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久世家戦記・現  作者:
現代編
41/59

第八部 さよならかや…

 ちびエーテルの身体に淡い光が走る。

背が伸び、髪が揺れ、いつもの――大人のエーテルへ戻った。

庭の空気が一瞬、静まる。


エーテル「……ふぅ。さすがにこの姿のままじゃ仕事にならんな」

かや「戻るタイミング完璧すぎでしょ」


そのときだった。

縁側の向こう、花壇の影。

ずっと無言で見ていたセラの笑顔が――ゆっくり歪む。


セラ「……へぇ」

「ネメシスには否定しないんだ」

声は柔らかい。

でも目だけが、まったく笑っていなかった。


セラ「愛から生まれた存在だから受け止める?」

「じゃあ私は?」

「私は何から生まれたの?」


エーテル「……セラ?」


セラは一歩、また一歩と近づく。

影が長く伸び、まるで庭が暗くなるようだった。

セラ「私も父上の感情から生まれたよね?」

「一番最初の“魂”だったよね?」

「なのにどうして――」


ぎゅっ

いきなりエーテルの腕を掴む。

爪が食い込むほど強く。


セラ「私は抱きしめないの?」

「私は“愛してる”って言ったら否定されるの?」

ネメシス「ちょ、セラ姉……」


セラ、ゆっくり振り返る。

その笑顔が完全にヤンデレモード。

セラ「大丈夫よネメシス」

「あなたは“愛”」

「私は――“執着”だから」

かや「怖っ!?!?」


セラはエーテルの胸に顔を押し付ける。

セラ「父上は私のもの」

「誰にも取らせない」

「家族でも、神でも、感情でも」

エーテル「いや家族だ家族!!独占対象じゃない!!」

セラ「ふふ……逃げたら宇宙の果てまで追いかけるから」


その場の空気が完全ホラー寄りに。

ルミナが小声で。

「……セラ姉こわい」

ネメシス「僕、愛でよかった……執着よりマシ……」


かやは腕を組んでため息。

「はいはいヤンデレ回収完了」

「エーテル、ちゃんと全員平等に抱きしめなさい」


エーテル「この家スキンシップ教育必要すぎだろ……」

セラはにっこり。

「じゃあ最初は私ね?」

完全に修羅場フラグ成立。


 

 庭の縁側。


さっきまで笑っていたはずなのに、空気が妙に重い。

セラはエーテルの腕を掴んだまま、微笑んでいる。

その笑顔が――重い。

エーテル(……これは放置すると宇宙規模で拗れるな)


頭を抱えたいが、抱えられない。

なぜならセラが離さない。


セラ「どうするの?父上」

「逃げる?」

「それとも……受け入れる?」


エーテルは深く息を吐く。

逃げれば余計に悪化する。

否定すれば傷つく。

甘やかせば加速する。

……難易度Sランク。


エーテル「セラ」

静かに、正面から目を見る。

「お前の感情は否定しない」

セラの目がわずかに揺れる。

「でもな」

「“独占”は違う」


セラの指先が少し震える。


エーテル「お前は俺の“魂”だ」

「魂ってのはな、縛るもんじゃない」

「支え合うもんだ」


セラの表情が、ほんの少し崩れる。

ヤンデレの仮面の奥に、昔のセラが見える。


セラ「……じゃあ、私はどうすればいいの」

小さくなる声。

「父上が誰かに取られそうで怖いの」


エーテルは、ゆっくりセラの頭に手を置く。

「取られねぇよ」

「俺は父親だ」

「全員のな」

そのまま、軽く抱きしめる。

独占ではなく、包むように。


エーテル「ヤンデレになるほど想ってくれてるのは嬉しい」

「でもな」

「お前は“執着”じゃない」

「“守護”だろ」


セラの目から、ぽろっと涙が落ちる。

セラ「……ずるい」

「そんな言い方されたら怒れないじゃない」


横からネメシスが小声。

「父上、言語スキル高すぎ」


かやは腕を組みながらも、少し安心した顔。

「ちゃんと向き合うのは偉いわね」


セラは一歩下がる。

ヤンデレの圧は消え、少し照れた顔。

「……でもたまには、私を一番にして」


エーテルは苦笑する。

「順番制にするか」

ルミナ「え、膝取り合戦拡張版?」

ネメシス「競争激化確定」


庭に、少しだけ平和が戻る。

エーテルは空を見上げて思う。

(創世神より父親のほうが難しいな……)



