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殺人少女、異界に遊ぶ  作者: 広瀬 月草
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帰還

前話までのあらすじ:狩人ドフと殺人鬼里奈。殺しの腕に秀でた二人の激突は、ドフの勝利で幕を下ろした。

しかし里奈は絶命に瀕した時点で蘇生の策を仕込んでいた。卓越した魔力と分析力で計画通りに息を吹き返した里奈によって、ドフは斃される。

人殺しの魔女として君臨する里奈を止めるものは無くなったと思われた。その瞬間、彼女に訪れた異変。

それは異世界への召喚だった。

 炎の赤色が遠くなっていく。

 一瞬の暗闇、そして数千の光が瞬くトンネルを抜けた。

 トンネルの先に待っていたのは、薄明かり。


「…………ん」

 その薄明かりが瞼を通して伝わってくる外界の灯りであると気が付いた。

(身体が動かない)

 拘束されているようには感じない。ただ自分の肉体が、完全に力を失っていることだけが分かった。

 横溢する魔力を肉体に漲らせ回復を早めようとする。だがその瞬間に訪れる違和感。

(魔力が枯れている……!)

 否、今まさに枯れようとしていると言うべきか。栓を抜いたプールのように、一瞬ごとに大量の魔力が「排水」されている。

 どこへ? 「向こうの世界」へだ。異世界人には扱えないと散々に言われてきた魔力。一度は使いこなしたそれが、今再び里奈の制御を離れようとしていた。

 なぜ? その答えは明らかだ。里奈が再び「異世界人」に戻ったからだ。

 魔力の残りカスを集めるようにズタボロの肉体を復元する。折れた骨と筋繊維が修復され、それをピンク色の真皮と肌色の表皮が覆った。

「おお」

 誰かの声。慄いたように呟いている。

「蘇るのか」

「だ……れ……?」

 唇が水気を失ってカサカサだ。ゆっくりと状態を起こすと、骨がギシギシと軋んだ。まるで老人の体だった。

 寝起きのように焦点の合わない目で辺りを見渡す。

 そこは薄暗い空間だった。壁に掛けられた蝋燭から放たれる僅かな光が里奈の横顔を照らしている。斜め上に離れたところでキラキラと輝くものが見えた。

 その輝くものをまじまじと見つめた里奈は、すぐに気がついた。似たような輝きが自分を四方八方から囲んでいる。あれは目だ。スタジアムのような形の建造物、その底の平坦な部分に里奈は横たわっていた。そして今、多くの目が自分を見下ろしている。

「本当に蘇った……」

「あれが魔女」

「我らに救いをもたらすもの」

 囁き声がうねりのように里奈の元に届いた。畏怖と期待が自分に向けられている。

「偉大なる魔女よ」

 スーツ姿の男が里奈の前にひざまづいた。

「還幸、心よりお祝い申し上げます」

「あなたは」

 この男には見覚えがあった。殴り殺されたあの日、声をかけてきた男。ハンカチを渡してくれた男だ。

(私は、帰ってきたんだ)

 視線を下ろすと、身につけていた制服にべっとりと血がついているのが見えた。頭をかち割られたときに付いたものだろう。つまりこれは、殺された当日の里奈の肉体だ。

 だんだんと状況が掴めてくる。かつてトーラはこの世界に召喚を受け、魂の断片を残して去った。断片は幼き里奈に宿り、それがトーラ本体と引かれあった結果、今回の異世界転生が起こった。

 里奈が元の世界に帰還を果たすことができたのも、おそらく同じ理屈だ。かつてトーラがそうされたように今度は里奈が、魔女としてこの世界に召喚されたのだ。呼び戻された魂は、こうしてかつての肉体に再び宿った。

 であれば、今自分を取り囲んでいるこいつらは。

「我ら、霊堂知命会。あなたの救世を心より望む、小さきものどもです」

 スーツの男は知っていたのだ。里奈が狂ったように人を殺し続けていたことも、殺人を渇望するようになった原因も。

 寝かされていた大理石の祭壇から身体を動かそうとしたとき、自分の右手に触れる暖かな存在に気がついた。見ると、手を伸ばして里奈の指先を弱々しく掴む大柄な人影が薄闇に浮かんでいた。

「……あの」

 遠慮がちにそう言って、その人影の肩に触れる。途端、ツンとする血臭が鼻を突いた。

「大丈夫ですか……?」

 祭壇を降りて、彼の前に膝をつく。石の床に触れた膝にぬるりとした感覚が広がった。暗くて見えないが、祭壇の下には血の海が広がっているようだった。赤い液体の根元は間違いなく、里奈の手を握っているこの男だろう。

 何気なく覗き込み、硬直した。

 見知った顔。この世界で最も近い場所にいた男の顔。

「――父さん?」

 自然とその呼び名が口をついた。

 健吾の瞳にほんの僅かな光が灯った。

「…………里奈か」

「……!そう! 里奈だよ、しっかりして!」

 健吾を仰向けに返し脈拍を測る、それは里奈の掌の中に、ごく小さな脈動として感じられた。

(傷口は腹部……だけど)

