第二十一部 父であるという罪
居間でくつろいでいたある時。
凛がエーテルを見上げる。
「ねえエーテル」
「創生メンバーってさ……家族構成どうなってるの?」
一瞬の沈黙。
ナポリネスが嫌な顔。
イリスは目をそらす。
レオンは静かに飲み物をすする。
エーテルは淡々と答える。
「父は私だ」
「エーテル」
凛「うん」
「そして――子どもは九人」
凛「多っ!」
エーテルは指を折りながら言う。
「長女、セラ」
「長男、アーク」
「次男、レオン」
レオン「科学担当です」
「次女、イリス」
イリス「技術担当」
「三男、ナポリネス」
ナポリネス「言うな」
「三女、グアラ」
一同「まだいる!?」
「四男、ネメシス」
空気が一瞬冷える。
「四女、メクル」
メクル「引きこもり担当です」
「五女、ルミナ」
ルミナ「末っ子でーす!」
凛、数え直す。
「……ほんとに九人だ」
華陽「父上、宇宙より家族増殖してません?」
エーテル「結果的にな」
かやが優しく聞く。
「エーテル、大変だったでしょ?」
少し間を置いて。
「宇宙が何度か崩壊した」
全員「子育て原因か!!」
ルミナが即エーテルに抱きつく。
「パパー!」
エーテル「よしよし」
ナポリネス「贔屓だ」
メクル「露骨」
イリス「不公平」
レオン「統計的に末っ子優遇です」
凛は苦笑しながら言う。
「神々なのに……完全に大家族」
エーテルは静かに微笑む。
「創生の前に、私は父だった」
その言葉に場が少しあたたかくなる。
かや「素敵だよ」
ルミナ「エーテルファミリーさいきょー!」
エーテルは窓の外の星々を眺めながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば――創生期の話をしていなかったな」
その瞬間。
ナポリネス「やめろ」
イリス「今じゃなくていい」
レオン「記録消去推奨」
メクル「封印案件です」
かや「え、聞きたい」
ルミナ「聞きたい!」
エーテルは止める声を無視して淡々と続ける。
「最初に生まれたのはセラだった」
「非常に優しく、責任感が強く――」
ナポリネス「ここまではいい」
「だが幼少期、星を作る練習で三つほど銀河を燃やした」
全員「やばい」
エーテル「本人は『少し明るくしただけ』と言っていた」
ルミナ「スケールでか」
イリス「言わないでって言ったのに」
「次にアーク」
「正義感が強く、弱き者を守ろうとした」
「ただし方向音痴で宇宙の端まで迷子になり、救出に百年かかった」
ナポリネス「伝説を蒸し返すな!」
レオン「救出コスト銀河三つ分でした」
アークいないのに評価下がる。
「レオンは好奇心旺盛で」
「私の創生炉を分解し、戻せなくなった」
レオン「事故です」
エーテル「宇宙が一度停止した」
一同「原因お前か!!」
「イリスは改造癖が強く」
「兄妹を勝手に強化しすぎて元に戻せなくなったことがある」
イリス「進化です」
ナポリネス「三百年ツノ生えてたんだぞ!」
「ナポリネスは幼少期、感情制御が苦手で」
「星を投げて遊んでいた」
ナポリネス「石ころ感覚だったんだよ!」
エーテル「恒星だったがな」
全員「恒星!?」
「メクルは引きこもりの原型で」
「創生の会議を三千年欠席した」
メクル「出なくても宇宙回ってたし…」
「グアラは好戦的で」
「生まれて一週間で宇宙怪獣をペットにした」
凛「強すぎ」
「ネメシスは――」
空気が一瞬重くなる。
エーテル「最初は誰より優しかった」
「だが“正しすぎる世界”を望んだ」
「それが歪みになった」
誰も茶化さない。
ルミナがそっと聞く。
「じゃあ…わたしは?」
エーテルは少しだけ笑う。
「ルミナは――」
「初めて“守るために生んだ存在”だ」
「失敗を繰り返した父が、ようやく愛し方を学んだ末の子だ」
場が静かになる。
ナポリネス「……それ言うな」
イリス「ずるい」