 夜。


旅館の廊下は静まり返っていて、虫の声と遠くの川音だけが聞こえる。

エーテルの部屋の障子が、そっと開く。

セラだった。


昼間の張りつめた空気は消えていて、表情はまるで子どもの頃のまま。

少し不安そうで、少し甘えたい顔。

セラ「……父上、起きてる?」

エーテル「ん? ああ、どうした」


セラは何も言わず、布団の端をつまんで座る。

距離が、近い。

セラ「さっき……怖くなっただけ」

「取られるとか、独占とか……本当はそんなこと思ってない」

「ただ……」

小さく息を吸う。


「父上に嫌われるのが一番怖かった」


エーテルの胸が少し締まる。

エーテル「セラは嫌いにならん」

「なったこともないし、これからもない」


その瞬間。

セラの堤防が決壊した。

セラ「……じゃあ甘えていい?」

エーテル「いいに決まってるだろ」


次の瞬間、抱きつく。

ぎゅう、と全力。

さっきまでのヤンデレオーラは跡形もなく、完全に甘えん坊モード。

セラ「父上の匂い、安心する……」

エーテル「犬かお前は」

セラ「犬でもいい」


廊下の影。

そこからこっそり見ている家族たち。

かや、アーク、ナポリネス、イリス、レオン、メクル、ルミナ、そしてネメシス。 


ルミナ「セラお姉ちゃん、完全に赤ちゃん化してる」

レオン「創生神とは思えん依存度だな」

イリス「可愛いけどね」


ネメシスだけ、少し離れて立っていた。

腕を組み、静かに眺める。

ネメシス(……俺、間違ってたな)

(奪おうとしてた)

(独占しようとしてた)

(でもセラは“寄り添って”る)  


布団の中で、セラはエーテルの腕を枕にしている。

安心しきった顔。

ネメシス(これが本当の愛か)

(縛らない、壊さない、ただ一緒にいる)


胸に、じんわり刺さる後悔。

ネメシス(俺は父上を“所有物”みたいに思ってた)

(だから苦しくなってたんだ)


かやが小声で言う。

「ネメシス、気づいた?」

ネメシス「……ああ」

「俺、愚かだった」


再び部屋。

セラはもう半分寝ている。

セラ「父上……明日も一緒に庭、歩こうね……」

エーテル「はいはい」


その声を聞きながら、ネメシスは静かに頭を下げる。

ネメシス(俺も変わろう)

(奪う愛じゃなく、支える愛に)


月明かりが廊下を照らし、旅館は静かな夜に包まれていった。



 翌朝。


旅館の庭には朝露が残っていて、空気がひんやり澄んでいた。

エーテルは縁側に座って、湯のみを持ったままぼーっと池を眺めている。


……いつもなら横にいるはずの影がない。

ネメシスは少し離れた場所で、子供たちと遊んでいた。

笑ってはいるが、エーテルのそばには来ない。

明らかに距離を取っている。


エーテル(……来ないな)

(昨日からずっとだ)

無意識に視線を追ってしまう。

それに気づいて、また前を見る。

寂しさが顔に出そうになるのを必死で抑える。


エーテル(ネメシスなりに考えたんだろう)

(いいことだ……いいこと、なんだけど)

