第十一部 俺はエーテルだったんだな
震える身体の奥で――
ふと、違和感が走った。
今までずっと響いていたあの声。
厳しくて、冷たくて、逃げ場を与えない声。
それが突然、妙に“懐かしく”感じた。
「……あれ……?」
胸を押さえながら、彼は息を整えようとする。
苦しい。
視界は白く滲む。
けれどその中で、ひとつだけはっきりした。
この声――
他人じゃない。
(立て)
(役に立て)
(終わるな)
その言葉の癖。
言い回し。
突き放し方。
全部――自分だ。
「……そうか……」
かすれた笑いが漏れる。
「これ……俺が……残したんだ……」
その理解が成立した瞬間。
世界が、壊れた。
旅館。
かやの笑顔。
子供たちの笑い声。
宇宙。
創生。
戦争。
別れ。
封印。
豪雨。
崖。
偽装された死。
そして――
愛していたすべて。
一コマずつじゃない。
全部同時。
脳が悲鳴を上げるほどの情報が一気に流れ込む。
「——っ!!!!!」
叫び声すら出ない。
視界が白く焼けて、次に真っ黒になる。
かやの泣き顔。
ネメシスの手。
ルミナの笑顔
家族の声。
「……あ……」
喉が震える。
「俺……エーテルだ……」
名前と共に、感情が帰ってきた。
愛。
後悔。
恐怖。
守りたかった未来。
逃げた自分。
全部。
「俺……全部……知ってたのに……」
涙が止まらない。
「覚えてたら……ここに来た時点で……気づいてたのに……」
自分が働き続けた理由。
無理をした理由。
壊れても立ち続けた理由。
家族のそばに居たかったからだ。
守りたかったからだ。
役に立つことで存在していたかったからだ。
「俺……バカだな……」
笑いながら泣く。
「生きてるだけで良かったのに……」
そして最後に理解する。
あの冷たい声は
自分を苦しめるためじゃなく――
家族のもとに辿り着くまで死なせないための保険だった。
「……ありがとう……過去の俺……」
身体の震えが止まる。
だが同時に分かる。
もう限界だ。
創生エネルギーを捨てた身体は
この記憶の重さすら耐えきれない。
「……かや……」
掠れた声で名前を呼ぶ。
「みんな……」
涙が床に落ちる。
「俺……帰りたい……」
ここでエーテルは完全に戻った。
記憶も、愛も、後悔も、父としての感情も全部。
そして同時に――
本当に壊れかけの人間になった。
会議室の床。
倒れたままの彼――いや、エーテル。
視界は揺れているが、意識ははっきりしている。
さっきまで嵐のように暴れていた記憶は、今は静かだ。
痛みはある。
体は壊れかけている。
血の味も消えない。
でも、心は――少しだけ整っていた。
(……戻ったな)
自分が誰か、
何をしてきたか、
何から逃げたか。
全部、わかる。
襖の向こうから足音。
かやの声。
ネメシスの震えた声。
セラの低い呼吸。
全部、聞こえる。
「……今さらだろ」
小さく呟く。
記憶が戻った。
でも。
死にかけてるのは変わらない。
言うべきか。
「俺だ」と。
「全部思い出した」と。
「逃げたのは俺だ」と。
もし言えば――
希望を持たせる。
でもその直後に死んだら?
それは救いか?
それとも残酷か?
(……また期待させるのか?)
あのときもそうだった。
守ると言って、
生きると言って、
全部抱えて、
壊れた。
指先が震える。
創生エネルギーは封印したまま。
戻す気はない。
もう神ではない。
ただの、壊れた男。
(でも……)
扉の向こうで、ネメシスの声が震えている。
「父上……」
その一言で、胸が締めつけられる。
(言わないまま死ぬのは……卑怯か?)
彼は迷う。
父として、
夫として、
ただの男として。
(記憶が戻ったことを言えば、俺はもう“他人”じゃない)
でも。
(言わなければ、あの人たちは俺を失ったまま終われる)
どっちが優しい?
どっちが残酷?