レオン「情緒攻撃です」
ルミナはぎゅっとエーテルに抱きつく。
「パパだいすき」
エーテル「私もだ」
凛が小声で。
「……創生神一家、波乱万丈すぎる」
華陽「宇宙崩壊より家庭崩壊の方が多くない?」
エーテル「否定できん」
ラウンジの灯りは落とされていて、宇宙の光だけが窓から差し込んでいた。
華陽がぽつりと聞く。
「……父上。
ネメシスは、どうしてああなったんですか」
その瞬間、空気が止まる。
イリスは視線を逸らし、
レオンは無言で手を組み、
メクルは耳を塞ぎ、
ナポリネスは唇を噛む。
エーテルもすぐには答えなかった。
「……話したがらない過去だ」
「宇宙を壊した原因なのに?」と華陽。
沈黙。
長く、重い沈黙。
するとナポリネスが静かに言った。
「添い寝だ」
全員「……は?」
ナポリネス「全部の始まりは、それ」
エーテルが目を閉じる。
「幼い頃の話だ」
「お前たちはまだ星を作るより、私の隣で眠る方が好きだった」
ルミナ「かわいい」
レオン「それは否定しません」
「ある夜、私の部屋に全員集まった」
「セラ、アーク、レオン、イリス、ナポリネス、メクル、グアラ……」
「そしてネメシスも、いた」
ナポリネスが続ける。
「いつも通り、父上の左右を取り合いになった」
「セラが腕を掴み」
「イリスが反対側にくっつき」
「俺が足元を確保して」
「レオンが枕を持ち込み」
「メクルが毛布を奪い」
「グアラが上に乗った」
レオン「カオスでした」
エーテル「……そして最後に残ったのがネメシスだった」
ネメシスは一番後ろで、遠慮がちに立っていた。
「父上……ぼくも、いい?」
その声はとても小さかった。
だが――
「ごめんなネメシス、今日はもういっぱいだ」
「また明日な」
エーテルはそう言った。
悪気はなかった。
ただ、本当にスペースがなかった。
ネメシスは笑って頷いた。
「うん、大丈夫」
「みんなで寝て」
そう言って部屋を出ていった。
ナポリネスの声が震える。
「それが……最初だ」
「ネメシスが“我慢した最初の夜”」
イリス「それから毎晩だった」
レオン「いつも後回し」
メクル「優しいから怒らなかった」
エーテル「私は気づかなかった」
「“優しい”を“平気”だと思っていた」
華陽が息を呑む。
「……それだけで?」
エーテルは静かに答える。
「それだけが、始まりだった」
「だが積み重なった」
「百年、千年、万年とな」
ナポリネス「愛されてないと思い始めたんだ」
イリス「必要とされてないって」
レオン「自分だけ余分だって」
エーテル「そしてネメシスは考えた」
「“なら、自分が必要な世界を作ればいい”と」
ルミナが小さく言う。
「……さびしかったんだね」
エーテル「そうだ」
「宇宙を壊した悪ではなく」
「抱きしめられなかった子どもだった」
しばらく誰も喋れない。
華陽が拳を握る。
「……そんなことで世界が」
ナポリネス「そんなこと、じゃない」
「子どもにとっては世界そのものだ」
エーテルは静かに締める。
「私が最初に壊したのは宇宙ではない」
「ネメシスの心だった」
あの夜から、少しずつだった。
ほんの少しずつ。
エーテルはネメシスに声をかける回数が減った。
忙しさを理由に。
他の子たちに呼ばれて。
「あとでな」と言い続けて。
ネメシスもまた、呼ばなくなっていった。
遠くから見ることは増えた。
星を作る訓練場の端で。
兄妹たちと笑う輪の外で。
ネメシスはいつも一歩下がっていた。
エーテルはそれを見て、胸が痛んだ。
(あとで話そう)
(今日は疲れている)
(明日でいい)
その“明日”が積み重なった。
やがてネメシスは変わった。
静かで優しいまま、だが目に光がなくなった。
質問もしない。
甘えもしない。
ただ命令を聞くだけ。
それを見て、エーテルは初めて恐れた。
「ネメシス……大丈夫か?」
久しぶりにかけた言葉。