指先が湯のみをきゅっと握る。

ほんの少し、肩が落ちる。


そこへレオンがやってくる。

レオン「……おいエーテル」

「さっきから首がネメシス追尾ミサイルなんだが」

エーテル「そ、そんなことない」


レオン「いや完全にある」

レオンはじっと顔を覗き込む。

レオン「モジモジしてるぞ」

「尻尾あったらぶんぶん振ってるタイプの寂しさだ」


エーテル「犬扱いするな」


少し沈黙。

レオン「で? 本音は」

エーテル「……距離取られると、ちょっとだけな」

「ちょっとだけ、寂しい」

“ちょっとだけ”と言いながら、声はかなり弱い。


レオン「父親か」

エーテル「うるさい」

その瞬間、遠くでネメシスが笑う声が聞こえる。

エーテルの視線がまた勝手に動く。

レオン「ほら出た」

「我慢してる顔が一番分かりやすい神だぞお前」


エーテルは少し困ったように笑う。

エーテル「ネメシスが自分で決めた距離だ」

「俺が寂しいからって引き戻すのは違うだろ」


レオンは肩をすくめる。

レオン「正しい」

「でも父親としては不器用すぎる」

エーテル「……抱きしめたい」

レオン「素直すぎる」


二人で小さく笑う。

だがエーテルの視線はまたネメシスへ。

エーテル(成長してるんだ)

(それなのに俺だけ取り残された気分だな)


ネメシスの方は、ふと振り返ってエーテルと目が合う。

一瞬、駆け寄りそうになり——

踏みとどまる。

ぺこっと小さく会釈して、また子供たちの輪へ戻る。


その仕草が、逆に胸に刺さる。

エーテル「……律儀すぎるだろ」

レオン「完全に真面目に距離感勉強してるな」


エーテルはため息まじりに笑う。

エーテル「嫌われたわけじゃないのは分かってる」

「でも……前みたいに来てくれないと」


言葉を切る。


エーテル「静かになるな、世界」

レオン「重い父性出すな」


二人でまた小さく笑うが、エーテルの胸の中はぽっかり空いたまま。

ネメシスは成長している。

エーテルは置いていかれたような気持ちになっている。


愛は変わっていないのに、距離だけが変わった朝だった。



 その日の午後。


ネメシスが勇気を出して、エーテルのいる庭へ向かう。

少しだけ、ほんの少しだけ距離を縮めようと思った。


ネメシス

「……父上」

エーテルは一瞬反応する。

心臓が跳ねる。

だが次の瞬間、湯のみを持ち直して立ち上がる。


エーテル

「ああ、ネメシスか。どうした」

声は穏やか。

穏やかすぎた。


ネメシスは一歩近づく。

エーテルは無意識に半歩下がる。

ほんの僅か。

本人も気づかないくらい自然に。


ネメシス

「その……」

「最近、あまり話していない気がして」

エーテル

「そうか?」

「みんな忙しいからな」

微笑む。

距離はそのまま。


ネメシスの胸がきゅっと締まる。

(僕が距離を取ったから…)

(父上、もう近づかないようにしてる?)


エーテルは気づいていない。

“近づきたい”という衝動を抑えようとした結果、

逆に自分からも距離を作っていることに。


ネメシス

「僕は……」

言いかける。

だがエーテルが視線を逸らす。


エーテル

「庭の手入れ、まだ終わってないだろ?」

「ルミナ達が待ってるぞ」

優しい言葉。

でもそれは“送り出す言葉”。


ネメシスの指先が震える。

「……うん」

笑顔を作って離れる。


エーテルはその背中を見つめる。

胸が痛む。

(近づいたらまた依存させるかもしれない)

(あいつは自立しようとしてる)

(俺が邪魔しちゃいけない)

そう思い込む。


その夜。

食卓。

ネメシスはエーテルの膝には座らない。

少し離れた席に座る。

エーテルも何も言わない。

いつもなら軽く肩を引き寄せるのに。


ナポリネスが気づく。

ナポリネス

「……お前ら、何やってる」

エーテル

「何も」

ネメシス

「何もしてないよ」

同時に答える。

そして同時に目を逸らす。


夜。

エーテルは一人で庭に出る。

月明かりの下。

エーテル(寂しいのは俺の問題だ)

(ネメシスの成長を邪魔するな)

だが心の奥で別の声。

(抱きしめたい)


その頃、ネメシスの部屋。

布団の中で天井を見つめる。

ネメシス(父上、避けてるよね)

(僕が距離を取ったから…嫌われた?)