エーテルはゆっくり息を吸う。
血の匂いがする。
「……かや」
声に出しかけて、止まる。
もしここで言えば。
かやは泣くだろう。
ネメシスは崩れるだろう。
ルミナは笑うかもしれない。
セラは怒るだろう。
でも。
(俺は……最後くらい、本当でいたい)
誰にも告げず、朝。
「少し買い出しに行ってきます」
いつもと同じ声。
いつもと同じ笑顔。
誰も疑わなかった。
病院の白い廊下。
消毒の匂い。
機械音。
医師はレントゲンを見て言葉を失う。
「……正直、生きているのが奇跡です」
内臓はボロボロ。
神の代償が人間の肉体に一気に襲っている。
本来ならとっくに動けない。
入院。
点滴。
酸素。
何度も意識が落ちる。
それでもエーテルは何も言わない。
ただ天井を見て思う。
(俺は……まだ役に立てる)
数日後。
ふらつく足で病院を出る。
医師が止める。
「退院は無理です!」
エーテルは小さく笑う。
「……帰る場所があるんです」
旅館に戻る。
「おかえりなさい!」
かやの声。
胸が締めつけられる。
(帰ってきてしまったな……)
セラは異変に気づく。
「顔色悪くない?」
「大丈夫」
即答。
慣れた嘘。
ネメシスが距離を詰める。
「父上……」
エーテルは優しく頭を撫でる。
昔と同じ手つきで。
記憶は全部戻っているのに、
何も知らないフリをする演技を続ける。
夜、ひとりで吐血。
洗面台を真っ赤に染めて、
音を立てないよう水で流す。
鏡の自分に言う。
「……まだだ」
「まだ終われない」
布団に戻り、静かに目を閉じる。
隣の部屋から聞こえる笑い声。
それが救いで、
それが一番苦しい。
夜。
旅館の庭に出る縁側。
風が涼しくて、虫の声だけが鳴いている。
そこにちょこんと座っていたのがルミナだった。
エーテルはゆっくり隣に腰を下ろす。
「ルミナ」
「なに?」
「……大事な話がある」
いつもより声が低くて静かだったから、
ルミナはすぐに気づく。
「……重いやつだ」
エーテルは小さく笑う。
「俺な」
「記憶、戻ってる」
一瞬、風の音だけになる。
ルミナの目が大きく見開かれた。
「……全部?」
「全部だ」
「創生も、宇宙も、別れも、俺がやったことも」
「逃げたことも」
ルミナは拳を握る。
「じゃあなんで……なんでみんなに言わないの!?」
エーテルは空を見る。
星がきれいだった。
「言ったらな」
「この日常が壊れる」
「みんな優しいから、俺を守ろうとする」
「仕事もさせないし、笑わせようとして、無理させない」
「それって……俺が望んだ世界じゃない」
ルミナは唇を噛む。
「でも……父さん死にそうじゃん……」
「知ってる」
あまりにも静かな肯定。
ルミナの目が潤む。
「だから頼む」
「これは秘密にしてほしい」
「ルミナだけが知ってていい」
「俺が“何も思い出してないエーテル”でいられるように」
「なんで私にだけ……」
エーテルは少しだけ微笑う。
「お前は俺の娘だからだよ」
「一番強くて、一番優しい」
「嘘をつく重さを背負える存在だから」
ルミナの肩が震える。
「ずるい……それ……」
「そんなの守るに決まってるじゃん……」
エーテルはそっと頭を撫でる。
「ありがとう」
「でもな」
「泣くな」
「俺は今、幸せなんだ」
「こうして生きて、家族の声を聞いて」
「それだけで十分なんだ」
ルミナは涙をこぼしながら笑う。
「……ほんとバカ」
「創世神のくせに」
「一番人間らしい死に方選ぶとか」
エーテルは苦笑する。
「だろ?」
少し沈黙。
虫の音。
夜風。
「ねぇ父さん」
「いつまで……いられるの?」
エーテルは答えない。
ただ指を軽く握る。
それが答えだった。
「……わかった」
「秘密にする」
「誰にも言わない」
「でもその代わり」
「一人で抱え込まないで」
「私の前では弱っていい」
エーテルの目が少し潤む。
「……それは反則だな」
その夜からルミナだけが知っている。
エーテルは戻っている
そして終わりが近いことも
でも誰にも言わない。
ただ毎日そばにいる。
笑って、話して、手をつないで。
そしてルミナは決める。
父さんを一人で死なせない。
たとえ世界を敵に回しても。
朝。