ネメシスは一瞬驚いた顔をして、すぐに微笑った。
「大丈夫だよ、父上」
「ぼくはもう平気だから」
その“平気”が、一番危険だった。
やがて争いが始まった。
最初は思想だった。
「星は争うから壊れる」
「なら争えない宇宙を作るべきだ」
ネメシスの考えに賛同する者が現れ、
反対する者が現れ、
それが軍になった。
兄妹同士が武器を取った。
レオンが止めに入り、
イリスが泣き、
ナポリネスが怒鳴り、
セラが必死に説得した。
だがネメシスは静かに言った。
「もう遅いよ」
「父上が選ばなかった世界を、ぼくが作るだけ」
戦争は銀河を焼いた。
星が砕け、文明が消えた。
そして――
ついに兄妹が刃を向け合う戦場で。
エーテルはネメシスの前に立った。
「やめろ」
「私のせいだ」
「罰なら私が受ける」
ネメシスは首をかしげた。
「今さらだよ、父上」
「もう父上は選ばなかった」
その瞬間。
創生の力が凝縮された刃が、エーテルの胸を貫いた。
迷いはなかった。
憎しみもなかった。
ただ“決断”だった。
「これで終わる」
「これで新しい宇宙が始まる」
ネメシスの声は静かだった。
エーテルの身体が崩れ、光となり散っていく。
兄妹たちが叫ぶ。
だが届かない。
転生の輪に落ちながら、エーテルが最後に思ったのは戦争ではなかった。
星でもなかった。
宇宙でもなかった。
(あの夜、抱きしめていれば)
それだけだった。
エーテルはしばらく黙っていた。
宇宙船の窓の外で星雲がゆっくり流れていく。
誰も急かさなかった。
やがて、ぽつりと語り出す。
「アークがネメシスに向かって最後の一撃を放った時な……」
「怒りなんかじゃなかった」
「復讐でもなかった」
「兄として、終わらせに行ったんだ」
エーテルの声が少しだけ震える。
「ネメシスはあの時もう戻れなかった」
「だが、苦しんでいた」
「それを一番分かっていたのがアークだった」
皆、息を呑む。
「アークは笑っていた」
「泣きそうな顔でな」
『ごめんな』
『兄ちゃんが止めてやれなくて』
『一緒に遊んでやれなくて』
『父上を独り占めさせてやれなくて』
「そう言ってから……撃った」
エーテルは拳を握りしめる。
「私はその光景を見て……心が砕けそうになった」
「戦争で星が壊れるより」
「宇宙が崩れるより」
「兄弟が兄弟を殺さなければならない世界を作った自分が」
「一番許せなかった」
沈黙が落ちる。
ルミナがそっとエーテルの服を掴ぐ。
エーテルは頭を撫でた。
「アークは最後まで兄だった」
「敵じゃなかった」
「守るために殺したんだ」
「そしてネメシスも……」
「最後まで私の子だった」
声が詰まる。
「だから私はネメシスを憎めない」
「憎む資格がない」
「壊したのは私だ」
星の光がエーテルの瞳に揺れる。
「もしあの時、抱きしめていれば」
「もし話を聞いていれば」
「もし“後で”を言わなければ」
「宇宙は救われていたかもしれない」
「……法王が私を封印したのは」
「間違いじゃなかったのかもしれんな」
誰も口を挟まない。
その言葉は、自己弁護でも皮肉でもなかった。
「創生の力は便利すぎる」
「正しさを選んでいるつもりでも、結果だけ見れば“裁き”になる」
「救う星も、救わない星も……全部、私の価値観で決めていた」
エーテルは静かに目を伏せる。
「法王は私を“神”として見ていた」
「だから恐れた」
「だから封じた」
「……それは、民の側に立てば正しい判断だ」
少しだけ、苦く笑う。
「私は父で、守護者で、創生者だったが」
「同時に、危険物でもあった」
「アークの時も、ネメシスの時も」
「私は“力があるから何とかなる”と思っていた」
「だが、力は何も癒してくれなかった」
ルミナが小さく首を傾げる。
エーテルはその視線に気づき、柔らかく微笑んだ。
「だからな」
「封印された時、怒りより先に……安堵した」