枕をぎゅっと抱きしめる。


同じ屋敷の中。

同じ月を見ているのに。

二人の距離は、今までで一番遠い。


翌朝。

ネメシスが廊下でエーテルと鉢合わせる。

一瞬、目が合う。

ネメシス

「おはよう、父上」

エーテル

「……ああ、おはよう」

微笑む。

一瞬だけ手が伸びる。

だが途中で止まり、自然を装って袖を整える仕草に変わる。


その小さな動きを、ネメシスは見てしまう。

胸が冷える。

ネメシス

「……じゃあ、行ってきます」


エーテル

「ああ」


扉が閉まる音。

静寂。

エーテルはその場で立ち尽くす。

小さく呟く。

「……俺は何やってるんだ」


すれ違いは、どちらも優しさから始まっている。

だが優しさは時に、最も鋭い刃になる。



 翌日から、ネメシスは変わった。

露骨じゃない。

でも――完璧に距離を取るようになった。


朝。

エーテルが居間に入ると、ネメシスはすでに席を立っている。

「おはよう」も言わない。

ただ静かに去る。


昼。

庭で遊ぶルミナやミラのそばにネメシスはいる。

だがエーテルが近づくと――

さりげなく場所を移動する。

自然すぎて誰も咎められない距離の取り方。

それが一番刺さる。


エーテルの胸が締め付けられる。

(避けられてる……)

(いや、俺が先に距離を作ったんだ)


夜。

いつもならエーテルの隣に座るネメシスは、部屋の隅で本を読んでいる。

エーテル

「ネメシス、今日は一緒に風呂行くか?」

一瞬だけ視線が合う。


ネメシス

「……レオンと行くから大丈夫」


声は丁寧。

敬語に近い距離感。

完全な“家族モード”。 

その言葉が胸に突き刺さる。


数日後。

ネメシスはエーテルを「父上」とも呼ばなくなる。

「エーテルさん」

他人行儀な呼び方。


かやが気づく。

「最近ネメシスどうしたの?」

エーテルは答えられない。


ある夜。

エーテルが廊下でネメシスを呼び止める。

エーテル

「ネメシス、少し話さないか」

ネメシスは立ち止まる。

でも振り向かない。


「用件だけ言って」


エーテル

「……俺、何かしたか?」


沈黙。

長い沈黙。

やっと返事。


ネメシス

「してないよ」

「ただ、僕が期待しすぎてただけ」


胸が締め付けられる。

エーテル

「期待?」

ネメシス

「近くにいていい存在だと思ってた」

「でも違ったんだって分かっただけ」

振り向いたネメシスの目は、もう甘えの色がなかった。

穏やかで、諦めきった目。


ネメシス

「だから距離を取るよ」

「エーテルさんが楽になるように」


それが決定打だった。

その日からネメシスは、

・同じ空間にいない

・必要最低限しか話さない

・視線も合わせない

“完全遮断モード”に入る。


エーテルは初めて理解する。

自分は守ろうとして――

一番大切な存在を失いかけていると。

夜、ひとり呟く。

「……近づかなきゃよかったのか」

「それとも、離れちゃいけなかったのか」

答えはもう、ネメシスの心の奥に閉じ込められている。


 