 一目見て分かった。これは手の施しようがない傷だ。刃物で刺されたのではなく金属片をえぐり込まれたような傷。それも一度えぐった後、傷を広げるように何度も捻っている。見るに耐えない肉のクレーターのような有様だった。

 魔術も使えない。今の技術では全てを投げ打っても彼を救うことはできない。

 健吾の口元が動いた。乾いた血がついた唇がゆっくりと声を作る。

「ご……め、んなぁ」

「何?」

 口元に耳を近づける。苦しげに喘ぐ吐息に紛れて言葉が聞こえた。

「真っ当に……育てて、やれなくて……ごめん」

 はっとした。彼は知っているのだ。これまでに里奈が犯してきた、想像を絶する悪行のことを。

「私は」

 死にゆく育ての親に何と伝えればいいのか分からなかった。しらを切って、偽りを信じた彼を冥土に向かわせるのか。それとも真実を伝え、娘の所業に絶望を抱かせながら地獄へ突き落とすのか。

 最後の瞬間まで、どちらも選べなかった。

 黙りこくったままの里奈の手から、鼓動を失った父の手が滑り落ちた。

「彼は役目を終えたのです」

「…………」

「生みの親を失った貴女をここまで育て上げ、ついに魔女として大成させたのは紛れもない、有島健吾様の功績です。救世の暁には彼は聖人として祭り上げられることになるでしょう」

 つらつらと口を動かすスーツの男。里奈は呟いた。

「――私を魔女と呼ぶ、あなたたちの望みは?」

「この世界を変えたい」

 男は頭を垂れた。

「かつてこの世界は過ちの道を歩みました。16世紀に行われた世にもおぞましき大迫害。魔女と呼ばれた賢者たちを片端から迫害し、神に従うものだけを選んだ結果が今のこの世界です。……苦しみと争いに満ちている」

「そうね」

「権力への反逆者であり、まつろわぬ民。それこそが魔女です。この世界を変えるには、歴史に葬られた賢人を再びこの世に呼び戻さなければならない。呼び戻された魔女は……いえ、貴女様は、この世界で最も忌み嫌われていることをなさるでしょう。殺人を」

「私に人を殺して欲しいの?」

「秩序を壊して欲しいのです。歴史上のマジョリティが作り出したこの世界を壊し、どんな人でも生きやすい世の中を作りたいのです」

(そうか)

 里奈は心の中で頷いた。

(彼らにとって、私は神様なんだ)

 導いて欲しい。救って欲しい。そんな渇望が神を生み出した。神とはすなわち、その文化圏における人々の望みの現れだ。

 水難に遭えば水神を。飢えに苦しめば豊穣神を。戦が続けば戦神を。

 そして彼ら、霊堂知命会は、その弱さゆえに救いを求めた。自分たちを押し潰さんとする世の中のマジョリティ……あるいは権力に抗うために、秩序を壊す神を求めた。

 それが魔女。トーラであり、里奈。

「父さん」

 足元に横たわる父の遺骸に向け呟いた。

「確かに私は普通じゃない。だけど、父さんからもらったものも沢山あるのよ」

 それは異世界に行かなければ気づかなかったこと。

 里奈の中の人間の部分、トーラに乗っ取られなかった部分。それを育ててくれたのは健吾だ。厳しくも愛情深く接してくれた彼のおかげで、里奈は極端な二面性を持ってここに君臨している。

 愛する人には無限の守護を。

 そうでない者に底無しの絶望を。

 奇しくもそれは、古来より祭り上げられてきた神の在りようそのものだった。

 里奈はおもむろに自分が寝かされていた大理石の祭壇によじ登った。少し高くなったその視点で集まった人々を睥睨する。

 人々は誰からともなく、膝をついた。

「――私は、戻った」

 里奈の声が響き渡る。

「私は自分を知って、ここに帰ってきた。ここでは無い世界で、自分自身の正体を知り、生き様を教わったのだ」


 生きていて欲しかった。健吾にも、ボリスにもトーラにも。もう誰も失いたくない。いや、

愛する人「は」もう誰も、失いたくない。


「私の望みは、あなたたちの望みと一致する」

 殺し尽くそう。私が愛さない全てを。

「世界を崩す革命を、始めよう」

 一瞬の静寂、そして、聖殿の石壁が震えた。信奉者たちの歓声と鬨の声、興奮してふみ鳴らす足が建造物を揺さぶっていた。

「この日はやがて、世界の歴史に刻まれることでしょう」

 スーツの男が溢れ出る涙を拭った。

「我らの命は貴女のものです。どうぞ好きにお使いください」

 恭しく傅いた男を、

「…………そうね」

 里奈は冷たく見下ろしていた。真意を悟らせない表情で。



 彼らは気づいているのだろうか。

 神を祭り上げることと、その神を制御することは別だという事実に。

 いつも都合よく願いを聞いてくれる神様なんていない。贄を供し、時間と……時には苦痛さえ伴って祈祷し、人は神に願いを届ける。

 それを聞き入れるかどうかは、神様次第だ。


 冷たくなっていく健吾の死体。

 床に転がった、血に濡れたシャベル。

 彼らは里奈の秘密を暴き、絶望の中で父を死なせた。


 神は怒っていた。

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