「やっと止められた、とな」
少しの沈黙。
「もしあのまま自由に動いていたら」
「私はもっと多くを救い、もっと多くを壊していた」
「法王は、私を罰したんじゃない」
「世界を守ったんだ」
最後に、ぽつりと。
「……それでも」
「今こうして、また歩き出している以上」
「今度は“正しさ”じゃなく」
「向き合うことを選ぶ」
エーテルはそう言って、窓の外の星々を見つめた。
エーテルは、拳を強く握りしめた。
創生の光が、指の隙間から漏れそうになるのを必死で抑えながら。
「……結局な」
「この戦争は、ネメシスが始めたんじゃない」
ゆっくりと顔を上げる。
その瞳には神の威厳ではなく、ただの“父”の後悔が宿っていた。
「私が始めた」
「何が創世神だ……」
「何が創生エネルギーだ……」
声が震える。
「宇宙を創れても」
「星を救えても」
「――たった一人の子供を、救えなかった」
ルミナの小さな指が、エーテルの袖を掴む。
その温もりが、逆に胸を締めつける。
「ネメシスは最初から怪物じゃなかった」
「ただ、寂しかっただけだ」
「話を聞けばよかった」
「抱きしめればよかった」
「“お前は必要だ”と、言えばよかった」
「それをしなかった私が」
「宇宙を壊した」
エーテルは自嘲するように笑う。
「力で守ろうとした結果」
「心を見失った」
「神としては優秀だったかもしれん」
「だが――父としては、最低だ」
沈黙が重く落ちる。
「ネメシス軍は復讐じゃない」
「私に向けられた“叫び”だ」
「救われなかった子供の、宇宙規模の悲鳴だ」
そして、静かに言い切る。
「だから私は逃げない」
「討伐もしない」
「向き合って終わらせる」
「父として」
「この戦争を」
母艦の中枢。
警報も予兆もなく、空間そのものが静かに歪んだ。
光でも闇でもない、ただ“懐かしい気配”。
次の瞬間——
そこに現れた。
青年の姿。
かつて創生期に、エーテルの隣に立っていた頃のままの姿。
鎧も仮面もない。
ネメシス軍の象徴だった歪んだ威圧もない。
ただ、昔のままのネメシスだった。
「……久しぶりだな、父上」
その声に、母艦内の空気が凍りつく。
創生メンバー全員が息を止めた。
エーテルだけが、ゆっくりと一歩前に出る。
「……生きていたのか」
「いや……“戻った”と言うべきか」
ネメシスは小さく笑う。
どこか、自嘲するような、寂しげな笑みだった。
「正確には“存在を取り戻した”だけだ」
「お前が言った通りだよ」
「俺は怪物じゃなかった」
「怪物にされただけだ」
彼は自分の胸に手を当てる。
「何度も壊されて、作り直されて」
「記憶も、感情も、目的も上書きされた」
「それでもな……」
視線が、まっすぐエーテルを射抜く。
「最後まで消えなかったものが一つある」
「お前に認めてほしかった、って気持ちだ」
母艦の外で砲火が交錯しているとは思えないほど、
その場は静まり返っていた。
「憎んだよ」
「殺したいほど恨んだ」
「でも同時に——」
ネメシスは、声を落とす。
「ずっと待ってた」
「父上が、俺を見てくれる瞬間を」
エーテルの創生エネルギーが、微かに揺らぐ。
初めて、制御ではない“動揺”が表に出た。
「……ネメシス」
「私は、お前を——」
言葉が続かない。
神としてなら、いくらでも語れる。
だが父としての言葉は、簡単に出てこなかった。
ネメシスは首を振る。
「もう言い訳はいらない」
「許しもいらない」
「ただ確認しに来た」
「今のお前は——
俺を、息子として見ることができるのか」
その問いは、
宇宙の命運よりも、
どんな最終兵器よりも、
エーテルにとって重かった。
母艦の奥で、ルミナが小さく息を呑む。
創生の戦争は、ここで形を変えた。
これはもう——戦争ではない。
父と子の、決着の場だった。
母艦の中枢空間。