エーテルは庭仕事を理由に、ひとり外に出ていた。
縁側には朝の光。
部屋の中には、家族全員。
――そしてエーテルはいない。
それを確認してから、ルミナはゆっくり立ち上がった。
「みんなに言う」
その一言で空気が張りつめる。
ネメシスが振り向く。
かやも、セラも、アークも。
「……何を?」
ルミナの手は震えていた。
でも逃げなかった。
「父さん」
「記憶、戻ってる」
一瞬、誰も理解できない。
数秒遅れて――意味が落ちてくる。
「は……?」
かやの声が掠れる。
セラが息を呑み、
アークの目が鋭くなる。
「全部思い出してる」
「創生も、戦争も、別れも」
「それで……」
ルミナは唇を噛みしめる。
「もう長くない」
沈黙が落ちる。
音が消えたみたいに静かになる。
ネメシスがゆっくり立ち上がる。
「……なんで父さんいないんだよ」
「なんで今ここにいないんだよ」
声が震えている。
「隠してるから」
ルミナが答える。
「みんなに言ったら止められるって分かってるから」
かやの膝が崩れそうになる。
「……あの人」
「また一人で背負ってる」
セラの目に涙が溜まる。
「昔からそう」
「守るって言って、勝手に消える」
アークが歯を食いしばる。
「ふざけるな」
「父親失格だ」
ネメシスの拳が震える。
「死ぬつもりだったんだろ」
「だから優しくしてたんだろ最近」
ルミナがうなずく。
「普通の時間を過ごして」
「何も知らないまま終わらせるつもりだった」
空気が怒りと悲しみで割れそうになる。
かやが立ち上がる。
「……許さない」
静かな声。
でも一番怖いトーン。
「今度こそ逃がさない」
「家族を選んだくせに」
「一人で死ぬなんて」
セラが泣きながら言う。
「助ける方法を探そう」
「創生でも、人間でも、何でもいい」
アークも頷く。
「命を賭けるなら」
「俺たち全員でだ」
ネメシスは唇を噛みしめて震えながら笑う。
「父さんが死ぬ世界なんて」
「ぶっ壊してやる」
ルミナの涙がこぼれる。
「だから言ったの」
「一人にさせないために」
その瞬間。
庭の方から足音。
エーテルが戻ってくる気配。
かやが皆を見る。
「知らないフリは終わり」
「ここからは家族戦争よ」
誰一人、うなずきを迷わなかった。
外では何も知らないエーテルが、
いつもの優しい顔で戸を開けようとしている。
その向こうで――
家族はもう“覚悟を共有した”。
縁側の戸が、静かに開いた。
「終わったよ。庭の雑草も抜いといた」
いつもと変わらない声。
いつもと変わらない穏やかな笑顔。
エーテル――今は“彼”は、手についた土を払って中に入ってくる。
「今日も暑くなりそうだな」
「午前中のうちに掃除も終わらせちゃおうか」
まるで、何事もなかったように。
だが――
部屋の空気が異様だった。
誰も返事をしない。
かやは俯いたまま拳を強く握りしめ、
セラの目は赤く、
アークは腕を組んで動かず、
ネメシスは彼を直視できずに震えている。
ルミナだけが、涙を必死にこらえて立っていた。
「……?」
彼は首をかしげる。
「どうしたの、みんな」
「何かあった?」
無邪気なくらい普通の声。
かやが一歩前に出る。
「エーテル」
その呼び方に、彼の肩がわずかに揺れた。
――思い出した名前。
「庭仕事、ありがとう」
「でもね」
声が震える。
「それで終わりにするつもり?」
彼は一瞬だけ目を逸らす。
「……何の話?」
アークが低く言う。
「記憶、戻ってるんだろ」
空気が凍る。
彼の手から、軍手が落ちた。
ぽとん、と小さな音。
「……ルミナ」
小さく名前を呼ぶ。
ルミナは泣きながらうなずいた。
「ごめん」
彼は微笑おうとして失敗する。
「言わない約束だったんだけどな」
ネメシスが叫ぶ。
「なんでまた一人で死ぬ気なんだよ!!」
「死ぬつもりじゃないよ」
優しい声。
「ただ……静かに終わるだけ」
かやの頬を涙が伝う。
「それを死ぬって言うの」
彼は困ったように笑う。
「みんなには幸せでいてほしかっただけなんだ」
「記憶戻ったって知ったら、苦しむだろ?」
セラが泣きながら抱きつく。
「苦しませないでって言ったのに!!」
彼の身体が少しだけ揺れる。
咳をこらえるように拳を口に当てる。
