く。
「……生きろ」
自分に向けて。
男が去ってから数日後。
彼は、地方の国立大学で歴史学を教える教授だった。
専門は――戦国末期・無名武将史。
学生からは「地味すぎる分野」と言われる研究。
だが彼だけは、そこに異様な空白を感じていた。
研究室。
古文書の山。
焼け焦げた記録、破れた系図、消された名。
その中に何度も出てくる単語。
鬼神
・夜に現れた
・足音がしなかった
・敵陣が一晩で壊滅
・姿を見た者がほとんどいない
そして必ずこう締められている。
「名は残されず」
教授は眉をひそめる。
「不自然すぎる……」
戦国でこれほどの戦果を出して、
武将名が一切残らないなどあり得ない。
さらに掘る。
地方の寺の過去帳。
戦死者名簿。
口伝記録。
そこに一つだけ、異名ではなく人名らしきものが混じっていた。
かすれた墨。
久世
教授の手が止まる。
「……久世?」
同時に、あの旅館の男が脳裏に浮かぶ。
静かで
異様に落ち着いていて
まるで戦場を知っている目をした男。
「まさか……」
笑って否定しようとして、できなかった。
さらに記録を読む。
鬼神は左腕を失ってもなお戦った
右脚を失っても立ち続けた
音を殺し、気配を消し、神の如く現れた
教授の背中に冷や汗。
旅館で見たエーテルの立ち姿。
物音ひとつ立てず歩く癖。
人の動きを読む異様な間。
「一致しすぎている……」
決定打は古地図だった。
戦場跡の近くに記されていた名。
久世庵のあった森
教授は椅子から立ち上がる。
息が荒くなる。
「あり得ない……
四百年以上前の武将が……今……?」
だが心の奥では、もう答えを出していた。
あの男は、ただの旅館の主人じゃない。
歴史から“消された存在”。
戦国を終わらせた影。
鬼神・久世。
そして教授は震える声で呟く。
「……生きている歴史だ」
夕暮れの久世庵。
風が庭の木々を揺らし、風鈴が小さく鳴っている。
エーテルは縁側で湯呑みを持ちながら、ぼんやり空を見ていた。
そこへ――
砂利を踏む、はっきりした足音。
わざと気配を消していない歩き方。
エーテルは振り向かなくても分かっていた。
「……また来たんだな」
教授は門の前で深く一礼してから近づく。
「突然すみません」
「ですが今日は、客としてではありません」
その声が少し震えている。
エーテルは静かに振り向く。
相変わらず穏やかな顔。
「泊まりなら予約制だよ」
「違います」
教授は一歩踏み出す。
「あなたは――久世、ですよね」
空気が止まる。
風鈴の音すら聞こえなくなる。
エーテルの目が、ほんの一瞬だけ細くなる。
「……誰からその名前を?」
「史料からです」
教授は鞄から古文書の写しを取り出す。
「鬼神と呼ばれ、名を消され、戦場を終わらせた存在」
「左腕と右脚を失ってなお戦った武将」
「そして、久世という名だけが残っていた」
エーテルは黙ったまま。
否定しない。
誤魔化さない。
ただ静かに教授を見ている。
教授の声がかすれる。
「あなたの歩き方、視線、沈黙の間」
「戦場を知る人間のそれです」
「現代人のものじゃない……」
しばらく沈黙。
そしてエーテルは、ふっと小さく笑った。
「……よく調べたな」
それだけで十分だった。
肯定だった。
教授の膝が震える。
「やはり……」
「生きていたんですね」
エーテルは湯呑みを置き、空を見る。
「生きてた、というより」
「生かされ続けてただけだよ」
教授は勇気を振り絞る。
「なぜ歴史から消えたんですか」
「あなたほどの人物が」
エーテルの声が少し低くなる。
「名を残せば、また戦になる」
「英雄は人を殺す理由になる」
「だから消えた」
教授は息を呑む。
「あなたは……平和のために自分を消した」
「そう」
「それでよかった」
しばらくしてエーテルは教授を見る。
「で?」
「真実を暴くために来たのか」
「それとも……確かめに来ただけか」
教授は深く頭を下げた。
「後者です」
「あなたを歴史に縛り戻す気はありません」
「ただ……あなたが誰かを知りたかった」
エーテルの表情が、少しだけ柔らぐ。
「賢い選択だ」
教授は静かに言う。
「この事実は、私の墓まで持っていきます」
「あなたは“過去”ではなく、“今を生きる人”ですから」
長い沈黙のあと。
エーテルはぽつりと呟く。
「……ありがとう」
その瞬間、教授は確信した。
この男は怪物でも神でもない。
戦を終わらせた、ただの優しい武将だと。