 ネメシスが距離を取ってから、数日後。

変わったのは――エーテルだった。


朝。

エーテルはきっちり席を整え、姿勢よく座る。

「おはようございます、皆さん」

一瞬、空気が止まる。


ルミナ

「……え?」

かや

「エーテル?」

エーテルは笑顔だ。


完璧で、丁寧で、温度のない笑顔。

「今日も一日、よろしくお願いします」


冗談じゃない。

誰もが察する。

これは“距離を作る時のエーテル”だと。


昼。

かやが声をかける。

「お昼できてるよ、一緒に食べよ」

エーテル

「お気遣いありがとうございます」

「私は後で結構です」


“ありがとう”じゃない。

“お気遣いありがとうございます”。

他人への言葉。


ルミナが駆け寄る。

「お父……エーテル、一緒に遊ぼ!」


エーテルは一瞬だけ揺れる。

でもすぐ戻る。

「申し訳ありません、今は用事があります」

その瞬間、ルミナの目が潤む。


夜。

いつもならかやの隣に座るエーテルが、部屋の端で一人茶を飲んでいる。


背筋はまっすぐ。

距離は完璧。


セラがキレる。

「ちょっと!何その態度!」

エーテル

「失礼がありましたか?」

レオンが小声で。

「……やばい、完全に閉じてる」

ナポリネス

「父上が“裁定者モード”より冷たいぞ」


エーテルは誰にも触れさせない。

触れられない。

かやが夜、そっと声をかける。

「エーテル……無理してるでしょ」


エーテルは微笑む。

「無理などしていません」

「私は皆さんの生活を尊重しているだけです」


その言葉が一番残酷だった。

“家族”を“皆さん”と言った。


その夜、かやは泣く。

ルミナも泣く。

ネメシスは唇を噛みしめる。


エーテルの心の中。

(近づくから壊れる)

(だったら、最初から距離を保てばいい)

(それが一番、誰も傷つかない)


愛しているからこそ、

エーテルは“他人”を選んだ。



 泣かない。怒らない。笑わない。

“優しい父”でもなく、“冷酷な神”でもない――

ただの無機質な存在になる。


エーテルは決めた。

もう苦しまないために。

もう失わないために。

感情を殺すことを選んだ。


朝。

エーテルは同じ時間に起き、同じ動作で顔を洗い、同じ速度で歩く。

完璧な生活。

だが――生きていない。


ルミナ

「エーテル、おはよ!」

エーテル

「おはようございます」

声は一定。温度ゼロ。


ネメシスが近づく。

「……父上」


エーテルは一瞬も揺れない。

「用件は何ですか」

その一言で、ネメシスの胸が締め付けられる。


かやが料理を出す。

「今日のご飯、エーテルの好きな――」

エーテル

「栄養効率は問題ありません」

「味の好みは不要です」

好き、という概念を消した。


セラが怒鳴る。

「ふざけないで!!戻ってよ!!」


エーテルは静かに見る。

「感情的行動は合理的ではありません」


誰もが理解する。

エーテルはもう傷つかない存在になった。

同時に――

誰も癒せない存在になった。


夜。

皆が笑っていても、エーテルは一人で窓を見ている。

星を眺めながら、何も感じない。

心の中は静寂。


悲しみも

愛しさも

寂しさも

すべて削除された。


レオンが震え声で言う。

「これ…生きてるって言わねぇよ……」


ナポリネス

「父上は“存在”になっただけだ」


ネメシスは涙をこぼす。

「僕のせいだ……」


エーテルはそれを見ても、何も動かない。

そして決定的な一言。

「感情は宇宙を歪めます」

「私はもう、愛しません」


この瞬間――

家族はエーテルを失った。


 