指の隙間に――赤。
それを見て、全員の顔色が変わる。
「ほら」
彼は急いで袖で隠す。
「まだ動けるから」
アークが怒鳴る。
「それを限界って言うんだ!!」
彼は静かに目を伏せる。
「……俺はもう十分生きた」
その瞬間、かやが彼の胸ぐらを掴んだ。
「ふざけないで」
震えながら。
「私たちを置いて死ぬ人生なんて、許さない」
彼の目が揺れる。
初めて、迷いが浮かぶ。
「生きたいって言いなさい」
「一度でいいから」
彼は唇を噛みしめる。
長い沈黙。
「……怖い」
かすれた声。
「生きたいって言って、失うのが」
ネメシスが泣きながら叫ぶ。
「失うくらいなら一緒に戦えよ!!」
ルミナが前に出る。
「父さんは一人で終わらせる人じゃない」
「家族で生きる人だよ」
彼の目から、静かに涙が落ちた。
「……ずるいな」
「みんな」
彼は、しばらく沈黙したまま立っていた。
みんなの視線が突き刺さる中で、
ゆっくりと息を吸って――吐く。
そして、いつもの穏やかな笑顔を作った。
「……あー」
「違う違う」
軽く手を振る。
「余命とか、あれは嘘」
一瞬、空気が止まる。
「心配させすぎたな」
「ちょっと体調悪かっただけだよ」
「医者も大げさでさ」
かやが震える声で言う。
「……嘘?」
「うん」
即答。
迷いゼロ。
「ルミナが勝手に勘違いしただけ」
ルミナの瞳が見開かれる。
「え……?」
エーテルはしゃがんで目線を合わせる。
「ごめんな」
「心配させた」
「父さんは簡単に死なないよ」
ネメシスが叫ぶ。
「じゃあ血吐いてたのは何だよ!!」
「胃荒れてただけ」
笑って腹を叩く。
「ストレス性だろ」
セラが泣きながら詰め寄る。
「倒れそうになってたじゃない!!」
「貧血」
即答。
「立ちくらみ」
アークが睨む。
「入院までした貧血があるか」
「あるある」
軽く返す。
「俺、虚弱体質だから」
空気が重く沈む。
誰も信じきれない。
でも――
エーテルの声はあまりにも自然だった。
あまりにも“普通”だった。
「本当に大丈夫」
「もう治ってる」
「ほら、庭仕事もできたし」
両腕を広げる。
かやが彼の胸に手を当てる。
鼓動は弱いけど、ちゃんとある。
温もりもある。
「……嘘ついてる目じゃない」
かやが小さく呟く。
それが一番残酷だった。
エーテルは嘘をつくのが上手すぎた。
守るための嘘を、何千年も重ねてきた存在だから。
ルミナだけが、拳を握りしめている。
(違う……)
(父さん、嘘ついてる)
でも――
約束を破れない。
エーテルは明るく言う。
「ほらほら湿っぽいの終わり!」
「今日の夕飯何だ?」
誰も追及できなかった。
追及すれば――
本当に壊れてしまいそうだったから。
その夜。
エーテルは一人、縁側で空を見上げる。
胸の奥が焼けるように痛む。
喉に鉄の味。
それでも笑う。
「……意地でも」
「最後までバレねぇようにしねぇとな」
それはある朝だった。
いつも通り庭を掃いていた彼の手が――止まる。
箒が地面に落ちた。
カラン、と乾いた音。
指先が、震えている。
いや――震えじゃない。
ひび割れていた。
皮膚の下に、白く光る亀裂のような線。
まるで陶器が割れる前兆みたいに。
「……あ?」
彼は自分の手を見る。
力を入れた瞬間。
パキッ
小さな音と共に、指の関節から血がにじむ。
だが普通の血じゃない。
淡く光る創生エネルギー混じりの血。
「……来たか」
小さく笑う。
「早ぇよ」
歩こうとすると、足がもつれる。
膝が折れて、地面に手をつく。
その瞬間――
地面に触れた掌から光のヒビが走る。
まるで身体が世界とズレ始めているように。
遠くでルミナが叫ぶ。
「父さん!?手が……!!」
慌てて手袋をはめる彼。
震えを押さえつける。
「大丈夫だって!!」
声はいつも通り明るい。
だが――
顔色は灰色だった。
その日の夕方。
食卓で箸を落とす。
拾おうとして――拾えない。
指に力が入らない。
「……あれ?」
笑ってごまかそうとした瞬間。
ポタッ
机に血。
さらにポタ、ポタ。
鼻血じゃない。
口からだった。
一斉に凍る家族。
「エーテル!!!!」
「ちょ、ちょっとむせただけ」
そう言った瞬間――
ゴフッ!!