エーテルとネメシスが向かい合ったまま、時が止まったように静まり返っていた。
創生エネルギーも、兵器の振動も、すべてが遠く感じる。
そこへ——
小さな足音。
と、と、と。
誰も止められなかった。
ルミナが、二人の間へ歩いていく。
「……やめて」
その一言は、小さいのに不思議とよく響いた。
ネメシスの視線が落ちる。
エーテルの呼吸が止まる。
「パパ」
ルミナはエーテルを見上げ、
「お兄ちゃん」
今度はネメシスを見る。
「ふたりとも、ずっと間違えてる」
その場の全員が息を呑む。
創生の娘が、創生神に“間違い”と言った瞬間だった。
※創生神=創世神
「パパは守ることばっかり考えて」
「お兄ちゃんは認められることばっかり考えて」
「でもね」
ルミナは胸の前でぎゅっと拳を握る。
「家族って、戦って証明するものじゃないよ」
ネメシスの瞳がわずかに揺れる。
「私は生まれてすぐパパに抱きしめられた」
「理由なんてなかった」
「強いからでも、役に立つからでもなかった」
「ただ――娘だったから」
そして、まっすぐネメシスを見る。
「お兄ちゃんも同じだったはずだよ」
「生まれたときから、もう家族だったんだよ」
ネメシスの唇が震える。
「……でも俺は壊れた」
「壊されたって言ってよ」
ルミナは即座に言った。
「壊れたなら直せる」
「壊されたなら、戻せる」
「でも、いなくなったって思ったら終わりになる」
静寂。
エーテルの目に、初めて涙が浮かんだ。
「ネメシス……」
震える声で、はっきり言う。
「私はお前を、息子だ」
「過去も、過ちも、憎しみも関係ない」
「今もこれからも——私の息子だ」
ネメシスの膝が崩れ落ちる。
「……ずるいだろ」
「そんなの……今さら……」
「今だから言えるんだ」
エーテルは一歩近づき、そっと頭に手を置く。
「遅れてしまって、すまなかった」
ネメシスの肩が大きく震え、嗚咽がこぼれる。
何万年分もの怒りと孤独が、そこでほどけていった。
ルミナは二人を抱きしめるように腕を広げる。
「はい、仲直り」
「これでエーテルファミリー、完全だよ」
その瞬間。
母艦の外で荒れ狂っていた戦闘エネルギーが、嘘のように静まっていった。
まるで宇宙そのものが、この和解を待っていたかのように。
ネメシスは顔を上げ、涙を拭いながら小さく笑う。
「……ずっと欲しかった言葉を、妹に取られるとはな」
ルミナは得意げに胸を張る。
「妹、最強でしょ」
エーテルは静かに笑った。
創生神としてではなく、父として。
ネメシスはゆっくり立ち上がった。
その背中から、かつて宇宙を覆った禍々しい気配は消えていた。
もう“憎しみの象徴”ではなく、
ただの——エーテルの息子だった。
「俺は……降りる」
静かな声だった。
「ネメシス軍からも、戦争からも」
一瞬、母艦がざわめく。
幹部たちのホログラムが次々と浮かび上がる。
「冗談だろ?」
「あなたがいなければ、我々は何のために戦う?」
「ネメシス様こそが象徴だ!」
ネメシスは首を横に振る。
「違う」
「お前たちは“俺”のために戦ってたんじゃない」
「憎しみの連鎖のために戦ってたんだ」
沈黙。
だが——次の瞬間。
幹部の一人が冷たく笑った。
「それでも止まりませんよ」
「ネメシスという存在は
あなた個人ではなく“思想”になった」
「創生を壊し、宇宙を均す」
「それが正義だと信じた者たちは、もう自律して動く」
別の幹部が続ける。
「あなたが抜けようが関係ない」
「軍は進む」
「星は壊れる」
母艦の外。
無数の戦艦が動き始めていた。
まるで意志を持つ獣の群れのように。
ネメシスの拳が震える。
「……俺が止めたかったのは、これだ」
エーテルは静かに前に出る。
「ならば、ここからが本当の戦いだ」
「一人の暴君を倒せば終わる戦争ではない」
「思想と連鎖を断ち切る戦争だ」
ルミナが強くうなずく。
「家族でやろう」