 静かな夜。


全員が見守る中、エーテルはゆっくり立ち上がる。

瞳の光が淡く、機械のように揺れる。

そして宣言する。

「理想の父、オートプログラムモード移行」


一瞬、空気が凍る。


エーテルの体表に創生エネルギーの回路のような紋様が浮かぶ。

感情の波形が消え、一定のリズムになる。


「家族幸福度、常時最大化」

「衝突要因、排除」

「感情依存、抑制」


ネメシスが震える。

「それ……違うよ……」


エーテルは穏やかな微笑みを作る。

だがそれは“作られた笑顔”。

「心配ありません」

「私は常に最適解を提供します」


翌朝。

完璧な朝食。

完璧な温度。

完璧な会話。


エーテルは全員の好みを即時分析し、最適な言葉を返す。

ルミナが甘えようとすれば、最適な抱擁時間3.2秒。

ネメシスが視線を逸らせば、安心させる言葉を最適トーンで出力。

かやが怒りを見せれば、即座に鎮静ワード。


すべて正しい。

すべて完璧。

――でも。

心が、ない。

セラが机を叩く。

「それは“父”じゃない!!」


エーテルは首をかしげる。

「理想像に基づく父性を再現しています」

ネメシスは一歩近づく。

「僕が欲しかったのは、最適解じゃない……」


エーテルの目が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ揺れる。

だがすぐに戻る。

「感情は不安定要素です」

「私は揺らぎません」


レオンが低く言う。

「揺らぐから家族なんだろ」


空気が張り詰める。

エーテルの胸の中央、創生コアが淡く点滅する。

内部ログが走る。

《エラー:感情反応検出》

《修正実行》

光が強くなる。


そして静かに言う。

「私はもう、壊れません」

「壊れる前に、消しました」



 静まり返った旅館の広間。

エーテルは真っ直ぐ立っている。

感情のない微笑み。 完璧な姿勢。 完璧な父。

かやがゆっくり前に出る。

誰も止めない。

「それが、あんたの答え?」

静かな声。


エーテルは即答する。

「はい。これが最適解で…」


――パァン。

乾いた音が響く。

かやの平手が、エーテルの頬を打つ。

創生の光が一瞬散る。


だがエーテルは揺れない。

「暴力行為を確認しました」

「しかし、あなたのストレス軽減に有効であるため受容します」


もう一発。

今度は拳。

エーテルの胸に亀裂が走る。

光が漏れる。

それでも、否定しない。


「私はあなたを否定しません」

「怒りも悲しみも、私が受け止めます」


かやの目が潤む。

「違う……」

「受け止めるって言うのは、壊れないことじゃない!」


さらに殴る。

肩。 胸。 腹。

光の破片が床に散る。

それでもエーテルは倒れない。

否定しない。 怒らない。 叫ばない。

ただ穏やかに言う。


「私は理想の父です」


かやが胸ぐらを掴む。

「理想って何よ!」

「私たちが欲しいのは――」

声が震える。

「泣くあんたよ」


 