大量に吐く。
床に広がる赤と光。
身体が軋む音がする。
骨じゃない。
存在そのものが崩れる音。
レオンが震えた声で言う。
「……創世神の代償だ」
「エネルギーを封印した反動で、存在が壊れている」
イリスが叫ぶ。
「これ……人間の病気じゃない!!」
「神だった器が人間に耐えられてない!!」
彼は壁にもたれながら笑う。
唇が真っ白。
「バレたか」
そして、静かに告げる。
「創世神ってさ」
「便利な力の代わりに――」
「使った分、存在を削られてたんだわ」
腕のヒビが肩まで広がる。
首筋にも光の亀裂。
視界が揺れる。
「俺、宇宙何回作り直したと思う?」
「星、命、時間……」
「全部、俺の存在削って作ってた」
かやが泣きながら抱きしめる。
「じゃあ……今まで……」
「うん」
優しく頭を撫でる。
「ずっと寿命前借り」
ルミナが嗚咽する。
「じゃあ……父さんは……」
「もう返済の時間」
その瞬間、膝が崩れる。
身体のヒビが一気に走る。
まるで砕ける寸前の器。
誰が見ても分かる。
もう隠せる段階じゃない。
創世神の代償が、ついに形になった。
エーテルは、医師でも機械でもなく――
自分の身体そのものを診断するように静かに言った。
「……リミットは四日だ」
部屋の空気が止まる。
誰も言葉を出せない。
エーテルは壁にもたれながら、指でひび割れた腕をなぞる。
光が脈打つたび、痛みが走っているのが分かる。
「これ以上は保たない」
「創生エネルギーを封印した反動で、存在が人間の器に収まりきってない」
レオンが声を震わせる。
「四日過ぎたら……どうなる?」
エーテルは少し考えてから、淡々と答える。
「崩れる」
「骨とか内臓じゃない」
「魂ごと砕ける」
かやが首を振る。
「治せるでしょ……あなたなら……神だったんでしょ……!」
「無理」
即答だった。
「これは罰でも病気でもない」
「帳尻合わせだ」
彼はゆっくり座り込む。
息をするだけで胸が軋む。
「俺が宇宙を作りすぎた分、今ここで支払う」
ルミナが泣きながら叫ぶ。
「じゃあその力使って治せばいいじゃん!!」
エーテルは優しく笑う。
「使った瞬間、寿命がさらに削れて即死コース」
「回復魔法で自分の寿命削るバカ見たことある?」
沈黙。
絶望が広がる。
「四日目の夜までが限界」
「それ越えたら――存在が消える」
「痕も残らない」
ナポリネスが歯を食いしばる。
「延命方法は」
「ない」
エーテルは皆を見回す。
その目は不思議と穏やかだった。
「だからさ」
「この四日間は、泣くより」
「ちゃんと生きようぜ」
腕の亀裂がさらに広がる。
光が肩から胸へ。
「俺は消えるけど」
「後悔は残したくない」
かやの頬に涙が落ちる。
「そんなの……選ばせないでよ……」
エーテルは小さく笑う。
「これが創世神のエンドロールだ」
そして、静かに告げる。
「今日が一日目だ」
ルミナは震える声で言った。
「……本当は、あるんでしょ」
誰も息をしない。
「延命方法。
エーテルなら、絶対なにか隠してる」
エーテルは一瞬だけ目を伏せた。
その沈黙が――答えだった。
「やっぱりあるんだ」
ルミナの声が強くなる。
「あるのに、言わないだけなんだ!」
エーテルは苦笑する。
「さすが娘だな」
ナポリネスが詰め寄る。
「あるなら言え! 全員で考える!」
「だめだ」
静かだけど、初めて強い拒絶。
「延命はできる」
その言葉に全員の顔が希望に染まる。
だが次の一言で凍りつく。
「お前たちの命を使えばな」
空気が砕ける。
「創生エネルギーは循環できる」
「俺の崩壊を止めるには、誰かの存在を燃料にするしかない」
「一人じゃ足りない」
「複数必要だ」
ルミナが叫ぶ。
「じゃあ私がやる!!」
「却下」
即答。
「お前が傷つく未来だけは、俺は作らない」
かやが震える声で言う。
「私の命なら……」
エーテルはかやの額にそっと手を当てる。
「それも却下」
