悪事千里を走る
「本当にありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。スイーツブッフェは初めてだったけど、面白かったよ」
めちゃくちゃ美味しかった。以上。
……簡潔に言うと、その一言に尽きる。
ホテルのラウンジなので空間は広いし、ケーキはおしゃれだし、美味しい。
創も楽しんでくれたようだ。興味津々でメニューを眺めていた。軽食は全制覇した。
眼鏡を外したおかげか、ぶつかることもなく終始和やかだったのも良かった。
なお、美夜がちょっとお手洗いに行っている間に代金が支払われていたのには戦慄した。手慣れている……。誘ったのは美夜なのに申し訳ないと言ったのだが、「お詫びも兼ねてるから」と頑としてお金は受け取ってくれなかった。
店を出るとすっかり夜だが、繁華街の駅前なので人通りは減っていない。バスターミナルも大勢の人が行き交っていた。
「野島さんも同じ路線かな?」
「そうですね。途中で乗り換えますけど」
「本当は家まで送るべきなんだろうが……」
「そこまでされると本当に申し訳ないので!」
「そう言うと思った」
そんな感じで和やかに終わる――はずであった。
「――もうさ、別れて正解だったよな!」
酷く通るその声を聴くまでは。
思わず立ち止まって周囲を見回すと、少し離れたところを歩く酔っ払いの集団がいた。
その中に、元彼を見つける。
「全然会えなくて気持ちが無くなるのが何で悪い? 自然消滅くらい普通だろ!」
「まあまあ、もういいじゃん、可愛い彼女がすでにいるんだから」
「おう、可愛いぞ! なんかこう、守ってあげたくなるみたいな! 美夜はしっかり者で話は楽しかったけど、やっぱ違うな!」
――何の集まりかは知らない。全員スーツを着ていて、美夜の知らない顔ばかりだから同僚同士の飲み会だろうか。
その中で、あの男は大声で美夜を貶している。
お前がしたのは自然消滅じゃなくて浮気だろうが。
会おうとしたのに断り続けたのはお前だろうが。
お前が誰かを守れるタマか?
馬鹿馬鹿しい。親友よ、本当に、あの男はクズだったぞ。
ああ、嫌なものを見た。
腹を立てるのも、馬鹿みたいな。
――突然ぐいと腕を引かれる。
創が駅とは違う方向へ美夜を引いていくのだ。
「え、あの、加賀見さん?」
声をかけたが、彼は何も言わずに歩く。
バスターミナルでも人通りの少ないところまでやってきて、ようやく立ち止まった。
そして――美夜を抱きしめる。
「はっ……!?」
「泣いていいよ」
「え、か、加賀見さ」
「ここなら誰も見てないから、泣いていい」
「いや、あの、私は別に」
「眼鏡がなくたってわかる」
「君が、傷ついたのは」
思わず、離れようとする動きを止めてしまった。
「あの男が誰かはオレは知らないが、君を傷つけたのはわかる。……泣いていい。オレしかいないから」
「あんな男のために、我慢なんてしなくていいから」
もう一度、いいよ、と言われて。
――美夜の涙腺は崩壊した。
悔しかった。一時でもあんな男を好きだったことが。
悲しかった。四年も付き合って、何一つ理解されていなかったことが。
むなしかった。何の意味もなかったと、気づかされて。
それでもあんな奴のせいで泣くなんて馬鹿げていると、そう思ったのに。
創が、我慢しなくていいなんて言うから。
「あ……いつっ……の言ってた女……私なんです」
「うん」
「向こうが浮気して振ってきて……私だってそんな奴お断りだしっ、何の未練もないんですけど」
「そうか」
「さすがに、さっきのは、むなしすぎて……」
「そうだな」
的確に相槌をうってくれる創に、ついつい喋ってしまう。
「あんなやつ、別れて正解……大嫌い」
「いいよ、嫌おう。嫌って――最後は忘れよう」
全部流して忘れてしまおう。
******
『はぁ!? そんなこと言ったのあの馬鹿!?』
夜中に電話してきた莉奈に今日あったことを軽く報告すると、美夜より激怒してくれた。
『しかも誰が聞いてるかもわからない駅前で!? 大声で!? マジ最悪じゃんアイツ成長どころか劣化してるじゃん! 美夜悔しかったでしょ!』
「あー、うん。でもまぁ、ちょっと泣いたらスッキリしたし」
『泣いたの!? ああもうやっぱり仕事なんて放りだせば良かった!』
「あはは、ありがと」
『そうだ、アイツのあの空気読めなさ加減で迷惑被った子何人か知ってるからさ、鬱憤晴らしに今度集まって飲もうよ! あ、カラオケでコースとかどう? 個室だし防音だから他の人には聞こえない。奴とは違って!』
「迷惑被ったのそんな何人もいたの……」
『大なり小なりね! 美夜はさっぱりした性格だから案外上手くいってたのに……やっぱアイツ最低だわ。そのうち今のカノジョにだってフラれるわよ』
なお、莉奈は交友関係が広いことで有名だった。ついでに情報をうまく漏らす天才である。
……そんな彼女を敵に回したので、元彼の所業が友人達に広く知れ渡るのも時間の問題ということだ。
『そうと決まれば声掛けしなきゃ! 美夜は土日が基本休みでいいのよね』
「うん。詳細決まったら教えて。楽しみにしてるから」
『任せなさい!』
本当に、今度こそ元彼はサヨナラである。
余談だが、泣いて目が腫れてしまいタクシーで送ってもらった。
「よく考えたらさっきのセクハラだったよな……」と創が青い顔をしていたので、「合意です、はい」と言っておいた。
現代日本で【抱きしめる】というのは大変なコミュニケーションだった。簡単にやる乙女ゲームってすごいな。
「今回眼鏡要素少ないな……?」と思ったあなた。
安心してください、眼鏡に毒されてますよ。