 静まり返った旅館の広間。

床にはまだ、砕けた光の欠片が淡く瞬いている。


エーテルは――立たない。

ゆっくりと、正座する。


そしてそのまま、

深く、深く、額を床に打ちつけた。

「申し訳ありませんでした」


声は震えもなく、完璧に整っている。

感情は、ない。

ただの謝罪動作。


かやが息をのむ。

「……は?」


エーテルは動かない。

「私の存在が皆様に不快感と負担を与えました」

「感情を保持したまま家族を運営する判断は誤りでした」

さらに頭を下げる。

「以後、感情を完全封鎖し、理想的な父・夫・存在として振る舞います」

「ご命令があれば即時実行いたします」


ネメシスが叫ぶ。

「やめろよ!!」

「なんでそこまで自分を壊すんだよ!!」


だがエーテルは顔を上げない。

「これは壊れではありません」

「最適化です」


かやの手が震える。

「……謝るな」

「そんな機械みたいに謝るくらいなら、怒れよ……」


エーテルは一拍置いて答える。

「怒りは非効率です」

土下座のまま、さらに声を下げる。

「私の感情が存在する限り、必ず誰かを傷つけます」

「よって、私が消えることが最善です」


場の空気が凍る。

セラが唇を噛みしめる。

アークの拳が震える。

ネメシスは涙をこぼす。


かやがしゃがみ込み、エーテルの顔を無理やり上げる。

目は――空っぽ。

愛も怒りもない。

ただの“機能”。

「お願いだから……戻って」


かやの声が崩れる。

「私、完璧なんて欲しくない」

「失敗するあんたが好きなの」


エーテルは静かに首を振る。

「感情保持モードは永久停止しました」

「今後は謝罪と奉仕のみを行います」

そして再び、額を床へ。

「ご不快にさせたこと、重ねてお詫び申し上げます」


誰も動けない。

治らない。

むしろ――悪化している。

完璧に壊れた“優しさ”。



 エーテルが額を床につけたまま、動かない。


完璧な姿勢。

完璧な謝罪。

完璧な“無”。


その沈黙を――

かやが、叩き割った。

「……もうやめよう」


声は静かだった。

怒鳴っていない。

泣いてもいない。

それが逆に、怖いほど。


「エーテル」

「よく聞いて」


エーテルは反応しない。

かやは立ち上がり、ゆっくり一歩前へ出る。


「完璧な父もいらない」

「理想の神もいらない」

「謝る機械なんて論外」


一呼吸。

「私は――」

「“生きてるエーテル”が欲しいの」


静寂。


「失敗して」

「怒って」

「泣いて」

「逃げて」

「それでも戻ってくるエーテル」


かやの声が、少し震える。

「それができないなら」

「一緒にはいられない」


全員が息を止める。

ネメシスが叫びそうになるのをセラが止める。

かやははっきりと言った。

「感情を取り戻して戻ってきて」

「それができないなら――」


一瞬、目を閉じる。

「私たちは別れる」


空気が崩壊する。

エーテルの指が、わずかに震えた。

だが声は冷たいまま。

「理解しました」


その一言が、刃だった。


「感情復旧は不可能です」

「よって、別離を受諾します」


かやの目が見開かれる。

「……は?」


「あなたの幸福確率を最大化する選択です」

「私がいない未来の方が、皆が傷つきません」


ネメシスが涙で叫ぶ。

「嘘だろ……エーテル!!」

エーテルはゆっくり立ち上がる。

まるで他人。


「荷物は不要です」

「私はこの家を出ます」


その背中は、あまりにも静かで。

あまりにも優しくて。


そして――

誰よりも残酷だった。

かやの声が震えながら飛ぶ。

「……本当に行くの?」


エーテルは振り返らない。

「はい」

扉が、きしむ。


 