「今度は壊すためじゃなく、終わらせるために」
ネメシスはゆっくり息を吐き、
かや達を見る。
「俺も戦う」
「贖罪としてじゃない」
「家族として」
その瞬間、
創生軍とネメシス残党軍の大規模衝突が銀河全域で始まった。
だがこれはもう——
神と悪の戦争ではない。
憎しみを止めるための戦争だった。
そしてジンが低く告げる。
「……厄介ですよ」
「ネメシス抜きの軍は、むしろ制御が効かない」
「ここから先は、宇宙そのものを相手にする覚悟が要ります」
エーテルは星々を見つめ、静かに笑った。
「ようやく本番だな」
元ネメシス軍幹部は、一歩前に出た。
もはや忠誠の色はなく、
そこにあったのは“確信”だけだった。
「ネメシス軍は、もう終わった」
そう言って、ゆっくりと両手を広げる。
「だが——我々は止まらない」
「憎しみでも、復讐でもない」
「これは“選別”だ」
ネメシスが去ったあと。
母艦の中枢スクリーンに、新たな紋章が映し出される。
黒でも赤でもない、
冷たい銀色の星環。
それはもはや、怒りの象徴ではなかった。
――秩序の名を被った暴力だった。
「我々は、ネメシス軍ではない」
中央に立つ元幹部が宣言する。
「感情に振り回される“神の失敗作”の軍ではない」
「我々は星界を管理する存在」
「よって本日をもって名を改める」
星界統治軍〈スター・ドミニオン〉
その言葉と同時に、
銀河地図の各所に光点が灯る。
それはすでに制圧済みの星々だった。
「星は争うから滅びる」
「自由意志は、必ず歪む」
「ならば答えは一つだ」
「支配ではない、統治だ」
かつてネメシスが語った“歪んだ正義”を、
彼らはさらに冷たく、さらに理性的に研ぎ澄ましていた。
ジンが歯を食いしばる。
「……最悪の形だ」
「ネメシスはまだ“迷い”があった」
「だがスター・ドミニオンには、それがない」
スクリーンが切り替わる。
銀色の艦隊。
神でも人でもない存在たち。
感情を排した兵士、
命令だけで動く管理者、
星の文化を“効率”で切り捨てる裁定機構。
「彼らは言うだろうな」
と、エーテルは低く呟く。
「守るために滅ぼす」
ルミナが拳を握る。
「それ……ネメシスより、ずっと怖い」
ネメシス本人は、画面を見つめたまま言った。
「……ああ」
「俺の失敗を、完成形にしやがった」
スター・ドミニオンの声明が続く。
「創生存在エーテル」
「お前は危険因子だ」
「感情を持ち、家族を持ち、星に肩入れする」
「統治に不要な“揺らぎ”だ」
「よって――」
「星界統治軍は、創生勢力を排除対象第一位に指定する」
通信が切れる。
母艦に静寂が落ちる。
エーテルは目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「……なるほどな」
「これはもう“家族の問題”じゃない」
「宇宙の在り方そのものを、どっちが選ぶかだ」
かやが隣に立つ。
「エーテル」
「それでも、私たちは進むんでしょ?」
エーテルは微笑った。
優しく、でも決意を宿した目で。
「ああ」
「星が“管理”される檻になるなら」
「俺は、星が“生きる場所”だと証明する」
スター・ドミニオンの声明が銀河全域へ流れたその日から、
宇宙は静かに“色”を変え始めた。
救われたはずの星。
再生を拒んだ星。
神を憎んでいた星。
そこへスター・ドミニオンが差し出したのは――
自由ではなく安定
希望ではなく保証
未来ではなく管理
「エーテルは感情で星を選ぶ存在だ」
「我々は平等に統治する」
「争いの芽は、最初から刈り取る」
その言葉に揺れた星々が、次々と旗を翻す。
銀色の紋章。
スター・ドミニオンの環星章。
かつてエーテルに救われながらも、
「神に頼る世界は怖い」
「また見捨てられるかもしれない」
「選ばれなかった星はどうなる?」
そう思っていた星々が、
反エーテル派連合として参加していく。