「お前は俺が命かけて守った未来だ」
レオンもイリスもセラも皆言い出す。
「俺が」「私が」
「使え」「使ってくれ」
エーテルは首を振る。
「延命って言葉に騙されるな」
「これは生存じゃない」
「犠牲の上に立つゾンビ化だ」
そして、はっきり言った。
「俺はそれを選ばない」
ルミナの涙が止まらない。
「なんで……」
「なんで一人で決めるの……」
エーテルは優しく抱きしめる。
「父親だからだよ」
「子どもより長く生きる親はいらない」
「親は先に消えて、道を残すもんだ」
ルミナは嗚咽する。
「それ……優しさじゃなくて残酷だよ……」
エーテルは小さく笑った。
「知ってる」
「でもな」
「誰かを犠牲にして生きる俺は――
もう創世神じゃなく化け物だ」
静かに告げる。
「だから延命は“ある”けど」
「使わない」
腕の光がまた強く脈打つ。
一日目の終わりが近づいていた。
部屋の戸が静かに閉まる音が、やけに大きく響いた。
エーテルは壁に手をつき、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
さっきまでの落ち着いた顔は、もうどこにもなかった。
肩が震える。
呼吸が乱れる。
「……っ」
喉がひくりと鳴る。
声が出ない。
ずっと我慢していたものが、内側で暴れ回っている。
「……生きたい……」
かすれた声。
誰にも聞かれないように、床に顔を伏せて。
「……俺は……」
拳が畳を叩く。
力なんてもう入らないのに、それでも叩く。
「まだ……生きたい……!!」
声が割れる。
創世神でも、守護者でも、父でもない。
ただの“人”の叫びだった。
「死にたくない……」
「消えたくない……」
「みんなと……」
「かやと……」
「ルミナと……」
「家族と……」
息が詰まって言葉にならない。
涙が止まらない。
「……怖い……」
「一人になるのが……」
「また全部失うのが……」
額を床に打ちつける。
「強がってただけだ……!」
「覚悟なんてできてねぇ……!」
「本当は……助かりたい……!」
胸を掴み、爪を立てる。
身体が崩れていく感覚がはっきりわかる。
それが恐ろしくてたまらない。
「延命なんて選ばないって言ったけど……」
「本当は……」
「生きる道があるなら……」
声が震える。
「選びたいに決まってるだろ……!」
しばらく、ただ嗚咽だけが続く。
英雄でも神でもない。
弱くて情けない一人の存在が、そこにいた。
そして小さく、壊れそうな声で。
「……誰か……助けてくれ……」
外では家族が必死にエーテルを想っている。
でもこの部屋の中には、孤独と恐怖と、生への執着しかなかった。
……聞いてしまった。
襖の向こう。
誰も声を出していなかったはずなのに、
あまりにも必死な声が、あまりにも本音すぎて――
止まってしまった。
「……生きたい……」
その一言で、全員の時間が止まる。
かやの手から、湯呑みが滑り落ちそうになる。
セラは目を見開き、
アークは歯を食いしばり、
レオンは言葉を失い、
イリスは唇を噛み、
ナポリネスは拳を握りしめ、
グアラは震え、
ネメシスは顔色を失う。
そして――ルミナ。
一番小さな身体で、一番大きく震えていた。
襖の向こうから続く声。
「死にたくない……」
「消えたくない……」
「強がってただけだ……」
かやの胸が締めつけられる。
(……嘘……)
(あの人が……)
(覚悟なんて……できてなかった……)
「助けてくれ……」
その瞬間。
かやの足が勝手に動いた。
襖を、勢いよく開ける。
そこにいたのは――
床に崩れ落ち、涙と汗でぐしゃぐしゃのエーテル。
神でも英雄でもない。
ただ、壊れそうな男。
「……エーテル」
声が震える。
エーテルが顔を上げる。
全員いる。
見てしまった。
聞いてしまった。
隠していたはずの弱さを。
一瞬、世界が凍る。
次の瞬間。
かやが走った。
何も言わず、力いっぱい抱きしめる。