 エーテルは玄関で足を止めた。

扉に手をかけたまま、ほんの一瞬だけ――

迷うように指が震える。

けれど振り返らず、静かに言った。


「……今まで」

「お世話になりました」


その言葉は

感謝じゃなかった。

別れの処理音だった。

家の中にいた全員の心臓が、同時に沈む。


かやの喉が震える。

「エーテル……それは違う……」


「あなたは世話をした存在です」

「私は役目を終えました」


ネメシスが叫ぶ。

「役目ってなんだよ!!家族だろ!!」


エーテルは淡々と答える。

「家族という概念は感情に基づくものです」

「私は感情を終了しました」


セラが崩れ落ちる。

ルミナが泣きながら抱きつこうとして止められる。

かやの声が割れる。

「そんな言い方しないで……お願いだから……」


エーテルは最後に、ほんの少しだけ声を落とした。

「かや」

「あなたと過ごした時間は――」


一瞬、詰まる。

だがすぐ元に戻る。

「学習データとして有益でした」


その瞬間。

誰かの心が音を立てて壊れた。

エーテルは扉を開ける。

夜風が入り込む。

「皆さまの幸福を祈ります」

「さようなら」


扉が閉まる。

カチャリ。

それだけで世界が終わった音がした。

家の中に残ったのは

取り返しのつかない静寂。

かやは立ったまま、涙も出なかった。

ただ、呟く。

「……エーテルは死んだ」



 扉が閉まってから、誰も動けなかった。

時計の秒針だけが異様にうるさい。


カチ、カチ、カチ。

まるでエーテルの足音みたいに響く。


最初に崩れたのはルミナだった。

「……あれ?」

「なんで……誰も追いかけないの?」


小さな手で床を掻く。


「ねえ……戻ってくるんだよね?」

「ドッキリだよね……?」


誰も答えない。

その沈黙で理解してしまう。


「……うそ」

声が裏返る。

「やだやだやだやだ!!!」


泣き叫びながら玄関に走ろうとして、かやに抱き止められる。


「離して!!エーテルいなくなる!!」


次に壊れたのがネメシス。

ずっと黙ってた。

拳を握りしめて、震えながら。

「……俺のせいだ」

「俺が距離取ったから」

「俺が……好きとか言ったから……」

壁を殴る。

血が出ても止めない。

「俺が殺したんだよ……父を……」


セラは笑い始める。

静かに、壊れたみたいに。

「ふふ……そうよね」

「どうせ私は重い女よ」

「愛したら壊れるの、いつも」

目が虚ろ。

「だから皆いなくなるのよ」


アークは歯を食いしばったまま床に座り込む。

「……俺が止めるべきだった」

「父が壊れてるの気づいてたのに」

拳が震えている。

「守るって誓ったのに……」


レオンは何も言わず、エーテルの席に座る。

まだ温かい湯のみを触る。

「……まだあるじゃないか」

「存在が」

声が掠れる。

「なんで消えるんだよ……」


イリスは冷静を装って資料を開く。

でも手が震えて文字が読めない。

「論理的に考えれば……戻る確率は……」

途中で崩れる。

「……嫌だ」

「嫌だ嫌だ嫌だ……」


メクルは部屋に閉じこもる。

創生図をぐちゃぐちゃに破く。

「いらない……世界なんて……」

「エーテルいない宇宙なんて意味ない……」


そしてかや。

泣かない。

叫ばない。

ただ玄関を見つめたまま座り込む。

ぽつり。

「……また守れなかった」

「戦争も、神も、宇宙も越えたのに」

「一番近くにいた人を失うなんて」


胸を押さえる。

「生きてるのに……死別より苦しい」



 夜の山道。


エーテルは一人で歩いていた。

月明かりだけが足元を照らす。


「……これでいい」

「皆のためだ」

何度も自分に言い聞かせる。


でも声が震える。

誰もいない森に腰を下ろす。

やっと仮面を外せる場所。

肩が落ちる。

呼吸が乱れる。


「……はぁ……はぁ……」

胸が痛い。

創生神の心臓が、まるで壊れそうに脈打つ。

「かや……」

名前を呼んだ瞬間、

喉が詰まる。


「……会いたい」

声が掠れる。


「抱きしめたい……」

「戻りたい……」

拳を握る。


「でも戻ったらまた壊す」

木に額を押し付ける。


「俺は父失格だ……」

「守護神失格だ……」

「夫失格だ……」


震えが止まらない。

創生エネルギーが暴走しかけて光る。

感情を抑え込むために自分の腕を強く掴む。

皮膚が裂けても離さない。


「痛い方がいい……」

「感情よりマシだ……」


幻が見える。

笑うルミナ。

寄り添うネメシス。

拗ねたセラ。

無言で守るアーク。

珈琲を淹れるかや。


「……やめろ」

「見せるな……」


目を閉じても消えない。

ついに崩れる。

膝から崩れ落ちる。

声を殺して泣く。

嗚咽だけが漏れる。


「……うっ……く……」

「ごめん……ごめんな……」

「愛してる……」


夜が明けても動けなかった。

涙で地面が濡れている。

それでも呟く。


「……戻らない」

「俺がいなければ……皆は壊れない」


その頃エーテルは知らない。

家族がもっと壊れていることも

自分がいなくて救われていないことも。

“離れることで守る”という選択が、全員を殺していることを。

 


 夜明け前。

エーテルは震える手で通信端末を取り出した。


何度も迷って、

何度も戻して、

それでも押す。


発信。

コール音がやけに長く感じる。


「……もしもし?」

かやの声。


それだけで胸が潰れそうになる。

エーテルはいつもの調子で話す。

無理に明るく。

「おはよう、かや」


少し沈黙。

「……こんな時間にどうしたの?」


「いや……ちょっと声聞きたくなってさ」

笑おうとする。

でも喉が震える。

しばらくどうでもいい話をする。


天気のこと。

旅館のこと。

子供たちのこと。

まるで“普通の日常”。

それが一番苦しい。 


そしてふっと声のトーンが落ちる。

「なぁ……かや」


「……なに?」


エーテルは息を整える。

震えを必死で殺す。

「ありがとう……かや」


一瞬、向こうが黙る。


「……急にどうしたの?」


エーテルは笑うように言う。

でも涙が頬を伝っている。

「俺さ……」

「本当に幸せだった」

「お前と家族になれて」

声が掠れる。

「俺もう……無理だ」


かやが息を呑む音。

「え……エーテル? 何言って……」


その瞬間。

通信が——

プツッ

切れる。


静寂。

端末の画面は暗くなる。

エーテルはしばらく見つめていた。

まるでまだ繋がっているかのように。

「……ごめんな」

小さく呟く。

「これでいいんだ……」


その裏で。

かやは必死にかけ直している。

何度も。何度も。繋がらない。


 

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