ジンが震える声で報告する。
「エーテル……」
「すでに参加表明した星は……三百を超えてる」
「その中には、俺たちが欠片を返した星もある」
ルミナが唇を噛む。
「助けたのに……どうして……」
エーテルは怒らなかった。
ただ、静かに言った。
「怖かったんだ」
「自由よりも、誰かに決めてもらう方が」
「それは弱さじゃない」
「生き延びるための選択だ」
だがその瞬間、銀河地図が更新される。
戦争カウントダウン:5日
スター・ドミニオン本隊
反エーテル派星系艦隊
管理兵器群
星殲滅級要塞
――すべてが集結を開始。
ナポリネスが低く言う。
「これは戦争じゃない」
「宇宙の主導権争いだ」
イリスも顔を曇らせる。
「勝った側が“正義の歴史”を書く」
かやがエーテルの手を握る。
「エーテル……星と戦うことになるの?」
エーテルはゆっくり頷く。
「ああ」
「だが滅ぼしはしない」
「説得も、救済も、それでも無理なら――」
「それでも守る」
その背後で、ルミナが前に出る。
小さな拳を握りしめて。
「私も戦う」
「管理される宇宙なんて嫌」
「生きるって、間違えることも含めて生きることだもん」
銀河の彼方で、スター・ドミニオンの総司令が宣告する。
「5日後、銀河再編戦争を開始する」
「創生存在エーテルを排除し、宇宙を統治下に置く」
宇宙は今――
自由か管理か
感情か秩序か
生きる未来か、固定された平和か
その選択を迫られていた。
戦争まで、残り五日。
母艦の窓の外では、星々が静かに陣形を組み始めていた。
その光景を背に、エーテルはミラとルークの前に膝をつく。
「二人は――ここまでだ」
「次に向かう星で降ろす」
ミラの目が見開かれる。
「え……?」
「君たちは戦士じゃない」
「旅の象徴であって、戦場の住人じゃない」
ルークが思わず叫ぶ。
「なんでだよ!」
「ここまで一緒だったのに!」
エーテルは静かに、だが揺るがず言う。
「これから起きるのは“戦い”じゃない」
「星が消える戦争だ」
「子どもが見ていいものじゃない」
沈黙。
母艦のエンジン音だけが低く響く。
ミラが一歩踏み出す。
「私たち……足手まとい?」
「守られるだけの存在?」
エーテルは首を振る。
「違う」
「大切すぎる存在だ」
「だから離す」
その瞬間、今まで黙っていたジンが前に出た。
珍しく声が震えている。
「……それ、エーテルの優しさだけど」
「俺は反対だ」
一斉に視線が集まる。
「ネメシスの時もそうだった」
「守ろうとして一人で背負った結果、宇宙が壊れた」
「今度も同じことするつもりか?」
エーテルの指がわずかに強く握られる。
ジンは続ける。
「ミラとルークは“欠片を繋ぐ存在”だ」
「彼らがいたから星は再生してきた」
「戦争から切り離した瞬間、これはただの破壊になる」
ミラが涙をこらえながら言う。
「私、怖いよ」
「でも……逃げて生き残るより」
「一緒に未来を作りたい」
ルークも歯を食いしばる。
「俺たちは守られるだけの民じゃない!」
「エーテルに救われた星の代表なんだ!」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてエーテルが、ゆっくり息を吐く。
「……君たちを失うくらいなら」
「宇宙を敵に回してもいいと思っている」
「それでも、ついてくるか?」
ミラとルークは同時に頷いた。
「帰らない」
「最後まで一緒」
その瞬間、ルミナが満面の笑みで二人に抱きつく。
「やったぁ!家族だもん!」
エーテルは目を閉じて、静かに笑った。
「……分かった」
「だが約束しろ」
「どんな戦場でも、俺の視界から離れるな」
ミラとルーク、力強く返事する。
「うん!」
ジンが苦笑する。
「結局、誰も置いていけない神様だな」
エーテルは小さく言った。
「それが俺の罪であり、誇りだ」