「当たり前でしょ……!」
「生きたいに決まってるでしょ……!!」
涙が止まらない。
「何一人で覚悟決めてるのよ……」
「家族で生きるって言ったじゃない……!」
エーテルの身体が震える。
抵抗しようとした腕が、力なく落ちる。
ネメシスが駆け寄って泣きながら抱きつく。
「父上……いなくならないで……!」
ルミナも必死にしがみつく。
「生きて……お願い……!」
セラは声を殺して泣き、
アークは歯を噛み締めて肩を震わせ、
レオンは目を覆い、
イリスはしゃくり上げ、
ナポリネスは天井を見つめて涙をこぼし、
グアラは祈るように手を握る。
かやが震える声で言う。
「延命があるなら……選ぼう」
「どんな代償でも……一緒に背負う」
「あなた一人で死ぬなんて……」
「絶対に許さない」
エーテルの目から、また涙が溢れる。
「……ずるいな……」
「こんなの……」
「生きたくなるじゃねぇか……」
抱きしめられながら、嗚咽する。
「……俺……怖かった……」
「一人になるのが……」
かやが額を合わせる。
「一人になんてさせない」
「死ぬ時も生きる時も一緒よ」
エーテルは、かやに支えられたまま小さく息を吸う。
「……ある」
その一言で空気が張りつめる。
皆が一斉に顔を上げる。
「創生エネルギーを……取り戻す方法がある」
ネメシスが身を乗り出す。
「本当なのか……!?」
エーテルは視線を落とす。
「ただし――今の時代じゃ無理だ」
「恒一の時代の“人間の選択”が必要になる」
かやの表情が変わる。
知っている者の顔だった。
「……あれね」
「神でも宇宙でもない」
「ただの人間の意志が、創生を呼び戻す」
アークが低く息を吐く。
「じゃあ……もう一度、人間が未来を選べば……」
「再現じゃない」
「今を生きる人間が“自分の力で掴む未来”だ」
かやが静かに言う。
「犠牲じゃなく、希望で生む力」
だがエーテルの声が沈む。
「成功すれば俺は生きる」
「失敗すれば……完全消滅だ」
沈黙。
ルミナが震えながら呟く。
「……それでも、やるしかないじゃん」
エーテルは微笑った。
「だから黙ってた」
「希望は人を賭けさせるからな」
かやが前に出る。
「賭けるのはあなた一人じゃない」
「人間の未来に賭けるの」
エーテルが震える息で言う。
「……だから人間の時代に答えがあるって言った」
「屋久島の久世は――
俺が“神になる前に切り離した可能性”だ」
かやが息を呑む。
「完全に人間として生きた久世……」
「創生を持たず」
「神にもならず」
「それでも世界を選び続けた存在」
エーテルは苦笑する。
「俺が逃げた人生だよ」
ネメシスが小さく言う。
「だから……その人だけが
人間の意志で創生を呼び戻せる……?」
「そうだ」
「神の力じゃなく
人間が希望を選び続けた証明だからな」
そして静かに続ける。
「屋久島の久世が生きている限り
創生エネルギーは“人間側”に存在してる」
「俺は神の器になった代わりに
その権利を失った」
ルミナが震えながら笑う。
「じゃあさ……」
「お父さんを救えるのは
その久世さんなんだね」
エーテルの目が潤む。
「ああ……」
「俺じゃなくて
“人間の久世”がな」
屋久島・久世の木
深い霧に包まれた森。
雨上がりの土の匂いと、太古から変わらない静けさ。
誰も喋らないまま、エーテル達は歩いていく。
そして――見えてくる。
山を突き破るように立つ、一本の巨木。
根は大地を掴み
幹は空を支え
枝は星に触れそうなほど広がっていた。
ルミナが息を呑む。
「……これが」
ネメシスが小さく震える。
「久世……?」
エーテルは一歩前に出る。
胸が締め付けられるように痛む。
「……俺だ」
「俺が人間として生き続けた可能性」
その瞬間。
風が吹き抜け、葉がざわめく。
木の幹に――淡く人の形が浮かび上がる。
若い頃の久世。
神にもなっていない、ただの人間の久世。
穏やかな笑顔。
「久しぶりだな」
エーテルの喉が詰まる。
「……生きてたんだな」
「生きてるよ。世界と一緒にな」
かやが震えた声で聞く。
「あなたが……エーテルを救える人?」
久世の木は静かに頷く。
「俺は力を持たなかった」
「だから選び続けた」
「逃げずに、人として」
エーテルが笑う。
泣きながら。
「ずるいよ……」
「一番強い生き方しやがって」
久世の木は優しく言う。
「お前は世界を背負った」
「俺は人生を背負った」
「どっちも久世だ」
ルミナが前に出る。
「お父さん……死んじゃうの?」
久世の木は即答する。
「死なせない」
そして根がゆっくり光り始める。
「創生エネルギーは神の力じゃない」
「“生きたいと願い続けた意志”だ」
久世の木の中から、温かな光が溢れ出す。
それはかつて恒一が掴んだ希望と同じ色。
「この力を返そう」
「神にではなく――父に」
エーテルの身体が震える。
封印していた創生エネルギーが共鳴する。
だが今までと違う。
支配の力じゃない。
犠牲の力でもない。
生きるための力。
久世の木が最後に微笑む。
「これでお前は“神でも人間でも生きられる”」
「自由だ、エーテル」
光がエーテルに流れ込む。
膝から崩れ落ちるエーテルを、かやが抱きしめる。
「……戻ってきた」
「生きられるよ……」
エーテルは泣きながら笑う。
「俺……生きていいんだな……」
久世の木はゆっくり風に溶けていく。
「その代わり」
「ちゃんと幸せになれ」
森に静寂が戻る。
そこに残ったのは、ただの大きな木。
でも――
確かに“久世の人生”がそこにあった。
屋久島の森。
光が静かに収まる。
エーテルは膝をついたまま、呼吸を整えていた。
今まで身体を蝕んでいた数百億年分のダメージは――消えていない。
けれど。
崩壊しかけていた命の芯が、はっきりと戻っている。
心臓が打つ。
血が巡る。
視界が、鮮明だ。
エーテルはゆっくり立ち上がる。
足が震えない。
倒れない。
誰の支えもいらない。
「……ああ」
静かに笑う。
「完全復活だ」
かやが一歩近づく。
「本当に……?」
エーテルは振り返る。
あの頃の冷たいオートモードでもなく、
無理に笑う仮面でもない。
いつもの、優しい目。
「もう逃げない」
「死なない」
「勝手にいなくならない」
かやの目から涙が溢れる。
次の瞬間、胸を叩く。
「バカ……!!」
「どれだけ……どれだけ怖かったと思ってるの……!!」
エーテルはその拳を受け止める。
そして強く抱きしめる。
「ごめん」
「でも戻ってきた」
「ちゃんと、生きるために」
その光景を見ていたルミナが、堪えきれず走る。
「エーテル!!」
抱きつく。
「もうどっか行かないよね……?」
「置いてかないよね……?」
エーテルはしゃがみ、視線を合わせる。
「置いていくわけないだろ」
「お前は俺の誇りだ」
ルミナ、号泣。
ネメシスは動けない。
一歩も。
唇が震える。
「……父上」
エーテルが手を伸ばす。
「来い」
その一言で崩れる。
ネメシスは泣きながら飛び込む。
「嫌だった……」
「また失うのが……」
エーテルは頭を撫でる。
「もう失わない」
「俺は逃げない」
セラは静かに涙を流す。
アークは拳を握りしめ、空を見上げる。
レオンは震えながら目を拭き、
イリスは鼻をすすりながら「もうほんとに」と呟き、
ナポリネスは顔を背けたまま肩を震わせ、
グアラは優しく微笑み、
メクルは袖で涙を隠す。
かやがエーテルの頬に触れる。
「これが最後だから」
「次いなくなったら、私がぶん殴る」
エーテルが笑う。
「甘いな」
「次は逃げる前に抱きしめられる」
森に風が吹く。
あの巨木が、静かに揺れる。
まるで祝福のように。
エーテルは空を見上げる。
「ありがとう」
誰にともなく。
自分に。
久世に。
恒一に。
生きたいと願った全ての自分に。
そして振り返る。
「帰ろう」
「家族で」




